第16話 未練と失恋
授業と授業の合間にある貴重な休み時間。教室の片隅でゲームを持ち寄ってプレイする。
「丸山くんって夏休みってどうするの?」
「実家に帰るよ。夏期講習も向こうで受けるつもり」
「実家ってどこ? ここから遠いの?」
「熱海」
「へぇ。なら海水浴し放題だね」
「地元民は意外に海で泳がないけどね。基本的に観光客だけだよ」
「あ、崖から落ちた」
クラスメートと2人でレーシングゲームの通信対戦に熱中。ボタンをポチポチ押していた。
夏休み前だからか教室内は開放的な空気に。同時に受験前のピリピリした雰囲気も入り混じって奇妙な空間になっていた。
「赤井くんはどうするの?」
「バイト……ぐらいかな。他には予定が無いや」
「前に旅行に行くって言ってなかったっけ?」
「……あ、そうだった。忘れてた」
泊まりで旅行に行く場合は必然的に週末になってしまう。だが休日に連続でバイトを欠勤する事が難しい為、華恋に夏休みまでの引き伸ばしを提案していた。
「どこに行くの?」
「まだ決めてないんだよね。具体的な希望とか無くて」
「宿泊施設は早めに予約しておかないと。時期によっては埋まってるかも」
「そうなんだよねぇ。早く決定しなくちゃとは思ってるんだけど」
「良いなぁ、僕もどこか行きたいなぁ」
「あ、また崖から落ちた」
資金はそれなりに貯まっていた。後は予算に見合った予定を組むだけ。
「ふぅ…」
今年が高校生ラストの夏休み。去年も一昨年もただ家でゴロゴロしていただけの毎日。だから最後の夏ぐらい何か1つでも楽しい思い出を作りたかった。
「うぉりゃあっ!! お前らまた明日な、うぉりゃあっ!!」
1日の授業が終わると自由時間が訪れる。華恋と一緒に廊下へと移動した。
「旅行の行き先決まった?」
「まだ」
「やっぱり恋人の聖地が良いなぁ。鐘を鳴らせる岬とかさ」
「そういう所は彼氏を作って行ってくれよ…」
今日はバイトが無い。颯太の所に行こうとしたが止められてしまった。
「ん?」
「あれ、智沙ももう帰り?」
周りに聞かれたくない会話を交わしながら下駄箱までやって来る。そこでいつも一緒に登校している友人と遭遇した。
「そうよ。アンタ達は相変わらず仲良いわね、2人で並んで下校とか」
「違うよ。このストーカーが勝手に付いて来るんだってば」
「やだ、雅人くんたら。人前だからって恥ずかしがらなくてもいいのに」
「あががががっ!?」
冗談に対して冗談で返す。直後に横から伸びてきた手が思い切り喉元を圧迫してきた。
「……見せつけてくれちゃって」
「ゴホッ、ゴホッ……智沙も一緒に帰る?」
「あ~、アタシは良いや」
「お?」
彼女が窓の方に顔の向きをズラす。視線の先を追ってみたが何もなかった。
「アンタ達の邪魔しちゃ悪いから遠慮しておくわ」
「……そっか。なら先に帰ろうかな」
「え? 良いの?」
「良いんだって。ほら、行こ」
「あ、うん」
驚いている華恋の腕を引っ張る。上履きからスニーカーに履き替えるとそのまま外へ。
「納得するの早かったじゃない。そんなに私と2人で帰りたかったんだ」
「あのお嬢さんもいろいろ忙しいんだよ。察してあげて」
「何の用事だろ。委員会とかって訳ではなさそうだし、部活にも入ってないのに」
そして校庭に出たタイミングで会話を再開。相方が人差し指を口元に添えながら頭上を見上げた。
「でも下駄箱まで来てたしなぁ。職員室とかに用事なら靴に履き替える訳がないし」
「あんまりアレコレ詮索するのやめよ。華恋だって人に知られたくない秘密ぐらいあるでしょ?」
「趣味の事とか?」
「そうそう、智沙にも人に言えない事情があるのさ。だからソッとしておいてあげて」
「ほ~い」
またいつものように野球部の見学に出向くと予測。この暑い中よくやるなと感心してしまった。
「部活か…」
今は夏の大会の真っ只中。しかしうちの野球部は地区予選で敗退。
彼らにとっては甲子園に出場する事がずっと掲げてきた目標だったハズ。それが途絶えてしまった時の心境を想像すると不思議と切なくなってきた。
