高天原中学オカルト部 月の夜のけもののはなし

藤村灯

第1話

 高天原たかまがはら中学オカルト部、部員二号巌須弥いわお しゅみ。ぼくは今、ほこりを被った過去の記憶をかき回し、とても大事な一つの言葉を掘り起こそうとしている。


「どうした、神頼みなどいつもしておるじゃろ? 悩むこともあるまい。何でも言うてみい」


 巫女装束をまとい、薄化粧を施した、幼い白髪の少女が微笑みかける。


 部長であり、幼なじみでもある武美たけみののかは、今にも願い事を口にしかけては、思い直すのを繰り返している。


 部員三号のリュドミラ・イリッチは、そんなののかと、少女の頭の上の尖った耳と、装束の裾からのぞくふわふわの尻尾を、心配そうな目で見くらべている。


『満月の夜に行きあったけものを、家に入れてはいけないよ』


 ののかの祖父の龍彦さんが、ぼくたちにそう言い含めた理由は、どんなものだったろうか。それが神様だからか、それとも災いをもたらす存在だからか。


            §


 連休を利用して、ぼくたちオカルト部は合宿をすることになった。場所は郊外にある、ののかの父方の祖母の家。持ち山の裾にあり、周囲を田畑に囲まれている。代掻しろかきを終えたこの時期は、夜にはうるさいくらいのかえるの鳴き声が聞こえてくる。蚊が多くなる前のこの時期が、ぼくは一番好きだ。


「晴れてよかったねえ、しゅみちゃん。……まだぐずってるの? なんで?」


 荷物をおろし、ひと息ついたぼくを、ののかがのぞき込む。


「ぐずってたんじゃなくてしぶってたの! 親睦会しんぼくかいも兼ねてって話だけど、ののかとぼくとは今更いまさらだろ? 女の子同士、リュドミラとふたりでお泊り会でもすればいいのに」

「しゅみちゃんも部員でしょ? あれ……もしかして恥ずかしがってる?」


 リュドミラはあいまいな笑みを浮かべ、ぼくたちを眺めている。恥ずかしいのはこの状況なんだけど。


「いっしょにお風呂に入ったり、一つのふとんで寝る仲なのに、それこそいまさらだよー」

「幾つの頃の話だよ! リュドミラに誤解されるじゃないか!」


 今回の泊りの話は、ののかの両親だけでなく、うちの両親も快諾かいだく。男女七歳にして席を同じゅうせずとまではいかなくても、中学にもなって扱いが変わらないのはおかしいんじゃないか。


「ほんとに仲がいいのね」


 からかうような口調でうなづくリュドミラ。目が笑ってるから、ズレてるのはののかの方だって分かってくれてるみたいだけど、どうにも居心地が悪い。



 ののかの祖母である時子さんが、一人で住むこの古い家屋には、亡くなった祖父の龍彦さんののこした物がたくさんある。書斎には本だけでなく、放浪癖ほうろうへきのあった龍彦さんが各地で手に入れた珍しい品々が、そのままの状態で保存されている。広い敷地内に立つ蔵には、さらに多くの価値も定かではない雑多な品物が収められ、龍彦さんのお気に入りの孫娘だったののかは、それらの品を自由に扱うことを、時子さんに許されている。


「すごい……これも本物?」


 初めて龍彦さんの部屋に足を踏み入れたリュドミラは、アンモナイトの化石や紫水晶の原石に目を丸くしている。本物ではあるだろうけど、金銭的な価値は高くは無いはずだ。


「そうだよ~。いわくつきの品も混じってるかもだから、リューダちゃん気を付けてね~」


 本物の子供ほどの大きさのある、球体関節の少女人形を抱きかかえ操って見せながら、ののかはおどけてみせた。その人形こそ、なんとかっていう高名な人形師が造った曰く付きの人形じゃなかったか。龍彦さんは「仕舞い込むより、手にして遊んでやるくらいの方が、人形も本望だろう」とは言っていたけど。


