6.平隊士の1日

 琉菜が壬生浪士組に入隊してから数日が経った。


 今日は初めての巡察だ。

 隊服はまだできていなかったので、琉菜は私服で巡察に向かった。


 あたしも、もうすぐあの隊服を着れるんだ!

 コスプレとかじゃなくて、本当に新選組の隊士としてあれを着られるなんて、楽しみすぎる!


「おい、何にやにやしてんだ?」

 そう言われて琉菜は我に返った。

「えっ!別に、にやにやなんか!」


 話しかけてきた隊士は木内峰太といった。同じ沖田隊で歳も近く、早くも友人のような存在になりつつあった。


「まあ無理もないか。初めての巡察だしな」木内はにかっと笑った。

「ま、まあな。やっと新…壬生浪士組の仕事って感じだし!」


「中富さん!木内さん!早くしないとおいてきますよ~!」


 二人がしゃべっている間に先に行ってしまった沖田が遠くで手招きしていた。


「はい!今行きます!」


 巡察や稽古など、「新選組っぽいこと」をするのはもちろん琉菜にとっては嬉しくもあり現代語で言えば「テンションが上がる」のだが、1つだけ「テンションが下がる」ことがある。

 それは、今の琉菜は単なる平隊士であることだ。


 改めて考えれば、「未来から来た賄い方の琉菜」に沖田さんは相当気ぃ使ってくれてたんだなぁ…

 沖田隊に入れてもらえたのはすごくありがたいんだけど、圧倒的に前より絡みが少ない!!


 琉菜は隊列の先頭を歩く沖田の後ろ姿を見て、ため息をついた。


「なんだよ、今度はため息か?」隣を歩く木内が少し呆れたように言った。

「べ、別に、なんでもねえよ」琉菜は慌てて取り繕った。


 今日は8月12日。

 沖田との絡みがない、などと落ち込んでいる場合ではなかった。

 壬生浪士組が初めて直面する歴史的事件の起こる日が近づいていた。


 あと6日で八・一八の政変かぁ。

 そんな歴史的事件に立ち会えるなんて!

 その時までに隊服間に合うかな?

 確か新選組からは誰も死人も出ないし安心だもんね!

 緊張するけど、楽しみ!


 巡察は副長助勤を筆頭に組まれた小隊が、隊列を組んで町を歩くものだった。

 それぞれの隊で担当エリアが決まっており、今日の沖田隊は午前中に壬生の南側を巡察、ということになっていた。


「また壬生狼が来よったで」

「会津藩のお預かりになったみたいやけど、実際はゆすりたかりの連中やって聞いたで」


 町人がそんな噂を声を潜めることなく話していた。

 隊列に入って初めて味わったが、琉菜はなんとも居心地の悪い思いでいた。


 やがて担当エリアに到着すると、沖田隊の面々はさらに二手に分かれて商家を一軒一軒回った。


「中富さん、木内さん、岡崎さんは私と一緒に来てください」沖田が手招きした。


「皆さんまだ入隊してひと月足らずですからね、巡察のいろはをよく覚えてください」

「承知!」沖田に呼ばれた3人は元気よく答えた。


「こんにちは。壬生浪士組です。調子はどうですか?」


 沖田はお隣さんに野菜でもお裾分けするような調子で、小間物問屋に入っていった。


 あれ、「御用改めである!どどーん!」っていう感じじゃないの?


 琉菜は現代のフィクション作品で培ったイメージとかけ離れていることに面食らった。もちろんそんなこと木内らに言えるはずもないのだが。


「結構和やかなんだな…」それでも琉菜はなぜこんなに和やかなのかを知りたくて言葉を選んだ。

「ああ。特に不逞浪士がいなさそうなところはこんなもんだ。なるべくなら壬生浪士組は町の人に好かれた方が得だし」木内が琉菜の独り言のような問いに答えた。


「あらぁ、沖田はん、お勤めご苦労様どすう。壬生浪士組が物騒な浪士どもを追っ払ってくれてはるから、この辺りも静かになりましたわ~」


 出た!京都の人特有の皮肉ってやつ!


