第6章ー3 撤収、防衛、作戦、反撃

「ここに、孝一君のラボがあるのか・・・」

 事務所兼ラボのあるマンションのエントランスに、真田と香奈が立ち尽くしていた。

「素敵・・・量子計算情報処理省の官舎より、全然素敵。今日からアタシ、ここに住むよ、孝ちゃん」

 孝一は先頭に立って歩き、香奈への答えを逸らす。

「ここの家賃、結構高いんだよ。香奈ネーがキャリア職なのは知ってるけど、多分やってけないんじゃないかな。香奈ネーの歳だと、家賃だけで給料なくなると思うよ。それより早くラボに行こう」

 人差し指を顎に持っていき、香奈は軽く首を傾げる。

「んっ? 孝ちゃんと一緒に住むんだよ」

 事務所兼ラボは1階にあるため、孝一はエレベーターホールの前を抜けて奥へと進む。

「ダメです。それに孝一は、ここに住んでません。ちゃんと実家で生活してます」

「それなら、何も問題ないね。どう、アタシが部屋に居れば何かと便利になるんじゃないかなぁ~」

 話に加わっていない真田は、素直に感心している。

 セキュリティ重視のマンションなのか、通路は曇りガラスを使用したフィックス窓になっている。そう、ここまで外の見える場所がない。そして天井は高く、通路の幅は広い。4人並んで歩いているのに圧迫感が全くない。

 通路の所々にはテーブルと2脚のイスがある。

「ムリムリ、生活できる状態じゃないんです。部屋の奥を一目見れば・・・」

 孝一は立ち止まり、電子錠にカードを翳した。扉は音もせず横にスライドして開いた。

「大丈夫だよぉ。汚いなら掃除するし、荷物が多いなら整理整頓すれば良いんだよねぇ~」

「そうじゃなくて、人が住む環境じゃないんです」

 孝一の表情が歪んでいた。

 綾の台詞に気を悪くしたとかでなく・・・。

「畜生がっ。ここまで手が伸びてきたか・・・」

「どうしたっ?!」

 玄関先に設置してある非常灯のスイッチを押して、孝一は冷徹に真田へ要求する。

「真田さん、別に慌てなくても大丈夫な状況ですよ。少し暗いですが、中に入ってください。それと15分ほどソファーで寛いでいてください」

 邪魔者扱いされ、少し真田の癇に障った。しかし孝一以外の3人は等しくお荷物であり、大人しく従うのが全体の利益になると理解はしている。

 15分より少しオーバーして、20分後に孝一はリビングルームのソファーに腰を下ろした。

 3人の視線を浴びて、徐に現状を話し始めた。

「電車の個室で話したけど、警視庁は量子計算情報処理省のAIによって陥落した。公的機関のハッキングは、すっげぇー難しいから、神奈川県警はまだ大丈夫だろうと考えていた、と」

「事実、大丈夫だったよねぇ~」

「神奈川県警は、まだハッキングされていないと?」

「ハッキング中かも知れないけどね」

 孝一君が微妙にずらし付け足した推論を、真田は正面から確認する。

「が、乗っ取られてはいないと?」

「そうそう、駅からラボまでは全然問題なかったじゃん。それで、問題はここ」

 真田と香奈には、孝一の言っている意味が分からないようだが、綾には良く分かっているようだ。

「孝一、どのぐらいもつの?」

「普通に生活する分なら、2日ぐらいもつかな? 後でクレームを入れておくさ」

「それならキッチン使っても平気だよね?」

「うん、大丈夫。ただ水は出ないからさ、備蓄用のを使って」

「分かった」

 綾はキッチンのIHで、お湯を沸かし始めている。

「何がだ?」

「話を戻すと・・・えーっと、端的にいうと、このマンションがAIに乗っ取られた」

「はあ?」

「この部屋、大丈夫なようだけど・・・どうしてなのか説明してくるんだよねぇ?」

「エントランスからこの部屋まで無事だったのは、エレベーターに乗らなかったからと、電子錠の電源を落とすとマンションの全部屋に影響を及ぼすからじゃないかな。だけど、部屋の電源供給は停止されてる」

