第20話 再会と再開

「かれぇーーん!」


 名前を叫びながら道路に向かって駆け出す。持っていた鞄を地面に放り投げて。


「ぎゃあっ!?」


「やっと会えた!」


「ちょ、ちょっと…」


「ずっと捜してたんだから。見つけられて本当に良かった!」


「離れなさいよ! 暑い!」


 そのまま全速力でターゲットの元に突撃。コンビニの袋を携えている女の子に抱き付いた。


 頭を押さえて引き剥がされそうになるが必死に食らい付く。周りを行き交う通行人の目なんかまるで気にならなかった。


「い、いきなり何て事すんのよ。ビックリしたでしょうが!」


「悪い悪い、つい嬉しくなっちゃって」


 満足したところで離脱する。お叱りの声を耳に入れながら。


「はぁ、もう……まったく」


「華恋を捜しに来たんだよ。電車に乗ってこの街まで」


「どうして私がここにいるって分かったの? おじさん達に聞いたの?」


「うん、まぁ。それに…」


 夢で見たからなんて言って信じてもらえるだろうか。呆れられそうだったので言葉にするのはやめておいた。


「けどだからってわざわざ来る事ないじゃない。こんな遠い所まで」


「だって電話もメールも全部無視してきたじゃないか。連絡つかないから困ってたんだよ」


「それは仕方ないじゃん。雅人に会いたくなかったんだし」


「そ、そっか…」


 彼女の一言が胸に突き刺さる。予想していた内容とはいえ辛い。


「コンビニの帰り?」


「……ん。お腹空いたからご飯買いに来たの」


「へぇ…」


 話題を逸らすように持っていた袋に視線を移動。隙間からは弁当の一部が見えた。


「しかしまさか偶然バッタリ会っちゃうとはなぁ」


「……私だってビックリしたわよ。向こうにいるハズの雅人がこんな所にいるんだし」


「今なら宝くじ買えば当たるかもね」


「はいはい」


 2人して腰を下ろす。近くに設置されていたベンチに。


「黙っていなくなっちゃうしさ、旅行に行くハズなのに全然帰って来ないし」


「……そっか。本当なら今日行くハズだったんだよね」


「今からだと間に合わないなぁ、やっぱり」


「当たり前じゃん。ホテルだってもう解約しちゃってるんだもん」


「驚いたよ。予約が勝手に無くなってたから」


「ごめん…」


 彼女が申し訳なさそうに謝罪の言葉を放出。その声からは先程までの勢いが消えてしまっていた。


「いや、頭を下げないといけないのはこっちの方だよ。ごめんね」


「何で雅人が謝んのよ」


「華恋の事を裏切っちゃったから。あと約束破っちゃったし」


「約束?」


「無断で家を出て行ったのって僕に愛想を尽かしたから?」


「さぁ、どうでしょう」


 質問に対し意地悪な回答が返ってくる。はぐらかすような内容の台詞が。


「華恋が帰って来なくなってからいろいろ考えたんだよ」


「何を?」


「どうしたら戻って来てくれるのか。どうしたらまた一緒に暮らせるようになるかなって」


「ふ~ん…」


「それで1つの結論に辿り着いた訳さ」


「どんな?」


「もう他の女の子と2人っきりで遊んだりするのやめようって。華恋以外の子を好きになるのをやめようって」


「は!?」


 視界の中に存在している景色が神々しい。夕日に照らされた雲や海面が昼間とは違う色合いを生み出していた。


「でもそう考え直したとしても本人が戻って来てくれないと意味がないし」


「……え、え」


「やらかしちゃったなぁって思ったよ。久しぶりに大きく後悔したかな」


「ちょ、ちょっと待って!」


「ん?」


 呼び掛けられたので目線を横にズラす。口をパクパクと動かしている対話相手の方へと。


「ど、どういう事。アンタ、今なんて言った!? 私の事が好きって…」


「どういう事って、そのままの意味だけど」


「訳分かんない。なんで急にそういう話になるのよ!」


「そんな文句つけられても…」


 彼女が慌てふためいた様子を露呈。僅かだが怒りに似た感情も混ざっていた。


「もしかしてからかってるの?」


「どうしてそうなるのさ。騙すつもりなんかこれっぽっちも無いから」


「だっていきなりすぎて信じられないし…」


「それにもし嘘付いてたなら、わざわざこんな所まで来ないじゃん」


「……まぁ、確かに」


 驚く気持ちも分からなくもない。逆の立場だったなら自分も同じ事を考えるハズだから。


「じゃ、じゃあ雅人がここまで私を追っかけて来たのって…」


「迎えに来たんだよ。華恋の気持ちを受け止めようと思って」


「……そうなんだ」


 彼女が両手を太ももに挟む。頬を真っ赤にさせてモジモジし始めた。


「どうでしょう…」


「な、何がよ?」


「いや、だから……その」


「ん…」


 空気が気まずい。険悪でも和やかでもない微妙な雰囲気に変化。


「か、帰って来てくれないかな。こっちの家に」


「……うん」


「え?」


 問い掛けに対して小さな頷きが返ってくる。聞き取るのが難しいぐらいの微量な声が。


「か、帰って来て…」


「帰るわよ、ちゃんと。元からそのつもりだったんだし」


「本当!?」


「こっちには久しぶりに遊びに来ただけだから。それに…」


「ん?」


 語る彼女の言葉が途中で停止。黙って待っていたが続けて口にしたのは別の話題だった。


「ねぇ、さっきのって告白って事で良いの?」


「う~ん……かな。多分」


「ハッキリしてよ、こういう時ぐらい。本当に信じても良いのか分からなくなっちゃうじゃん」


「あぁ、悪い。なら告白って事で」


「……なんか納得出来ない返事の仕方ね」


「ごめん…」


 責められると辛い。要領の悪さは昔から持ち合わせている短所だった。


「優奈ちゃんとの遊びの約束も断ってきたよ。もう会えないって言ってきた。あとゴメンナサイって」


「そっか…」


「あの子の事だけが心残りかな。もう顔を見られないのが」


「会いに行けば良いじゃない。連絡取って待ち合わせして」


「それしたら華恋が嫌がるでしょ? もうそういう事はしないって決めたんだから」


「……本気なんだ、アンタ」


「まぁ…」


 我慢すると言えばただの自己満足となってしまう。彼女をダシにして都合の良いように行動しているに過ぎない。本来なら自ら選んでいなければならない道のハズ。だからこれは我慢ではなく選択だった。


