第2章ー前半 西東京
中央線快速の停車駅で電車を降り、真田圭は北口改札から外に出た。
「誰もいない」
まあ、待ち合わせ時間の20分前だから仕方ないか・・・。
現在8時40分。
しかし8月初旬の陽射しは強烈だった。駅舎の日陰に退避し直射日光は避けられたが、路面からの照り返しまでは遮れない。
オレとしたことがなぁ・・・。
日本最高のセキュリティを誇るという地下要塞の見学が楽しみ過ぎて、つい早くきてしまった。
電子の要塞だとは知ってた。昨日、物理的な意味でも要塞だと門倉さんから聞かされて、非常に興味をかきたてられている。
オレが人生設計を見直さねばならなくなったのは、地下要塞である西東京の存在を知らされた所為である。だが、思い悩んでいても時間の無駄だと、頭を切り替えることにした。
既に戻れない過去ばかりを考えると後悔ばかりの詰まらない人生になっちまう。それなら、これからの人生を、どう楽しむか考えた方が遥かに有意義で精神的に健全だ。
それでも、ここに到着して一つだけ後悔している。
改札口から出ないで、待ってるグループ員がいるかを確認すべきだったぜ。
そう改札内、駅の中であれば冷暖房が完備されていて、快適に過ごせた。
今や日本のどの駅舎でも、ほぼ密閉空間になっている。開いている場所は改札口と、電車が停車している時のホームドアだけだ。
考えながら歩いていたため、体に染み込んだ通勤の行動が自然に出てしまったようだ。
涼む為だけに定期区間外の駅に入って、入場料を払うのもバカらしいしな。今後の人生についてでも考えていればいいか・・・。取り敢えず人生の目的に変わりはない。しかし、達成する方法を変えざるを得ない。目標をどう設定するかだなぁー・・・。
15分ぐらい真剣に考えたが、一つも思いつかなかった。何と言っても、ここは暑すぎる。
そして、今は8時55分。待ち合わせ時間の5分前となっていた。
だが誰一人として姿がみえない。
5分前行動は社会人としての基本だ。そう基本行動だ。
それなのに誰も来ない。
イライラしつつも態度と表情には出さないよう気を付ける。
本当は、感情とは全く別の表情と態度を取れれば完璧なんだろうが・・・。
それが、上に立つ者には求められると、警察庁で教えられた。その域に達せられるよう精進している最中である。
そして警察庁で、5分前行動も叩き込まれた。遅刻は他人の時間を奪う行為だと・・・。
特に自分より上位の者・・・つまり自分より時間単価の高い者の時間を奪うのは、経済的損失が増大すると教えられた。
入庁から約4年の間で、5分前行動は完璧に身に付いていた。それも常に全力で働いた成果だと思う。
そして、常に正義とは何かを考え続けてきた。
「お待たせ、真田君」
後ろから門倉啓太の声が聞こえた。
振り向くと、門倉と里見香奈がゆっくり歩いてくる。
「いいえ、問題ないです」
なんとか不快な表情は見せず、平然とした口調で答えられた。
そこに香奈が魅力的な声で、可愛くない言葉をかけてくる。
「時間通りに来ましたよぉ~。真田先輩」
くっ、少しイラっとくるぜ。
確かに時間通りではあった。
だが、言い方・・・言い方ってぇもんが、あるんじゃねーかな?
