37.返されなかった写真




 四月半ば。

 流山の情勢は、どうなっているのだろう。

 近藤は、土方は。


 琉菜がぼんやりとそんなことを考えながら庭先で洗濯物を干していると、ザッと土をこするような足音がした。

 琉菜はその音の方に振り返り、立っている男を見た瞬間、パッと手で口元を抑えた。吹き出し笑うのをこらえるためである。


 髪を短く切り、洋服に身を包んだ土方が立っていた。土方は鮮明な写真が今に伝わるが、その有名な写真からそっくりそのまま飛び出してきたようだ。


「ひっ土方さんっ!」琉菜は思わず土方に背を向け、くすくすと一人で笑い出した。


 ヤバい!

 当たり前だけど、あの写真のまんまだ!

 すごい!感動!

 でもって、なんか面白い!


「おい、何笑ってんだ」土方が凄みをきかせるように言った。

「え?ああ、すみません」


 琉菜はにやにや顔をなんとか封じながら、土方に向き直った。

 そして同時に、琉菜の中に暖かい安心感が広がった。


 土方さんが、いる。


「へっ、どうせヘンな格好だとでも言いたいんだろ」土方は吐き捨てるように言った。

「おい総司!」土方が呼ぶと、沖田はゆっくり縁側に出てきて腰を下ろした。

「土方さん、来てくれたんですね」沖田はにっこり笑い、琉菜と土方を交互に見た。

「琉菜さんは土方さんのその格好見るの初めてなんですよね。私は先だって日野で見たんですけど」

「そうなんですか!?それじゃあ、あたしも日野まで行けばよかったなぁ」


 土方は、「わけわかんないこと言ってんじゃねえ」と沖田の横に腰かけた。


 でも、あたしの世界じゃそういう格好が普通なんだけど。


 そんなことは言い出せなかった。

 言ってしまえば、和服の終わり、刀の終わり、武士の終わりまでも断言しかねない。

 琉菜は洗濯を干すのを再開しながら土方と沖田の会話を聞いていた。


「流山で兵は集まりましたか?」

「ああ。それでな、今度は宇都宮に行く。新政府軍やつら、どんどん北上して会津や庄内といった佐幕の藩を攻めようとしてやがるからな。食い止めるのが、俺たちの役目だ」


 琉菜は最後の一枚を干し終えると、桶を片付けにその場を離れ、お茶でも出そうかと台所に向かった。


 囲炉裏にヤカンをセットする。未来から持ってきていたマッチを擦って放り投げる。その火種を、慣れた要領で大きくしていく。


 コトコトとお湯が沸くのをぼんやり眺めていると、嫌でも脳裏にはある考えが浮かぶ。


 土方さんがここに来て、宇都宮に行くって言ってるってことは……

 もう、近藤局長は……


 その先は考えたくなかった。

 自分の影響で少しは歴史が変わってはいやしないかと琉菜は淡い期待を寄せた。だが、それは妄想でしかないのだろう。


「琉菜」


 琉菜はビクッとして名を呼ばれた方向を見た。


「土方さん」


 土方は琉菜が今まで見たことがないような顔をしていた。ひどく悲しそうで、今にも泣き出すのではないかとさえ思える。


「今お茶入れてますから」琉菜はそんな土方に対し、他にかける言葉を見つけられなかった。

「頼みがある」土方は琉菜の前にさっと歩み寄り、腰を落として目線を合わせた。

「近藤さんが流山で捕えられた。知ってるか」


 琉菜は頷くことしかできなかった。


 歴史は、運命は、都合がいいことばっかりじゃない。

 わかってたけど、でも……。


「助命嘆願、できることはしているが、これ以上は俺たちにはどうすることもできねえ。それで、頼みってのはな、総司には……黙っといてくんねえか。こんなの聞いたら、きっと心労で死んじまう」


 悔しそうに言う土方を見て、琉菜は心の中にもやがかかったような気持ちになった。


「はい」力強く答える。土方の優しさを、無にすることなどできはしない。

「琉菜」もう一度土方は琉菜の名を呼んだ。

「未来は、どうなる。これから、俺たちはどうなる」


 琉菜は土方の目を見た。

 土方がここに来た時から予感はしていた。


 土方さんも、やっぱり未来を心配してるんだ。

 本気で心配してる、本当の武士なんだ。


 琉菜は土方の目を真っ直ぐに見据え、話始めた。


「あたしの時代は、百五十年後は平和ですよ」


 今まで、新選組を去っていった者たちに何度となく伝えてきた「未来は平和です」という言葉。だが、土方がそれで満足しないことは薄々わかっていた。


「そういう話じゃねえ。もっと近い未来の話だ。近藤さんはな、お前に細かいことを聞くのは武士として卑怯だとずっと言ってたが、もうそういうことを言ってる場合じゃねえ。この通り、羽織袴の時代も、髷を結う時代も、終わる。刀だって――」


 土方は自分の洋装を指し示しつつ、そこで口をつぐんだ。


「俺たちに、勝機はあるのか。ないならないと言え。あるなら、どうすればいいか教えろ」


 土方の目を見て、琉菜は初めてはっきりと「近い未来」の「細かいこと」を話そうと思った。


「新政府軍は、どんどん東へ、北へ、攻めてきます。追われるように土方さんたちは、もっと東へ、もっと北まで行くでしょう。勝機があるとすれば……船を、大切にしてください。ある船は簡単に沈みます。そして、ある船は簡単には奪えません」