「ほ、本当に信じても良いの? さっきの言葉」


「うん。もう迷ったりしない」


「絶対の絶対!?」


「大丈夫だって。そんな簡単には信用出来ないかもしれないけど」


「な、ならさ……証拠見せてよ」


「え…」


 会話中、ふと頬に温かい息がかかる。華恋が間近に迫ってきた影響で。


「……んっ」


 何を要求されているかはすぐに分かった。告白が真実だとするならば、それ相応の態度を示せという事だろう。


 体の向きを変えて彼女の正面に座る。同時に汗が伝う手を力強く握り締めた。


「あ、あの……やっぱり無理です」


「はあぁ!?」


「好きとは伝えたけどキスするのはちょっと…」


「何でよっ! 好きなら普通キスぐらいするでしょうが!」


「だって兄妹と割り切って接してたんだよ? いきなりその関係を崩すのは無理だよ」


「このっ…」


 素直に降参宣言を表明する。弁明を口にしながら。


「え? どこに行くのさ」


「……帰る」


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 その直後に彼女の態度が急変。コンビニの袋を持って立ち上がった。


「離せっ、このへたれ男が!」


「キスしないだけでどうして呆れちゃうんだよ。そういうのは出来ないけど好きな気持ちに変わりはないんだからさぁ」


「信用出来んっ! 男らしくない男は嫌いじゃあ」


「そ、そんなぁ…」


 すぐに腕を掴んで引き留める。綱を使わない綱引きを展開。


「いい? 多少強引でも好きな人にはこうするの」


「え?」


「んっ!」


 戸惑っていると華恋がこちらに振り向いた。同時に顔も急接近させながら。


「うわあぁあぁぁぁっ!?」


 だが不安定な体勢の時に飛びかかってきたものだからバランスを崩す結果に。2人して地面に倒れ込んでしまった。


「……っつぅ」


「てぇ~、何て事するのさ」


「アンタこそどうして倒れるのよ。しっかり踏ん張りなさいよね。いったぁ…」


 互いに不満を漏らす。責任を相手に押し付けようと。


「大丈夫だった?」


「口切ったかも。なんかジンジンする」


「こっち向いて」


 猪突猛進娘に近付いて口元を凝視。赤々しく変色している箇所を発見した。


「あぁ、ちょっと切れてるよ。血が出てる」


「げっ……最悪」


「真っ赤な口紅つけちゃって、まぁ…」


「あぁあっ、もう! これも全て雅人がキスしてくれなかったのが悪い!」


「相変わらず理不尽な言い分…」


 2人して立ち上がる。ズボンやシャツに付着した土埃を払いながら。


「華恋」


「ん?」


「家に帰ろ?」


 そして隣に向かって手を差し出した。好きだと告げたあの日から再びやり直す為に。


「……ん~」


 しかしその問い掛けに対する反応は唸るという行為。否定を強調した動作だった。


「ねぇ、帰るの明日じゃダメ?」


「え? どうして?」


「明日ね、この街でお祭りがあるの。一緒に行きたいなぁと思って」


「お祭り…」


 焦っていると彼女が全くの見当違いな意見を持ち出してくる。外出のお誘いを。


 どうやら夏定番のイベントが開催されるらしい。海上に花火も上がる大掛かりな催しなんだとか。


「ね、良いでしょ? せっかくだから行こうよ」


「う~ん、祭りかぁ…」


 嬉しい提案だが1つだけ問題があった。今夜の寝床。


「宿泊先がなぁ…」


「あぁ、ちなみにうちの親戚の家はダメ。狭いし寝る場所ないし」


「まぁホテル泊まれば良いんだけどさ。元からそのつもりだったから」


「ならそれで良いじゃん。どこかで待ち合わせしてお祭り行こ」


「いや、でも花火って夜からなんでしょ? 見て帰ったらかなり遅い時間になっちゃう」


「あ、そっか」


 ただでさえ移動に時間がかかるというのに混雑した電車に乗らなくてはならない。しかも在来線では終電までに自宅に辿り着けるかも怪しかった。


「1泊分ならお金あるんだけど」


「さすがに2泊はキツい?」


「うん…」


「ならどうしよう……お祭り行きたいのになぁ」


「ダメ元で頼んでみようかな。丸山くんに」


「ん?」


 財政難だがせっかくのお願い事は成就させてあげたい。こんなチャンスはめったに無いのだから。


 友人に連絡して事情を説明すると話が流暢に進行。今日と明日の2日間、実家に泊めてくれる事になった。


「やった、ラッキー」


「誰に連絡したの?」


「丸山くん。ほら、うちのクラスのさ」


「あぁ、はいはい。あの眼鏡の子ね。この辺に住んでるの?」


「うん。実家がこの街にあるんだよ。昨日も華恋を捜し回るのにいろいろ協力してくれたんだよね」


「へぇ」


 運良く寝場所の確保に成功する。家族の人達に反対されるかもという不安要素は残っているが。


 ついでに一足先に帰ってしまった颯太達にも華恋が見つかった事を報告。地元にいる香織や智沙にもメッセージを送っておいた。


「お祭りかぁ。楽しみだなぁ」


「私とデート出来るから?」


「……そだね。旅行を台無しにしちゃった償いも含めてのデートかな」


「ししし…」


 夕陽をバックに笑い合う。先程までの真面目な雰囲気を吹き飛ばすかのように。


「ねぇ、雅人」


「ん?」


「アンタにね、見せたい物があるんだ」


「見せたい物…」


「物っていうか、場所っていうか。とにかく付いて来てよ」


「ちょっ……待って待って」


 会話中に華恋が体の向きを変更。道路に向かって歩き出したので慌てて後を追いかけた。


「どこに行くんだろう…」


 もしかしたらお世話になっている親戚の家に連れて行くつもりなのかもしれない。紹介を兼ねた挨拶とか。


 心の中でその光景をイメージして緊張する。激しい人見知りが発動していた。


「そういえば昨日から私を捜してたって言ってたけど、いつこの街に来てたの?」


「昨日だよ。昨夜はホテルに泊まったんだ」


「雅人1人で?」


「いや、颯太も一緒に。あと紫緒さんも」


「あぁ、あのお馬鹿コンビか」


「お馬鹿…」


 傾斜が緩やかな坂道を上って行く。案内人を先頭に前後に並んで。


「3人でホテル泊まったの? 随分と楽しそうな真似してたんじゃない」


「ちょっとした修学旅行みたいでワクワクしたかな。ベッドに寝そべってお喋りとか」


「私のいない所で楽しんでくれちゃって……羨ましい」


「誰かさんが黙って家出なんかするからじゃないか。本当なら今頃は旅行に行ってたハズなのに」


「うっさいうっさい、バーーカ!」


 会話は思ったより流暢に進行。もしかしたら嫌われているんじゃないかと不安だったので安堵した。


「んむっ、んむっ…」


 道中に設置されていた自販機で水分補給する。気が休まった事で鞄の重さが体に堪えた。


「ところでどこに行くの? その場所遠いの?」


「……もう少しで着くから」


 歩きながら目的を尋ねるが曖昧な台詞だけが返ってくる。ハッキリしない対応が。


「あれ?」


 そうこうしているうちにあるスポットに到着。海を見渡せる墓地へと辿り着いた。


「ね、ねぇ。こんな所に何しに来たのさ」


「ん…」


 呼び止めるように話しかけるがスルーされてしまう。再び険悪な仲に戻ったかのように。


「……どうしたの?」


「ここ。雅人を連れて来たかった場所」


「え?」


 しばらくすると動かしていた足の動作が停止。その横には汚れ1つ見当たらない綺麗な石があった。お供え物のミカンが並べられた墓石が。


「誰のお墓か分かる?」


「さぁ。故人に知り合いはいないからなぁ」


 自分はこの街に丸山くん以外の知人はいない。厳密に言えばこの中に入っていそうな人を知らない。


 けれどその考えが出来たのは墓石に書かれた名前を見る前までの話。聞き慣れた名字と華恋のテンションの低さが脳裏に1人の人物を思い浮かばせた。


「……お母さん」


 自然と口に出してしまう。自分達2人に共通する今は亡き人物の存在を。


 呟いた声に隣に立つ人物は何も答えてはくれない。でも恐らくこの予想は当たっていると理解。ここは18年前、雅人と華恋という2人の人間を生み出してくれた母親の眠っている場所だった。


