23.作戦会議


 11月になった。

 何日かぶりの非番の日に、琉菜は小夏に会いに島原へ行くと告げ屯所を出た。

 しかし、向かった先は島原ではなく、中富屋である。


 禁門の変以降、以前ほど不逞の浪士の勢いはなくなり、中富屋には徐々に客足が戻りつつあった。旅籠としてというよりは主に食事処として、繁盛の兆しを見せ始めている。あの「どんどん焼け」の直後に焼け出された人たちに、採算度外視で食事や寝床を提供していたことが、良い評判となって返ってきているようであった。


 そういうわけで、今となってはなかなか空きのなかった中富屋の一室で、琉菜と山崎は話し合いを始めるところだった。

 以前から、前の琉菜が来る日が近づいたら、中富屋で今後について話し合うという約束をしていたからだ。

 2日後、もう1人の琉菜がここ幕末の世にやってくる予定である。


「ほな、対策会議を始める」

「はい」


 神妙な面持ちで言う山崎に、琉菜は同じく神妙な面持ちで返した。


「俺はタイムスリップの専門家やないけどな、前に言うた仮説が、もう1人のお前が来ることで現実味を帯びてくる」

「どういうことですか?」

「仮説通りであれば、明後日からはお前が前に経験したことがそっくりそのまま目の前で繰り広げられてくんや。台詞も、行動も」

「なんか、不思議な気分ですね…」

「それだけやない。例えばや。お前が最初ここに来た時、どういう経緯で新選組の屯所まで来たんや?」


 琉菜は記憶の糸を手繰り寄せた。忘れもしない。今思えば、自分は全員が着物を着ているこの時代で高校の制服を着た「世にも奇妙な女」だった。


「とりあえず、うろうろ町を歩いていたら、沖田さんとお鈴さんに会って、沖田さんがあたしのことを怪しい奴扱いしてきてすっごい怖かったんで、あたし鴨川まで走って逃げたんです」


 懐かしいな。もう、随分前のことのような気がする。

 あの時はまさか、沖田さんのこと好きになるなんて想像もつかなかったなぁ。


「それや」


 山崎の言葉で、琉菜は思い出から現在に引き戻された。


「仮説を裏付けるためにな、試しにや、その小さな歴史を変えられるかどうか実験してみて欲しいんや」


 山崎の目はいつになく大きく見開かれ、光を宿していた。


「山崎さん、楽しんでますね?」琉菜はじろりと山崎を見た。

「半分はな。こないに因果のわかりやすい実験方法はあらへんやろ。もし、歴史を変えられる、ちゅう仮説が出てきたら、沖田はんを長生きさせたり、大政奉還や王政復古を阻止したりできるかもしれへんで。まあ、さすがにそれをやってもうたら未来がいろいろおかしなるやろうから本気でやるかはわからへんけど」

「沖田さんを、長生きさせられる…」琉菜はその言葉を確認するようにつぶやいた。


 琉菜にとっては、夢のような話である。医術の知識などこれっぽっちもない自分が、歴史の歯車を動かすことで沖田の運命を変えられるかもしれない。


 だが、同時に不安も首をもたげた。


 今の琉菜が、以前の琉菜に何らかの影響を与えたとして…

 琉菜の経験や記憶が、変わってしまったら?


 沖田と出会い、新選組に入ったこと。

 土方と勝負して負けて剣術の稽古に打ち込んだこと。

 山南や鈴の死。

 そして、沖田への恋。


 それら全てを経験したからこそ、今の琉菜があるのだ。

 1つでも欠けたら、今の自分はどうなってしまうのか。


 出来事に付随して、芋づる式自分の気持ちまでが変わってしまったら。


 あの時土方さんと勝負する気にならなかったら?

 死が悲しくないくらい山南さんがどうでもいい存在になったら?

 お鈴さんと仲良くならなかったら?

 沖田さんに、恋をしなかったら?


 やだ、そんなのやだ。


「悩んどるようやな」


 黙り込んでしまった琉菜の思いを見透かすように、山崎が言った。


「安心せい。実験は簡単や。まず、沖田はんとお鈴はんが米を買いに行く。お前はそれについて行こうとするんや。すんなり行けたら実験成功。何らかの理由で阻止されたら実験失敗や」

