3.4 馬が走る
早朝、クレシアがかったものは刃渡り十インチのナイフだった。店に入るなり彼女が、長さ十インチでなるべく軽量化されたもの、といいつけて、フードをかぶった壮年がもってきたのが五本だった。トゥエンの目でみれば、彼がしている鍛造ではなく、鋳造で作られたものだった。同業者としてたずねてみれば、溶かした鉄を金型に流しこんで、できあがったものを叩いて調節するのだそうだ。時代は『鍛える』から『流し込む』にかわりつつある、とフードは大口を叩いていた。その表情が、自分に酔っているかのようであまりにイラついたから、クレシアに出されたナイフを一本手にとってさんざんにけなした。事実、けなすに値するもので、ほかの剣にぶつけてみれば、あっさりと折れてしまう代物だった。折れたナイフを店主につきつけるようなそぶりをみせてからわたすと、きまりがわるくなったのだろう、態度が急にかわって、売値の半分で売ると言いだした。トゥエンがひとつひとつ調べて、まともなもの二つに絞って、クレシアは右側のナイフをえらんだのだった。
そのせいか、クレシアの表情はとてもうれしそうだった。アーゲンフ銀貨三十枚という価格が――この段階でトゥエンが作る包丁よりもはるかにやすい――十五枚になったのだから当然ともいえるが、革の鞘におさまったナイフを愛でるように見まわす目には、割引とはちがう理由がありそうだった。
町を歩く中、トゥエンは異様さを感じとった。何か起きたのか知らずとも何か『が』おきたことは明らかだった。騎士団支給の制服の上に鎖帷子をつけた騎士や、制服の襟そでから鎖帷子をのぞかせている騎士が、いたるところにいるのだ。王宮騎士団が日ごろ課せられていることといえば、町のみまわりやひろいものの管理、となり同士や酒場の喧嘩をなだめたりするぐらいだった。つまりは、日ごろとは何かがちがうのだ。
騎士がいることだけではなく、空気や、見える風景もまた、ヘンだった。朝早いからかもしれないが、いろんなものがうごかないでいる風に感じとれた。窓ガラスが風とか人の手とかでゆれずにいて、扉もあくことをわすれてしかったかのようだった。風もまた陽がさしていることに気づいていなくて、さむさが手に突き刺さった。絵画のような視界のなかで、ときおり騎士が暇そうに体をゆらすから、きもちがわるいのだ。
「トゥエンさん、騎士団の方々ってあんな早くに仕事するものですか?」
「いつでもうごけるような体制にはなってますが、こうやって、まるできめられた位置にたっているようなことは、事件でもないかぎり」
「何かあったのでしょうか」
「あったとしても、こうやって広い範囲にわたることはありません」
何だかこわいですね、と言葉をこぼしながら、クレシアはあたりをみまわし、トゥエンに半歩ほど近寄った。とおりにいる騎士たちへしきりに視線を送るクレシアは、トゥエンのえらんだナイフどころではなかった。トゥエンはそんな彼女を時々見ていた。
「騎士たちのことです、何か理由があってのことでしょう」
「その理由が、その、いいものでなかったら」
「ながい間この町で治安を見てきた者たちです。だいじょうぶです」
「トゥエンさんは、わたしのことをご存じでしょう?」
トゥエンは安心させるべく理由のことをいったわけだが、クレシアをよけい怖がらせることとなってしまった。ナイフで手をきってしまうのではないかというぐらいナイフをだきしめて、背中をすこしばかり丸めていた。眉間にはしわが二本できていた。
「そんな姿勢でいると、よけいあやしまれますよ」
「トゥエンさんやめてくださいよ」
「だからしゃきっとしてください」
はい、とクレシアが言葉しながらトゥエンのオスェンをつまんだとき、ちょうどイーレイの醸造所が見えてきた。ハチミツ酒の源もまた例外ではなく、音ひとつ飛びだしてこなかった。だがそれは醸造所の門がひらかれる前まで。門があくときには、さびついた音が耳にいたかった。
道ばたの物陰にかくれて様子をうかがったところ、はじめに姿をみせたのがフード姿の男だった。男は手綱をひいていて、男に従うのは脚の短い馬だった。馬に大きな荷物が二つのせられているのが見えて、きっと反対側にも二つ荷物がぶら下がっているのだろう。荷物の間には人がすわれるぐらいの空間があった。鞍はついていなかった。馬の尾っぽが見えたところで立ちどまらせて、男は門をとじた。馬の首もとをなでてから、馬にのり、馬を歩かせた。フードからはみでたうしろ髪がイーレイであることをさりげなくおしえていた。
襲撃犯イーレイがいまにもうごきをみせようとしていた。イーレイが馬にとびのって、馬の尻がこっちをむいてから三度しっぽがゆれるのを眺めて、トゥエンはついに建物の蔭からでた。一秒おくれて、クレシアがでてきた。
あとをおいますよ、とクレシアに振りかえった。セツナ、馬がかけだした。トゥエンの思惑がスケスケになっているといわんばかりにしっぽをゆらし、足の裏をみせつけ、あっという間に小さくなって、きえてしまった。
「いっちゃいましたね」
「歩いてくれれば尾行できたんですが。リーシャならできたことでしょうに」
「そんなにすごいんですか? その、わたし、そっちの顔のジーンさんは全然知らなくて」
「オレも直接見たわけじゃないですが、その手のことはとてもすごいと思いますよ」
トゥエンは通りの両側を見た、それもため息をつきながら。大荷物で、そのうえ馬を使って移動するとなると、後を追う価値は十二分にあった。それが単なる商談としても、暴動をおこしにいくとしても。トゥエンは目の当たりにしなければならなかった。王宮騎士団となんらかのつながりがあるとわかった以上、どんなことでも観察しなければならなかった。イーレイをみうしなったトゥエンは任務になかば失敗したようなものだ。
トゥエンがもういちど、ため息をついた。
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