「ビックリした? 突然こんな所に連れて来たから」


「まぁ、うん。驚いた」


「私もここ来るの久しぶりなんだ。1年ぶり。といってもそれは数日前の話で、昨日も一昨日も来てはいたんだけどさ」


「もしかしてこの街に遊びに来たのって…」


「そっ、墓参りに来たのよ」


「……そうだったんだ」


 2人して凝視する。綺麗に彫られた名前に。


「もっと早くにアンタもここに連れて来なくちゃいけないなぁとは思ってたんだけどね」


「初めて聞かされたよ。母さんのお墓がある場所」


「内緒にしてたからね。なるべくなら連れて来たくなかったもん」


「どうしてさ?」


「だって雅人をここに連れて来たら嫌でも意識しちゃうじゃん。私達が兄妹なんだって事を」


「……そっか」


「アンタにとっても母親なんだなぁって。私のお母さんは」


「うん…」


 心の中で今ここに眠っている人が母親という実感はない。彼女と違って共に生活した記憶がないから。けど理解は出来た。自分を産んでくれたのは間違いなくこの人なんだと。


「やっぱり怒った?」


「何が?」


「だから私がずっとお母さんの存在を黙ってた事よ」


「……どうだろ。別に怒ったりはしないかな」


 不思議と嫌な気分にはならない。むしろ淋しさだけが湧き上がってきた。


「お母さんってミカン好きだったの?」


「いや、特にそういう事は無かったけど」


「ならどうしてここに置かれてるのさ。しかも3つも」


「だってお供え物といえばミカンかなぁと思って。定番じゃん?」


「いい加減な娘だ…」


 すぐ側で笑っている母親の顔を想像する。声も仕草も分からないが優しそうに微笑んでいる表情を。


「雅人もお参りしてく? せっかくだし」


「そうだね。そうしよう」


「あ~あ、本当は別々が良かったんだけどなぁ…」


「そんな事言ったって仕方ないじゃないか。文句言わない」


「でも別々に生まれてたら私達は出逢ってなかったのかなぁとか考えちゃったり」


「そうか。そしたら華恋に理不尽な暴力を振るわれる事もなかった訳か」


 語る相方の言葉に対して皮肉を放出。その瞬間にゲンコツがスネに飛んで来た。


「あたっ!?」


「一言余計」


「痛いなぁ……暴力禁止令はどこにいったのさ」


「何言ってんのよ。んなもんとっくに解禁したに決まってんでしょうが」


「どうして勝手にルール変更してるんですかねぇ…」


 神聖な場所で兄妹喧嘩を繰り広げる。醜い争いを。


「お母さん、助けて。華恋が暴力振るってくる」


「ちょっと! 変な事言わないでよ!」


「このミカン食べて良い? 昼間に歩き回ってたからお腹空いちゃった」


「良いんじゃない? 暑さで腐ってるかもしれないけど」


「……や、やっぱやめとこうかな」


 供えられていたオレンジ色の物体に注目。手を伸ばしたがすぐに元に戻した。


「罰当たりな兄貴」


「す、すんません…」


 償いをするように屈んで両手を合わせる。地面に片膝を突いて。


「……ん」


 届かない場所から見守ってくれているかもしれない。歪な形で繋がっている兄妹を。非現実的だが今だけは死後の世界を信じられた。




「じゃあ、また明日」


「はいはい。約束忘れないでよね?」


「もし忘れて先に1人で帰っちゃってたらどうする?」


「夏休み明けの学校には無事に通えないと思え」


「そ、そんな…」


 お参りを済ませた後は街に戻る。待ち合わせ場所や時間を決めて華恋と解散。


 一緒に晩御飯を食べに行こうと誘ったのだが彼女は既にコンビニ弁当を購入済み。それをお店に持ち込むのは不可能という理由で断られてしまった。


「ま、いっか」


 楽しみは翌日に持ち越しておけば良い。遠出した目的は果たせたのだから。




「お、お邪魔します…」


「あら、いらっしゃい」


 その後はフラフラと街中を歩く。昨日、荷物を置かせてもらった古民家を再び訪れた。


「ゴメンね。急に転がり込んじゃって」


「大丈夫。1人ぐらいなら平気だし」


「ん? それ何?」


「え~と、チョコバー」


「……洗脳されておる」


 母親らしき人物に奥まで案内される。友人の私室へと。そこで棒状のお菓子を持っている部屋主を発見。どうやら紫緒さんの影響ですっかりハマってしまったらしい。


「はいはい。遠慮しないでたくさん食べてね」


「ど、どうも…」


 慣れない環境に不安が止まらない。戸惑いも緊張感も。


 家屋は昔ながらの建物といった感じでリビングと廊下以外の床は全て畳。トイレも和式だった。


 追い返されるのではと心配だったが家族の方々に手厚く迎えられる優遇っぷり。泊めてもらうだけではなく手作りの食事までご馳走になってしまった。




「ふいぃ、緊張した…」


 入浴後はのんびりと過ごす。二階にある友人の部屋で。


 丸山くん本人は既にベッドで就寝済み。照明を落とした暗い部屋で1人、天井を見つめながら寝転んでいた。


「……寝れない」


 不慣れな布団に枕、そして部屋の空気感。ただでさえ興奮しているのにいつもと違う環境が眠気を遠ざけてくる。騒がしい昼間と違って夜は街全体が静か。壁掛け時計の奏でる音だけが意識の中をウロついていた。