 琉菜は女将の台詞を聞いて顔をしかめた。

 現代でも1年2年京都に住んでいれば、この手の皮肉な台詞に出くわすことはままある。

 この場合は要するに、「このあたりも静かになって商売上がったりだ余計なことしやがって」くらいの意味と捉えるのが妥当だろうと琉菜は判断した。


「それはよかった。何か怪しい人物や危ないことがあったらすぐに言ってくださいね」


 皮肉に気づいているのかいないのか、沖田は台詞を額面通りに捉えたような受け答えでにっこりと笑った。


 そんな調子で時間にして約2,3時間、一通り持ち場を回ると、琉菜たちは屯所へ戻った。


「どうでしたか?中富さん、初めての巡察は」沖田に話しかけられ、琉菜はそれだけで嬉しさに胸を高鳴らせた。


「思ってたより平和でよかったです!壬生浪士組隊士になったんだって実感が湧いてきました!」琉菜は笑みを浮かべ答えた。

「それはよかった。今日は何事もありませんでしたが、たまに不逞の浪士が潜んでることもありますから、明日からも油断しないでくださいね」

「承知!」


 絡みが少ない分、こうやって話せるのが本当に嬉しいなぁ~。


 琉菜はまた木内に悟られぬよう、にやにやしそうなのを必死に我慢した。






 屯所に戻ってくると、何やらいつもと雰囲気が違っていた。

 今日はここ、屯所で相撲興行をやることになっていたのだ。


「相撲なんてオレ初めて見ます。それにしても、こんなに見物人がいるんですね!」

 琉菜は土俵の周りにできた人だかりの前を通り過ぎながら沖田を見た。

「近隣の皆さんとの親睦も兼ねてるんですよ。近藤先生の発案で」沖田は楽しそうな様子でそう言った。


 要するに、明るい壬生浪士組ですよ~アピールってことか…

 この頃の新選組ってイメージ戦略に必死だったんだなぁ…

 無理もないか。まだまだ大した功績もないどころか、資金集めにあちこちで大金借りてるのは事実だし…


 琉菜はそんなことを考えながら、沖田隊の面々と共に端の席に陣取り、土俵を見つめ力士の登場を待った。


 その時、琉菜にドンとぶつかった人物がいた。


「芹沢さん?どこ行くんです?」

 沖田が尋ねた。

 芹沢が琉菜に謝る気配はなかった。

「相撲などくだらぬ!儂は出かける。行くぞ新見!」

「はいっ!」


 うっわ、二人とも酒臭っ。

 酒癖が悪いのはどうも史実みたい…。


 芹沢は、3人目の副長・新見を連れてスタスタと行ってしまった。


 そうか、相撲興行と同じ日には、大和屋焼きうち事件があるんだった。

 食い止めたいとこだけど、そうもいかないし。

 たぶんこのあともどんどん酔っぱらうんだろーな…


「中富さん、どうしたんですか?怖い顔して」沖田が言った。

「いえなんでも…あ、相撲、もう始まるみたいですよ」


 そして、相撲興行は無事成功に終った。

 普段は壬生の狼と恐れられる浪士組の面々も、今日は一般の人たちと一緒になって騒いだり応援したりしていた。


 みんな楽しそう。

 とりあえず、ちょっとはイメージアップになったんじゃないかな。


 琉菜は屯所を後にする人々を笑顔で見送った。







 琉菜は巡察・相撲に続き今日は賄いの当番でもあった。


 せっかく隊士になったんだからこのくらい忙しくなくっちゃね!


 琉菜は夕飯の片付けをしていた。

 今日のもう一人の当番は木内だった。


「ホントに面白かったよなーっ!相撲!」琉菜は満足気に言った。

「お前さっきからそればっかりだな」

「そうか?」

「大体、巡察の隊も一緒なのに賄いまでお前と一緒なのかよ」

「オレが知るかよ。いいじゃんか。もっと年上の隊士と気ぃ使いながらやるよりマシだろ」

「ま、そうだけどな。にしても中富の作ったメシ、好評だったよなーっ!みんなおいしいおいしいって言っててさ」


 琉菜はギクっとした。


 ま、もともと本職は賄いでしたから!

