14.ご対面。伏見にて



 足の怪我もだいぶよくなり、琉菜は非番を迎えた。

 月に数度ある非番の大半を、琉菜は幕末の京都観光に使っていた。


 スマホの電池温存のため、インスタントカメラの方を持ち歩き、人気がないのを確認して写真を撮ったりもした。

 すなわち、琉菜が一人で伏見に向かうのを特段気にする者はいなかった。


 伏見って、歩くと結構遠い……

 あと、長距離歩くとこれが結構重い。


 外出する時、琉菜は細長い巾着袋を肩から下げていた。

 中には、沖田からもらった「刃引き刀」が入っている。


 腰に差せば目立ちすぎるし、どちらにしても女物の着物では差すこともできなかったので、こうして持ち歩いていたのだ。



 カメラと刀。幕末の女性が到底もっているはずのないものを二つも持って、琉菜は伏見への道を歩んだ。

 未来で寺田屋を見学した時は京都の中心部から電車に乗ったので、今回は時々人に道を聞きながらの道中となった。


 むろん、行ったからといって、坂本龍馬に会えるとは限らない。彼とて常に寺田屋にいるわけではないのだ。

 もはや、これは賭けだった。


 どっちにしても「お登勢とせさん」とか「お龍さん」とか、女性有名人には会えそうだしね。


 すっかりミーハーな気持ちでそんなことを考えながら、歩くこと約二時間。

 琉菜はようやく寺田屋についた。




「すいませーん」


 琉菜がおそるおそる声をかけると、すぐに「はーい」と元気のいい返事が返ってきた。

 小走りするような足音がしたかと思うと、琉菜の前にやや年配の女性が現れた。


「ようこそ、お越しくださいました。女将の登勢どす。どうぞよろしゅう」


 うわあ、この人がお登勢さん!早速有名人!

 琉菜は古写真で見た登勢の顔と目の前にいる船宿の女将の顔を比べた。写真より、実物の方が少し若く見えた。はきはきしていて、頼もしそうだ。


「あの、あたし琉菜っていいます。さかも……才谷さんいらっしゃいますか?」

「才谷はんのお知り合いどすか?」

「はい。まあ」

「少しお待ちくださいな」


 

 琉菜はソワソワと建物内部を見回した。

 現代に残っている建物は、火災で焼けたと言われているから、琉菜の知っている寺田屋とはその様子は違っていた。


 やがて、登勢が戻ってきた。




「才谷はんなら今二階におります。案内します」

「ありがとうございます」



 登勢について二階に上がり、琉菜は奥の部屋の前まで通された。


「才谷はん?お連れしました」襖越しに、登勢が言った。

「おおっ!入るきに!」


 中から坂本の声がして、琉菜は身のひきしまる思いがした。

 登勢がゆっくりとふすまを開けると、やはり坂本はそこにいた。


「琉菜ちゃんじゃないかぁ!」


 琉菜は中にすっと入り正座すると、ぺこりとお辞儀をした。

 琉菜の背後で襖がカタンと閉まった。


「こんにちは。遅くなりましたが、お伺いしにきました。よかった、ちょうどいらっしゃって」

「よく来たのお!……おっと、こっちはお龍じゃ」


 坂本が横にいる女性を紹介した。


 この人がお龍さん!

 すごい、きれー!


