36.返された写真




 千駄ヶ谷に移動した時を同じくして、沖田の姉・ミツだけではなく新選組の面々も江戸を離れていくことになった。沖田がもう一緒に戦いに参加できない以上、今生の別れになるかもしれないと、口に出さずとも思っているのだろう。名残惜しそうな顔をしてミツの次に現れた客人は、近藤であった。


「近藤先生!」


 突然現れた近藤を見て、沖田は元気に声を出した。


「総司、息災だったか?琉菜さんも、お変わりありませんか?」

「はい」

「今日はどうしたんですか?」


子供のように嬉しそうに笑う沖田を見て、琉菜は局長には敵わないや、と一人微笑んだ。


「しばらく江戸を離れるんでな。行く前にお前に会っていこうと思って」


 沖田の顔が曇った。


「そうなんですか。どこに行くんです?」

「流山というところだ。そこで隊士を集め、再起を図る」



 二人きりにしてやろうと思い、琉菜はそこまで聞いたところでこっそりと部屋を出た。



 近藤局長と沖田さんは、ここで最後のお別れをする。

 二人とも、つらいだろうな。

 沖田さんは誰よりも尊敬した師匠と別れ、近藤局長は、誰よりもかわいがった弟子と別れる。

 二人の気持ちなんて、あたしなんかが想像してもし尽くせないんだろうな。


***


 一時間程外で買い物をして帰ってくると、琉菜は様子を見るのも兼ねて沖田の部屋に向かった。


 しかし、襖に手をかけた瞬間、琉菜の動きがぴたりと止まった。

 中から泣き声が聞こえてきたのだ。しかも、二人分。周りが静かだからこそわかる。近藤が、沖田が、さめざめと泣いている。

 涙などとは最も縁遠い二人だと思っていただけに、琉菜は信じられない気持ちでいっぱいだった。


 聞いちゃダメだ。

 これは、二人だけのことなんだから。

 あたしが踏み入ってはいけないところなんだから。


 琉菜は鉛のように重い足の向きをなんとか変え、敷地内では部屋から一番遠い、井戸端へと目的もなく向かった。



 泣いてた。

 二人とも。



 あんなに、武士として誇り高く生きてきた二人が、泣いてた。

 壬生の狼と恐れられた。新選組の鬼が。



 琉菜はふと、あることを思い出した。それは昔何かの本で読んだ一節だった。


 ――沖田は近藤を慕っており、これが今生の別れだという段になると声をあげて泣いたという。


 そんなことが、書いてあった。



 そのエピソードは、誰が後世に残したんだろう?

 だって、少なくとも、二人がこれで会うのは最後だって、泣いてたって知ってるのは……


「琉菜さん、ここにいましたか」


 背後から声をかけられ、琉菜はビクッと体を仰け反らせた。


「近藤局長……」


 近藤の目は、少し湿っぽくなっているようだった。やはり、泣いていたのだと琉菜は確信した。

それだからこそ、琉菜はその件には触れるまいとなんとか関係ない話題を探した。


「あの、腕の方はその後いかがですか?」

「ええ。もうすっかりよくなりました。怪我をする前ほど、とは言えませんが、だいぶ自在に刀を振るえるようになりました」近藤は怪我していた腕をもう片方の手でパシパシと叩いた。

「よかった……」琉菜はにこりと微笑んだ。


 だが、近藤の方は本題はそこではないとばかりに話題を変えた。


「琉菜さん……新選組はこれから、流山というところに布陣します。隊士を集め、力を蓄えるつもりです。恐らく会津の容保公の方に合流することになりそうです。その途中、いつ戦になるかわからない。もしかしたらその戦いの中で私は死ぬかもしれない。そう思ったら、最後に会っておこうかと思いましてね」

「近藤局長……」

「まあ、これで最後かもしれない、なんていう局面は今に始まったことじゃないんですが、何でしょう、虫の知らせって言うんですかね。総司と琉菜さんに、会っておかなければと思ったんです」