そして香奈は真田のすぐ傍まで近づき、囁くように優しい言葉を口にする。
「それと暑い中を、お待たせ、し、ま、し、たっ」
ぐっ、可愛いじゃねーか・・・。
身長差の所為で、香奈は上目遣いにオレを見ている。
ラフィア素材のブレードキャスケットのツバを上げ、浅めに被り、流行りの服装で着飾っている。
香奈の仕草と服装に心臓の鼓動が跳ね上がり、動揺を隠すの精一杯で挨拶も返せなかった。
しかもギリギリ、ビジネスカジュアルとして通用しそうだ。オレ好みの服装で、絶妙なチョイスでもあった。
「これで揃ったね」
クールデブ? オレの斜め前に、白い半袖ワイシャツに黒っぽいスラックスを穿いた、クールビズ姿の爽やかなデブがいた。
太っていると、高確率で汗っかきだという偏見を持っている。
無論例外もあるのは知っているが・・・。
心の中で全国の体脂肪率高めの人と門倉さんに謝罪する。
《済みませんでしたぁー》
「えっ? ・・・山咲さんを待たなくて良いんですか?」
その済まない気持ちを全力で隠して、門倉に尋ねた。
「おおーっと、もしかしてAI監査グループ板で確認してないんですか?」
そういえば監査室に異動となった初日・・・というか昨日か。昨日の午前中にあったオリエンテーションで案内されてたっけなぁー。
グループ毎に、情報共有する掲示板があること。そこにはプッシュ通知がある。その機能は、時間帯や内容、居る場所によってはプッシュされないようにもできる。
また、グループ毎にカスタマイズする機能もあるから、ルールはグループ長に確認するようにとも。
あー、そういや色々と教えられたな。
オリエンテーション内容を走馬灯のように思い出す。
「今日山咲さんは、き~ませんよぉ~~」
香奈ちゃんの声で、真田は走馬灯の世界から脱出できた。
頭を切り替えたつもりだったが、相当ショックを受けてたようだ・・・。
「そうなのか? こんな面白そうなイベントなのに・・・。それに、昨日は行くつもりだったよな。なんでだ?」
「今日の8時15分にAI監査グループ板に入力がありましたよ。なんか、グループ運営のための申請等があるとか書いてありましたね~」
「ふーん、そうなんだ」
香奈ちゃんに生返事をしながら、目の端に見える門倉さんの表情が気になった。
「何か知ってるんですか?」
門倉に視線を向け尋ねてみた。
「昨日、業務時間内ギリギリに機密保持契約の文書をメールしたのさ。今日の朝8時半までに契約しないと、西東京の入館許可証を発行できないと記載してね。契約書は返送されてこなかったなぁー」
「あー、そうですかー」
全く気持ちのこもっていない声色になってしまった。だが、門倉さんと香奈ちゃんも呆れかえっている表情を隠していないので、問題ないんだろうな。
「それでは行こうか」
門倉は二人の返事も聞かず歩き始めた。香奈もそれに続く。
「あれ、そっちからだと遠回りでは?」
真田は門倉の背中に問いかけた。しかし門倉は歩みを止めず、惚けるような口調で話す。
「今は言えないかなぁ。話すに・・・」
門倉が不自然な間の取り方をしたあと、言葉を続けた。
「・・・相応しい場所で話すさ。さあ、行こう」
歩いているだけでは起こりえない微妙な動きを、門倉の背中がみせている。
なんとなく落ち着かないが、ついて行くしかないと真田が一歩を踏み出す。すると門倉が突然立ち止り、振り向いた。
「ここで待つことになった」
「はあっ、なんでだ?」
オレは、素の口調と言葉使いになってしまった。しかし門倉さんは、気にしてないようで、オレの質問に答えてくれる。
「あと30秒でね・・・迎えがくることになってしまったのさ」
微妙に理解が進まない。だが、一般人の耳目を集めない場所につけば、説明してくれるだろう。
だがら、今は黙ってついていくしかないのか・・・。
「今は言えないかなぁ。話すに・・・」
西東京への入口となるダミービルに入ったら説明しようと考えながら、門倉は真田に言った。
しかし話している最中、骨伝導イヤホンに着信があった。アドレス帳に登録されている人物であった為、音声で名前が案内される。
『星野良生から電話です』
訪問先のトップから掛かってきた電話を、無視する訳にはいかないんだろうねぇ。
仕方なく胸ポケットの中に入れてある、5センチ四方の超薄型無線ハブ”コネクト”を、右人差し指で軽く2回たたいた。
『やあやあ、カドくん。仕事が一段落したから外に出たとこなんだ。EVの車両データを送るからデータリンクしてくれっか』
後悔しつつもコネクトの中央を長押しして、通話している端末とのデータリンクを許可した。
そして門倉は、奇妙な間の後に台詞を続け真田を諭す。
「・・・相応しい場所で話すさ。さあ、行こう」
ゆっくりと、本当にゆっくりと歩き出す。