 というわけにもいかず、


「オレん家旅籠だからさ。小さいころよく料理とか手伝わされたんだよ」と嘘をついた。


 木内はそれで納得したようだった。


「さ、後片付けおしまいだ!」

 琉菜は手拭いで軽く手を拭き、木内に笑いかけた。

「今日は忙しかったな。じゃ、俺今日は早めに寝るわ」

 木内はそう言って台所を出た。琉菜もあとに続いた。


「なんか、騒がしくねえか?」木内が言った。


 その通りだった。

 屯所の中はバタバタと足音が響き、門の前には副長助勤らが集まっていた。


 芹沢さんが暴れだしたんだ!


 琉菜はすぐにわかった。

 しかし、ここで琉菜が状況を理解しているのはおかしい。

 門のそばまで行って、ごくごく自然に沖田に状況を尋ねた。


「沖田先生、何かあったんですか?」

「芹沢さんたちが生糸商の大和屋に火をつけたという知らせが入ったんです。私たちはこれから様子を見に行って来ますから」

「だったらオレも!」

「中富さん、あなたはここにいて下さい」


 沖田は静かにそう言うと、他の助勤と共に屯所を出ていった。

 琉菜がその場に立ち尽くしていると、数名の平隊士の話し声が聞こえた。


「おい、芹沢先生が生糸商を焼きうちにしてるらしいぞ!」

「オレたちも見に行こうぜ!」

「バカ、助勤の先生方に見付かったらどうすんだよ!」

「大丈夫、遠くから見てりゃバレねえよ!」


 彼等はがやがやと言いながら結局屯所を出ていってしまった。


「俺たちも行くか?」その場に一緒に来ていた木内が問掛けた。

「ああ」






 琉菜が本で読んだ通りの情景が目の前にあった。


 赤々と燃える家。

 その向かい側の家の屋根に座り高らかに笑う芹沢。


「はっはっは!もっとやるでござる!」


 芹沢は完全に泥酔している。

 芹沢を支持し、彼の焼きうちに参加した隊士たちが、油を注いだり火種を投げ入れたりしている。

 彼等も酒に酔っているのだろう。


「芹沢さん!」近藤や沖田の声も耳に入らないようだ。

「おい!芹沢やめろ!」土方はどさくさに紛れて芹沢を呼び捨てにしていた。


 しかし芹沢はやめるどころかどんどん放火をあおるばかりだった。


 結局、火は真夜中過ぎに消し止められた。


 わかってる。あの大和屋っていうのは、生糸の買い占めで他の人を苦しめてるとか、尊攘派に資金援助してたとか、そういうところだったはずだから、向こうにも非があるのはわかる。でも、やっぱり放火なんて、まともな考えでそんな結論になる!?


 琉菜は怒りに任せて屯所へ帰る足を進めた。


「芹沢先生もあそこまでやるとはな」木内もこの状況に困惑していた。

「だよな!何も燃やすことないよな!」

「酒に酔ってたってのも尚更タチが悪りいよな」


 そうやって二人はこの事件についてああだこうだと話しながら歩いていた。


「おい、俺たち沖田先生が帰ってくる前に屯所に帰ってなきゃいけないんじゃ…」木内がハッと気付いた。

「やば…急げ!」

「その必要はありませんよ」


 背後から聞こえた声に、二人はおそるおそる振り返った。


「お、沖田先生…」

「やっぱり来てたんですね」沖田はあきれたように溜め息をついた。

「も、申し訳ありませんでした!」

 2人はバッと頭を下げ、平謝りした。


「しょうがないなぁ。あとは任せて、あなたたちは屯所に戻りなさい」

「はいっ!」


 2人は屯所を目指して走って帰った。


 長い1日が終わろうとしていた。

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