「今頃は親戚のマンションで寝かせてもらってるのかな…」


 昨夜の不安な気持ちとは裏腹に呆気ない再会を果たす。対話相手がいなくなった事でようやく華恋と会えた出来事に対する喜びを実感。


 たかが数日ぶりなのに姿も声も恋しい。ここ最近の自分がどれだけ彼女に執着していたかを思い知らされた。


「……ん」


 ただ別の不安がまだ残っている。これから先の未来に。


 華恋と付き合い始めた事は誰にも知られてはいけない。家族にもクラスメートにも。


 今までずっとその状況を避けたくて冷たくあしらってきた。けどこれからは違う。目を背けてきた物と戦い続けなくてはならなかった。


「はぁ…」


 どんなに温厚なあの家族でもこの関係だけは無抵抗で受け入れてはくれないだろう。反発されるのは分かりきっている。


 それでも華恋を裏切るような真似はしたくなかった。彼女を失ってしまう世界ほど怖いものはないから。




「……ふあぁぁ」


 翌日は朝早くに起床。戸惑いや緊張といった感情が眠気を奪ってきたせいで目が覚めてしまった。


「よく眠れた?」


「ま、まぁ…」


 体を起こすと使わせてもらった布団一式を綺麗に整頓する。友人と共に部屋を出て家族の方がいる居間に向かった。


「おはようございます」


「あら、おはよう。昨夜はよく眠れた?」


「はい。何から何までお世話になってすみません」


「いいのよ、別に。武人がこうしてお友達を連れて来る事って珍しいんだから」


「は、はぁ…」


 おばさんが朗らかな笑みを浮かべる。まるで訪問者の存在を歓迎するかのような表情を。


「お母さん、ご飯って出来てる?」


「もう食べるの? いるなら今から作るけど」


「ならお願い。出来たら教えて」


「はいはい。とりあえず2人共、顔を洗ってらっしゃい」


「ども…」


 指示された通り洗面所に向かい交代で洗顔。一度部屋へ戻って待機しているとおばさんに呼ばれたので再び居間に向かった。


「美味しい?」


「あ、はい。この魚が特に」


「なら良かった」


「ん…」


 その後は用意してくれた朝食を食べる事に。父親やお爺さんお婆さんといった家族の方々に囲まれて。


 そして正午頃になると夏期講習に行くという丸山くんと共に家を出発。塾の前までやって来て彼と別れた。


「……緊張したぁ」


 自由を得たところで体中の力がドッと抜け落ちる。まさか知らない家族の中に飛び込んでいく事がこんなにも疲れるなんて。


 華恋が初めて我が家にやって来た時もこんな気持ちだったのだろうか。住み慣れた自宅が少しだけ恋しく感じてきてしまった。




「お~い」


「あ…」


 1人になった後は2日前に立ち寄った古本屋でひたすら読書を続ける。そして予定時間に合わせて集合場所の公園にやって来た。


「お待たせ。浴衣着てきてくれたんだ」


「うん。せっかくの夏祭りだからおばさんに貸してもらったんだ。娘さんが使ってたヤツなんだって」


「へぇ。いつもとイメージ違うね」


「にしししし。どうどう、似合う?」


 待ち合わせ相手が袖の裾を掴んで回転する。手元から離れた独楽のように回り始めた。


「似合うんじゃない。てかどうして下駄なの?」


「だって仕方ないじゃん。浴衣に合う履き物がコレしかなかったんだし」


「それ男用だよね?」


「おじさんに借りてきたの。せっかく和風っぽく決めてるのにスニーカー履いてくる訳にもいかないでしょ?」


「だからってサイズ違いの物を履いてこなくても…」


 足元からはカランカランという音が鳴り響いている。明らかに大きさが体に不釣り合いだったせいで。


「む~、文句ばっかり言わないでよ」


「あっ、悪い。ごめん」


「せっかく雅人に見てもらおうとオシャレしてきたのにさ…」


「……そうだね。似合ってるよ」


 確かにマイナス点ばかり指摘されたら良い気分はしないだろう。思考をポジティブな方へと転換した。


「せっかくだから雅人も浴衣着てくれば良かったのに」


「友達の家に居候させてもらってるから無理だよ。ほい」


「何これ?」


「さっき駅前で配ってた。2つ貰ったから1個あげる」


「ん、サンキュー」


 手に持っていた団扇を差し出す。暑さ対策定番のアイテムを。


 この街の祭りをアピールする為の物らしい。現地で配って宣伝になるかは疑問だったが、わざわざ足を運んでくれた観光客に向けての地域サービスと考えたら納得だった。


「さっきまで本屋で立ち読みしてたから足がパンパン」


「アンタ、今まで何してたの? 丸山くんと過ごしてたんじゃないの?」


「うぅん、違うよ。丸山くんは夏期講習あるからって1人で遊んでた」


「はぁ?」


 彼女が呆れたように溜め息をつく。腰に手を当てながら。


「だったら私に連絡しなさいよ。そしたら待ち合わせ時間を繰り上げてあげたのに」


「なんか面倒くさくて。それにたまには1人で時間潰すのも悪くないかなぁと」


「まったく、もう…」


「へへへへ」