「な、なるほど」


 その程度のことであれば、大きく琉菜の運命が変わってしまうことはなさそうである。


「その結果次第で次の手を考える。沖田はんの病気、なんとかしたい思うんならまずは明後日、沖田はん達と米を買いに行け」


 琉菜は考え込んだ。

 そして、元気に、無邪気に笑う沖田の顔が浮かんだ。


 大丈夫。あたしはどういう経緯でも、一周回ってきっと沖田さんに恋をする。

 そうじゃなかったら、あたしの気持ちなんてその程度のもの。

 試されてるんだ。

 だったら、その試練、越えてみせる。


「わかりました。その実験、乗りましょう」


 琉菜は頑とした目で山崎を見た。

 山崎はニヤリと笑みを浮かべた。


「で、ついでやから聞くけどな。どうやって抜けるつもりや」


 山崎は少し声を落とした。

 誰かに聞かれているわけではないが、大きな声で言えることではない。


「兄上――あたしが抜けたのは、来月の、満月の夜です」


 来月。そう口にすると、琉菜は残された時間の短さにぞっとするような、心臓が嫌な動き方をするような、そんな心地になった。


「でも、今思えば、なんで脱走なんていうリスキーな手段を取ったんですかね。ケガや病気で離隊する人もいるし、何か仮病とかで穏便に…」


 琉菜はすがるように山崎を見た。本音を言えば、十中八九成功するとわかっていても、脱走して新選組の追っ手から逃げ切れるか、という点に不安は残る。


「アホ」山崎は琉菜の発言を一蹴した。

「そんなんで土方はん騙せる思うんか。嘘はバレる。お前が嘘の出自を言うたから、あの人は俺にお前の素行調査を命じたんや」

「でも、そのことで山崎さんがついてくれた嘘はバレなかったじゃないですか」

「俺はお前と違うて嘘をつくのが上手いんや」


 なんだそりゃ、と思いながらもなんとなく納得できてしまったので、琉菜は反論できなかった。


「っていうか、あれですもんね、山崎さんの『歴史は変えられない』っていう方の仮説が裏付けられれば、どっちにしてもあたしは脱走しかない運命ってわけですよね」

「おっ、飲み込みがええやないか」

「とにかく、明後日、あたしが米を買いに行く沖田さん達についていけるかどうか、に掛かってる、と」


 山崎はその通りや、と頷いた。


 明後日の「実験」の結果を受けてまた中富屋で話し合いをしようと約束し、この日の対策会議は終了した。


 琉菜はせっかくなので、本当に島原の小夏のところへでも行こうかとぼんやり考えながら立ち上がり、部屋を出ようとした。


「琉菜」


 山崎に呼ばれ、振り返った。何やらまだ難しい顔をして座っている。


「お前、お鈴のことなんか知っとるか」


 それは、長州の間者だ、とすでに疑い始めているということか。琉菜は目を丸くして山崎を見、再び彼の前に腰を降ろした。


 相手が山崎とは言え、いや、山崎だからこそ、核心を言うべきか否か、琉菜は迷った。


「山崎さん、お鈴さんを、助けてくれませんか」


 その言葉で、山崎はすべてを察したようだった。


「保証はできん。俺は新選組の人間や。新選組の得になる歴史改変ならするけどな、そうでなければ土方はんの指示に従うだけや」


 琉菜はぎゅっと唇を噛んだ。

 山崎に頼めばもしかしたら、と淡い期待を持ったが、その期待は打ち砕かれた。


「そう…ですか」それしか、言えなかった。


「ただ、今のところは、今のところはや、あいつは尻尾は出しとらん。ごく普通の賄い方や。この時代の女のくせに新選組に入りたがるっちゅうこと以外は普通の女や」

「はい。お鈴さんはどこにでもいる普通の女の人です。本当に、なんにもない普通の人です」


 琉菜は念を押すように言った。


「そうかい。まあ、そういうことにしといてやるわ。今はな」


 山崎がそう言うと、「ほな、またな」と琉菜に帰るよう促したので、琉菜はそのまま立ち上がって中富屋を後にした。




 そうして2日後、琉菜は「実験」を行うために、沖田と鈴の動きに細心の注意を払った。運悪く、今日は賄い方ではないから、沖田たちが買い物に行きそうなところに「偶然」現れ、「手伝いますよー」という流れでついていくしかない。


 とりあえず、沖田さんかお鈴さんを見張るしかない。

 一番自然にできるのは…


「沖田先生、大福があるんですけど、一緒にどうですか?」

 