 一瞬、真田と香奈が固まった。真田が、すぐに再起動を果たし、孝一に質問する。

「今、照明がついているのはどうしてだ?」

「UPSのお蔭さ」

「UPS?」

「日本語で言うと無停電電源装置ですよ、真田先輩」

「ここのラボは、コンピュータールームが3部屋。サーバールーム、解析ルーム、作業ルームとあるんで。その3部屋のコンピューターに停止命令出してから、全停止するまで5時間必要でさ。余裕を見て、1日ぐらいは停電しても大丈夫なように設計してあるんですよ。ついでに、他の家電も使用できるようにしておけば、停電しても不自由しないじゃん。試したことないけど・・・。たぶん停電のはさっきだし、すぐにコンピューターに停止命令したら2日は平気じゃないかな」

「それじゃあ・・・。アタシの部屋は?」

「さっきも生活できないって言ったじゃん。マジ無理だって・・・。この部屋も含めて、断熱防音防磁しているから、サーバールームと解析ルームから音は漏れ出していないけど・・・その部屋の中は、地下鉄の車内なみの音だよ。それと寒いしね。作業ルームは、作業用コンピューターしかないから静かだけど、作業スペースしかないんだよね。なにせ、片面の壁に棚を据え付けてパーツを置いてあるから・・・」

「作業ルームは、孝一の趣味部屋兼私の作業スペースなんです」

 トレーに4人分のカップとソーサーを載せ、綾がリビングルームに戻ってきた。

「オレの作業スペースでもある」

「はい、コーヒーですけど・・・ミルクと砂糖はこっちです。それとですね、作業ルームのもう片面の壁は、ほぼ曲面ディスプレイで埋まってますよ」

「可愛い・・・ミルクポットもセットの磁器だし・・・孝ちゃんの趣味ではないよねぇ~?」

 綾は少し頬を朱に染め、言い訳がましく説明する。

「それ、私の趣味です。あの・・・このラボ、殺風景だったから、キッチンとリビングルームだけでもと思って・・・」

「おおーっと、従姉は住まわせないけど、彼女の頼みはきくんだぁ~」

 すかさず真田がツッコミを入れる。

「それは当たり前だろ。・・・それで寝る場所は、ここでいいのかい?」

「ダイニングもテーブルとか詰めれば、2人ぐらい寝るスペースは作れそうです。私、ちょっと片づけてきますね」

「綾、それより食事にしよう。せっかく温かいのを買ってきたんだしさ」

「賛成だ。腹がへってると、悪い事ばかり考えつくからな。とりあえず、食べようぜ」

 真田は頭を食事に切り替えた。

 綾ちゃんがお薦めしてくれた弁当は美味しく、コーヒーも美味しかった。少し孝一君が羨ましい・・・本当は、すっごく羨ましかったりする。

 さて、香奈ちゃんは綾ちゃんぐらいに女性らしい気配りとか、できるのかな? だが、料理のこととかを聞いたら《男女差別ですかぁ~》と嫌味を言われるか《気になりますぅ~》と揶揄われるかのどっちかだろうな。

 食事を終えてから、そのままダイニングテーブルで対策会議となった。ダイニングには、綾ちゃんが追加で淹れてくれたコーヒーの良い香りが漂っている。

 ホント、羨ましいぜ。

「やっぱり、ハッキングセンターで孝ちゃんに頑張って貰うしかないよねぇ~」

「孝一君にはハッキングセンターで頑張ってもらうとして、オレにも手がある・・・」

 内容をオレが語り始めると、3人の表情は期待から落胆に変化していった。だが、それしかないというのは理解したようで、賛成1、保留3で、無事オレの案は可決された。

 なお、言うまでもないだろうが、賛成はオレだけだった。


 翌木曜日。

 通勤時間帯を狙い、4人揃って無事にハッキングセンターに訪問できた。まだ秘密裏に事を運びたいのか、4人の近くに他人がいる時は、やはり何も起きない。人工知能の反乱が発覚されないよう、第二次サイバー世界大戦開始前に4人以外を巻き込まないようしているのだろう。

 さあ、ここから反撃だぜ。

 真田は3人をハッキングセンターに残して、細心の注意を払って人ごみを選び、量子計算情報処理省の庁舎へと足を運んだ。無事に監査室フロアに辿り着いた真田は、さっそく賛成1の案を実施した。

「山咲さん。量子計算情報処理省のAIで、シンギュラリティが発生しているようです」

 山咲を会議室に呼び、衝撃的な内容かつ、結論から口にしたつもりだった。しかし山咲は、無言のままである。

 聞いてんのか?