「あぁあ、また崖から落ちてしまった。本日59回目…」
帰って来てからはレースゲームの続きに熱中する。目標はベストスコアの更新。全国大会を目指している真面目なスポーツ部員とは大層な差だった。
「ねぇねぇ、行き先どうするの? そろそろ大まかな予定作っておこうよ」
「ん~、適当に決めちゃっていいよ。電車で回れそうな場所ならどこでも構わないから」
「またそうやって人任せにする。一緒に考えようよ、ね?」
「そう言われてもねぇ。特に候補も思い浮かばないし」
ベッドに寝転がっていると隣にいる華恋から話しかけられる。ここ数日、毎晩のように繰り広げている打ち合わせ目的で。
提案者だが旅行に気乗りしていない。本音を言わせてもらえば2人きりでなく皆でバーベキューやプールに行きたかった。
「海か山ならどっち?」
「涼しい方で」
「東か西なら?」
「暑くない方で」
「都会と田舎ならどっちよ?」
「なるべく人が少なくて交通機関が潤ってる場所でお願いしゃす」
「あぁ、もう! それじゃ一生決まらないじゃないの!」
「いてっ、いてて!?」
彼女がケータイを持ちながら立ち上がる。続けて空いた方の手で下半身に張り手を連発。
「もう少し真面目に考えてよ。早く決めないと夏休みになっちゃうんだよ?」
「早いなぁ。ついこの間、春休みが終わったと思ってたのに」
「少しは案を出してよ。これじゃ私1人だけが楽しみにしてるみたいじゃん」
「華恋の行きたい場所を選べば良いよ。それに従うからさ」
「む~…」
不満をぶつけられたが態度は改めない。ゲーム画面に意識を集中させていた。
「旅館かホテルならどっちが良い?」
「ホテル。旅館ってどことなく堅苦しい雰囲気が」
「ならラブホテルで良い?」
「……淫乱女」
「淫乱って言うな、へたれ男」
「へたれって言うな、性欲の塊」
「もうっ、そういう事言わないでって前から言ってるじゃん! どうして女の子に対して平気で暴言を吐けるわけ?」
会議中に第2ラウンドが開始。怒りを露にした華恋がクッションを全力で振り下ろしてきた。
「そっちが意味不明な事言うからじゃないか。ラブホテルとか何考えてるんだよ!」
「雅人が真面目に考えてくんないのが悪いんじゃん、バカっ!」
「だって良いアイデアが思い浮かばないんだもん」
「このこのこのっ…」
「いててっ!? とりあえず叩くのやめてくれ!」
「言い出しっぺなんだからちゃんと考えろーーっ!!」
いつも話し合いになるとこんな感じ。うやむやのまま終了。日付以外、何も決まってはいなかった。
「赤井くんは夏休みの予定あんの?」
「バイトかな。あとは華恋と旅行に行くぐらい」
「ふ~ん、良いなぁ。うちなんか家族でどこかに出掛ける予定すらないぜ」
翌日、休み時間に鬼頭くんとベランダで黄昏れる。前日に丸山くんとした会話と同じ内容を繰り広げるように。
「優奈ちゃんとどこか行ったりしないの? 向こうの学校も夏休みなんでしょ?」
「アイツさ、休みの日はずっと家に引きこもってんだよね。部屋に行っても中に入れてくれないし」
「そうなんだ…」
「まぁ遊びほうけてるよりはマシなんだけどな。新しいバイトもまだ見つけてないみたいだし、夏バテかも」
「……うん」
彼女とはもう2ヶ月近く連絡を取り合っていない。ここで初めて近況を知る事になった。
「というわけで夏休み中は時間余りまくってんだよね。暇ならうちに来てよ」
「そ、そうだね。予定合うなら一緒に遊ぼっか」
「あ~あ、退屈だなぁ。学校来ても休みでもやる事ないわ」
「鬼頭くんは受験しないんだっけ?」
「俺は就職。家庭の事情でね」
「なるほど…」
クラスメートの中には夏休み中に免許を取得しようと試みる者もいる。周りが大人になる為の階段を登っているというのに自分は呑気に旅行に行って良いのかと不安に苛まれた。
「じゃあバイト頑張って」
「うん。行ってくる」
