第5章ー1 中央統合情報処理研究所のセキュリティー

 日本全国20ヶ所にあるハッキングセンターから、TheWOCに接続できる。そして国内最大のハッキングセンターは、量子コンピューター博物館に併設されているのだ。

 真田は香奈たちとハッキングセンターに行くため、駅の改札口で待ち合わせしていた。

 無論、昨日のように北口改札から外には出なかった。

 一度体で味わった苦痛に対する学習成果は絶大である。改札口が見える涼しい駅構内で、オレは3人がくるのを瞠っていた。しかし、それは無駄な努力だった。

 駅前の喫茶店にいると、香奈ちゃんからのメールを受信したからだ。ご丁寧にも、待ち合わせ時間ジャストでだ。

 メールによると既に孝一君、綾ちゃんと合流していて、喫茶店でお茶をしているとのことだった。メールの添付ファイルには、北口改札から喫茶店までのマップ、店舗レイアウトの平面図、香奈ちゃん達の座っている場所が記載されていた。

 そして一番重要なメールの内容は、本文に記載されていた迎えに来いということだった。

 店舗レイアウトの平面図から予想だが、3人は個室にいるらしい。

 北口改札から徒歩3分で店につく。予想通り、店のメニュー表には、個室のチャージ料金の記載があった。

 喫茶店に入ってすぐのディスプレイに照合キーを読み込ませる。メール着信の直ぐ後、香奈ちゃんから部屋への入室照合キーも送られていたからだ。すぐに飲食店によくある通称”給仕ロボ”に部屋へと案内された。高さ1メートルぐらいのサービング&ナビゲート用の自動ロボットで標準的な普及タイプだった。

 入室すると2人は、和やかに食後のコーヒーブレイクを楽しんでいるようだ。

 互いに挨拶してから、真田は空いている香奈の席の隣に座り、注文したコーヒーが運ばれてくるまで黙っていた。

 2人は学校のこと、量子計算情報処理省のこと、日常のこと、等々を話している。話題の中心は孝一君だが、喋っているのは殆ど香奈ちゃんと綾ちゃんで、話が様々な方向に飛んでいっていた。孝一君は苦虫を噛み潰したような表情であった。

 2人の話が途切れ、香奈ちゃんはオレの存在を思い出したらしく、挨拶以降始めて話しかけてくる。

「今日の支払いは、孝ちゃんの会社の経費で落としてくれるって言ってますよ」

 いや、そんなことが聞きたい訳じゃない。

「孝一君の会社?」

 だが、興味をそそられる話題であったため、ついつい呟いてしまった。

「そう、孝ちゃんの会社ですよ~。高校生になってから、株式会社にしたんですって。株主2名、取締役社長1名、社員0名、アルバイト1名・・・」

「そんなんで会社組織作る必要ねーだろ。実質社長1人だけじゃないか」

「家から追い出されたんだから、仕方ないじゃん。結果的には会社を設立してイイことの方が多かったから・・・」

 話が逸れ始めてるぜ。

 本題に入るとしようか。

「香奈ちゃん、2人と今日の予定をすり合わせてくれたか?」

「孝ちゃんとは昨日、約1年ぶりに再会したんですよねぇ~」

「だから?」

「昨日は相談にのるだけで終わっちゃったから、今日は孝ちゃんと綾ちゃんの事とかをじっくり聞かせて貰ってましたぁ~」

「つまり、まだ何も話してないと?」

「おおーっと。真田先輩、私の話を理解してますぅ? 孝ちゃんと綾ちゃんの関係をじっくり聞いてたんですよ」

「だ・か・ら?」

「仕事の話なんてしている暇ありませんっ。今日は、綾ちゃんの話だけで終わっても悔いは残りませんともっ。いいえ、この話以上に価値のある話なんてありますかっ?」

 唖然とし、真田の表情が固まった。

 本気なのか?

 冗談か?

