10.文久三年大晦日

 翌日、芹沢の葬儀が行われた。


「尽忠報国の士、芹沢鴨先生は長州の賊に襲われ亡くなった。ここに生前の先生のご活躍を偲ぶと共に…」


 近藤が白々しく弔辞を読み上げるのを、琉菜は心ここにあらずで聞いていた。


 芹沢先生…。

 天国で、元気にやってくださいね。


 芹沢一派は長州の者に殺されたということになっていた。


 琉菜が屯所に戻ってきて、何も知らないふりをするのは結構大変だったが、怪しまれずには済んだ。

 琉菜があたりを見回すと、皆沈痛な面もちではあったが、誰一人涙を流す者はいなかった。

 大の男は人前で泣いたりしない、ということなのか。芹沢の死など悲しむに値しないと思っているのか。琉菜には判然としなかった。ただ1つ言えるのは、芹沢の腰巾着たちはこの日を境にきれいさっぱりいなくなっていた。


 とにもかくにも、ここから近藤を中心とした新しい新選組のスタートとなったのである。







 それから、月日は流れ季節は冬。

 京都の町は凍てつく寒さに包まれていた。


「この季節に武器庫の整理はきついな…。鉄がキンキンに冷えてやがる」琉菜は手に手拭いを巻きつけて、武器を直接触らないようにした。


 食事を作る賄い当番の他に、新選組平隊士には武器庫整理、掃除当番、洗濯当番などの日常業務が割り当てられていた。本日の武器庫整理に当たってしまった琉菜と木内は震える手で武具を片づけていた。


 武器庫といっても、間借りしている前川邸の納戸をさらに半分借りているような状況で、そこに最低限の刀や槍、数丁の鉄砲がしまわれていた。新選組が会津の預かりになって給金が出るまでは、質流れ品の生くら刀をここにしまっておき、巡察に出る者が交代で使っていたのだった。


 最近では、給金が溜まり自分の刀を求める者も増えていたが、琉菜はまだこの武器庫にある切れ味の悪い刀を使っていた。


「中富はまだ自分の刀買わないのか?」木内が鉄砲の埃を払いながら言った。

「うーん、まだ、金が貯まってないからな」琉菜は言いにくそうに答えた。

「俺もだな。でも、再来月くらいには金が貯まって狙ってたやつが買えそうなんだ。そうだ、お前も一緒に買いに行こうぜ」

「うん、考えとくよ」


 琉菜はそれだけ言うと、テキパキと手を動かし、武器庫の整理を終えた。

 琉菜はあえて、切れ味の悪い刀を使っていたかった。万が一斬り合いになった時、殺さずに大怪我くらいで済ませられるかもしれないと思ったからだ。

 何があっても人を殺してはいけませんと教えられた平成生まれの琉菜は、この時勢の「必要とあらば斬る」という価値観をどうしてもまだ受け入れる気にはなれなかった。


 だが、琉菜は以前幕末に来たとき、中富、つまり少し未来の自分が「人を斬ったことがある」と言っていたことを覚えていた。


 そうか、結局、あたしもいつか人を斬るんだ…


 怖い…それは、いつなの?


 できれば、避けられるなら、避けたい。

 あたしの歴史を変えることになっても。

 変えられるのかな…?