「私達の旅行代しっかり稼いできなさいよね」
「半分ぐらい負担しておくれよ…」
帰りのホームルーム後はすぐに教室を出る。笑顔の華恋に見送られながら。
下駄箱で靴に履き替えると校舎の外へ移動。人で賑わうグラウンド脇を歩いた。
「……あれ?」
ついでに野球部を観察する友人の様子を見に向かう。しかしいつもそこに佇んでいる淋しそうな背中がどこにも見当たらない。
「まだ来てないのかな…」
辺りを見回してみたが不在。特に異変という訳ではないので真っ直ぐ進んだ。
「お?」
校門をくぐると学校沿いの道を歩く。そこで気になる光景に遭遇した。
「智沙…」
ここからでは位置が遠いのでハッキリとは分からない。ただ緑色のネット越しに見える2人分のシルエットの片方がよく知る人物の形に似ていた。
「……呼び出し?」
有り得ないと思いたいが、この状況ではその可能性しか考えられない。そして恐らく誘ったのは彼女の方だろう。だとしたら相手は恐らく野球部の男子。その目的は隠していた気持ちを打ち明ける為だ。
「ダメだ…」
立ち止まって耳を傾けるが途中で断念。何も聞こえやしない。それにこのままだとバイトにだって遅刻してしまう。気にはなったが再び歩き始める事にした。
「智沙が告白ねぇ…」
彼女は生まれて初めて出来た女友達。性別は違うと分かってはいたが颯太と同じ立場の扱いをしていた。そしてそんな人物が一世一代の勝負に出ようとしている。
その事実が心の中に妙な違和感を生み出していた。まるで大切な仲間が少しだけ遠くにいってしまったような錯覚を。
「瑞穂さんは男の人に告白された事はありますか?」
「なに急に? 女の子にラブレターでも貰ったの?」
「いえ、そういう訳ではないんですけど…」
バイト先に出向いてからも不思議な気分が全身を支配。仕事に集中出来ないので同僚の先輩に相談してみた。
「どうです?」
「ん~、何度かはあるかな。本気のだったり、冗談半分のだったり」
「そういう時ってやっぱり嬉しかったですか?」
「嬉しいっていうか驚いたわよ。友達だと思ってた人にいきなり付き合おうぜって言われて」
「なら断ったんですか?」
「まぁね、こっちは何の心構えも出来てなかったし。それにもし別れちゃったりしたら後が気まずいから」
「やっぱりそんなもんですかねぇ…」
年上の女性と恋愛絡みの話題で盛り上がる。臆病な性格からの脱却を意識しながら。
けど見方を変えれば単にヤケクソになっているだけなのかもしれない。少しだけ大人に近付いた友人に嫉妬していた。
「あっ、でもOKした事もあるわよ。全部が全部はねのけてきた訳じゃないから」
「そうなんですか。やっぱり相手がタイプだったからとか?」
「うぅん。むしろ苦手な人だったかな」
「ならどうして承認したんですか?」
「う~ん……今、思うと自分でも不思議なんだよね。全然好きでもない人からの告白を何で受けたんだろう」
「無理やり脅されたとか。さすがにそれはないか」
「あはは、それはドラマの見過ぎ。とっても優しい人だったよ」
「へぇ」
会話が別の箇所に移行する。目の前にいる人物がかつて高校時代に経験した恋愛エピソードへと。
その時は受験で忙しく心身共に疲れ果てていたとの事。それと同時にある男性に恋をしていたらしい。隣のクラスの同級生に。
勉強のイライラと片思いのストレスが爆発してしまいその人に告白。片思いが成就すれば受験にも身が入るかもしれない。そう考えての告白だったが結果は玉砕。勉強を捗らせる為の行動が却って滞らせる事になってしまったというのだ。
落ち込んだ瑞穂さんは勉強を投げだし怠惰な時間を過ごす日々に。そんな彼女を見て声をかけてきたのがクラスメートの男子だった。
自然と仲良くなり、ついには相手から愛の告白。誰かにすがりつきたい気分だった瑞穂さんはあっさりと了承してしまったんだとか。
「それでその人と付き合う事にしたんですね」
「えへへ、それがまともに交際する事はなかったんだよね」
「どういう事です?」
