20.戦いはこれから(前編)


 次の日から近藤の指示で、沖田は療養生活に入ることになった。


 稽古も、巡察も、食事の時さえも、沖田は皆の前に顔を出すことはなく、ひたすら病と闘う。


 はずだった。



 琉菜は、薬を持参し沖田の部屋の前に来た。


 薬というのは、琉菜が未来から持ってきたものではなく、虚労散薬という土方家に伝わる対結核用の薬だ。土方家に伝わる薬と言えば石田散薬が有名だが、「石田散薬は打ち身骨折用だ。だが、こっちは労咳に効く」と土方は自信たっぷりに言っていた。


 こんなインチキくさい薬効くわけないじゃないですか。

 これで治るんなら、結核なんて全然不治の病なんかじゃないですよ。


 とはもちろん、琉菜は口に出さなかった。


「沖田さん、入りますよ」


 返事がなかったので、琉菜は勝手に襖を開けた。


「土方さんがヘンな薬を……あれ?」

 

 布団はもぬけの空だった。

 どこに行ってしまったのだろうと、琉菜は沖田のいそうなところを思い浮かべた。

 そして、今巡察に出ているのは一番隊だったことを思い出した。


「まさか……」


 琉菜は持っていた薬の包みをぐしゃっとつぶした。


 帰ってきたら、タダじゃおかないんだから!