 そう言って、近藤は懐から一枚の紙を差し出した。見てみると、それは写真だった。藤堂と斎藤が御陵衛士になる前に、皆で撮った写真。


「これ……」

「琉菜さんが、持っていてください。死ぬ前に、処分するようにって、琉菜さん言っていたでしょう」

「でも……」


 言った。確かに言った。しかし、これを受け取れば、近藤の死期が迫っていると認めるような気がして、琉菜は受け取れなかった。


「そんな悲しいこと言わないでくださいよ。近藤局長も沖田さんも、まだまだ死んじゃダメです」琉菜はそんな言葉しか言えなかった。だが近藤は写真を持つ手を引っ込めない。

「もちろん、死なないように、生きている限り、戦うつもりです。ですが……」


 近藤は写真を自分の顔に近づけ、じっと見つめた。そしてもう一度琉菜の目の前に差し出した。


「受け取ってください。女々しいと言われるかもしれませんが、このポトガラを見ると、どうしても感傷に浸って後ろ向きな気持ちになってしまう。平助も、源さんも、山崎も死なせてしまった。新八や左之助にも、嫌な思いをさせてしまった」

「局長……」

「ポトガラがなくても、私が彼らを忘れることはありません。あいつらの死を、志を、無駄にはしない」


 今度は、琉菜は拒否できなかった。おずおずと、写真を受け取る。ぎこちなく、しかし屈託なく笑う大好きな人たちの姿が目に飛び込んできた。


「琉菜さんには、本当にお世話になりました。初めてあなたに会った時は、未来から来たと聞いて、とても驚きましたが。もちろん、一番驚いたのはあなたでしょうけどね。泣き言も言わず今まで本当によく働いてくれた。 皆、琉菜さんの笑顔に元気をもらっていたと思います。私だって、例外ではありません」


 近藤は、深々と頭を下げた。


「今まで、本当にありがとうございました」


 琉菜は目の前の光景が信じられなかった。

 新選組の局長が、近藤勇が、自分に頭を下げている。


 あたし、そんなことされるようなこと何もしてない。


 琉菜は慌てて「あたしのためなんかに頭を下げるのはやめてください」と声をかけた。


「あたしの方こそ、近藤局長には本当にお世話になりました。だから……」


 近藤が顔を上げた。入れ違うように、今度は琉菜が深々をお辞儀をした。


「未来から来て、何もわからないあたしに、近藤局長は居場所を与えてくださいました。本当に感謝しても足りません……どうか、ご武運を」


 他にも、いっぱい言いたいことがあるのに。

 近藤局長は、本当にあたしの大恩人なのに。

 何からどう言ったらいいかわからない。


「頭を上げてください」近藤の優しい声が降ってきた。


 見ると、にこりと笑みを浮かべる近藤がそこにはいた。琉菜は全てわかってもらえたような、そんな気がした。


「琉菜さん。一つ、聞いてもよろしいでしょうか」

「はい」

「その……未来は、どうなりますか」


 琉菜はじっと近藤を見つめた。


 予想はしていた。

 幕末の日本を支えたこの武士の中の武士が、未来を心配しないはずがないと。


 答えなきゃ。

 これがたぶん、近藤局長の最後の頼みだから。


 琉菜は一瞬口をぎゅっと結んだが、やがてスッと息を吸い込んだ。


「この時代から、あたしのいる時代になるまでの百五十年間、いろいろなことがありました。戦もあったし、災害もありました。でも、それだけじゃない。新選組ががんばったから、百五十年の間にいろんな人ががんばったから、今、あたしたちは平穏を手に入れました。もちろん、完璧じゃないですし、未来は未来でまた別の問題もいろいろありますけど、でも、大多数の人は、戦や流行り病に怯えることはなくて、安心して生きることができるようになったんです……新選組のやってきたことはムダじゃありません。未来は平和です。だから安心して、近藤局長は最後まで戦い抜いてください」


 少し沈黙があった。


「そうですか。よかった」近藤は満足そうに微笑んだ。だが、話はそこでは終わらなかった。

「もう一つ。いいですか」


 琉菜は少し驚きながらもこくりと頷いた。


「武士はこれから、どうなりますか」


 琉菜は迷った。

 武士はあと数年もすればいなくなる。

そんなこと、武士を目指し、誰よりも努力し、人生の全てを武士になることに注いだこの男に言えるはずがない。


「武士は……その、心は、あります」


 クサい答えなのは自分でもわかっていた。しかし、他に妙案が浮かばなかった。


「人は平等で、人を殺しちゃいけませんって、そう言われてみんな育ってきたんで……だから、今みたいに人を斬る武士はいないけど、剣道も残ってるし、日本人には今でも侍の血が流れているんだなって、そう思うときがよくあります。それで……」