「告白されてOKはしたんだけど、付き合うのは受験が終わってからにしようって約束したの。浮かれて進学に失敗したらシャレにならないからさ」
「でも瑞穂さんはちゃんと合格して大学に通ってますよね?」
「その彼は受験じゃなく就職組だったんだけどね、私の受験が終わるのを待ってる間に冷めちゃったんだってさ。それで自然消滅」
「勝手な人だなぁ。自分から告白しておいて」
「でもその人のおかげで私は勉強を頑張れたんだよ。だから今でも感謝してるんだ」
「ふむ…」
すぐ目の前に満足そうな表情がある。恨みや妬みを含まない笑顔が。
「じゃあ、それから誰とも付き合ってないんですか?」
「さぁどうでしょう?」
「今は彼氏いますよね?」
「こ~ら、人のプライベートにあんまり深入りしないの」
「いてっ!?」
問い掛けに対して攻撃が炸裂。軽くおでこを小突かれてしまった。
「お疲れ様でした~」
バイトが終わると店を出る。いつも利用している駅から電車に乗り地元に帰還。移動中も頭の中は考え事で満たされていた。放課後に目撃した友人の動向に。
「こんな時間まで何してるの…」
「雅人…」
そして帰宅途中の公園で本人を見つけてしまう。ブランコに腰掛ける1つのシルエットを。
普通に帰るならこの場所は通らない。わざわざ足を運んだのは、もしかしたらいるのではという予感があったからだ。
「帰らなくて良いの?」
「……うん。まだ良い」
「おばさんが心配するよ?」
「ん…」
帰宅を促すが彼女が黙り込んでしまう。明らかに落胆した様子で。
「何かあったんでしょ。もし良かったら相談に乗るけど」
「……別に良い。何にもないし」
「何もないならここまで元気無くす訳ないじゃないか。話してみてよ」
「いいって言ってるじゃん。本当になんにも無いんだってば」
「じゃあこのまま置き去りにして帰っちゃうよ。それでも構わないの?」
「帰りたいなら先に帰りなさいよ。アタシは1人になりたくてここにいるんだから」
「あぁ、なるほど。そう言われればそうか」
励まそうかと思ったが余計なお世話だったらしい。投げたボールは勢いよく打ち返されてしまった。
「で、ではまた」
「……バイバイ」
「考え事もいいけど早く帰りなよ。夏とはいえ夜は冷えるから」
「はいはい…」
「あと変質者に気をつけて。制服着てうろついてるとお巡りさんにも声かけられるし」
「うっさいなぁ…」
別れの挨拶を告げてゆっくりと後退る。しかし友人は一度として目を合わせようとはしない。
「あ、あの……聞いてます?」
「……聞いてない。サッサとあっち行け」
「そんな言い方しなくても。わざわざ心配して立ち寄ってあげたのに」
「あんたはアタシのストーカーか。いちいち追いかけてくんな」
「失礼な奴め…」
全身の力が一気に放散。鞄を地面に置くと空いている方のブランコに腰掛けた。
「よっ、と」
「……どうして帰るって言っておきながら座ってんのよ」
「なんとなく夜風に当たりたい気分なんだ。家に帰りたくないというか」
「はぁ…」
友人が大袈裟に溜め息を吐く。呆れた様子で。
「智沙とこの公園でこうして遊ぶのって何度目?」
「……知らないわよ。いちいち数えてないし」
「香織と喧嘩した時と、華恋の事を相談した時。それから、え~と……3回ぐらい?」
「そうなんじゃないの。雅人がそう思うなら」
「そっか。なら今日で4回目だと思っておこう」
指折りしながら過去のやり取りを想起。そんな話なんかどうでもいいとばかりに対話相手はかかとで地面を削っていた。
「いつも相談がある度に呼び出してたよね。よく考えたら悪い気がする」
「んな事気にしてないわよ。暇だったから来ただけだし」
「心強い味方だった。智沙がいなかったら今頃あの2人とも仲直り出来てたか分からない」
「……オーバーね、アンタも」
「オーバーなもんか。僕の中で智沙は世界一頼りになる友達なんだから」
「ふんっ…」
顔から火が出そうなぐらいのこっぱずかしい台詞を吐く。こういう言葉を平気で口に出来てしまう空気というのは恐ろしい。
