19.蔵の中で(後編)
逸る気持ちを抑え、琉菜はガチャガチャと蔵の南京錠を外した。
扉を開けると、沖田が驚きに目を丸くしながら琉菜を見ていた。
「琉菜さん……?どうして」
「どうして、はこっちの台詞ですよ!なんで、土方さんにあんなこと言ったんですか!?」
琉菜は沖田のもとに駆け寄り、目の前に正座した。
沖田は琉菜をまっすぐに見ると、にっこりと微笑んだ。
「だって、琉菜さんが私たちを裏切るはずないじゃないですか。私、ない頭で一生懸命考えたんですよ?」
「そんな……だって、それじゃ土方さんや近藤局長まで騙したみたいになっちゃうじゃないですか。そ、それで、沖田さんが、切腹なんかになっちゃったら、あたし、申し訳なくて生きていけません……」
ぽろぽろと大粒の涙を流す琉菜の頬に、沖田は手を添えた。
「泣かないでくださいよ。大丈夫。近藤局長も、土方さんも、琉菜さんの気持ちはわかってますよ。歴史上の人物に会ってみたかった、ってね。でも、他の隊士にそれじゃ説明がつかないでしょう。だから、今回は私の独断で琉菜さんを密偵として派遣したことにしました。勝手な行動はしましたが、新選組のためにやったことだということで、切腹するほどではないだろうという話になったんですよ。 それでも、謹慎くらいはした方が説得力が増すでしょう?」
「沖田さん……どうしてそこまでしてくれるんですか?あたしなんか、あたしなんか、未来から来たなんて言って、ただでさえ怪しい女で、とっくに斬られててもおかしくないのに……」
「どうしてでしょうね。でも、やっぱり、証拠もない罪で琉菜さんを死なせるわけにはいきませんから」
そうだ。
沖田さんだって、好きで山南さんの介錯をしたわけじゃない。好きでお鈴さんを斬ったわけじゃない。
隊のために、私情を殺して。
だから、なるべくなら、死なせたくないって思ってくれてるのかな。
あたしは、そう思ってもらえるくらいには、沖田さんの中で大きな存在に、なれてるのかな。
琉菜は、たまらず沖田の胸に頭を預けた。
大胆なことをしているのはわかっていた。だが、どうしても、沖田に触れ、その存在を感じたかった。
あたしは、絶対、沖田さんのために生きる。
沖田さんの傍を離れない。
足手まといにならないように。沖田さんが、少しでも笑っていられるように。
コホッ、コホッと沖田は軽く咳をした。次の瞬間、沖田は琉菜の肩を掴んでぐっと突き放した。
「沖田さん!?」
沖田は、右手で琉菜に「来ないで」と制止し、左手で自分の口元を抑え、激しくせき込んだ。その末 に、ごふっとむせたかと思うと、左手を苦々し気に見つめた。
手には、血がべっとりとついていた。
「沖田さん!」
「心配しないでください。単なる風邪ですから」沖田はゼイゼイと言った。
「単なる風邪で、なんで血吐くんですか!」
琉菜はバッと沖田の左手首をつかんだ。沖田はたじろぎ、目を丸くして琉菜を見た。
「ごまかさないでください。あたしは知ってます……沖田さんの病気のこと……」
一瞬の沈黙の後、沖田がああ、と閃いたような顔をした。
「琉菜さんは……未来の人ですもんね」
「今まで黙っててごめんなさい。もっと早く、言えばよかった。でも、怖くて……先延ば沖田さんに、あなたは病気です、なんて言えなくて……先延ばしにしちゃって……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「謝らないでください。仕方ないんです。近藤先生たちには、心配かけたくないから内緒にして――」
「いいえ、言います!」琉菜はつかんでいた沖田の手首を手放した。
「血を吐いたんですよ?遅かれ早かれ、もう隠し通すことはできません。療養してください。沖田さんには、一日でも長く、生きていて欲しいんです」
沖田は、ふわりと微笑んだ。その表情は、今にも消えてしまいそうな儚さを帯びていた。
右手を、琉菜の手に重ねる。
「それはできません」沖田はきっぱりと言った。
「どうして……」
「療養なんかしたら、近藤先生をお守りできないからですよ」
「それで沖田さんが先に死んだら、誰が局長を守るんですか」琉菜は声を荒げた。沖田は、何も言わなかった。