 ぼんやりとそんなことを考えながら武器庫を出ると、ちょうど原田に出くわした。


「よう、中富、木内、暇そうだな!」


 藤堂や永倉、沖田も一緒で全員やけに楽しそうな笑顔だった。


「原田先生…。暇というか、今武器庫の整理を終えたところで」琉菜が答えた。

「じゃあ暇ってことだろ?今、俺たちも暇なんだ」

「はあ…」

「四条の方に甘味処があるんだけどよ、最近新しい看板娘が入ったって評判なんだよ」原田が楽しそうに笑った。

「だから先生方にやにやしてるんですね」木内がストレートに言った。

「わ、私は看板娘には興味ないって言ったんですよ?」沖田が何故か自分は無実だと言わんばかりに慌てて言った。

「総司はただ甘味処に行きたいだけだろう」永倉が言った。

「確かに、甘味処なら郭に行かずとも美女が拝めますからね!」琉菜も乗った。ここでは男らしく美女に興味がある風に演じようと思ったのだった。

「よし、そういうわけだ、野郎共、行くぞ!」


 原田に伴われ、一同は屯所を後にした。


 道すがら、琉菜はある予感に捕らわれた。


 甘味処の看板娘って、もしかして…


 着いたところは玉乃屋という甘味処だった。


 原田がのれんをくぐり中に入ると、いらっしゃーいと威勢のいい声がした。


「ああ!永倉センセやないどすか!今日は巡察やあらへんのやろ?どないしたんどすか?」主人の男が出てきて永倉に挨拶した。

「今日は非番なので、ここの葛切りを食べに。いつも巡察の時にいい匂いがしていたもので」


 永倉は爽やかに答えた。

 永倉さんもお菓子とか好きなのか、と琉菜は少しだけ驚いた。


「なんだよ新八っつぁん、この店のこと知ってたのかよ」原田がふてくされたように言った。

「俺の巡察の持ち場によく入ってくるからな」永倉はしれっと答えた。


「ささ、先生方、こちらにお座りやす」


 主人に案内され、琉菜たちは奥の座敷に通された。


 腰を下ろして間もなく、琉菜は自分の耳を疑った。


「来てくれはってありがとさんどす。ご注文何になさいますか?」


 そう言って琉菜たちの席にやってきた女を、琉菜は穴の開くほど見つめた。そして顔を背けて、表情に出すまいと顔に思いっきり力を入れた。


「おお!お姉ちゃんが噂の!」原田が嬉しそうに言った。

「噂の?」女はきょとんとして原田を見た。

「ここに新しい看板娘がいらっしゃったって噂で!」藤堂が後に続けた。

「そうなんどすか?嫌やわぁ、看板娘なんて。ただの女中どすさかい」

「お名前はなんて言うんですか?」永倉が尋ねた。

「へぇ、鈴、いいます。どうぞご贔屓によろしゅう頼んます」


「おい、腹の調子でも悪いのか?」琉菜の隣に座っていた木内がこっそり耳打ちした。

「いや、別に大丈夫…」


 琉菜は再び鈴を見た。


 お鈴さんだ、お鈴さんだ、お鈴さんだ!!

 やっぱりそうだ!

 文久3年にタイムスリップしてきたんだから、当然お鈴さんも生きてる!

 まさかまたお鈴さんに会えるなんて!


 琉菜は再会を喜びたい気持ちでいっぱいだったが、もちろん今の鈴が琉菜のことを知るはずもなく、琉菜は深呼吸して皆と同じく葛切りを注文した。


 注文を取り終え、奥に入っていく鈴の背中を見送ると、琉菜は沖田も同じく鈴の背中を目で追っているのに気づいた。


 まさか、沖田さん、この段階で一目惚れだったの!?

 いやー、まさかー、でも、そうだとしたらそりゃあ勝ち目ないわ…はははは…


 琉菜は脳内でひとしきり考えを巡らせると、原田たちが繰り広げる他愛もない会話に加わった。


 やがてやってきた葛切りを全員ぺろりと食べ終わると、鈴に見送られ一行は玉乃屋をあとにした。


 琉菜は振り返ってまだこちらに手を振っている鈴を見た。

 琉菜と目が合い、一瞬鈴はにこりと微笑んだが、すぐに別の客に呼ばれたようで中に入っていった。


 お鈴さん、この時点でもう長州と繋がってたのかなぁ。たぶんそうだよね。あの京都弁も、一生懸命練習したんだろうな…。


 ということは、あの甘味処がすでに長州のアジト的な機能を果たしてた…?

 だとしたら、先に潰しちゃえばいいんじゃない…?

 いや、でもそれをあたしが自然に話もってくのはかなりムリがあるしな…


「中富!何やってんだ!置いてくぞ!」


 永倉の声がして、琉菜はハッとして前を見た。彼らは数メートル先で琉菜が来るのを待っていた。


「すいません、今行きます!」


 とりあえず、今は様子を見守るしかないか…


 琉菜は小走りで駆け寄っていった。







 それからあっという間に、年末・大晦日を迎えた。


 大晦日。といえば、もちろん宴会である。


 この日に賄い当番に当たると、仕事が多く不公平になるということから、クジ引きで当たった隊が、全員総出で仕事をすることになった。


「よりによって、大晦日の賄い当番が沖田隊になるなんて…」琉菜ははぁっと溜め息をついた。


 琉菜と木内は買い物係ということで、寒い外を不平たらたらで歩いていた。


「沖田先生って、剣は強いけどクジ運は弱いんだな」木内がめんどうくさそうに言った。

「同感…」


 琉菜は、クジを引く副長助勤たちの様子を思い浮かべた。

 よく考えてみると、沖田以外の助勤はみんなこういうことに関しては世渡りがうまいような気がした。特に斎藤などは、己のカンだけで確実に貧乏クジを避けられそうだ。


「よし、まず野菜だな」木内は気を取り直そうとばかりに言った。


 以前琉菜が賄い方をやっていた時によく行った八百屋に向かった。

 おじさんは相変わらず愛想がよく、琉菜と木内はいつもより多めの野菜を買った。財布は木内が持っていたので、会計は彼がしていた。


 その間、琉菜はなんとなく周りの景色を見回した。ふと、通りの向こうからこちらに向かって歩いてくる男に目が留まった。

 

 あの人…どっかで見たことあるような。


 琉菜は怪しまれない程度に男を凝視した。

 男と琉菜の距離はだんだん近くなっていく。



 あーっ!