優しさの表れなのか彼女は笑わなかった。ついでにツッコミも入れてはくれなかった。
「だからいつも感謝してるんだよ、智沙には。助けてもらっちゃって悪いなぁって」
「そりゃどうも…」
「話したくないならそれでも良いけどさ、こうして側にいるのは構わないでしょ?」
「ダメって言ったら?」
「無理やり居座る。さすがにこんな暗い場所に女子高生を1人置き去りにするのは抵抗があるし」
打ち明けてくれないのならせめて近くにいてあげたい。頼りないボディーガードとして。
自分は友人が落ち込んでいる原因を把握している。だがそれを暴露するかどうかの選択権は本人にあった。
「アンタも物好きねぇ。わざわざ貴重な時間潰してまでアタシに付き合うなんて」
「帰ってもどうせテレビ見ながらゴロゴロするだけだからね。ゲームや漫画に夢中になってるより誰かとこうしてお喋りしてた方が有意義だよ」
「なら家族と過ごしなさいよ。かおちゃんだって華恋だっているじゃない」
「香織は最近ずっと部屋に籠もって趣味に没頭してるんだよね。華恋は旅行の日程決めようってうるさいし」
「平和な家庭だわね。アタシも混ざりたいわ」
「うちに来る? なんなら家族を入れ替えてみるかい?」
「はあぁ…」
顔に当たる風が心地良い。むしろ寒いと感じてしまうレベル。
「……雅人ってさ、どうしてアタシの事を下の名前で呼び始めたんだっけ」
「へ?」
「最初は違ったでしょ?」
「まぁね…」
夜空を見上げていると唐突に質問を投げかけられる。無関係とも思える話題を。その答えを探す為に意識が中学時代へとタイムスリップ。今とは違う制服を着ている頃を思い出した。
「ん…」
彼女と初めて知り合ったのは中2の時。同じクラスになったが接点はなく、その時点ではただのクラスメート。自分達に共通点が出来たキッカケが香織だった。
智沙の入っていたバレー部に妹が入部。部活の後輩のお兄さんという理由で彼女が声をかけてきたのが始まりだった。
「あぁ。そういやそうだったわね」
「いきなり話しかけてくるからビックリしたよ。誰にも教えてなかった情報まで知ってるし」
「あはは。だってかおちゃんの話を聞いたら興味湧いちゃって」
「その気持ちも分からなくはないけどさ…」
彼女が興味を持ったのは自分達が共に暮らしている家族という事以上に血が繋がっていないという点。これ以上ないぐらいの少女漫画的シチュエーションに大興奮して接近してきた。
「馴れ馴れしいクラスメートだとは思ったよ。いきなりタメ口だったし」
「同級生に敬語って変じゃない。タメ口が普通でしょ?」
「だとしても呼び捨てはないって。いきなり赤井って呼んできてさ」
「だってアタシ、その当時かおちゃんの事も赤井って呼び捨てにしてたもん。だから兄貴のアンタも同じにしたった」
「香織と僕は別人じゃないか。混同しないでくれよ」
「ははは」
「……ったく」
彼女は昔からこう。誰に対しても分け隔てなく接する事が出来る性格。言い方を変えれば遠慮が無い人間ともとれた。
「でも名字が同じだからどっちがどっちか分からなくなっちゃったのよね~」
「そりゃ親が再婚した訳だからね。それで智沙が下の名前で呼ぼうって提案したんでしょ?」
「そっか。思い出した、思い出した」
「懐かしいなぁ」
指摘しつつ自分自身も数分前までその記憶が気薄に。忘れていたというより今の状況に慣れすぎていたのかもしれない。
「アンタ達がくっ付くのを密かに期待してたんだけどなぁ。結局、何にも起きなかった」
「当たり前だよ。あと智沙がしょっちゅうその話題を口に出してたから密かでも何でもない」
「雅人がへたれだったのが計算外だったわ。強引に攻めれば良かったのに」
「そんな事したら家庭内崩壊しちゃう。あと香織はあんまりタイプじゃないんだよね」
「おい! 今のかおちゃんにチクるぞ、コラ」
「別に良いよ。本人もそれ知ってるから」