 琉菜はなんとか近藤を傷つけないようにと言葉を選びながら話した。

 近藤はそんな琉菜を見て何かを悟ったように柔らかく笑うと、「わかりました。ありがとうございます」と遮った。


「それでは、武士は滅びないのですね」


 琉菜は力強く頷いた。


「ありがとうございます。それを聞けて安心しました。……では、私はもう行かなければなりません」



 二人は庭先から回っていったん沖田の部屋に戻り、近藤はもう一度沖田に挨拶をした。


「それじゃあ総司、琉菜さん、達者でな」

「はい。近藤先生もお元気で」沖田は朗らかに笑った。


 琉菜は沖田の笑顔を見た。その目は、赤くなっている。気づかないふりをして、琉菜は「そうだ」と声をかけた。


「お二人とも、これ、記念に撮りませんか?」


 琉菜はそう言って懐からスマートフォンを取り出した。あらゆる種類のモバイルバッテリーを持ち込んでいたこともあり、まだ電池はある。


「琉菜さん、ポトガラは……」近藤は戸惑いの表情を見せた。先ほど返したばかりなのに、また新たに撮ってどうするのだと言いたいのだろう。

「一枚しか、現像しません。これを見ながら、あたしも沖田さんも、毎日毎日局長と新選組の武運を祈ります。ね、沖田さん、いいですよね」


 沖田は少し考えるような間を開けたが、「もちろん。撮りましょう」と答えた。


 琉菜は沖田と近藤を並ばせると、シャッターを押した。


「琉菜さんは入らないんですか?」

「あたしは……」


 なんとなく、この二人と一緒にスリーショットで写真に写るとは、恐れ多いような気がしたが、近藤も「琉菜さんも撮りましょうよ」と言ったので、琉菜は二人の間に座った。


「この人数なら、これでいけます」そう言って、自撮りモードにして画面を向けた。

「うわあ、すごい!鏡みたいに写ってる!」沖田が声を弾ませた。

「はー、未来のポトガラは本当にすごいなあ」近藤が言った。

「このまま写りますからね。ちゃんと顔キメてくださいよ」


 ぎこちない笑顔を浮かべる二人をよそに、琉菜はにこりと写真用の笑顔を作ると、シャッターを押した。


 印刷した写真を見てすごいすごい、とはしゃいでいたのもつかの間、近藤はそろそろ行かねばと腰を上げた。


「総司、琉菜さん、達者で」

「ええ、近藤先生も。ご武運を」

「近藤局長、あの……また今度」


 琉菜はなんとなくさよならとは言いたくなくて、そういった。

 近藤はにこっと微笑み、「ああ、また」と言うと踵を返した。



 近藤勇は、植木屋平五郎宅をあとにした。これが、愛弟子・沖田総司との今生の別れとなった。

 琉菜と沖田はその姿が見えなくなっても、ぼんやりと庭を見つめていた。


「とうとう、近藤先生も行っちゃったなあ」


 沖田が独り言のようにつぶやいたのを、琉菜は聞かなかったことにした。






 その夜、沖田が寝静まったのを確認すると、琉菜は隣の自室で小さな文机に向かっていた。

 文机に広げているのは、白紙の帳面。すなわち江戸時代式のノートである。

 わずかな明かりを頼りに、今日の出来事をさらさらと記していく。


 ――三月二十八日

 近藤局長、千駄ヶ谷に訪ねられたし。沖田先生に別れを告げる覚悟を持ち、挨拶奉り候。


 「奉り候」の使い方が合っているかは判断に迷ったが、とにかくそれっぽければいいや、と思いながら琉菜はそのまま進めた。それでもなるべく、江戸時代の人のような字になるように。読み書きは教わったが、最低限生活に困らないレベルである。自分で長文を書くことは想定していなかったが、やるしかない。


 ――両名とも、この度の対面が今生の時と思ひ、互いに涙し、その別れ惜しみ候。


 琉菜は、これが自分の使命だと直感したのだ。

後世に沖田総司の最期の日々が伝わっているのは、創作が創作を呼んだ可能性ももちろんあるが、やはり当時の様子を知る者が何かを残していたに違いない、と。



 琉菜は、日記をつけることにした。今日以降の分だけではない。思い出せる限り、遡って。

 その日記がどういう影響を及ぼすのかはわからない。少なくとも、有力な一次資料として残っていないのは確かだ。ここから琉菜が元いた百五十年後までの間にどう転ぶのか。燃えてしまうのか、誰も知らない蔵の奥底に眠るのか、誰かに見られるのか、誰にも見られないのか、わからない。


 それでも、琉菜が何をしたところで「歴史を変えられない」のだとしたら――  

 何をしたって構わないじゃないか。


 そんな開き直るような気持ちもあった。

 琉菜は夜が更けるまで夢中になって、帳面に書き記した。



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