 琉菜は薬を沖田の布団の上にぽいっと投げ捨て、その場をあとにした。




 一番隊の帰営時間が近付いてきた。

 琉菜は門の前に仁王立ちしていた。


「琉菜さんどうしたんですか?怖い顔して」門番が不思議そうに尋ねた。

「もうすぐわかりますよ」琉菜は表情を崩さない。


 すると、一番隊の面々がぞろぞろと帰ってきた。

 琉菜はそれをじっと凝視している。

 沖田が、平隊士の間に隠れて、こそこそと門をくぐろうとした。


「沖田さん?」


 沖田がぴたりと止まった。

 隊士たちの方は、琉菜の顔を見て身の危険を感じたようで、そそくさと門をくぐっていった。

 沖田は一人残され、その姿がよく見えるようになった。


「どこ行ってたんですか?」

「えっ!……巡察ですが」


 沖田はけろりとした様子で言った。


「『巡察ですが』じゃないですよ!もうだいぶ寒くなってきてるんですから、安静にしてないとダメです!」

「そうは言いますけど……」

「言い訳は聞きません!さっ、今日はもう外に出させませんからね!」


 琉菜は沖田の着物をむんずとつかんで、ずるずるひきずって沖田の部屋に向かった。

 あとに残された門番や隊士たちは、唖然としてその様子を見ていた。



 琉菜は荒々しく沖田の部屋の障子を開け、やっと沖田から手を離した。


「琉菜さん、この際だから言わせてもらいますけど」沖田は真剣な面持ちで言った。

「はい」

「私はこの通り元気です。一番隊の隊長が、こんなところでぐうたらしていたら隊士の皆さんに示しがつきません」

「沖田さんはぐうたらしているわけじゃありません。病という敵と戦ってるんですよ」 

「私の敵は、上様や近藤先生に仇なす者たちです」

「それは、元気になったら戦えばいいんです」

「そんなこと言わないでくださいよ。そうだ、琉菜さんからも近藤局長に口添えしてくださいよ。未来から来てるんですから、私の病気はいつか治るからとかなんとか言って」

「そんなこと……!」



 言えるわけがない。どうしよう。


 威勢を失った琉菜を、沖田は悲しそうに見つめた。


「やはり、私はそう長くはないのですね」

「違っ……!」

「だったら、尚のこと。私は、命尽きるまで刀を振るう。近藤局長を、新選組を、守ります」

「何度も言わせないでください。沖田さんには一日でも長く元気でいてもらわないと。困るのは近藤局長なんですよ?」

「どちらにせよ、こんなところで伏せっていては死んでいるのと同じです」

「いいえ。生きてます。沖田さんは、ここで生きてます。お願いですから、大人しくしていてください」

「どうしてそう分からず屋なんですか。自分の体です。自分が一番よくわかっています」

「分からず屋は沖田さんの方じゃないですか!沖田さんに早死にして欲しい人なんて新選組に一人たりともいません!」

「それでも……!」


 うっと言葉を詰まらせたかと思うと、沖田は激しく咳き込んだ。血こそ吐かなかったが、その顔色は青白い。


「沖田さん。そんなんじゃ、説得力がないです。頼みますから療養に専念してください」

「琉菜さん」


 沖田は射るような目で琉菜を見た。

 こんなに冷たい目で見られたのは初めてだ。琉菜はビクリと僅かに体を仰け反らせた。


「私のことは放っておいてください。そも、私の生き死になんて、違う世から来たあなたには関係ないことです。出ていってください」


 これは、こたえた。

 ショックで、頭が真っ白だ。


「そうですね」


 紡ぐべき言葉がわからない。

 だが、空虚な気持ちのまま、琉菜は続けた。


「どうせあたしのいる百五十年後の世界では、沖田さんは死んでるんですから、関係ないことですね」


 立ち上がって、踵を返した。


「失礼します」


 沖田に背を向けたまま言い放つと、琉菜は部屋を出てピシャリと襖を閉めた。



 部屋を出た瞬間、涙が溢れてきた。

 だが泣いているのを悟られないよう、足早に自室へ戻った。




 それから、琉菜は沖田の側に寄り付かなくなった。


 会えば、顔を見れば、あの沖田の冷たい顔がフラッシュバックして、平常心を保てる自信がなかった。何より、どんな顔をして沖田に会えばいいかわからなかった。


 沖田の方はといえば、元気だから、歩けるから、木刀も持てるからと、稽古や巡察を再開しているという。

 そんな話を、琉菜は風の噂で――同じ敷地内で風の噂というのも変だが――耳にした。

 沖田の方も、明らかに琉菜との関わりを避けているように見えた。そのことが、より一層琉菜の心に影を落とした。


 そんな状態が十日程も続いたある日。

 琉菜は道場で一人、筋トレをしていた。

 おおかたの隊士は巡察に出ている。もちろん、沖田の率いる一番隊も。

 あえてそういう時間を狙っていたから、道場の入り口から何者かに声をかけられた時、琉菜はひどく驚いた。


「琉菜さん?何してるんですか?」


 井上が、怪訝そうに琉菜を見ていた。隣には、土方も立っている。


「あっ、源さん!そうか、この時代には腕立てってないんですね。あたしの時代ではこうやって腕の筋肉を鍛えるんです」

「はあ……」

「よかったら、やってみませんか?」

「そんなことしてる場合じゃねえ」土方がいらついた調子で言った。

「ちょっと顔貸せ」


 顔貸せ、とは物騒な、と思いながらも、琉菜は土方と井上に連れられて副長室に行った。


「あのな」


 畳に腰を下ろすと、土方は開口一番琉菜にくってかかった。


「なんで俺と源さんがお前と総司の仲取りもたねえといけねえんだ」


 意味のわからない発言に、琉菜はすぐさま反論する。


「別にっ!そんなこと頼んでません!そもそも取り持ってもらうとか、そういうの必要ないですから!」

「お前が必要なくてもだな、お前に総司の世話頼まねえとしょうがねえんだ」


 土方がそれ以上言うのが悔しいとでも言わんばかりに口を結ぶので、井上が続きを引き受けた。


「私と土方さんは、五日後に隊士募集で江戸に行くんですよ」


 そういえば、そんなこともあったかもしれない、と琉菜は空を見つめながら脳内にインプットされた新選組の年表を辿った。


「それとこれと何の関係があるんですか」

「本当にかわいくねえやつだな。やっぱりこの間の騒動の時斬っとくべきだったか」

「まあまあ土方さん」


 井上がなだめたが、琉菜も土方も不機嫌そうな顔をして互いを見ている。


「お前が総司のことほったらかしにしてる間、源さんが病人食作ったり熱冷ましの看病したりしてたんだ。その源さんが京を離れるって言ってんだよ。賄い方のお前が引き継ぐのが筋ってもんだろう」