 こうして何もせずダラダラと過ごしている事に不安は感じていた。受験に向けて勉強するべきじゃないのか、早くバイト先に出向くべきじゃないのかと。


 心苦しさはあったが今は何も出来ないと考えると諦めがつく。なので向こうに帰るまでは精一杯この夏をエンジョイしようと決めていた。


「ねぇ、1つ質問して良い?」


「何?」


「浴衣着る時って下着とかどうしてるの?」


「……あ?」


 持っていた団扇で顔を扇ぐ。垂れ下がる汗を吹き飛ばすように。


「それ専用のヤツがあるけど買ってないから普段使ってるの着けてる。つかそんな事聞くなっ!」


「ご、ごめん。悪かったよ」


「まったく…」


 聞こうにも尋ねられるような相手が彼女以外にいない。妹相手ならセクハラにならないかと考えたのだがダメだったらしい。


「お~」


 そうこうしているうちに辺りから祭り囃子の音が反響。雰囲気が海の街から祭大会へと変貌していた。


「お祭りってどこでやるの?」


「その辺一帯」


「じゃあ行く? ここでジッとしてても仕方ないし」


「そうだね。小腹も空いちゃった」


「楽しみだなぁ。クレープ食べよっと」


 2人で公園の出口へと歩き始める。横に並んで。


「え? な、何?」


「あ、マズかった?」


「いや、別にそんな事はないけど。ただいきなりだったからビックリして」


「ごめんごめん。許可貰ってからにすれば良かったね」


 何の気なしに華恋の手を握ってみた。すぐに離そうとしたが今度は彼女の方から握り返してきた。


「ん…」


 恥ずかしがっているのか団扇で口元を隠している。目線もやや上を向いた状態を維持。


「きゃっ!?」


 だが余所見をした影響で躓く事に。下駄が段差に引っ掛かり体のバランスを崩してしまった。


「うぉっと、大丈夫?」


「な、なんとか。支えてくれたおかげで助かっちゃった」


「やっぱりそれサイズが合ってないんだよ。一度家に帰って履き替えてきたら?」


「平気だって、気をつけてれば。それに今から戻ったら時間がもったいないし」


「……心配しなくても祭りは逃げやしないのに」


 体勢を立て直すとすぐにまた歩き始める。ただし今度は腕を絡めた体勢で。


「これでOK」


「動きにくくない?」


「余裕余裕。歩幅を縮めれば良いだけだも~ん」


「でもなぁ…」


 同じミスを繰り返さないように足元に細心の注意を払って進行。地面を擦るように歩く姿はまるで小さな子供のようだった。


「あぁ、良い香りがする」


 祭り会場へ近付くと何かが焼け焦げたような香りが強くなっていく。同時に人の声も。先程まで耳に響いていたヒグラシの鳴き声もいつの間にか喧騒によってかき消されていた。


「雅人~。私、焼きイカ食べたい」


「美味しそうな匂いするもんね。買ってみようか」


 誘惑に負けて近くにあった屋台へと足を向ける。威勢のいいオジサンに声をかけて端が焦げたイカを1つ購入した。


「ほい、食べていいよ」


「あれ? アンタいらなかったの?」


「これを2人で食べるんだよ。同じ物を2つ買うより、1つを分け合った方がいろいろな種類を食べられるじゃん?」


「あ、なるほど。賢い」


「でしょ?」


 適当な理由をつけたが本音はケチりたいだけ。倹約家の思考回路になっていた。


「雅人、とうもろこし食べたい」


「はいはい」


「あとたこ焼きも」


「はいはい」


「あと焼きそばと綿飴も」


「……そんなにたくさん買って本当に食べきれるの?」


「だってお腹空いてるんだもん。この為に朝と昼抜いてきたんだし」


 相方がアレコレと指示を出してくる。口の中からイカの切れ端をハミ出させながら。


「はしたない娘さんじゃ…」


 ただ自分もお腹が空いていたのでその意見には賛成。醤油の焦げた匂いのする焼きとうもろこしや、宝石のような色をしたリンゴ飴を購入。口の中は常に食べ物で埋まっていた。


「あ、金魚すくいあるよ」


「本当だ。懐かしいなぁ」


 小学生ぐらいの子供達が屋台の前に屈んでいる光景を見つける。無邪気にハシャいでいる姿を。


「ねぇ、やってみよ。面白そうじゃん」


「でも親戚の人の家って水槽ある? 無いなら持って帰っても飼えないんだが」


「あ~……多分ないや。しかもオジサン達、面倒くさがり屋だからペットとか飼育するの嫌がってるし」


「なら無理じゃん」


「で、でもそこの海に放流すれば良くない? 世話しなくて済むって」


「いやいや、そんな事したら死んじゃうから」


 どうやら淡水魚が海で生きられないと知らないらしい。相変わらず趣味以外の事に関しては無知な人間だった。


「ちぇっ、つまんない」


「舌打ちしない。代わりにあっちのやろうよ」


「ん?」


 不機嫌な妹を宥めながら斜め向かいにある店を指差す。サメ釣りの出店を。


「仕方ない。ターゲットが動かないのが不満だけど我慢してあげようかしらね」


「それ誰に対して言ってるのさ? 自分自身?」


「雅人に決まってんじゃない。私が私に文句言う訳ないでしょ」