 昼の稽古が終わったあと、琉菜が沖田に声をかけると、沖田はまんまと乗った。


「珍しいですねえ。中富さんから大福を私にくれるなんて」

「いや、いつも沖田先生にもらってばっかりなんで、たまには。一昨日島原の近くの甘味屋さんで買ってきたんですよ」

「そういえば、一昨日は非番でしたね」

「オレ、お茶淹れてきますね!」


 琉菜は台所に向かった。

 入ると、鈴が昼ごはんの後片付けをしていた。


「中富はん?どないしたん?」


 あまり光の入らない薄暗い台所で食器を洗いながら、鈴は手を止めることなく琉菜を見た。


「お茶もらおうと思って。あ、自分でやるからいいです」


 琉菜は戸棚からお茶の葉と急須、湯呑を取ると、お盆に乗せた。


「中富はん、お茶飲み終わってからでええんやけど、今日この後お米を買いに行こうと思ってるんよ。手伝ってくれたら嬉しおすのやけど」


 キタ!と琉菜は心の中でガッツポーズした。


「はい、大丈夫ですよ!」

「ほな、よろしゅう頼んます」


 鈴のふわりとした笑顔に「はいっ」と答えると、琉菜は台所に出た。


 沖田の部屋で琉菜はお茶を入れると、用意していた大福を沖田に渡し、自分も頬張った。

 同室で寝泊まりしている藤堂は巡察に出ていたから、今は部屋に琉菜と沖田の二人きりだ。


 今日のことがなければこの状況、手放しで楽しめたんだけどなぁ…


 米を買いにいくのに、このまま琉菜と鈴の2人で行くべきか、沖田も呼ぶべきか、琉菜は迷っていた。「実験」を行うにはどちらが最適なのか。


 ひとしきり悩んでいると、沖田に言われてしまった。


「中富さん?なんて怖い顔してるんですか。自分で買って来たのに大福おいしくないんですか?」


 や、やばい


「いや、そんなことないっすよ!ただ、」

「ただ?」


 その後のことを考えていなかったので、少々苦しいが琉菜は事実に基づいて言葉を発した。


「さっき、お鈴さんに米を買いに行くの手伝って欲しいって言われて、それで…っ!」


 琉菜は突然、頭を殴られたような頭痛に襲われた。

 続けて、脳裏にとある光景がよぎる。


『あのー…ここはどこですか?っていうか…いつですか?』琉菜自身の声だ。


 脳裏には、女性の顔が浮かんでいる。彼女は眉をひそめた。


『ここは…堀川通りやけど…いつっていわはると…今日は何日やったやろか…不躾なこと聞きますけど…あんたはん、その格好はどないしたんどすか?』

『え?…とこれは…』


 自分はこの女性と会話をしているようだ。


 待って、もしかしてこれって…!


 琉菜は脳裏の「光景」に集中した。


『もしかして…異人…?』

『はい、まあ…』

『ひいぃっ』


 目の前の女性は走り去った。


 間違いない。


 これは、あたしが初めて時の祠をくぐった直後の、通りすがりの女の人とのやり取りだ…

 どういうこと?


 思い出した、とはまた別の感覚である。脳内でいきなり映画が始まったような鮮明さだ。


「中富さん?」


 沖田に声をかけられ、琉菜は我に返った。


「え?」

「どうかしましたか?」

「なんでもないです。ちょっと、頭が…」

「大丈夫ですか?」

「はい、軽い頭痛ですから」


 言葉とは裏腹に頭を押さえる琉菜を見て、沖田が見かねたように言った。


「お米、買いに行くんですよね?代わりに行きましょうか?」


 うそ、この流れでいったら、実験失敗だ…!


「いや、大丈夫です!」


 琉菜は残りの大福を頬張ると、ごくんと飲み込んだ。


「お鈴さん待たしちゃってるかもしれないんで、オレ行きますね!沖田先生はゆっくり食べててください!」


 そうやって立ち上がろうとしたが、ぐらっとよろけてしまった。頭痛はいまだ収まらない。


『ほんとにここ、江戸時代なのかなあ。どこ歩いてるかもわかんないよぉ』


 自分の声が聞こえる。町を歩きながら独り言を言っているようだ。


「ほら、やっぱり体の具合悪いんじゃないですか?私が行きますから」


 沖田は琉菜の腕をつかんで立ち上がるのを手伝うと、急須や湯呑が乗ったお盆を持ってさっさと台所方面に向かってしまった。


 待って、あたしが行くから…!


 なんとか沖田について台所まで行った琉菜であったが、「実験失敗」への流れは決定的になってしまった。


「中富はん?顔色悪うない?」鈴は、この短時間で何があったのかとでも言いたげな顔だった。

「中富さん、頭が痛むようで。お米を買いに行くのは私が行きますよ」沖田が言った。

「いや、オレが…!」

「ほな、沖田はんにお願いします。中富はんはゆっくり休んでてな」 


 これ以上は逆に怪しまれる。お言葉に甘えるしかないと踏んだ琉菜は、諦めて沖田と鈴を送り出した。





 山崎さん、「歴史は変えられない」っていう仮説はどうやら本当のようです…


 謎の頭痛に顔をしかめながら、琉菜は誰もいない平隊士用の大部屋に向かい、仰向けに寝そべった。


 あっちのあたしはもう、幕末に来てる。


 直感的に、琉菜はそう確信した。

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