「でもののか、合宿したいなら部員を集めて、正式な部になるよう申請するのも良いんじゃないかな?」


 ののかは人形を抱いたままきょとんとした表情を浮かべている。もともとこの部は、ぼくがののかの酔狂すいきょうに付き合っているだけのお遊びだった。けれど、リュドミラを迎えた以上、公認を目指すのも悪くはないんじゃないか。ふたりとも、どちらかと言えばクラスで浮くタイプだと思うし。


「あとふたりでしょー? それも良いけど、文化祭で展示発表しなきゃだしなー」

「確かに。漫研も認められないうちの学校じゃあ、スカイフィッシュやUFOの写真展示は許可が下りないかもな」


 部費や顧問の後ろ盾が出来る代わりに、教師受けする民俗学のフィールドワークっぽい活動をメインにする必要も出てくる。ののかの望むことが出来なくなるのなら、本末転倒か。


「でも、そういうネタもなくもないよ。えーっと、たとえばこれ」


 ののかが龍彦さんのノートをパラパラめくり、一項を指し示す。そこには簡単な地図と、おやしろのイラストが描かれていた。


「なになに、山中の社? だめだよののか。これ、2度目は辿り着けなかったって話じゃん!」

「でも、この裏山のはなしだよ?」


 目を輝かせ、ののかはぼくとリュドミラを見やる。だめだこれ、提案じゃなくもう行くつもりの目だ。



「ののか、そろそろ帰らないと日が落ちてきた」


 残念ながら、探索は不発に終わった。そもそもが、辿り着けない社の話なのだから、これが正しい結末なのかもしれないが。


 春とはいえ、寒暖の差が激しい。途中迷い掛けてしまったせいで、遅くなってしまった。山中ということもあり、すでに暗くなっている。山歩きなので長袖の上着を羽織ってきたが、薄手のカーディガンのリュドミラは腕を抱えてさすっている。


「大丈夫? 帰り道はもう分かってるから安心して」

「……ありがとう」


 ぼくが上着を掛けてあげると、リュドミラはわずかな戸惑いのあとほほ笑んだ。

 吸血鬼騒動の時にぼくが疑って掛かったせいで、リュドミラはののかに比べぼくに対して距離をとっている節がある。細かいところで挽回ばんかいしておかないと。


「しゅみちゃん、わたしには!?」

「ののかは腰に上着巻いてるだろ? それを羽織りなよ!?」


 上着を羽織ることなく不満そうに唇を尖らせるののか。なんだ、寒いんじゃなかったの?


 山道を抜け、両脇に田んぼが続く農道に入った頃、月に照らされた道のまん中に、うずくまる影が見えた。


「いぬだ!」


 声を掛ける間もなく駆け出したののかは、うずくまっていたそれを抱き上げた。


 こいぬ……か?


 白いふわふわの毛皮を持つけもの。


「だめだよののか、それはきつねだ」


 真っ白の毛皮は珍しい。さすがにエキノコックスはないだろうけど、噛まれたり引っ掻かれでもしたら大変だ。


「でもこの子、怪我してるよ」


 大人しくされるがままになっているこぎつねの、右の後ろ脚に血がにじんでいる。上着でこぎつねを包んだののかは、もうすっかり連れ帰るつもりだろう。ののかが家で飼っているねこの虎太郎こたろうも、時子さんの家で飼われていたいぬの来迎丸らいごうまるも、ののかが拾って来たものだ。来迎丸は、去年老衰で死んでしまったが。