「お子ちゃまですか…」


 人混みをすり抜けて場所を移動。若いお姉さんに料金を渡すと入れ違いに糸の垂れ下がった竿を受け取った。


「雅人はやらないの?」


「いいや。華恋がやってるのを横から見てるから」


「ふ~ん…」


 店員さんの後ろに並べられている景品に注目する。ゲームや銃の玩具が入った箱に。


 こういうのは見える場所に当たりが置かれていない事が多い。目玉賞品を根こそぎ奪われてしまっては商売にならなくなるからだ。


「うりゃ、うりゃっ!」


 威勢の良い声が響き渡る。竿を何度も振り上げる動作と共鳴して。


 悪戦苦闘していたが数回に渡る試行錯誤の末に鮫を2匹同時に釣り上げる奇跡が発生。男の子向けであろう玩具のレアカードを2枚も手に入れた。


「……どうしてお金払って頑張ったのに景品があんな物なのよ」


「仕方ないじゃん。何が貰えるか分からないのがこういうゲームの醍醐味なんだから」


「あ~あ、もっと可愛い物が良かったなぁ」


「ドンマイ」


 カードは近くにいた男の子にプレゼント。自分達が持っていても仕方ないだろうから。


 そして今し方失敗したばかりだというのに華恋はクジ引きにチャレンジ。独楽を回して遊ぶ玩具をゲットしていた。


「くそっ、何で男向け商品ばっかり出るのよ。あたしゃ男か!」


「こういうのってチャレンジするのは大抵が男の子でしょ? 自然と景品も男の子向けに偏っちゃうんだよ」


「もう二度やらない。運任せの遊びはもうしない」


「良い心掛けだと思います」


 出し物を批判しつつ次は射的に挑戦。そして何1つ獲得する事なく終了。くじ引きとは違い好きな景品を狙える利点はあったが、貰えるか貰えないかというギャンブル性も存在した。


「あーーっ、イライラする。どうして良い景品が1つも手に入らないのよ!」


「そういうものなんだって。お祭りなんだからゲーム自体を楽しむようにしようよ」


「はぁ……今日はツイてない。運勢が悪い日なんだ、きっと」


「2人っきりでお祭りに来れたのに?」


「うっ…」


 垂れ流される文句を封殺する。咄嗟に思い付いた理屈で。


「……や、やっぱりツイてるかも」


「でしょ? 気分の問題だよ」


「へへへ…」


 思考があまりにも幼稚で単純。1つだけメリットを挙げさせてもらうなら扱いやすさだった。


「こっから先はもうお店ないみたい」


「だね。ただの道路だ」


 歩き続けていると狭かった空間が一気に広くなる。屋台の終点らしい。


 空に浮かんでいた日は完全に沈んで消失。海を見れば漆黒と表すに相応しい闇へと変貌していた。


「どうしよう。戻る?」


「う~ん……そうね。引き返そうかな」


「ん、了解」


「向こうの方にさ、花火がよく見える場所があるんだ。そこ行こ」


「花火か…」


 とりあえず進んで来た道を引き返す事に。次の目的地を定めて人混みの中へと再突入した。


「足、大丈夫?」


「平気平気。段差がなければ楽勝よ」


「すっ転んで浴衣がまくれたらパンツ丸見えだからね」


「実は穿いてない…」


「え? 嘘!?」


「……って言ったらどうする?」


「良かった。さすがに自宅とは分別してくれてたか」


「家でもちゃんと穿いとるわい!」


「ぐふっ!?」


 相方が相変わらず不器用に足を動かして歩いている。見ているこっちが辛くなりそうな体勢で。


「歩くのキツかったらおんぶしてあげようか?」


「ど、どうしたのよ今日は。やけに紳士的じゃない」


「だって見てていたたまれない気持ちになってくるんだもん。怪我をしたマラソンランナーみたいでさ」


「……そっか、ごめん。気を遣わせちゃったわね」


「いや、別に謝らなくても」


 いつもと違うのはお互い様。口調は今までと同じだが明らかに心境は変化していた。


「おんぶしてもらいたいけど恥ずかしいから良いや」


「そうだね。思いっきり浴衣まくれちゃうしね」


「下着とか見えるのやだなぁ…」


 街中にある坂道を息を切らして歩く。途中に立ち寄った焼き鳥の屋台で休憩も挟みながら。


 進む程に騒がしい空間は静寂へと変化。やがて小さな森の中に到着した。


「ここ、ここ。この場所なら人あんまり来ないから」


「いや、確かにそうだけどさ…」


 辺りを見渡せば不気味なぐらいに静かで暗い。先程までいた場所とは対照的に。


「静かなのは分かるけど本当にここから花火が見えるの?」


「もちろん。あの辺に打ち上げられるから」


「葉っぱで隠れて見えないんじゃない?」


「大丈夫だって。元地元民だった私を信用しなさいよ」


「けどなぁ…」


「始まったら分かるわよ。私が正しいか雅人が正しいかがね」


「言い回しがいちいちアニメキャラっぽい。まぁどっちでも良いんだけどさ」


 頭上を見上げれば生い茂る木々が存在。空が顔を出しているのは一部だけ。ただ今から人で溢れた祭会場に戻るのも億劫でしかない。休憩がてら2人して草木の上に腰を下ろした。