 香奈ちゃんとは、会ってから今日で3日目になる。

 理解するには短すぎる期間だが、目が本気というのは分かる。

 真田の思考は硬直し、どう説得すれば良いのか、全然考えが浮かばない。


 給仕ロボに運ばれきたコーヒーの香りで、真田の頭脳は再起動を果たしたようだ。コーヒーは真田の注文した商品であり、すべてのオーダーが揃った。

 呼ばない限り個室には給仕ロボも店員も来ない。

 ようやく本題に入れる状況になり、頭脳が働き出した真田は早速打ち合わせを始める。

「今日の予定をすり合わせておこう。世界の危機について話し合う方が、重要だし価値があるぜ。その為にハッキングセンターの予約も取ったんだろ」

「キャンセルも可能ですけど・・・仕方ないですねぇ~」

 香奈は一片の曇りもなき笑顔だったが、心では小雨が降っていた。

 やっぱりダメですかぁ~。

 余計なことしないよう止める方向でって、門倉さんから言われたんだけど・・・。

 門倉さん。アタシには荷が重いですよ~。

「リハーサルしてきたし、万全の状態だよ」

 孝一の発言に、綾が自信をのぞかせ、真田がヤル気をみせ、香奈が硬直した。

「孝一君、確認だ。AIでシンギュラリティが起こったかどうか、証明できるか?」

「公的機関を動かせるぐらいの証跡は集め・・・」

 香奈は硬直が解け、勢いよく2人の会話に口を挟む。

「待って! ちょっと待って・・・えーっと、孝ちゃん。一般人はTheWOCにアクセスできる経路が無いはずだけど、どういうことなのかなぁ? もしかして、セキュリティ契約を締結してる企業を踏み台にしたの? 量子計算情報処理省の職員には通報の義務があるから、さすがに庇ってあげられないよ。せめてアタシ達が通報する前に、自首してくれないかなぁ~。自首なら減刑されるしね」

 香奈の口調からは、いつもの余裕が失われていた。

 止める方向どころか、3人は法的な安全圏から抜け出していた。既にアタシも巻き込まれていて言い逃れできるか怪しくなっている。

 真田は事の重大性を理解しながらも、腑に落ちていない様子で香奈を宥めるように、ゆっくりと話しかける。

「まあ待て、香奈ちゃん。孝一君は第二次サイバー世界大戦の危機に立ち向かおうとしているんだぜ。孝一君が、世界の救世主になる可能性だってある。通報するにせよ。自首するにせよ。この危機が回避されてからでも構わないだろ」

「ハッキングセンターの端末から、リハーサルと同様の手口でAIにアクセスしたら、即バレますよ」

 真田は、すぐに回答を導き出す。

「孝一君、リハーサルと本番は別の内容にできないか? アドリブをいくつか入れて、孝一君だと知られないようにするんだ」

 そうですねぇ~。

 ・・・うんっ。アドリブを入れれば、大丈夫かも知れないですね。

 真田先輩の頭の回転の速さは、素直に凄いと関心します。

 本人に言うつもりは、全然ないですけど・・・。

 それにしても、奸智に長けるというか、悪知恵の類なんですよねぇ~。

 とりあえず香奈は胸をなで下ろした。そして安心した声で、真田の台詞に消極的な賛意を表する。

「何とかなりそうですねぇ~・・・」

 もしAIのシンギュラリティを確認できたら、孝ちゃんと検察の間で司法取引が成立するかも・・・。やっぱり、従弟を犯罪者にしたくないですしねぇ~。

「1週間以上かけてAIを調査して、最適化したリハーサル内容を変更するなんてムリ。それよりさ、どうして自分が犯罪者という前提で話が進んでるのか・・・AIをハッキングするのは、TheWOCと関係ないじゃんか」

 孝一は飄々とした口調で、真田の妥協案を完全拒否し、反論までしたのだ。

「おおーっと、孝ちゃん。TheWOCに接続しないで、AIのハッキングはできないよ。もしかして、第二次サイバー世界大戦は夢落ち・・・な訳ないか・・・」

 台詞の途中で孝一が、不機嫌な顔をして冷たい視線を送っているのに、香奈は気づいた。

 最後の希望を目一杯込めた台詞だったが、リアリストの孝ちゃんに限って、夢落ちはあり得ないよねぇ~。

 ・・・残念。

 綾が、孝一と香奈の間を取りなすように説明する。

「AIといっても、量子計算情報省のAIじゃないですよ」

「セキュリティチェックの契約を締結した企業を、踏み台にするようなマネは絶対にしない。サイバーセキュリティの業界は、契約以上に信頼が重要なんだよ」

「おいっ、他の企業のAIをハッキングしたっていうのか?」

「真田圭さん。自分はTheWOCに接続してない。それにリハーサルで利用したのは、量子計算情報省のAIじゃない。企業のAI・・・でもないと思うなぁあー?」

 最後で台詞が詰まり、弱気になった。そう感じさせる孝一の態度。

 しかし、香奈は知っている。孝一が相手の退路を断ってから、わざとフルネームで呼びムリヤリに話を聞かせる。そういう手口を多用するのだ。

 香奈は怜悧狡猾な孝一の罠だろうと判断して、様子見を決め込んだが、真田は自ら罠に飛び込んでいく。

「量子計算情報省のAIでリハーサルしていないなら、TheWOCを使用していないのは理解できる。だけどな。他の企業にハッキングしたのは頂けないぜっ! オレはキミたちを護る。しかし、孝一君が重要な事柄を秘密にしていると、護れるものも護れなくなるんだ」

 普通企業に対してのハッキングなら、日本全国をカバーする日本サイバーセキュリティ警察に出番ですよねぇ~。そんなに第二次サイバー世界大戦を自分で担当したいんですかね~? スタンドプレーは敵を作り味方を減らしますよ~。

 それに何故、安心安定安全の公務員の地位を自分自身で脅かそうとするのか?