「噛まない?」

「だいじょうぶだよー」


 興味津々でのぞき込むリュドミラ。ここで置いていくよう強く言っても、ぼくが悪者になるだけだ。


「仕方ない。手当てするだけだよ」


 ぼくの同意を待たず、女の子たちはこぎつねを囲んで歩き出している。


 やれやれ。


 ふと、先ほどからあった違和感の正体に思い当たった。

 かえるの鳴き声も、虫の音も聞こえてこない。


 空を見上げ、もう一つ気付いたことがある。

 今夜は満月だ。



 ぼくたちの遅い帰りを心配していた時子さんには、少しばかり叱られた。

 夕食を済ませ片づけを手伝った後、救急箱と残り物を持って、こぎつねを隠した蔵へ向かった。


「満月の夜に行きあったけものを家に入れちゃいけないってはなしでしょ。おぼえてるよ」


 龍彦さんに聞かされた話は、ののかも覚えていた。


「でもここ家じゃないし。だいじょうぶでしょ?」


 脚に包帯を巻かれ、少しだけミルクを飲んだこぎつねは、ののかの腕の中で目を閉じている。


「そういう話じゃなくて。何か悪いことが起きるって話じゃなかったっけ?」


 龍彦さんが話してくれる昔話や言い伝えの中には、凄みのあるものも多かった。よく覚えていないのは、怖い話だったからじゃないのか?


狼憑おおかみつきとか、吸血鬼みたいなはなしってこと? わたしもお母さんに、黒い犬とか妖精の楽団と行きあうお話は聞いたことあるけど、勇気を持って対処すれば切り抜けられたり、宝物を手に入れたりする内容だったよ?」

「そ、そうだね。良いことしてるんだから、悪い結末のはずないね」


 こぎつねの頭を撫でるリュドミラは、ふと思い出したように付け足した。


「悪魔が化けてた黒猫を連れ帰って、司祭さまの忠告がなければ危なくとり殺される所だったってお話もあったかな」

「ちょっとまって、それダメじゃん!?」



 結局、同じ屋内に入れないし、明日一番で山に返しに行くということで何も起こらないだろうという結論に達した。

 畳敷きの客間にひとり通されたぼくは、ふとんに入ってもなかなか寝付けずにいた。


 ののかとリュドミラのあとに入るお風呂に妙にどぎまぎしたせいばかりではない。夜行やぎょうさんや狐の嫁入り。龍彦さんの話を思い出せないままでいると、どうにも怖いほうにばかり想像が向かう。