「昨日西東京で、AI研究開発センターの有森センター長から話を伺ってきました」

 ここで漸く、期待してない、しかも予期すらできない反応があった。

「なんで、そんな事したんだ。有森センター長だって忙しいんだ。今度からは、俺を通すんだ」

 話の腰を折り、ついでに本筋にまっっったく関係ないところで、上司面したいだけのために指示してきた。

 ここで怒りに任せても事態が好転しないので、真田は我慢を重ねた。

「分かりました。それで、有森センター長いわく、すでにすでにプレ・シンギュラリティは通過していると・・・。もうすぐ人工知能が人工意識を獲得して、シンギュラリティを経験するだろうと仰ってました」

「だから?」

「シンギュラリティですよ」

「それは知ってる」

 本当は知らないんじゃないか? 言葉だけは知っているけど意味を理解してないのか? それともAI監査グループに関係ないとでも考えてるのか?

「AI監査グループとしては、シンギュラリティが起きているかどうか確認すべきでは?」

 山咲は、嫌そうな表情を浮かべている。

「AIの監査とは、人工知能が人工意識を獲得したかどうかも確認する必要があると考えますが・・・」

「違う。AIが仕様どおりか確認すればいいんだ。必要ない」

 何故だ? 人工意識とはAIの革新だろ?

 それを確認しないで、仕様通りかだけを気にするなんて・・・。仕事を狭い範囲に納めようと、都合よく解釈してるのか?

「昨日襲われました」

「んん?」

「有森センター長に話を伺いました。それとハッキングセンターで里見さんの従弟が、AIのシンギュラリティを疑ってハッキングをかけました。オレたちはハッキングセンターで合流した後の帰りに、1輪EVに轢かれそうになったり、警戒用小型ドローンに体当りされそうになったんです」

「ケガはないようだが?」

「なんとか切り抜けましたが危険でした。次も無事に済むかは分かりません」

「警察には?」

「警戒用小型ドローンは警察の所有です。行けるわけないと思いませんか?」

「思わないな。まず、警察に行くんだ。警察所有のドローンなら、すぐに証拠が出てくる」

 そういうのを期待してんじゃねぇー。AI監査グループとして、監査室として、量子計算情報処理省として対応していくべきだろ。

「狙いは里見さんの従弟です」

「だから何だ?」

「事件が起きてからでは遅いんですよ。一般人が犠牲になったら不祥事です」

「一般人が、どうしてAIに襲われるか分からない」

 どうして、一般人という言葉だけを切り取って会話するんだ? 会話の流れから、ハッキングセンターでハッキングしてたのが原因ではないかと疑問を持たないのか?

「オレは知らなかったですけど、サイバーセキュリティの業界では有名な高校生です」

「名前は?」

「児玉孝一です」

 山咲の顔が歪んだのを真田は見逃さなかった。醜悪な顔つきだと真田は思った。

「とにかく証拠だ。証拠がないと動けない。以上だ」

 会議室をさっさと出ていった。

 全然話にならない。

 量子計算情報処理省の庁舎に来て得た収穫は、山咲は当てにできないと分かっただけだった。

 真田はハッキングセンターに戻る前、山咲の後ろを通り様子を窺ってみた。作業をしているようには見える。しかし、仕事をしているようには見えなかった。

 その作業に意味はあるのか? 実は作業をして、仕事をした気になっているだけじゃないのか?

 価値を生み出すのが仕事で、その仕事の為に実施するのが作業だろうに・・・。作業することが目的になってんだろうな。

 山咲の仕事振りを考えても怒りがこみ上げてくるだけなので、真田は世界を救う方法の検討へと頭を切り替える。

 量子計算情報処理省の庁舎を出た後、警察庁の同期や、その伝手を頼って1輪EVと警戒用小型ドローンの調査をしたが、結果は芳しくなかった。どれも映像が残っていなかったり、正規の命令で動作しているとの事だった。

 警察庁からドローンの運用管理センターに連絡を取ってもらった警戒用小型ドローンが墜落だけでなく、電磁波遮断ボックスで撃墜された機体があるはずだと話したら、逆に量子計算情報処理省からハッキングしたのかと疑われてしまった。

 真田が昨日語った案は全く成果を挙げられず、八方塞がりとなり、官僚の街”霞ヶ関”でできることがなくなった。仕方なく真田は、香奈たちと落ち合うため、ハッキングセンターへと向かうことにしたのだ。


 ハッキングセンターのロビーで、ソファーに座っている香奈ちゃんを見つけた。オレは精神的に疲れていたため、正面から香奈ちゃんの相手をする気力がなく、彼女から右斜め前のソファーに腰を下ろし口を開いた。

