11.謎の男

 



 もうすぐ春。

 京都の町は穏やかな天気だった。


 沖田の率いる小隊は、通りの真ん中で一度立ち止まった。


「今日はあそこの茶屋が怪しいという情報が入っています。不逞の浪士が潜伏している可能性が高いので、くれぐれも注意して捕縛をしてください」


 このくらいの捕物、もう慣れっこですよねとでも言わんばかりに笑顔で沖田は言った。


「はい」隊士たちはしっかりと返事をした。




「御用を改めさせていただきます」

 

 沖田は朗らかな雰囲気を装いつつ、店の暖簾をくぐった。


「し、新選組!?」


 店内で呑気に食事をしていた男たちの声が裏返った。


「手向かいしなければ傷つけたりしませんよ」


 沖田はそう言ったものの、後ろからはちゃっかりと縄を持った隊士たちが現れていた。


 新選組の仕事は不逞の浪士を捕縛すること。殺さず捕縛して事情を聞くことで、次の悪事の抑止力にもなる。特に、昨年の政変で京都への出入りを禁じられた長州藩の者がいれば、問答無用で奉行所へ突き出すこととなっていた。もちろん相手が刀を抜き向かってきたら応戦するが、このように狭い建物の中で刀を抜いても分が悪い。

 この状況下で浪士達が取れる選択肢はただ1つ、逃げることであった。現代のように指紋やDNAで悪事の犯人が特定できない時代、自白が大きな証拠となった。新選組の顔を見て慌てふためく男たちは、それだけで怪しい。何か後ろめたいことがあるのだと自白しているも同然である。


「う、裏口から逃げるぞ!」リーダー格らしき男が仲間たちに声をかけると、男たちはバタバタと裏口に向かった。しかし、そこにたどり着く前に、裏口の戸が開いた。


「てめえらの行動なんて、お見通しだよ」


 琉菜はにやりと笑うと、浪士が刀を抜くより速く彼に体当たりして尻餅をつかせた。よろめいた後ろの浪士たちも、ドミノ倒し式にその場に尻餅をついた。その隙をつき、琉菜や木内が浪士の手に縄をかけていった。沖田や他の隊士も、裏口に向かう浪士を捕まえた。


 沖田は浪士をじっと観察してから言った。


「捕縛した浪士5人!木内さん、岡崎さん、奉行所まで連行お願いします」

「はいっ!」


 呼ばれた2人はつながれた浪士を引っ張って店を出た。



「沖田はん、おおきに。すんまへん、不逞の浪士やなんてうちは全然わからなかったもんどすから…」店の主人は少し怖じけづいたように小さな声で沖田に礼を言った。

「いえいえ。こちらこそ、お店を騒がせてしまいすみませんでした」店の主人は無実であることは調べがついていたので、沖田は素直に謝った。

「なんや?この騒ぎ」


 店の入り口から声がした。30歳過ぎくらいの男が立っていて、目を丸くして沖田たちを見ていた。


「おお和助。帰ってきたんか。ほら、最近目つきの悪う男どもが来とったやろ?あれが不逞の浪士やってん、新選組の方が退治してくれはったんや」

「へぇ。そやったん、そいつはおおきに。お侍はん、名前は?」和助と呼ばれた男は軽いノリで言った。

「沖田総司です」

「沖田はん!おおきに!」和助はそう言って沖田の隣に立っていた琉菜に視線を移した。


「そっちのお侍はんは?」和助が言った。

「中富新次郎…」琉菜は和助のノリに若干面食らいながらも答えた。

「中富新次郎…?…あんた、どっかで見たことあると思うんよなぁ」


 和助は琉菜をまじまじと見た。そして、あっと何か閃いたような顔をした。


「中富はん!そうや思い出したわー!俺のこと覚えとらんか?」

「えーと…」琉菜は言葉を詰まらせた。この幕末の世で、新選組の面々と中富家の人間以外に知り合いなどいるはずもなく、なんと答えたらよいかわからなかった。


「沖田はん、このあとも巡察ありまっか?」

「いえ、私たちはもうこのまま屯所に…」

「中富はん借りてもええやろか。久々の再会やで、ちょっと話したいんや」

「…ええ、構いませんけど…」

「ちょっ、沖田先生?」琉菜は思いがけない展開に戸惑った。

「ここやとなんやから、俺についてきてや」


 和助は琉菜に有無を言わせないまま店を出た。琉菜はわけがわからなかったが、一応後を追った。





「自分ちも茶屋やってるくせに、わざわざ別の茶屋まで連れてきてなんなんだよ?」琉菜は怒って言った。

「まあまあ落ち着き。こっちは沖田総司の前であんたの正体言わんかったんや。感謝せえ」

「正体?」

「そや。あんた女子やろ?」

「は!?」

「とぼけんなや。あんたが着とるその着物は、俺が売ったんや」

「なっ…」


 琉菜は自分が男物の着物を買いに行った時のことを思い出した。確かに、この男はあの時の店員だったかもしれない。


「な?そやろ?あんたに顔も声もそっくりな女が男もんの着物買うたんや。同一人物と考えるんが自然やろ?」

「オレは女じゃねえ!」


 半立ちになってそう吠えてはみたものの、女ではない証拠などあるはずもなく、もはや言い逃れできないことは琉菜にはわかっていた。


「そのままとぼけ続けよるんなら今から新選組の屯所に行って『中富新次郎は女やー!』って叫んでもええんやで?」


 和助はにやりと笑った。


 