「船……だと?」

「海軍です。旧幕府こっちの強みは海軍の力。それを、大切にして。でもアテにしすぎないで」


 土方が息をするのも忘れているかのように、琉菜の話を聞き入っているのがわかった。


「ただ、一つ言えるのは、あたしも、山崎さんも、歴史を変えることはできなかったってことです。でも、むしろこの時代の人なら、土方さんなら、もしかしたら、変えられるかもしれません」

「それが、船を大切にすればなんとかなるってのか」

「断言はできません。誰かの小さな行動が、どう波及していくか何に影響を及ぼすか、そこまではあたしにもわかりません。そういうのを、メリケン語でバタフライエフェクトっていうんですけど」

「ばた……?」

「土方さん、とにかく、土方さんは、新選組は、本当に侍でした。身分の話じゃなくて、身も心も。それは、百五十年後のあたしたちはわかってます。百五十年で、証明されてます」

「……武士は、どうなる?」


 土方は心配そうに聞いた。もっともな質問だと思い、琉菜は答えた。


「武士は、形を変えて未来にもちゃんといます。人を斬る剣はないけど……なんていうか、心が洗われるような剣の道はちゃんと残っています」

「あるんだな?侍の心みてえなもんは」

「はい」


 琉菜は力強く頷いた。

 土方は満足そうに微笑んだ。

 それはまるで、無邪気な子供のようで。

 琉菜はそんな土方の顔を初めて見た気がした。


「土方さん」

「何だ?」

「土方さんは、武士らしく、最後まで戦い抜いてください」


 土方は少し驚いたような顔をしたが、やがてふっと笑みを漏らした。


「これは」そう言って、土方は懐から紙を取り出した。

「まだ、持っていても大丈夫だな」


 それは、あの集合写真だった。


「はい。持っていてください。あ、それから」


 琉菜は思いついたように言った。


「転戦した先に、写真館があります。そこで、ポトガラを撮ってください。たぶん、言われなくても撮ることになるとは思いますけど、このあたしのカメラで撮ったやつじゃなくて、ちゃんとこの時代の写真を撮ってください」

「はあ?なんだかよくわかんねえが」

「絶対です。そうしないと、百五十年後、土方さんは……モテません」

「誰にだよ」

「令和の歴女たちに、です」

「ますます意味がわかんねえ。まあ、忘れなかったらそうするさ」


 琉菜は再度「絶対ですよ」と言うと、土方が怪訝そうな顔で写真をしまいこむのを見守った。


「よし、総司の部屋に戻るか。あんまり遅いと怪しまれる」

「怪しまれるってなんですか……あ、じゃあお茶はあっちで入れますね」


 琉菜は急須や湯のみを急いでお盆に乗せ、土方と一緒に沖田の部屋に戻った。




「込み入った話ですか?嫌だなぁ、内緒話なんて」

「お茶入れてたんですよ。なかなかお湯がわかなくて」琉菜は取り繕うような笑顔を沖田に見せ、湯飲みにお茶を注ぎ始めた。

「宇都宮かあ。いいなあ。私も近藤先生の勇姿が見たかったです」

「はははっ。俺がお前の分まで見てきてやるよ」土方は沖田の隣に腰掛け、絞り出すような笑顔を見せた。

「はい、土方さん、沖田さん、お茶です」琉菜は二人の間に湯飲みを置いた。

「隊士も集まったみたいだし、新選組もまだまだこれからですね」沖田はにこりと笑った。



 それから小一時間ほど、三人は他愛もない話をして過ごした。近藤の時のように、土方の写真も撮った。これはこれ、有名なあの写真については、それはそれ、と。

 琉菜はこんな時間が愛おしくて仕方なかった。

 ずっとずっと、永遠にこんな風に時を過ごせたら……叶いもしない願いをかけた。


 しかし、別れの時はやってきてしまった。


「もうこんな時間か」土方がすっと立ち上がった。

「行くんですか?」

「ああ」


 琉菜は涙を出すまいと顔に力を入れて土方を見つめた。


「じゃあな」

「ええ、お元気で」沖田が柔らかく微笑んだ。


 行っちゃう……とうとう土方さんも……

 あたしも沖田さんも、たぶん会えるのは最後だ。


 そう思ったからこそ、琉菜の口から出たのは「また来て下さいね」という再会を願う言葉だった。


「ああ。また来る」


 少しだけ笑みを浮かべ、踵を返すと土方は去っていった。


 琉菜は新選組の鬼副長の最後の笑顔を何度も思い浮かべた。

 脳裏に焼き付けておきたかった。

 すべては夢ではなかったのだと。


「また来る……か」沖田がぽつりと呟いた。


 琉菜は沖田の方を見た。

 今まで見せたことのない、寂しげな表情だった。


 沖田さん、感じてるんだろうな。

 「また来る」なんて嘘だってこと。


「琉菜さんは、ここにいますよね?」


 少し寂しげな表情を浮かべる沖田に、不覚にも琉菜は胸をときめかせた。


「当たり前です。あたしはずっと、沖田さんの傍にいます」


 沖田は、安堵したように微笑んだ。





 その夜、満月が上り、強い強い風が吹いた。

 沖田をもしも未来に連れていけたら。

 そんな琉菜の淡い希望をあざ笑うかのように、風は吹き抜けていった。

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