「足、痛くない?」


「ちょっとだけジンジンするかな。でも平気だよ」


「帰ったらマッサージしておきなよ。血行が悪くなってるだろうし」


「お兄ちゃん、やってぇ」


「ちょっ…」


 華恋が太ももに倒れ込んでくる。甲高い声を出しながら。


「急に甘えん坊になったね」


「む~、だってぇ…」


「さっきまでは他の人がいるから恥ずかしかったとか?」


「……ま、まぁ」


 人目が気になるから遠慮していたらしい。大胆な性格に似合わない奥ゆかしさだった。


「痛くない?」


「平気平気」


「ここ赤くなってるよ。やっぱり我慢してたんじゃないか」


「気のせいだって。暗いからそう見えるだけ」


「そうかなぁ。微妙に腫れ上がってる気もするんだけど」


「ねぇ、暗い場所でイチャイチャしてるとさ……エッチな事してる気分にならない?」


 下駄を脱いだ彼女の足を優しくさする。しかし耳に入ってきた言葉に手の動きがピタリと停止。


「まさかこの場所に連れて来たのって…」


「ち、違うって。本当にここが隠れスポットなんだってば! 別にやましい気持ちとかあった訳じゃないし」


「本当かな…」


 嘘つきな性格を考えたら発言を鵜呑みには出来ない。前科も山ほどあるし。


 疑惑の目を向けていたがその行為は杞憂で終了。打ち上げられた花火はまるで狙ったかのように空の一部にスッポリ収まっていた。


「お~、凄い」


「でしょ? だから言ったじゃん」


「疑って悪かったよ。華恋ちゃんは嘘ついてませんでした」


「ふふん」


 隣から得意気な笑みが聞こえてくる。勝ち誇った心境が窺える台詞が。


「よっ、と」


 地面に手を突いて体勢を変更。草木の上に倒れ込んだ。


「……綺麗だなぁ」


「え? 私?」


「違う違う」


「むっ…」


「いててててっ!? 耳を引っ張らないで! 集中して見れない」


 頭上に鮮やかな閃光が広がっている。人の歓声や大きな爆発音と共に。


 テレビや写真といった媒体を通して見るのとはまるで違う迫力。目の前の幻想的な光景を眺めているうちに暗闇へと吸い込まれそうな気分に陥っていった。


「……ねぇ、雅人」


「ん?」


「向こうに戻ったら私達どうなるの?」


「どうなるって…」


「今まで通り? それとも…」


「えっと…」


 突然の問い掛けに言葉に詰まる。どう答えるべきか分からなくて。


 少なくとも今まで通りではない。それだけは固く誓えた。兄妹だけの関係を望んでいない華恋の事を考えてわざわざこの街まで足を運んだのだから。


 とはいえ何を変えれば良いのかが分からない。誰かに宣言する事も打ち明ける事も不可能。考えれば考えるほど心の中の不安が広がっていった。


「やっぱり向こうに帰ってからも普通に恋人らしい事は出来ないのかな」


「……そうかもね」


「ならさ…」


「ん?」


「今だけでも良いからそういう事したい」


「華恋…」


「ダメ? やっぱりそういう事は良くないって怒る?」


 振り返った彼女と目が合う。その肩越しには鮮やかな花火の煌めきが存在していた。


「怒りはしないけど、それって…」


「ダメ、かな…」


「……ん」


 頭を小突いて軽く叱りつけておしまい。今まではそうだった。


 けどそれは正解ではない気がする。何より恋人らしい行為をしたいと思っていたのは自分も同じだった。


「今だけなら良いかな」


「……本当!?」


「うん。せっかくのデートだもん」


「雅人…」


 地面に手を突いて上半身を起こす。小石の痛みを手のひらで感じながら。


「キ、キスして」


「え?」


「……んっ」


「い、今ですか?」


「今しないでいつするっていうのよ。雅人だって良いって言ってくれたじゃない」


「イエッサ…」


 目前に瞼を閉じた顔が迫ってきた。前日の公園でのやり取りを思い出させる表情が。


 決して同じ失敗を繰り返してはならない。これは成長する為の試練だった。


「ぐっ…」


 顔を彼女の口元へと近付けていく。溢れてくる緊張感と葛藤しながら。よく見ると唇がいつもより赤い。それは薄く施された化粧の影響だった。


「あ…」


 目的を果たそうとしていると遠くの暗闇から草木の揺れる音が聞こえてくる。ついでに人の話し声も。


「……ここが穴場スポットなんだって」


「やっば…」


「あれ? 誰かいる」


 すぐに立ち上がって華恋の側から離脱。しかし時既に遅し。振り向いた先には浴衣姿の男と厚化粧をした女性が立っていた。


「ちょっと、穴場スポットって言ったじゃん。何で他の奴がいんのよ」


「うっせぇな、俺が悪い訳じゃねぇだろ。ツイてなかっただけだって」


「あ~あ、せっかくダベれると思ってたのに」


 カップルと思われる2人組が愚痴をこぼし始める。遠慮や気遣いを感じられない口調で。


「……あ」


「あぁーーっ、こいつ!?」


 そして彼氏の方と目が合った瞬間に声が漏れてしまった。原因はその出で立ち。記憶違いでなければ昨日コンビニで絡んできたヤンキーの1人だった。


「お前、昨日の奴だろ!」


「は? どしたの、いきなり」


「こいつ、コンビニでケンジといる時に喧嘩売ってきたんだよ。絶対そうだ!」


 金髪男が興奮する。そのリアクションで予想が合っていると確信した。


「喧嘩? そんな風に見えないじゃん、そいつ」


「あと1人いたんだよ。3人でチャリ倒してきたりしたんだって」


「ふ~ん、ムカつくじゃん」


「うっ…」


 状況は芳しくない。むしろ最悪といっても言いレベル。


「テメェ、昨日はよくもやってくれたな」


「いや、あの…」


「殴っちゃえ。グーパン、グーパン」


 戸惑っていると男が歩み寄って来る。女からの無責任なヤジ付きで。


「くそっ…」


 やはり走って逃げ出すしかないのだろうか。けれど隣を見て逃走作戦が不可能な事に気付いた。


「ね、ねぇ……この人達なんなの?」


 状況を把握していない華恋が怯えている。その姿は運動に不向きな格好。更には前日のトラブルとも関係が無い。運悪く紫緒さんと勘違いされていた。


「……華恋」


「え?」


 小さな声で名前を呼ぶ。カップルには聞こえない声量で。


 幸いな事に昨日と違い男は1人しかいない。別れて逃げればどちらかは確実に助かるだろう。


 だがそんな事をすれば華恋が捕まってしまう可能性が高い。自分だけが助かり彼女が乱暴される状況なんか死んでもごめんだった。


「後ろに向かって走って。そこから広い道に出られるみたいだし」