『おうおう。そりゃあ、ちょうど良いなー。その辺で待っててくれ』
やっぱりか・・・。本当に無視すれば良かった・・・。
お前と一緒にいたら、ボクが必要以上に目立っちゃうだろう・・・。
怒りで肩が震えそうになるのを全力で堪えながら、門倉はゆっくりと進んだ。しかしEV”電気自動車”に乗り込むには、道路に停車してもらうより、駅のロータリーに駐車してもらった方が良い。
タイミングの良いことに門倉たちは、ちょうど駅前ロータリーを通り過ぎようとしていたのだ。
「ここで待つことになった」
立ち止まって振り向き、門倉は2人に伝えた。
「はあっ、なんでだ?」
そうだろうねぇ。
ボクだってヨッシーの目的を知りたいさ。
全力で現実逃避をしたくなってきたなぁー・・・。
しかし現実逃避しても、問題は解決しない。とりあえず門倉は、真田の質問に答えるという現実に対応することにした。
「あと30秒でね・・・迎えがくることになってしまったのさ」
データリンクによりお互いの位置情報が共有された瞬間、EVが到着予定時刻を演算して、結果を返してきたのだ。
日本中の何処でも、準天頂衛星からの電波によって、居場所がミリ単位で測定可能である。また、日本中に張り巡らされたセンサーとEVのオートパイロットシステムから、精度の高い到着時刻が推測可能になっている。
そして門倉の言葉通り、30秒後にEVが停車した。
そのEVを眺めて、門倉は周りに気づかれないよう軽く溜め息を吐いた。
よりにもよって、西東京で一番ゴッツイEVで来やがった。
「カドくん、お待たせ。わざわざ来てやったけど、礼ならいらないぞ」
EVのドアが自動で開くと、気安い口調で話しかけてきやがった。運転席には、空気をワザと読まない同期の顔があった。
「ああっ! 仕事しろってぇーさっ・・・。やる事が山積みなんだろ、ヨッシー」
剣呑な口調で返しながらも、門倉は素直に助手席に乗り込む。形状記憶合金入りのシートベルトが、センサーで体を計測し自動的に体を固定する。
「おうともよ。仕事は一杯あるぞぉおお。・・・だけど手伝ってくれる人がきたら出迎えぐらいするだろ? キミ等も早く乗れって」
「えっとー・・・はい」
「は~い」
「ああっ、だからさぁ、あ」
険だけが含まれた門倉の声を、星野は1ミリたりとも動じずに聞き流した。そして3人が座るのを待ってから、オートパイロットシステムに量子コンピューター博物館行きを命じる。
「実行”発進、目的地、量子コンピューター博物館の登録職員駐車場”」
むろん西東京以外の場所では、オートパイロットシステムを起動させている。停止させていると道路交通法違反になるからだ。
事故が発生した際、どちらかがオートパイロットシステムを起動させていないと、起動していないEVが全責任を負うことになる。それは、たとえ相手EVの所為であったとしてもだ。というより、全EVがオートパイロットシステムを起動している状態において事故の発生は、ほぼあり得ない。
〈承知しました。量子コンピューター博物館の登録職員駐車場に向かいます〉
中性的な耳心地の良い音声ガイダンスの後、フロントガラスに周辺地図が映し出された。クールグラスと同様MLEDを使用して、AR”拡張現実”機能を提供している。
フロントガラスの左上には、到着予定342秒後と表示された。
「あの~・・・もしかして、星野所長ですか?」
後部座席から身を乗り出し、小首を傾げてるという器用さを里見は発揮した。
「そうそう、自己紹介しないといけないか」
星野は運転席を180度回転させた。それに門倉も続き、真田と里見と向い合せになった。
「中央統合情報処理研究所の所長をしててな。星野だ」
「AI監査グループの真田です」
「同じくAI監査グループの里見です。それで、門倉さんとは知り合いなんですか?」
「同期なんだ」
若干悪意のある笑みを浮かべ、星野は言葉を継ぐ。
「西東京にようこそ。今日1日は存分に楽しんでいってくれ。それと、AIの監査結果を期待している。面白い何かが発見されれば、AIの発展に貢献できるかも知れない」
「うん? 今日1日?」
「そうそう、今日1日だ」
真田が不思議そうな表情を浮かべている。
里見は表情を消している。
「地下ダンジョンは広くてねぇ・・・。移動手段としてダンジョン内には3輪のモーターチェアが用意されている。けれど物体の移動速度が時速8キロを超えると、その物体は閉じ込められる仕組みがあるのさ。説明しながらだと、要所要所だけの見学でも軽く1日は必要だね」
真田は不思議そうな表情から不可解な表情へと移行し、里見は無表情を通り越して顔が固まっていた。
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