「生きてください。お願いですから」
沖田は、右手を琉菜の背中に回し、ぐっと抱き寄せた。
「ありがとう……でも」
沖田は琉菜を離すと、感情の読み取れない顔でこう言った。
「いいんです。布団の上で生きながらえるくらいなら、武士として、命尽きるまで刀を振っていたいですから」
「沖田さん……」
「私は、謹慎中です。琉菜さんがあまり長居するのもよくない。戻ってください」
「何言ってるんですか。土方さんは、あたしにここの鍵を渡したんですよ?これが、沖田さんの謹慎は終わり、の合図以外のなんだって言うんです?」
「あはは、鬼の副長も形無しじゃないですか。せめて今日一日は、ここにいますよ」
「でも……」
「いいから。早く」
有無を言わせぬ沖田の様子に、琉菜は従うしかなかった。
すくっと立ち上がり、沖田に背を向けると、さっさと蔵を出ていった。扉は、開け放したまま。
それならばと、蔵を出た琉菜は一目散に局長室へ走った。
もう、なりふり構っている場合ではない。
「近藤局長、琉菜です。失礼してもよろしいでしょうか」
「琉菜さん?どうぞ」
襖をカラリと開けると、その場には土方と、山崎もいた。
「なんだお前、なんか申し開きでもあんのか」土方が射るように琉菜を見た。
「土方さん、山崎さんも、ちょうどよかった。沖田さんのことで」
「総司がどうかしたのか?」近藤が驚いたように言った。
琉菜は、言うべきかどうか迷った。
言っていいのだろうか。本当に、言ってもいいのだろうか。
ふと、視線を近藤から逸らすと、山崎と目が合った。山崎は琉菜が何を言おうとしているのか察したように、僅かに頷いた。
「先ほど、蔵で咳をして、血を、吐きました」
一瞬の沈黙が流れた。
「どういうことだ」土方が静かに言った。
琉菜は意を決したように、土方を、近藤を、見た。
「沖田さんは、労咳です。近藤局長の権限で、沖田さんに隊務をやめさせてください。療養生活に入らせてください」
すると、土方が一足飛びに琉菜の前にひざまずき、胸倉を掴んだ。
「お前、知ってたんだな。なぜもっと早く言わなかった!」
「トシ、やめないか!」近藤が止めに入ったが、土方は無視した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。沖田さん、最近元気だったから、もしかしたら、大丈夫なのかもって。あたし、沖田さんの食事に、薬を混ぜていたんです。未来から持ってきた、体の中にある菌をやっつける薬です。でも、効かなかった。ごめんなさい……本当に……」
土方は投げ捨てるように琉菜から手を離した。
「なんとか……ならないのか」土方は小さく言い、医療担当の山崎をすがるように見た。山崎は、首を横に振った。
「ちくしょう!」土方は拳で畳をガンッと打った。
「今の医術では、労咳を治すことはできまへん。あとはもう、悪くならないように、体を保つことです」
「琉菜!」土方が話の矛先を変えた。
「なんとかしろ。その未来の薬は、それだけなのか。他に方法はないのか」
琉菜は、どう答えたらいいかわからなかった。
しばらく考えてから「ありますけど」と苦々しく言った。
「ここでは使えません。あっちに行って、あっちの医者に薬をもらわないと……」
「じゃあ、総司を未来につれてけ!」
琉菜は、こんなに必死になっている土方を見たのは初めてだった。
きっと、土方さんにとって、沖田さんは近藤局長の次に、もしかしたら同じくらい大事なんだろうな……
琉菜はそう思いながらも、土方に応えた。
「そんなの無理です。次にいつ未来へ行けるかわからないし、あたしが百五十年後に帰れても、沖田さんの方はどこに行っちゃうかわかりません。大体、もし行けたとしても、なんでこんなになるまでほっといたんだって怪しまれるに決まってます」
土方は唇をかんだ。
「とにかく」近藤が口を開いた。
「琉菜さんの言う通り、総司には俺の命で、療養させよう」
近藤の、悔しそうな顔。琉菜が初めてみる近藤の顔だった。
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