「え? でも…」


「大丈夫。逃げる時間ぐらい何とか稼いでみせるから」


 漫画やアニメで何度も耳にした事がある台詞を吐く。背後を指差しながら。


「ダ、ダメだよそんなの。雅人を置いていくなんて」


「平気だって。すぐに逃げ出すから」


「無理だってば。そんなの出来ないよぉ…」


 しかし提案を拒むように彼女が接近。シャツを力強く握り締めてきた。


 口では強がっているものの本当は怖い。足が竦んで動けないし、声だって震えている。


 殴られる事への恐怖症は増幅するばかり。颯太や紫緒さんがいてくれたらと、そんな事ばかり考えていた。


「祭り会場に戻れば人がたくさんいるじゃん」


「……雅人」


「だからお願い」


 彼女が助けを呼べば騒ぎを聞きつけてきた人達が助けに来てくれる。それまで耐えれば良い。


「おいおい、テメェらさっきから何ゴチャゴチャ喋ってんだ!」


 作戦会議を開いている間にも金髪男は接近。ハッキリと顔のパーツが認識出来る位置まで近付いていた。


 今さら謝ったところで事態は収集なんかしないだろう。意味があるとは思えないが睨み付けて威圧。敵意剥き出しなのはこちらも同じだった。


「頼むよ、華恋…」


 祈りを込めるように呟く。やってる事は格好いいが、この後に殴られる事を想像したら情けなかった。


「いってっ!?」


「クソガキが粋がってんじゃねぇぞ。こんな場所に女連れ込んで」


「雅人っ!?」


 説得している最中に金髪男の攻撃が顔に命中する。鼻に軽く拳を当てられただけ。それなのに悶絶するほど痛かった。


「だ、大丈夫!?」


「あぐぅ…」


 華恋が心配して下から顔を覗き込んでくる。助けを呼んできてほしいと伝えたばかりなのに。けれど彼女が逃げ出さなかった事に安堵している自分がいた。


「今までに殴られた事なんかないだろ、お前」


「……え」


「痛いか? 痛いよな。けど今からもっと痛い思いする事になるからな」


「うわっ!?」


 鼻を押さえていると今度は髪の毛を乱暴に掴まれる。前日の行動を再現するように。


「ちょっと離しなさいよ、このバカ!」


「うるせ、ブス! 引っ込んでろ!」


「きゃっ!?」


 咄嗟に華恋が間に介入。しかし腕力の差か軽く振り払われてしまった。


「……いったぁ」


「あっ!」


 バランスを崩した彼女が地面に尻餅を突く。浴衣が捲れた状態で。


「こんっのっ!」


「いって!?」


 カッとなって男の元に突撃。頭突きを喰らわせるように胴体へとタックルした。


「離せ、クソガキぃ!」


「うっ、ぐっ…」


「コラァッ!!」


 頭上から何度も振り下ろされる拳が痛い。泣き出してしまいそうなレベルで。


 ただダメージ以上に感じていたのは怒り。大切な家族に暴力を振るってきた行為が許せなかった。


「暑苦しいんだよ、離せボケェ!」


「げっほ!?」


 腕に噛み付こうと考えていると下腹部に膝蹴りを入れられる。無理やり引き剥がされ地面へと倒れた。


「つうぅ…」


 視界がグルグルと回る。絶叫マシンに乗っているかのように。もはや平衡感覚は崩壊。更には耳鳴りの影響で自身の体勢さえ把握出来なかった。


「何しとんじゃ、ゴルアアァァッ!!」


「え?」


 立ち上がろうとしているとどこからか叫び声が響いてくる。助っ人を連想させる力強い声が。


「あたっ!?」


「私の雅人に何しとんじゃああぁぁぁ!!」


「い、いって! いっでっ」


「調子乗っとんのはどっちだっ! お前だろうが、あぁん!?」


 頭上を見上げた瞬間に視界に飛び込んできたのは浴衣の袖を振り回している華恋の姿。無謀にも男に襲いかかっていた。


「な、何やってるのさ。早く逃げてっ!」


 いくら男勝りな性格だからといっても本物の男に適う訳がない。地力が違いすぎるのだから。


 制止の声をあげたが同時にある物を発見。彼女は両手に何かを装備していた。


「……げ、下駄?」


 自身の履き物を握り締めている。当然だが裸足の状態で。


「このっ、このおっ!」


「がっ……ってぇ!」


「殺すぞ、クソヤンキーがぁ!」


 頭を押さえてうずくまる金髪。そんな男に容赦なく殴りかかる妹。その光景は異質でしかない。どう考えても立場が逆転していた。


「あぁ!?」


「ひいいぃぃぃぃ!」


 彼女はついでに連れの女も睨みつける。その鋭い眼光に女性は凄まじい勢いで後退り。


「す、すいませんすいません」


「許すか、ボケェッ!!」


「あがっ!?」


 そして痛みに耐えられなかったのか男がとうとう助けを乞う懇願を開始。けれどそれで華恋の攻撃が止まる事は無かった。


「も、もういいって!」


「え?」


「早く、こっち!」


「あ、ちょっ…」


 後ろから妹の手を掴む。これ以上やったらどちらが悪人か分からないから。


 華奢な腕を強引に引っ張りその場を離脱。後ろには振り返らず一目散で山を下山した。


「ハァッ、ハァッ…」


 しばらくすると人が溢れた場所に辿り着く。騒がしい空間に。背後を確認してみたが追跡者はいない。どうやら無事に逃げ切れたようだった。


「た、助かった…」


 膝に手を突いて何度も深呼吸を繰り返す。喉がカラカラ。乾ききった口の中に水分を流し込みたい気分だった。


「……大丈夫だった?」


「ゼエッ、ゼエッ…」


 続けて同じく苦しそうに呼吸をしている相方に声をかける。両手に下駄を装着したまま肩で息をしている華恋に。


 まさかあんな大胆な行動に出るなんて。驚きと称賛の感情が心の奥から湧き出していた。


「助かったよ、ありがとう…」


 同時に僅かな恐怖感も存在。仕方なかった状況とはいえあの態度の変わりよう。怯えていた女性の気持ちも痛いほど理解出来た。


「うおっと!?」


「うえぇ~ん、怖かったよぉ!」


「……そ、そうですか」


「やだやだやだぁ! もう泣きそう!」


「つまり泣いてはいないのね…」


 呼吸を正常に戻した彼女が勢いよく抱き付いてくる。シャツに何度も顔を擦りつけるように。


「んっ…」


 この弱々しい言動は本物だろうか。そう疑わずにはいられない程、精神は疑心暗鬼に陥っていた。


「はぁ…」


 華恋に助けられた出来事は幸運でしかない。恋人同士になれた事も。


 しかし改めて思い返すと疑問が大量発生。自分はとんでもない女を好きになってしまったんだと静かに悟った。

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