4.4 波の間をゆらぐ
まる一日かけてアクソネにもどってきて、まずしたことは蒸し風呂に入ることだった。シモフが任務の報告をしにゆく間に、トゥエンはクレシアをリーシャのもとへ送り、それから家にもどって着替えをつかみとって、街の外れにある公衆浴場でシモフを待った。コリシュマーデはおいてきた。
トゥエンはエルボーから引きずっている問いかけにずっと頭を抱えこんでいた。そののめり方というのはすさまじく、シモフがやってきても全く気づいていなかったというぐらいだった。
そのため服をぬいでいる間も、さあ蒸し風呂の中に腰をおろして温まろうというときも、うわの空のようになっていたのは当然ともいえる状況だった。
「トゥエン、ここにいるうちはわすれておけよ。疲れがとれないぞ」
「でもなあ、気になって気になって仕方がないんだ」
「お前は何を気にしてるんだ?」
「イーレイが、オレが王宮騎士団の指導をしてるってことを、どこで知ることができるか」
「イーレイ、あの男のことか」
シモフは腕をくんで壁に背中をはりつけ、天井を見上げた。その横でトゥエンは、膝を肘にのせて、頭をたれて床のタイルを見下ろした。
「獣人が王宮にいるわけはないしなア」
「騎士団が訓練に使う場所は全部王宮の敷地として獣人は入れないようになってる。獣人が内部を知ってるなんて、エグネ以外ありえない」
「でも、獣人の目なら、遠くからでも見えることだろう」
「それは偏見だ。たしかに彼らの一部はネコのような目でいかにも目がよさそうだけれど、実際はそんなことはないんだぞ、メガネをかけてる人もいるさ」
「ネコがメガネとは笑い草だな」
トゥエンがいきなり、壁に頭をうちつけそうになるほどの勢いで上半身をおこした。その顔はまだ蒸し風呂に入ってあまり時間がたっていないのに、赤くなっていた。素早く左のシモフをにらみつけた。目までもが血走って赤かった。
わるいわるい、とシモフが腕組みをほどいてなだめると、トゥエンはまた膝に肘をついた。そのあとにでてきたのはため息だった。
ため息だけではなかった。ふと騎士団員がイーレイを駐在所にまねき入れる姿を思い出してしまった。獣人の脱獄犯をとりあつかうにはずいぶんとていねいだが、そのときはイーレイの手中にあると思ってやりすごしていた。
だが――騎士団はそうかんたんに手のひらをかえすような人の集まりなのか?
「エルボーの騎士団員は、本当にイーレイの側についてるんだろうか」
「お前がそのときのことを見てたんだろ? だったらそう見なすしかないだろ」
「いや、こうも考えられるんだ。それも任務としてこなしていたら、ってことだ」
「それはないだろ、そんなことを指示する隊長はいない」
「オレは別に『隊長からの指示』とはいってない。イーレイとは別の誰かが、イーレイを守るよう指図したのかもしれない」
「まさか、そんなこと」
「なら逆にたずねるが、騎士団員はそれほどかんたんに王宮を裏切るのか?」
「んなはずはない」
「だからおかしいんだ。王宮にそむくようなことを、エルボーの連中はしたんだ」
トゥエンな頭をわしづかみにして、髪の毛をすべて抜いてしまうのではないかというぐらいにはげしくかきまくった。あア、と低くふとい声を発しながらも、地面のタイルをにらみつけていた。
そんなトゥエンに、遠くの女性の裸体を眺めるシモフが口をひらいた。
「なあトゥエン、けっきょくエルボーの悲鳴はウソだってわかったんだから、それはそれでいいんじゃないか?」
「シモフはこれからおこることを考えないのかよ」
「まあ、内戦にはなるだろうね」
「えらく楽観的だな」
「だって、もうあんなのが起きた以上どうしようもないだろ」
シモフのいいぐちはあまりにもそっけなくて、トゥエンは、なんだって? とききかえした。つぎの言葉はもっとそっけなくて、トゥエンは鼻で笑うと体をおこした。それから両手で髪をかきあげ額に滲み出した汗を人差し指ではらった。
「お前は戦火のなかにいないと真剣にならないようだな」
「戦闘のことは戦場で、だ。俺の戦場は現場と騎士団だよ」
「じゃあ、オレの場合はぜんぶが戦場、ってことにしとくよ」
「なあ頼むから公衆浴場のなかでだけは重い話をしないでくれ。汗と一緒にでようとする汚れも流れてくれやしない」
「ああすまないな」
姿勢をもどしたところでシモフがクレシアについて聞いてきた。フードのおかげでシモフは彼女の人種には全く気づいていないようではあった――美人さんだと彼は評していた――が、彼女がなんなのか、ときかれて、すぐには答えられなかった。たんに連れだととっさに答えていたのをわすれていただけなのだが、そのわずかな間のおかげで、案外自身があぶない橋をわたっていることをみとめた。獣人と王宮騎士団の騎士とをひきあわせてしまったのだ。
たんなる弟子だ、と答えたところで、トゥエンは剣術か鍛冶かのどちらなのかをきめていなかった。とっさに答えたのだから、そこまできめているはずがなかった。
「弟子ねえ、お前を剣術の師にしたのはある意味正解かもな、お前ほど剣の魔物を追いだしなれてるやつはいなかろう。こころの底から剣士になれる」
「おいおい、お前は何をいってるんだ」
「まさか鍛冶の弟子に金づちじゃなくて剣をにぎらせたのか? そこまでバカじゃないだろう?」
「いきなりそんなことをいうからおどろいただけだ」
しかし、シモフが勝手に誤解したことはありがたいことだった。考える必要もなく、シモフの中でクレシアは剣術の弟子だということとなったのである。このままウソを押し通せば何もかも丸くおさまるわけだ。なのに、トゥエンは安堵できなかった。いよいよ本格的にクレシアを騎士にしなければならないと考えるようになってしまった。
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