禁忌きんきなんだから、やっぱり悪いことなんだろうな」


 時折、女の子たちの笑い声が聞こえてくる。ゲームでもしているのか、それとも打ち明けばなしか。

 想像が悶々もんもんとした内容にすり替わり掛け、ぼくは慌ててふとんを被って固く目を閉じた。


            §


「世話になったな。つまらぬものに行きおうて、思いもよらず難儀なんぎしておった。本当に助かった」

「いえいえ。それほどでもー」


 月の光が照らす板間。円座に座ったパジャマ姿のののかが、対面に座る巫女姿の少女の言葉に頭を掻く。


「???」

そろったか。おぬしは捨て置くように言っておったようにも思うが、まあよい」


 切れ長の目を細め、少女はふんと鼻を鳴らした。

 10歳になるかならないかくらいの姿なのに、妙に時代がかった言葉遣い。それよりも、ぴこぴこ動く頭の上の尖った耳と、おしりで揺れるふさふさの尻尾が気にかかる。


 ののかの向こうに座っていたリュドミラが、座ったままじりじりといざり、口元を隠してぼくに話しかける。


「これは……夢なの?」


 状況を受け入れている様子のののかと違い、青い瞳に困惑の色が浮かんでいる。


「てっきり夢かと思ったんだけど……」


 巫女装束の少女は、円座から立ちあがる。緋袴ひばかまの裾からのぞく足首に、下手くそに巻かれた包帯が見えた。


「さて、おぬしらには何か礼をせねばな。それぞれ申してみよ」

「それじゃあわたしは――」

「わー!!?」


 手を挙げ、元気よく何かを言いかけたののかを、リュドミラと二人がかりで抑え込む。


「むー? むー!?」

『待ちなよののか! 龍彦さんの話の結末、思い出したのか?』

『そうだよ。ここはもっと慎重に行動しないと!』


 少女はいきなり動いたぼくたちにびくりと身をすくめたが、こんこんと咳ばらいをすると、腰を手にしっぽを振って見せた。


「わらわも礼もなしに帰るわけにはいかんのでな。ほれ、言うてみい」


『わたしたち悪いことしてないから、だいじょうぶだよー?』


 ののかのなかではそうなんだろう。けれど、行きあうこと自体が災いをもたらすモノはいくらでも存在する。ミサキのたぐいに、くびれ鬼やひだる神。目の前の少女がそうでないとは限らない。


「どうした、神頼みなどいつもしておるじゃろ? 悩むこともあるまい。何でも言うてみい」


 悪いものではないようにも思う。けれど、リスクが測れない以上、ののかに何かを選ばせるわけにはいかない。


「そうか。おそれ多くて口に出せんか。ならばわらわが選んでやろう」


 少女の紅をさした唇がつり上がる。


 ぼくとリュドミラに抑え付けられたののかの前に、ほかほかの肉まんが積み上がった。


「ごーごーいち!!?」


 あっけにとられるぼくたちに構わず、ののかは肉まんに手をのばす。


「そなたは……これか?」


 リュドミラの前には、夏用の室内スリッパ。


「え……あー、そろそろ買わないとって、ずっと考えてたけど……」


 これは何だ?


 願いを告げようとしないぼくたちにじれて、欲しがってるものを読んで見せたってことなのか?


「おぬしは――ふん」


 緊張の糸が切れ、拍子抜けしていたぼくを見下ろすと、巫女姿の少女は意地わるそうに鼻を鳴らしてみせた。


            §


 障子しょうじごしに差し込む朝日で目がさめた。

 何かすごくおかしな夢を見ていた気がする。ののかとリュドミラが出てきたような――


 眠りにつくまえ、同じ屋根の下で女の子たちと眠ることを意識していたからかもしれない。少し気まずかったが、何気ないふうを装い、時子さんの用意してくれた朝食を摂った。


 食事のあと、ののかは急いで蔵へ向かったが、こぎつねの姿は無かった。


「隙間を見付けて逃げ出したんだよ。野生動物だしね」

「うん……ケガ、だいじょうぶかな……」


 リュドミラのなぐさめにもしょんぼりしたままのののかだったが、宅配便を受け取っていた時子さんの呼ぶ声に顔を輝かせた。


「ののちゃん、大阪のおじさんが肉まん送ってくれたわよ!」

「やったーーっ!!」


 思わずリュドミラと顔を見合わせ、ぼくたちは同じ夢を見ていたことを悟った。


 帰り際、礼儀正しく家事の手伝いもそつなくこなしたリュドミラに、時子さんはお土産を持たせた。


「そんな、お世話になったほうなのに……悪いです」

「いいのよ。頂き物だけど、おばあちゃん一人じゃ使い切れないからね」


 百貨店の手提げ袋に詰められたのは、スリッパのセットとタオルの詰め合わせ。


「龍彦さんが言ったのは、鬼神は敬して遠ざけよという類のことじゃないかと思うの」


 複雑な表情で手提げ袋をのぞき込みながら、リュドミラは言う。


「捕まえるなんて論外。積極的に係るべきものじゃないんだろうけど、怪我をしているのを見捨ててもさわりがあったかも。自然に正解を選べたののかちゃんは、やっぱりすごいな」

「願いごとも、欲張ってたら痛い目にあってたかもしれないってこと? あれ……でも、それじゃあ、ぼくの分は?」


 リュドミラは、少し考えるそぶりのあと、悪戯っぽくほほ笑んだ。


「もう叶ってるってことじゃない?」

「みんな待ってー! 待ちきれないから、肉まん食べてから帰ろうよー!」


 家の奥から、ぼくたちを呼ぶののかの声が響いた。

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