 どうしよう。バレた。もう、終わりだ。



 琉菜は言葉が出ず、悔しそうに和助をキッと睨むことしかできなかった。


 やがて座り直した琉菜はポツリと言った。


「…誰にも言わないでもらえますか?」

「やっぱりな。まあ、とりあえずは」

「とりあえずって…」


 琉菜は焦りのあまり心臓がバクバクと速く脈打つのがわかった。女であることがバレたら、切腹だろう。死ぬ瞬間に元の世界に戻るようなタイムスリップ物語もあるが、琉菜のタイムスリップはそういうシステムではない。死ぬ時は、本当に死ぬ時だ。


 琉菜はどうしたらこの状況を好転させられるか、と考えを巡らせたが、何ぶん頭の中は真っ白で何も思いつかなかった。


 気まずい沈黙が流れていた。和助は琉菜の顔をまじまじと見ていた。


「なんで男装してまで新選組に?」


 和助の問いに、琉菜は言葉を詰まらせた。本当の事情を話すのであれば、未来から来たことも言わなければならないが、今いきなりそんな話をしてもいいものか、と迷った。


 琉菜が答えないのを見て、和助はますます訝しげな目で琉菜を見ながら次の質問をした。


「中富はん、本名は」


 琉菜は脳内では「死にたくない、死にたくない」を繰り返しながらも口ではきちんと「宮野琉菜」と答えた。


「あんたの顔と名前、どっかで見たことあるんやけどな…呉服屋でやなくて」


 和助はしばらく考えた。

 そしてハッと思い出したような目で琉菜を見た。


「あれやろ、京都で行方不明になった女子高生!しかもその後の剣道の大会で日本一になったっていう!」


 へ?

 琉菜は状況を整理するのに少しかかった。

 もしかして、この人…


「あ、あの、もしかして、あなたも未来から…?」

「そや!その様子やとあんたも本物の、未来の宮野琉菜みたいやな。そっかー。行方不明なってたんはやっぱり神隠し。タイムスリップやったんやな」



 マジ!?


 琉菜は文字通り開いた口が塞がらなかった。



「最初に呉服屋であんた見た時にも聞いてみよ思たんやけど、あん時は長話する雰囲気やなかったからなぁ」和助はさらりと言った。

「本当…なんですね…えっと、和助さんでしたよね。あの、あたし帰る方法知ってますよ?」


 琉菜は和助が以前の自分のような状況なのではないかと思った。


「おっとそれなら間に合っとるで。俺は好きでタイムスリップしとんのや」

「好きで…って?」

「俺は京都の土地の歴史を専門にした研究家やったんや。そんで、あの祠の伝説にたどり着いてなぁ。あんたにインタビューしたくて堪らんかったんやけど、マスコミお断り!ってシャットアウトしよるから、自分で試してみよ思うてな」


 琉菜はぽかんとして和助の話を聞いていた。


「こ、怖くなかったんですか?家族を残してこっちに来るとか、何時代に行くかわかんないとか…」琉菜は久々に聞いたカタカナ語に懐かしい気持ちを覚えつつ、和助に質問した。

「俺は家族もおらんし。あっちの時代に飽きたってのもあったしなぁ」


 和助は琉菜の顔をじっと見た。一瞬、何かを言いたげな顔をしたかと思うと、ふっと息をつき、少し笑顔を見せた。


「今は、ここ幕末でフリーターや。俺はこの時代の人間として、もう7年生活しとる」

「だから、前は呉服屋で、今はお茶屋さん…」琉菜はなるほど、と答えた。

「そうや。慣れれば結構快適やで」


 琉菜は「そうなんですね」と相槌を打ったあと、「あの!」と身を乗り出した。


「あたし、前に幕末に来て、新選組の賄い方をやってたんです。で、帰り方がわかって1回帰ったんですけど、また新選組に入りたくてあの祠に行ったんです。そしたら、あたしが前にいた時期より前に着いちゃって。それで男装して入ったんです。だから、お願いします。あたしはそのうちまた未来に帰りますから、それまで正体は誰にも言わないでください。お願いします」


 琉菜は深々と頭を下げた。和助はそんな琉菜を品定めでもするように見つめていた。


「ほんま、全国の新選組ファンが泣くで。抜け駆けしよってってな。まあ、わかった。ばれないようにしっかりやるんやで」


 和助の言葉に、琉菜はパッと顔を輝かせて頭を上げた。


「ありがとうございます!!」



 ちょうどその時、七つ(夕方4時)を知らせる鐘が聞こえた。


「やば、あたし帰らなくちゃ!夕方の稽古があるんです」琉菜はガバッと立ち上がった。

「巡察の後やのに、大変やな」

「はい。でももう慣れっこです。また会いたいですね」

「そやな。まあ俺はいろんな店を転々とするさかい。また巡察ん時でも会えるやろ」和助が言った。



 琉菜が店から出ようとした時、後ろから和助が話しかけた。



「生半可な気持ちじゃ、新選組隊士は務まらんよ」


 琉菜はその言葉を受け、真剣な眼差しで和助を見た。


「わかってます」琉菜は微笑みながら暖簾をくぐった。




「さて、どうしたもんやろうなあ…」琉菜の背中を見送り、和助がポツリとつぶやいた。

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