第8章ー3 量子コンピューター研究開発機構のソルジャー

 孝一は右拳を真田の左肩に打ち込み、体ごと押し出す。3歩程たたらを踏んでから体勢を立て直し、右前蹴りを左膝裏に叩き込む。右足を地面に戻すと、その勢いを利用して真田の背中に頭突きを入れる。しかし、真田の足の位置すら動かず、下半身は揺るぎない。

 一旦バックステップという名の後退をしてから、顔の前に腕を十字にして翳し体当たりを敢行する。真田は左脚を引き、振り返りざまに左腕で孝一の上半身を巻き込み、体当たりを受け流した。孝一は地面に倒れ込み、膝どころか腹這いになった。

 真田から距離をとるよう前方へと回転して退避するでなく、その場で孝一は立ち上がった。

 格闘技のセンスが、孝一には1ミリグラムすら存在しないようだ。

 真田への孝一の攻撃を正確に表現すると、次のようになる。

 孝一の最初の一撃は、右のパンチだった。パンチというのはストレートやフック、アッパー、正拳突きなど多種多様に存在する。孝一の放ったパンチの名は・・・振りかぶり突進お子様パンチだろうか? 運動能力の低い格闘技経験のない子供がケンカで使うパンチだった。

 孝一の右前蹴りは上半身も前に出て、へっぴり腰になっていた。真田の膝裏に当たった衝撃でバランスを崩し、右脚の下にある地面へと、そのまま足を置き前のめりになったから頭突きのような形になったのだ。

 体勢を立て直すため後ろに下がった孝一は、何も考えずに顔だけガードして体当たりを敢行した。

 ケンカや格闘技の経験があれば、一旦間をおいて仕切り直す場面だ。相手が間を置かず攻撃してきた際は、防御をしながら隙を窺うか、カウンターを狙うしかない。

 そんな状況に陥っていたにもかかわらず、孝一は万歳アタック・・・正確には腕をクロスさせていたが・・・を仕掛け、地面にうつ伏せに倒れ込んだ。

 真田が本気なら避けずらい胴体へ、サッカーボールキックか踏みつけ攻撃をお見舞いする場面だ。

「あーっと・・・そういえば、役割分担があったけな。忘れるとこだったぜ」

「自分の攻撃は、まだまだ距離があんじゃん」

 孝一の言う通り、歩道橋の中央付近にまでしか至っていない。

 ここ2~3日発揮されることのなかった大人の余裕で、孝一のプライドを気遣いながら、真田は方針転換を告げる。

「オレは肉体労働。キミは頭脳労働。そういう役割分担だったよな? 孝一君は、人工知能の攻略に全精力を傾けるべきだろ。今この瞬間も、キミの頭脳は第二次サイバー世界大戦から、人類を救うために使うんだ。オレがキミの肉壁になってやるぜ」

「最初っから肉壁が役目じゃんかよ」

 嫌味を言って少しは気が晴れたのか、険のとれた顔つきになっていた。そして、一言多く呟く。

「・・・ようやく肉壁だって自覚したんだ」

 全くもって生意気な・・・。

 そういえば、香奈ちゃんが孝一君の学校のことを教えてくれたな。

 神奈川県下随一の基礎体力と運動能力のない集団。しかし、地頭の良さと柔軟な思考の優秀な頭脳集団。孝一君は、そんな生徒が集まった理科系の高校に通っている。孝一君から、その高校で平均ぐらいの運動能力と聞いて、大して期待してなかった。

 ここまで低いとは想定外だった。

「もし襲われたら亀になるんだ」 

「亀?」

「しゃがんで、顔を膝にうずめ、頭は両手で護る。そうすれば、大抵の攻撃をダイプロが防いでくれる」

 ダイラタンシーとは、液体と固体の粉末粒子の混合物の流体である。この流体に外力が加えられ圧縮されて粒子の隙間がなくなった状態に、さらに大きな力を加えると、固体のような抵抗を示す状態に移行する。しかし、外力がなくなると液体の状態に戻るのた。

 ”ダイプロ”とはダイラタンシー現象を利用したプロテクターのことで、普通の動作の邪魔にはならない。空手大会の防具として使われているものもある。特に門倉の用意したインナー・ダイプロは、自衛隊で採用されていて防御力が高いにもかかわらず、素早い動きを全く阻害しない。

「その間に、オレは肉壁でなくファイアウォールとなって敵の脅威を排除してやるぜ」

 拳を軽く握りボクシングのファイティングポーズを取ると、真田は体の捻りつつ右拳を突き出し腕が伸びきる寸前で拳を握り込む。同じスピードで腕を引き戻し、右上半身を後ろ逸らし左前蹴りを中段に放つ。

 左足を少し前の地面へ踏み込むと、右に溜めた脚力を解き放ち、重心を左脚へと移しながら更に力を加え、速度を上げた飛び右膝蹴りをみせた。身長190センチメートルぐらいの顔に直撃できるぐらいの高さに、威力のある右膝が届く。相手がいれば、両手で頭を挟みこみ髪の毛を引っ掴んで、右膝へと誘うところだ。

 真田は敢えて孝一と同じような攻撃を実演し、実力の差をみせつけたのだった。

 孝一は自分の動きを動画とかで客観的にみれなくとも、圧倒的な差があるとは理解できたようで、渋々と首肯する。

「ふんっ、やるじゃん。危なくなったら、大人しく亀ってるよ。でっ、どうすんの?」

 孝一の少しだけ前向きな質問に、真田が亀の防御姿勢を実演する。

「うわっ、みっともないじゃん。その体勢」

「天秤の片方には命が掛かってるんだぜ。周囲の視線なんか気にすんな。ほら、やってみろよ」

 嫌々ながらも孝一は亀の防御姿勢をしてみる。

 その姿勢を真田は手で細かく修正し、見事に亀な防御姿勢が出来上がった。孝一に素早く亀の姿勢がとれるよう歩きながら何度か練習し、その都度真田が細かな修正を入れた。

 他人のいない歩道橋の上で、真田と孝一は怪しい動きをしながら歩いていたが、他人の目はあった。陸上自衛隊サイバー作戦隊の隊員達からの変り者を見る優しい眼差しが・・・。

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