テイカカズラ

玉鬘 えな

むなしき夢の中空に



「――古典文学においては、歴史上の実在の人物がまことしやかに人ならざるものとして描かれることがしばしばあります」


 ひさかたの光のどけき午後の授業、秋の残り香が漂い込んでくる教室の中。

 白いブラウスもまぶしく、清楚な黒髪を揺らしながら女教師は穏やかに言葉を紡いだ。


「なかでも怨念や執着によって、死後、なんらかの姿に変化してこの世に再び現れる霊的な存在に対しては、それを鎮めるために社を祀ったり、祈りを捧げたり、いつの時代でも人々は畏れをもって丁重に奉ってきたのですね。菅原道真すがわらのみちざねしかり、平将門たいらのまさかどしかり、崇徳院すとくいんしかり……」


 またいつもの“脱線事故”が始まった、とクラスメイトの何人かが授業態度を崩したのを肌で感じ取って、和雲わくもシャーペンを走らせていた手を止める。教科書もチョークもすでに手放し、夢見るような瞳を中空に馳せながらとうとうと語り続けている教壇の上の女教師に目を向けた。


「今に残る古典は史実と虚構とが入り交じっていて、しかもそれが、どこまでが創作でどこまでが伝承なのかが曖昧なもの。書き手本人も、どこまでを史実として語っているのか、どこまでを想像や思い込みで語っているのか、それもまたはっきりしない。また、書き手が誰なのか、記名されていたとしても本当にその人物で合っているのかも定かではない。現代のように印刷や複写の機材もなく、すべてが人間による伝聞の口頭で、あるいは書き写しの手書きで、広められてきたものだから。――まあそれも、伝承の面白いところなわけだけど」


 “脱線事故”の多さで有名なこの古典教諭、名前を萩野祈子はぎののりこという。

 この祈子教諭、常にはこれが天職とばかりに熱心に古典文学の授業を展開しているのだが、隙あらば高校教育、ましてや大学受験にはとうてい必要ないようなマニアックな知識をかくのごとく披露しはじめるのだ。


 とりたてて古典に興味のある学生は決して多くはないし、単位を取ることがすべての生徒たちからしてみれば、この時間は単なる休息、あるいは提出物などの必須案件を駆逐する時間にしかならない。

 和雲わくの左隣、そして前の席でも、開いたままの古典の教科書とノートの上に期限間近の数学の課題を開き、内職作業に勤しみ始めているのが見受けられた。


 そんな生徒たちのやれやれ感・・・・・をまったく気に留めることもなく、祈子は穏やかな口調にほんのり熱を込めて、彼女の胸にある思いの丈を語り続けるのに忙しい。


「先生の大好きな百人一首を編纂した藤原定家ふじわらのていか


 もはや、和雲にとってもおなじみになってしまった平安の大歌人の名前を、祈子は今日も持ち出してきた。


「この藤原定家にも、死後に人ならざるものとなってこの世に残り続けたという伝説があるんです。それは文学ではなく古典芸能、能の演目となって、今も語り継がれています」


 おもむろにチョークを手に持って、祈子は“定家葛ていかかずら”と黒板に板書を施した。


「定家は和歌集を数多く編纂した大歌人ですが、日記や和歌うたの分析本、それから、自伝的――というか、自分をかっこよくアレンジして主役にしたような夢小説みたいなものを書いているんです。とても生真面目で神経質で、雅に対する拘りが強くて気むずかし~い印象の人だけど、そういうお茶目で遊び心のある一面もあったということですね」


 祈子は再びチョークをケースに戻し、生徒たちの方に向き直って――いや正確には単に前を向いただけで生徒らに語りかけているわけではなさそうだが――くすりと微笑んだ。

 和雲は頬杖をついてその声に聞き入りつつ、傾いた視界にその白いブラウス姿を映しながら、わずかに目を細めた。






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