18.デビュー
数日後、池田屋に出動した隊士が一つの部屋に集められた。
近藤が隊士らを前に立ち、話を始めた。
「先日は皆本当によく働いてくれた。会津や幕府の皆様も、我々の働きをとても評価してくださった。そして、会津藩から出動隊士に対し恩賞金を賜った。10両と、働きに応じた別段金だ。今からそれを皆に配りたいと思う」
とたんに部屋の中がざわめきだした。
今、隊士の給料は毎月3両。
それに比べれば、とても高い金額で、現代でいえばボーナスみたいなものだ。
恩賞金が入った包みは、近藤から一人一人に仰々しく手渡された。皆歓喜に満ちた顔でそれを受け取った。
恩賞金!
あたしももらえるんだ…。
平成にいた時は、バイトもしてなかったから少ないお小遣いで服やら遊びやら遣り繰りしてたってのに…。
こっちでは社会人並みにお給料とボーナスまでもらっちゃって。
琉菜はそんなことを考えながら、自分の番が来るのをうずうずと待っていた。
あたしが隊士としてここにいるのも、池田屋に参加したのも、夢なんかじゃない。
今あたしの目に映ってる事は全部現実なんだ。
ホント、感動~!
「おい、合わせて20両だぞ!何に使おう?」木内が興奮気味に言った。
「オレは…貯金かな」琉菜は冗談混じりに言った。
「は!?バカかお前は」
背後からした声に琉菜と木内はばっと振り返った。
そこには原田・永倉・藤堂がにやにやしながら立っていた。琉菜は嫌な予感がしたが、顔には出さなかった。
「バカ…なんですか?」琉菜は怖々と聞いた。
「ああ。金に余裕ができたんなら、あそこに行くっきゃないだろ?」
その日の夕方、琉菜と木内は原田達に連れられて屯所を出た。
着いた先の街並みには、きらびやかな着物を着た女があっちにもこっちにも歩いている。
ここは、新選組の屯所からほど近い島原の花街。江戸の吉原遊郭と同じように扱われがちであるが(もちろん、そういう側面もあるが)、平成の感覚で言えばどちらかというと居酒屋街のような側面があった。
琉菜が初めてここに来たのは芹沢が斬られた夜に開かれた宴会の時。それからも何度か宴会で来たこともあった。前回タイムスリップしてきた時は、島原なんてキャバクラみたいな所、自分は絶対行くまいと思っていた琉菜であったが、そういう抵抗感は男装して以来幾分薄らいでいた。
今日は池田屋の打ち上げってとこかー。それなら、沖田さんもいたらよかったのになぁ。
沖田も呼ばれなかったわけではなかった。しかし、原田たちの顔を見た沖田は「体調がまだ優れないので」などと言って断ったのだった。
でも、沖田さん、昼間は元気そうにしてたんだけどなぁ。
のん気にそんなことを考えながら、自然と行きつけの呑み屋に足を向けた琉菜であったが、原田に呼び止められた。
「中富、今日はこっちだ」
ニヤニヤと笑う原田の後に着いていった先で、琉菜は店の看板を見て絶句した。
「原田先生、ここって…」
その看板を掲げる店がどういうところか、琉菜は以前平隊士仲間から聞いたことがあった。ただ酒を飲んで帰るだけでは済まない類の店だ。
「なんだよ中富。1回くらい来たことあるだろ」原田がきょとんとして言った。
「いいえ」琉菜ははっきりと答えた。
「おいおい嘘だろ!?お前もう入隊して1年近く経つじゃねえか!今まで何やってたんだ!?」
「な、なんでもいいじゃないですか」琉菜は戸惑ってそんな風に答えた。
「まあ、それならそれで構わねえ。今日、中富は初めて本当の島原を知ることになる!いい女選んでやっからよ!」
原田は脳天気に琉菜の背中をバシバシ叩いた。
「な、なんでですか?」琉菜は思わず尋ねた。
何故、ここに連れてこられるのが自分と木内なのか、と。
「お前ら総司の隊が一番こういうところから縁遠いだろう。だからだ。ちなみに明日は岡崎と山本を連れてくる予定だ」
岡崎も山本も、沖田隊の隊士である。
遅かれ早かれこうなる運命なのかと、琉菜は小さく諦めのため息をついた。
もう、マジっすか…?
無理!”そっち”はありえない!
だってあたし男じゃないし!
バレるじゃん!いろいろと!
琉菜は身をこわばらせ、すがるように木内を見た。
「最近来られてなかったから嬉しいなぁ。原田先生、ありがとうございます!」木内はニコニコと笑顔を見せた。
「おいおい、奢りじゃねえぞ!」原田の声は怒っていたが、顔は笑っていた。
ええー、木内は来たことあるの?
やっぱ、普通の男子として、一度も行ったことないっておかしいのかなぁ??