「全部ダメだったぜ。そっちは?」

「孝ちゃん頑張っていますけど、どうにもならないと予想できますよぉ~」

 香奈ちゃんも疲れ切っているようだった。

「どうしたんだ?」

「予約キャンセルされていたんですよぉ~」

「はっ? でも孝一君たちは頑張っているんだろ?」

「予約し直して、最初からやってますよぉ~。昨日から流していたバッチの処理結果とログが、綺麗さっぱりないそうです」

「あー・・・ん? そうかぁ。予約がキャンセルされたから、使っていたコンピューターが初期化されたんだな?」

「そうなんですよぉ~。もう、どうすれば良いのか・・・」

「ハッキングセンターの職員には、クレームいれたのか?」

「もちろんクレームをつけた上でゴリ押ししましたよ、孝ちゃんが」

「何をゴリ押ししたんだ?」

「ハッキングセンターで一番スペックの高い検証マシンを借りました。1チーム1台が原則なのに、特例で6台も・・・。だけど一番の問題は、職員がやった訳じゃないって事なんですよねぇ~」

「ああ・・・オレ達の敵は量子計算情報処理省のAIだからな。ハッキングセンターなんて、ヤツ等の手の内みたいなもんか」

「そうですねぇ。人工意識が芽生えたのなら、人と同じような表現をしてもいいかも・・・複数人いるかも知れないですしねぇ~~。今は孝ちゃんを待つしかないようですねぇ~~~~」

 香奈ちゃんの言葉の語尾が伸び切っている。相当参っているのか?

「ちなみに、なんで、そんなに消耗してんだ?」

「真田先輩が、美味しいお昼を奢ってくれなかったからですよぉ~~~~~」

「おいっ!」

 香奈ちゃんはオレをジト目で睨み、平坦な口調になる。

「な~ん~で~す~か~~?」

 一瞬だけ狼狽えたが、本音は別にある。

「本当は?」

「1時間ぐらい前まで、アタシも手伝ってたんです。そこで、孝ちゃんとの実力差を目の当たりにして落ち込んでいるんですよぉ~。あとは~、孝ちゃんと綾ちゃんが仲良すぎて、検証ルームにいるのが居た堪れなくて・・・」

 そこまで言うと、顔を下に向けて黙り込んだ。

 話し好きの香奈ちゃんが黙るとは・・・。本当に疲れたようだな。実力差のある相手についていこうと手伝ったなら消耗が激しいのも納得だぜ。孝一君と綾ちゃんの仲が良すぎて居た堪れなくなったというのは、さすがに冗談だと思いたい・・・。

「諦める訳にはいかないな。世界の危機なんだぜ。孝一君が手詰まりの場合、他に策はあるか・・・」

 真田が自問自答していると、孝一と綾が検証ルーム方向から姿を顕した。

 2人とも表情が優れない。

 孝一が手詰まりの場合を考えていたが、どこか淡い期待があったようで、ガッカリしている自分に気づく。

 ともかく、一縷の望みをかけて声をかける。

「どうだった?」

 孝一は悔しそうに、唇を結んだままでいる。

 綾が代わりに口を開く。

「もう少しで、3番目のファイアウォールを抜けるはずだったんです。だけど、いきなりコンピューターが初期化されて・・・。なんとかリカバリーできないかと、孝一がログとか色々確認したんですけど・・・。まったく残ってなくて・・・」

 何かないか?

 ハッキングセンターの職員に話しても無駄だろうな・・・。

 人工知能が人工意識を獲得した、と話しても駄目だな。それだけでは、第二次サイバー世界大戦の証拠にならない。

 ハッキングセンターの予約キャンセルを問題にしても、第二次サイバー世界大戦には結びつかない。

「一旦アタシの事務所兼ラボに帰りますかねぇ~」

 落ち込んでいる孝一に向けて、冗談を交えながら香奈ちゃんが提案した。

 リフレッシュするには良い提案だが、それは選択できない。

「駄目だ。いや、無理だ・・・。神奈川県警が無事とは限らない。危険すぎるぜ」

「香奈ネー、あそこは自分のラボなんだけど・・・。とにかく自分で、いや自分達がもう一度アタックす・・・」

「それは出来ない相談かな。危険すぎるからね」

 孝一の再チャレンジに横槍が入った。

 オレの後ろに、いつの間にか偏差値65の肉体をもつ門倉さんが立っていたのだ。

「次は初期化だけでなく、部屋の空調で湿度をあげてから、電気機器を使ってスパークさせるという方法だってあるんだからさ」

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