 琉菜はえっ、と声を漏らした。


「熱って……でも、稽古も巡察も参加してたって」

「無理矢理出てるに決まってんだろ。気丈にしちゃいるが、空き時間は部屋でぐったりしてる。知らねえのか」 


 琉菜は黙って土方を見つめることしかできなかった。



 あたし、何やってるんだろう。

 つまんない意地張ってる場合じゃないのに。


「わかりました」


 琉菜は毅然とした面持ちで言った。


「あたしが、責任持って沖田さんの看病します。無理もさせません。だから、安心してお二人は江戸に行ってきてください」





 副長室から出ると、琉菜は自室に戻り、未来から持ってきた薬を袂に放り込んだ。そして、医務室兼山崎の部屋に向かった。


「おっ、なんや琉菜か」


 琉菜の来訪に山崎はいささか驚いていたが、座るよう促した。


「これ、効くと思いますか」


 琉菜は袂から薬を取り出した。頭痛薬、咳止め、解熱剤、粉末のスポーツドリンクもある。


「沖田さんか」


 こくりと頷くと、琉菜は堰を切ったように話した。


「あたし、沖田さんの食事に、未来から持ってきた薬混ぜてました。でも、沖田さんはやっぱり結核になっちゃった。だから、せめて解熱剤とか痛み止めとか飲ませてあげて、症状だけでも楽にしてあげたいって思ったんですけど、それで見かけだけ元気になったら、沖田さんきっと稽古したり隊務についたり、無茶します。そんなことになったら結核本体は余計悪化しちゃう。だから、一周回ってやっぱり安静にしててくださいって言うしかない。でもそれって、沖田さんは幸せなのかなって。沖田さんは、武士だから、本当に、この時代の本物の武士だから、病気になっても剣を振ってたいのかなって。けど、やっぱり、あたしは、沖田さんに長生きして欲しい、一日でも。怖いんです。来年の、五月三十日を迎えるのが、怖いんです。もっと怖いのは、もしも、それよりも先に死んじゃったらって……」


 山崎は黙って琉菜の話を聞いていた。


「それ、全部沖田さんに言うたり」

「でも……」

「もちろん、命日のくだりは言ったらあかん。せやけどな、未来の薬飲むかどうかも含めて、最後は患者沖田さんの決めることや。お前は、最後まで沖田さんの側でサポートしたらええ」


 応えない琉菜に、山崎は続けた。


「俺らが、立てた仮説があったやろ。歴史は変えられない。俺はな、中富やったお前がいなくなった後もいろいろ試してみた。薩長同盟を食い止められんか、とか、長州征伐の流れを変えられんか、とか。せやけど、なーんにもならんかった。すべては歴史通りや。俺の寿命もあと四カ月ってとこか」


 琉菜はハッとした。

 歴史の通りに物事が進めば、山崎は沖田よりも早く、死ぬ。


「あたし、ごめんなさい……」

「なんで謝るんや。自分がいつ死ぬか知ってるなんて世界広しと言えど俺一人くらいなもんやで。覚悟ならとっくにできてるわ。最期まで、俺は俺のやりたいように生きる。だから」


 山崎は、ぽんっと琉菜の頭に手を乗せた。


「お前も、やりたいようにやったらええ。それが沖田さんと一緒におることやったら、二人でええ落とし所見つけなや」


 沖田だけではない。

 ここからの歴史では、琉菜のよく知る者たちが次々とその命を散らしていく。

 琉菜自身も、思いがけないタイミングで誰かに斬られないとも限らない。


 だったら、あたしは……


「ありがとうございます、山崎さん。あたしは、後悔のないように、生きます」


 強さを湛えた琉菜の笑顔に、山崎も満足に「その意気や」と微笑んだ。




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