 男が琉菜の目の前を通りすぎた瞬間、それが誰だかわかった。


 あれ、桂小五郎だよ!

 歴史の教科書とか新選組の本に、木戸孝允として写真が載ってたし…

 あの写真をちょっと若くしたと思えば、わかるかも…

 すごい!こんな歴史上の有名人があたしの目の前に…やっぱタイムスリップってすごい!



 桂小五郎といえば本来新選組の敵そのもので、もちろん新選組隊士としては今すぐ捕まえなくてはいけない存在だが、写真が出回っていないこの時代で琉菜が桂の顔を知っているのは明らかに怪しい。桂自身も、顔が割れていない自信があるから、このように昼間から堂々と町を歩けるのだろう。実際琉菜には尊皇や佐幕といった思想は特になかったので、琉菜自身は彼を敵視していなかった。それどころか、長州だろうがなんだろうが、できるだけ多くの有名人に会いたいというのが琉菜の本音だった。


 あ、でも桂小五郎って、お鈴さんを間者にした張本人か…


 そう考えると、琉菜に少し怒りの感情が沸いてきた。


 でも、こんな時代だからしょうがないっていえばそれまでか。

 なんか複雑な気分…


「中富?どうしたんだよ、ボーっとして。これ持ってくれよ」

「あ、おう…」


 琉菜が桂の顔を知っているのはもちろん怪しまれるので、何も言わずに荷物を受けとり、屯所への帰り道を歩いた。





「お疲れ様でした。今みんなで大掃除してるところなんです」


 屯所に戻ると、沖田はにこっと笑って琉菜たちを出迎えた。


「いっぱい買ってきましたよ。料理は誰が?」木内が言った。


 沖田は琉菜をちらっと見た。


「中富さん…」沖田はつぶやくように言った。

「な、なんですか?まさか…」

「みんな中富さんが作るのが一番いいっていうんですよねー」沖田は促すように琉菜を見た。

「わかりました!オレがやりますよ!」


 琉菜はもう一つの大仕事に少しうんざりしながら台所に向かった。


「あ、私も手伝いますよ~!」沖田があとから追い掛けた。





「沖田先生って、料理とかできるんですね」


 琉菜はトントンという軽快な包丁の音を聞きながら、釜戸で火を起こしていた。


「なんですか?そのいかにも意外だみたいな言い方は」沖田が包丁を動かす手を止めた。

「あはは、すいません。沖田先生が料理するとこなんて見たとこなかったんで」

「まあ、結成当初は助勤も賄いしないと間に合わなかったし、試衛館でもよく手伝ってましたから。それに今日は私のせいでみなさん大変になってしまったんですから、私が精一杯やらないといけないでしょう?」

「ホント、沖田先生クジ運ないですよね!」琉菜は少し皮肉まじりに言った。

「あはは、こればっかりは私にはなんともできませんよ」


 沖田は笑った。琉菜もつられて笑った。


 やっぱ、沖田さんと一緒にいるのって楽しい!

 男装してでも、会いにきてよかった。


 出来上がった料理が大部屋に並べられると、隊士達は口々に「うまそーっ!」と声を上げた。


「これ、全部中富が?」永倉が目を丸くした。

「違いますよ。沖田先生も手伝ってくれたんです」琉菜がにっと笑った。

「総司の料理なんて久々だなぁ」原田がにやにやと笑って総司を見た。

「なかなか個性的な味なんですよね」藤堂が続いた。

「ちょっと、どういう意味ですか?」沖田が言うと、その場にいた者達はどっと笑った。


 ほどなくして、近藤、土方が部屋に入ってきたので一同は席に着いた。


「みんな、今年はご苦労だった。来年も上様のため、京の民のために励んでくれ!」


 近藤局長、なんか来年の今頃も似たようなこと言ってた気がする…


 琉菜は微かに笑い、みんなと一緒に杯を掲げた。


「乾杯!」


「来年もよろしくお願いしますね、中富さん」琉菜の隣に座っていた沖田が杯を上げた。


 沖田の笑顔に、琉菜の心臓が大きく鼓動した。

 まわりが騒がしくて助かった、と琉菜は思った。


 琉菜は自分の杯を沖田の杯にカチンとぶつけた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」琉菜はにっと笑った。


 文久3年最後の夜は、賑やかに終わっていった。

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