琉菜はこれで孤立無援だと肩を落とした。
「中富さん、緊張してるんですか?」藤堂が何の気なしに言った。
「は、はあ…まあ…」
「ははは、中富はウブだな。じゃ、入るか」永倉が何事もなかったかのように言った。
「原田せんせ、永倉せんせ、藤堂せんせ、いつもおおきに」遊女の一人がそう言った。
すると、一人あたりに数人ずつの女が寄り添い、酌などをし始めた。
ここまでは、琉菜も経験済みの光景だった。
女に酌をされる度、自分が同じ女だと感づかれるのではないかとハラハラするから、琉菜はやっぱりこういう場は苦手であった。
「原田せんせ、今日はうちのこと買うておくれやす」
「いやや、原田はんはうちのもんや」
「じゃあ今日は花乃にしようかな~」
「ほんま?うれしわぁ~」
あー、なんかヘンな会話が聞こえるー!
ムリー!ムリー!ムリー!
こっからはもうあたしはキャパオーバーだよー!
いつの間にか琉菜と木内にも数人の女が集まってきていた。
「あんまり見ないお顔やなぁ。お名前なんて言わはるん?」一人の女が木内に尋ねていた。
「木内峰太と申します。ここへ来たのは本当に久しぶりで」
木内ぃ、なんでそんなに堂々としてるのー?
あたしと歳変わんないくせにー!
「木内はんどすか。どや?うちのこと買うてくれへん?」
「そうですねぇ…」
木内はまんざらでもなさそうな顔をして酌を受けていた。ふと琉菜と目が合うと、「がんばれ」とでも言わんばかりに、頷いた。
帰りたいー、帰りたいー
沖田さんに会いたいよー
だいたい、あたしは処女なんだよー
ていうか、やばい。このまま行けば、確実にここにいる遊女の誰かに、女だってバレるわけで…
琉菜はこれから起こるであろうことを考え、どうしたものかと考えを巡らせた。注がれる酒に酔えるはずもなく、だらだらと時間だけが過ぎていく。
「そちらはんは?」一人が尋ねた。
「えーと、中富…新次郎…」琉菜はしどろもどろになって答えた。
「ここに来るのは初めてですのん?」
「はあ、そうですねぇ…」
琉菜は気のない返事をしながらやり過ごした。つもりでいた。
だが、琉菜の願いもむなしく、しばらく酒を酌み交わした後、あれよあれよと原田が勝手に女を選び、琉菜は別室に連れて行かれてしまった。
「さ、ゆっくりしてっておくれやす」
小夏と名乗った遊女は、部屋の襖を閉めにっこり笑った。
どーしよー…
ゆっくりなんてできるわけないよ…
琉菜の頭はすでに真っ白だった。
「なーんてな」突然小夏の様子が変わったので、琉菜はハッとして彼女を見た。
「中富はん、あんた、女子やろ」
「え?な、何言って…」
もうバレた?なんで!?
琉菜はなんとか状況を整理しようとしていた。
「さっき、うち中富はんの肩に触れたやろ。うちはいろーんな男の人見てきたし、わかるんや。中富はんみたいに華奢で高い声してる人初めて。な、そやろ?」
「そ、そんなわけないだろ?」琉菜はなんとか否定しようと弁解した。
「へぇ、うそつかはるんなら、中富はんの着物を…」
小夏は琉菜に近付き、無理矢理着物を脱がせようとした。
「ちょっ、待って…!」
「うちから逃げようかてそうは行かんよ」
小夏は隙をついて琉菜の着物をぐいっとはだけさせた。
「やっぱり女子やないの」
琉菜はさらしが巻いてある胸の膨らみを隠すように着物を直した。
「だ、誰にも言うなよ?」
「今更男言葉使ったかて無駄やで?任しとき。うち口は固いんや。それにしても…なんで男のふりなんかしとるん?」
なんて言おう?