 アタシには、さっぱり理解できませんねっ。

 真田の説得に、孝一は目に憐れみの色が浮かべ、ため息を吐き、ヤレヤレとのポーズまで決めた。

 おおーっと、真田先輩がイラっしてきているよ~。

 良い調子だよ。頑張れ、孝ちゃん。

 その嫌らしい蟻地獄のような手口で、真田先輩を罠に嵌め、怒らせると良いなぁ~~。

「定義や登録上は企業かもしんないけど、悪徳が接頭辞につくんだよね。それより2人して、もう忘れてる訳? 昨日じっくり説明したじゃん。量子計算情報処理省の汎用AIがダークネットワークを支配下に置いたって」

 ダメだよ、孝ちゃん。

 それじゃあ、単純な真田先輩がヤル気になるんだけど・・・。

「ネットには、ダークネットワーク・・・ダークウェブとダークAIが存在するって言ったじゃん。踏み台ノードを幾つ経由しようが・・・。パケット毎で、踏み台ノードを動的ランダムに選択しようが・・・。通信先のドメイン名が秘匿されていようが・・・。所詮はネットに繋がってる。アクセスは可能じゃん」

 方向修正のため、綾が口を挟んだ。

「孝一、話逸れてる」

 そして孝一に、そっと耳打ちする。

「後ね。・・・真田さん、きっと理解できてない」

 あぁ~。孝ちゃんには勿体ない程の、良い彼女だなぁ~。

 でも、今はアタシの敵ね。敵の弱点は遠慮なく攻撃しなくちゃね。

「真田先輩っ」

 香奈は真剣な表情で真田に声をかけ、社会人の基本を思い出せる言葉を紡ぐ。

「これは、山咲グループ長に相談した方が良い案件じゃないですかね。アタシが連絡を入れてみますねぇ~」

 報連相は社会人の基本。

 それに、理解できない話を聞かされる続けると、人は苦痛を感じる。

 孝一の話を理解できてない真田に、話を打ち切る口実を香奈が与えたのだ。

 香奈は早速連絡しようとメーラーを立ち上げた。

「まあ、待て。香奈ちゃんは理系だからか、人生経験の差なのかも知れないが、人を見る目がないな。ヤツに報せても時間の無駄にしかならないぜ」

 人を見る目があるから、山咲さんと極力会話しないようにするって言いましたよねっ!

 それに、孝ちゃんに対して怒りましょうよ。

 そして、話を打ち切りましょうよ。

「ヤツに報告するなら、明確なエビデンスと説得材料を得とかないと、なんだかんだと文句をつけて何もしないな。まずはオレ達が理解し、上申相手も慎重に見極めねば・・・」

 まぁ~ったく、その通りですよ。

 そういうとこじゃなく、違うとこに気づきましょうよ。

 真田は技術に疎いだけであって、組織の動かし方を良く知っているのだ。しかも警察庁出身だけあって、犯罪に対する嗅覚が一般人よりは鋭い。捜査員程ではないにしても・・・。

「リハーサルは、ダークAI相手にやってきたよ。汎用型はもちろん、学習型、推論型、ニューラルネットワーク型、進化的計算型。世の中に知られているAIは、全て試した。複数ダークウェブへの侵入も成功した。本当なら、ダークネットワークなんてクラッキングしたかったけど、量子計算情報処理省の人工知能に悟られないよう我慢したんだよ。とにかく、リハーサルは万全だと考えてる。通用するかどうかは、試してみないと分からない」

 あああああ~~。真田先輩の顔がヤル気から、ヤル気に満ち溢れて、拳が決意を表明しているよぉ~。

「時間はどのぐらい残されている?」

「分からない。でもウチと契約してる企業17社の内、11社が支配されてた。あまり時間は残されていないと思う」

「君の正義感、使命感は受け止めた。全力で協力するぜっ!」

 いやいやいやいや、違うんだよぉ~、真田先輩。

 孝ちゃんは正義感からでなく、サイバーネットワークの世界を荒れると、契約企業へのフォローが増えて大変になるからだし。第二次サイバー世界大戦になって、自分の生活が乱されるのが気に食わないだけだよ~。

 他人の生活を慮り、正義感を燃やしたからでなく、間違いなく自分自身の為だし。孝ちゃんの使命感の内訳は、打算と保身と報復で100%だからっ!

 しかし、香奈の心の声は真田に届かない。音声にして伝えても事態が好転する見込みもない。

 香奈が口を挟む隙間もなく、真田と孝一は意気投合して今日の予定のすり合わせ始めたのだ。

「綾ちゃん、アタシのオアシスになってぇ~」

「オアシス・・・?」

 綾は困惑の表情を浮かべた。

「・・・どうすれば?」

「孝ちゃんと綾ちゃんの馴れ初めから聞かせてぇ~~」

 綾は、困惑の度合いをさらに深めたのだ。

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