 琉菜は興奮を抑えつつ、「よろしくお願いします」と挨拶をした。


「よろしゅう」龍は少し冷ややかに言った。

「龍馬はん、こないな若いおなごが新選組なんて、阿呆も休み休み言いなはれ」

「なんじゃあお龍、わしが嘘ついちゅう思うとるんか。琉菜ちゃんはな、新選組は新選組でも、賄い方じゃ」

「賄い方?」

「飯炊きとかそういうことをする。お龍と一緒じゃの!なあ?」


 突然同意を求められ、琉菜は慌ててうなずいた。


「けど、なんで新選組の人なんか呼んだん?」

「ちょっと聞いてみたいことがあってのぉ」

「うち、女将はんの手伝いしてくる」


 龍はふてくされた顔でばっと立ち上がると、ずかずかと琉菜の横を通りすぎて部屋を出て行った。


「気にすることないきに」バタンとふすまが閉まったあと、坂本が言った。

「単なるやきもちじゃあ。琉菜ちゃんのこと嫌いなわけじゃないき。後で説明しとくわ」


 そっか、あたしのこと浮気相手とかだと思ってたのかな。

 かわいい人だなあ……。 

 ってか、浮気相手ならこんな堂々と来ないし。


「すみません、邪魔しちゃったみたいで」

「構わんきに!そいじゃ、琉菜ちゃんの話を聞かせてもらおうかの!」坂本は嬉々として言った。


 その何かを見透かしたような目に琉菜はたじろいだ。


「話……といいますと?」琉菜はしらを切った。

「メリケン語、おまさん結構達者なんじゃろ?」

「達者って言っても、フォトグラフィーのことだけじゃないですか。」琉菜はなぜ坂本がそこまでこだわるのか不思議に思った。


 坂本は、「やっぱりのう」とにんまりした。


「前に会った時、わしが最後に言っちゅう言葉、覚えとるか?」

「確か……普通にバイバイって……あ」


 そうだ!あの違和感!

 幕末でバイバイって単語が飛び交うわけないじゃん!!

 あー、気づかなかったよ、あたしのバカ!


「メリケン語を知っちゅう日本人なんてそうそうおらんから、たとえ自分が知ってても、相手に言われたらなんか顔色変わるはずじゃあ。なんに、おまさんは普通に受け入れた。今気づいたくらいじゃ。よっぽど普段からメリケン語を使っとる証拠じゃろう?新選組の中がそないにぐろーばるとも思えんしのう」


 坂本は長い解説の後、にやりと笑った。


「どこで習うたんじゃ」


 琉菜の頭の中が真っ白になった。

 とりあえず、何かでっちあげなければいけない。


「……小さいときに、外人が近所に住んでて……それで英語を……」自然に、自然に、と心がけながらも琉菜はしどろもどろになって言った。

「えいご?」

「っと、メリケン語のことです」


 琉菜が冷や汗たらたらで会話を取り繕うのを横目に、坂本は難しそうな顔をした。


「それも気になっとったんよのお。しゃしん、とかえいご、とか。そういう日本語わしゃあ初めて聞いたきに。琉菜ちゃんの生国の言葉かの?」

「はい、まあ、そんなとこです」

「へえ、進んでるのお!」坂本は感心しているようだった。


 よし、これでなんとか乗り切った。

 もう何も聞かないでよ!?


「でも、まだ最大の疑問が残っちょる」坂本が真剣な顔で言った。

「琉菜ちゃんが見たポトガラヒーはこれじゃろ?」


 坂本が懐をゴソゴソと探し、何か包みを取り出した。

 それをほどくと、中身はまぎれもなくあの写真だった。

 教科書にもよく出ている、坂本が台にもたれかかって立っている写真。


 すごい!生写真だ!本物だ!

 しかもまだ紙の感じとか、きれいだ!


 琉菜は事態の悪さも忘れ、一人心の中で興奮した。


「これを見せたのは、お龍や女将さん、海援隊の仲間らだけじゃ。あ、西郷さん桂さんにも見せたか。まあ、とにかく、新選組とか見廻組とか、佐幕派の連中に見せたことはないんじゃ」


 坂本はずいっと琉菜の顔を覗きこんだ。


「なんで琉菜ちゃんが知っとるんじゃ?」

「それは……」

「―――言えないのはわかっとる。けど、今ここにおるのはわしだけじゃ。な?よかろ?わしにだけ話してくれんかのう。気になったら止まらん性分なんじゃ」



 琉菜は坂本の子供のように好奇心旺盛な目に圧倒された。

 ここは、何か納得いく理由が必要だ。


 どうしよう。結構いろんな人に見せてるんだから、ハッタリかまして海援隊の人に見せてもらった、とか?