この人が信じられる人かわかんないし…
しばらく考えた末、琉菜はこう言った。
「会いたい人が、いたから…」
琉菜は簡潔に答えた。
未来から来たなどと余計なことを言わないで説明するとなると、結局理由はそれしかなかった。
「すごい熱やな。会いたいだけなのに、わざわざ髪まで切って壬生浪に?」
琉菜はこっくりとうなずいた。
「ええわぁ。うちもそんな恋してみたいわ」
「べ、別に恋なんかじゃ…」
「あほ言わんといて。それが恋でなくてなんなの」
「う…」
琉菜の困り果てた顔を見て、小夏はにっと笑った。
「そや。女子の名はなんて言うん?」小夏は話題を変えた。
「琉菜」
「琉菜ちゃんか。よろしゅう」小夏はにっこりと笑った。
小夏は人懐こい性格で、よくしゃべる少女だった。大人びているから、琉菜より3つは年上であろうと思ったが、実際聞いてみたら1つしか違わなかった。
初対面のはずなのに、琉菜と小夏は妙に気が合い、話ははずんだ。同年代との「ガールズトーク」に花を咲かせた琉菜は、すっかり安心して、その場を楽しんでいた。
また、小夏は今度から琉菜が遊里に連れてこられた時は、自分が恋人役を買って出ると言ってくれた。
それならもう島原に来ても挙動不審にならなくて済むし、馴染みの女がいるということにしておけば、何かとやりやすいだろうと2人は考えたのだった。
あっという間に夜になり、外泊まではできない琉菜たちは、遊女らに見送られ島原を出た。
「また来ておくれやす」
小夏の名演技に、琉菜も「ああ、またな」と返した。
「中富さん、もうお馴染さんができたんですね!」藤堂が好奇心旺盛な顔をして言った。
「あ、あはは…」
琉菜は彼等のからかいを受け流しながら、ちらっと後ろを見た。そこには、元気よく手を振る小夏の姿があった。
琉菜の理解者が、京の町に一人増えた。
来てよかった、と琉菜は数時間前とは一転、心の中で原田に感謝した。
「あかん!こないなお金受け取れへんよ」
多代の声が中富屋のある一室に響いた。
その言葉を全く無視して、琉菜は金子をぐいっと差し出した。中には池田屋の恩賞金の半分、10両が入っている。
「受け取ってください」
「せやかて、これ池田屋の恩賞金なんやろ?そないな大事なお金、受けとれへん」
「いいんです。お多代さんにはいつもお世話になってるし。ここの宿代だと思ってください。…それに、あたしが言うのもなんですけど、新次郎さんもたぶん、こうしたんじゃないかなって」
多代は目を丸くした。それからにっこりと微笑んだ。
「…そうかもしれへんな。ほな、ありがたく頂戴さしてもらいやす」
多代は金子を受けとると深々と頭を下げた。
6月中旬頃、琉菜の予想通り、局中法度が制定された。
屯所の庭に立てられた札には、こう書いてあった。
現代でもお馴染の5ヶ条の法度だ。
一、士道に背きまじきこと
一、局を脱するを許さず
一、勝手に金策致すべからず
一、勝手に訴訟取り扱うべからず
一、私の闘争を許さず
右条々に相背き候者は切腹申し付くべく候也
ああ、出たよ…。
これが、新選組を最強の集団に結束させた局中法度。
本物はやっぱ迫力あるというか…。
琉菜は憂鬱な気持ちで立て札に書いてあることを読んだ。
正真正銘の新選組の局中法度。
これを破ったら命はない。
「切腹だって!?」
「おい、厳しすぎやしねえか?」
隊士たちは青ざめた顔でざわついた。
土方が立て札の横に立ち、法度について説明した。
「…そういうわけで、離隊や金策、訴訟は幹部に相談してよしと言われない限り駄目だ。池田屋以来、有頂天になってるやつも多いと思うが、これを機に気を引き締めて隊務に励むよう」
「承知…」
そう言う外ないから、隊士らはそう言ったが、その声色は決して元気なものではなかった。
その日は、そんな法度があるのなら新選組なんか抜けてやる、と悪態をつく者があちこちに現れた。しかしそのことを土方に直接言うものは一人としていなかった。鬼の副長に談判など自殺に等しい行為だし、そんなことをしたら士道不覚悟だと言われ切腹させられるのが落ちだった。
しかし、行動に移す者はそれなりに多かった。
土方に談判するのは絶望的だが、脱走して見付からなければもしかして、と考えたようだ。
だが、土方は想像以上に違反隊士には厳しく当たった。
監察の力を駆使し、脱走隊士を見付けては屯所に連れ戻し切腹させる。
おかげで、真面目な隊士らは脱走隊士狩りという仕事が増え、連日忙しかった。
「沖田先生…。最近不逞浪士より脱走隊士の方が多くないですかぁ?」
巡察の時、琉菜が隊列の先頭を歩く沖田に話しかけると、沖田はくるりと振り返った。
「そうですねぇ。あ、今日はここの長屋だそうです」
沖田の指示で長屋に入ると、やはり琉菜も屯所内で何度か見た顔がそこにいた。
「新村太助。脱走の咎で切腹に処する」
切腹の現場は、ほとんどの隊士が見物することになっている。
おかげで気分を悪くする隊士は多かった。
新村が小刀に手をかけた。
琉菜は固唾を飲んだ。
ダメ、やっぱ見てられない!
琉菜が目を閉じた瞬間、ぼとっという音がした。
介錯が終わったのだ。
一通り終わったあと、琉菜は木内と今の切腹について話していた。
「あーあ。新村さんいい人だったのになー」木内が気だるそうに言った。
「そうだな。…やっぱ、脱走したら捕まるんだよなぁ」
「おう。監察方、かなりがんばってるみたいだぜ。でも見せしめはもうわかったっつの!」
琉菜は「ああ、そうだな」と力なく微笑んだ。
人のことは言えない。
あたしだって、いつかは脱走するんだから。
山崎さんの言うとおりなら、成功するのはわかってる。でも、あたしはその”過程”までは知らないわけで。
さて、どうやって脱けよう?
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