 でも、それで海援隊の誰とか言われても、その人に聞かれたら困るし、そもそもあたし新選組のことはいっぱい調べたけど、海援隊のメンバーとかよく知らないし……


 必死で考えても、頭は真っ白で何も思いつかない。

 そうしているうちに、あえて隠す必要もないような気がしてきた。いや、秘密を知る者がどんどん増えていく状況もあまりよくないのでは。ぐるぐると、琉菜は思考を巡らす。


 今、あたしの秘密を知ってるのは、新選組に九人、お多代さんたち三人、小夏ちゃんに、あと、おまささんか。

 こう考えると多いなあ。

 もはや大して変わらない、かな。

 だいたい、新選組だってことはばれてるんだし、ここで下手な嘘をつけば余計怪しまれるかも……


「じゃあ」琉菜は坂本をじっと見た。


 坂本は期待に満ちた目で琉菜を見た。


「あたしの生まれた国の話を」

「どこじゃ?」

「未来です」


 一瞬の沈黙があった。

 しばらくしてから、坂本がぽつりと「みらい」と言った。


「はい。今から百五十年先の未来。あなたの事は、いろんな書物に載っています。そのフォトグラフィーも」


 坂本はぽかんとしていた。

 いろいろと突拍子のない話である。驚くのも無理はない。


 琉菜は、坂本のリアクションはとりあえず無視して、必要なことだけ簡潔にしゃべった。


「すっごいのお」


 全ての話が終わったあと、坂本はうれしそうに言った。


「そりゃあ、わしのポトガラヒー見ちょるのもわかるわ」

「はい。わかってもらえましたか?」


 坂本はこくりとうなずいた。


「で、未来はどうなるんじゃ?」


 ああ、またこの質問だ。

 本当に、この時代の人たちは、ありがたいなあ。未来の心配を真剣にしてくれて。

 まあ、坂本龍馬は新しいもの好きっていうし、単なる興味も入ってるかもだけど。



「細かいことは言えませんけど」琉菜は静かに言った。

「なぜじゃ?」

「一応、新選組の人間ですから」

「ふうん、そうかい」坂本はにんまりと笑みを浮かべた。


 その時、外で鐘を鳴らす音が聞こえた。


「おっと、もうこんな時間じゃき!わしゃあ行くとこがあるきに、すまんのう琉菜ちゃん!」

「えっ、もうですか!?お忙しいんですね……!」

「そうじゃ。今日は、桂さんに会うことになっとる」


 琉菜はそんな台詞を聞いて、目の前にいる男は、本当に薩長同盟を結んだあの坂本龍馬なのだということをひしひし感じた。


「未来じゃ、桂さんは有名人か?」坂本が琉菜の興奮したような表情を察した。

「はい、まあ」

「まあ今日は無理じゃけんど、今度でよければ会わせちゃるぜ。どうじゃ?」


 琉菜は度肝を抜かれた。

 桂小五郎にも、会える。


「わしだって、三百年前にたいむすりっぺしよったら、織田信長に会わずに帰るなんてできんでのう!」

「あたしも、桂小五郎や坂本龍馬に会わずに帰るなんてできません」琉菜がきっぱりと言った。


 坂本はおかしそうにくすくすと笑った。


「決まりじゃ。次ここに来れそうな日を手紙で教えてくれや。そしたら、わしが桂さんに取り合うぜよ」

「ありがとうございます!」


 坂本はにっこり笑って、


「それじゃ、次会う時まで達者でのう!」と立ち上がった。

「はい。また会えるの、楽しみにしてます。あ、そうだ」琉菜は思いついたように坂本を引き止めた。

「あたしが未来から来たってこと、絶対誰にも言わないでください」

「……言ったら、どうするがか?」坂本はにやりと笑った。

「斬ります」琉菜は坂本をにらみつけた。

「ほう、その包み、刀かえ」


 坂本は琉菜の横に置かれた巾着に視線を落とした。


「ええ。護身用の、切れ味のない刀ですが」

「はっはっは、面白い女子じゃ!気に入った!おまさん、肝の据わったところはお龍に似とるの。安心せい。わしゃあ口は堅いきに。バイバイじゃ、琉菜ちゃん」坂本は襖を開けた。

「はい、……バイバイ」琉菜は手を振った。


 坂本は部屋を出て行った。

 あとに残された琉菜は、心臓がバクバクと跳ねるのを抑えようと、無意識に左胸に手を当てていた。



 すごい、本物の坂本龍馬をがっつり会話しちゃった……


 桂小五郎に会う、か。大丈夫かな。

 でも、お鈴さんのことも、聞いてみたいし。会えるなら、一度会ってみたい。


 新選組以外の歴史上の人物に会える驚きと緊張。 


 それらを鎮めるため、琉菜は大きく深呼吸した。



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