夜の公園で大盛り上がり。先程までの暗い空気はどこかへと吹き飛んでいた。
「けどまさか本物の妹が現れるとはねぇ…」
「初めはそれをお互いに知らなかったってのが凄いよね」
「アタシの見立てだとあと2~3人はいそうなのよね。姉とか弟とか」
「……やめようよ、そういう事言うの。これ以上混乱させられるのは勘弁だ」
その時の光景を想像してみる。両親達の関係性が複雑すぎて受け入れたくない。
「アタシ達も歳とったわねぇ」
「何言ってるのさ。まだまだお互いに子供じゃないか」
「はぁ……人生ってどうしてこんなに上手くいかないんだろ」
会話の中に深い溜め息が発生。その仕草がキッカケで再び重苦しい雰囲気が漂い始めた。
「……雅人さぁ、アタシがいつも放課後にグラウンド見てたの何でだと思う?」
「さ、さぁ? 分からないや」
ふと核心めいた話題を振られる。話し合いの原点を。
「実は好きな人がいたんだよね」
「野球部に?」
「うん…」
「そうなんだ…」
そして彼女はそのまま放課後に起きた体験談を暴露し始めた。自虐的な口調で。その口から発せられたエピソードは事前に予想していた物となんら変わらぬ内容だった。
野球部に意中の相手がいた事。1年生の時からその人物が気になっていた事。2年生になった時に別々のクラスになり、それからは放課後に様子を見に行くようになった事。そして今日、その相手に見事に振られてしまったという事を。
「……ずっと我慢してたんだよね。練習の邪魔になりたくなくて」
「2年間もずっと?」
「うん。変に動揺させちゃったら悪いし。だから今年の夏が終わるまで待ってたんだけど…」
「そっか。3年生は大会に負けた時点で引退だもんね」
「アタシも予選敗退だった…」
「誰が上手い事を言えと」
やはり放課後に見たシルエットは彼女だったらしい。だとしたらあの時間から今までずっとこの公園で佇んでいたのだろう。
「ま、まぁそういう事もあるよ」
「はぁ……やっぱりアタシ、女としての魅力ないのかなぁ」
「人の好みなんてそれぞれだって。智沙みたいな人がタイプの男だってどこかにいるさ」
「ならアタシの良い所を10個ぐらい挙げてみてよ」
「え? う~ん、う~ん…」
「……お前に聞いたアタシがアホだったわ」
頭を捻って考える。色々と思い浮かべたが期待しているような答えは出せなかった。
「その人ね、好きな人がいるらしいんだ」
「ほう?」
「B組にいる女子で、去年転校してきた子なんだって」
「うちのクラスか…」
それはもしかしたら華恋の事かもしれない。クラスメートの女子の中で去年転校してきた生徒は他にいないハズ。自分の記憶違いでなければ。
「な、なんかゴメンナサイ…」
「……どうしてアンタが謝んのよ」
「ふへへ…」
心の中が申し訳ない気持ちでいっぱいに。罪悪感で溢れ返ってしまった。
「もうダメだ。何もやる気が起きない」
「失恋ってそんなものだよ。しばらくしたら立ち直れるさ」
「あ~あ、明日からどうしよっかなぁ…」
「何が?」
「放課後。楽しみが無くなっちゃったし」
「あぁ。もう野球部を見学する意味が無くなっちゃったもんね」
とはいえ自分自身か新たに部活に入る訳にもいかない。ほとんどの同級生は引退する時期なのだから。
「新しい恋を見つけるとか?」
「そんな事が簡単に出来たら苦労しないわよ」
「そうかな。女性はアッサリしてて、すぐ次に進むってよく聞くけど」
「はぁ……こういう時に格好いい男の子が優しく慰めてくれたらなぁ」
「悪かったね。イケメンじゃなくて」
「アタシって意外に脆かったんだな。まさかこんな簡単に崩れちゃうとはさ」
「誰でもそんなものだよ」
バイト中に瑞穂さんから聞いた話が脳裏に浮かぶ。失恋した時に別の男性に優しくされて傾いてしまったというエピソードが。
その気持ちは分からなくない。大抵の人間は傷付いている時に優しくされたら自然と惹かれてしまうハズだ。
「よっ、と」
「ん?」
「帰ろ。ご飯食べて寝れば少しはマシになるよ」
「……かなぁ。食欲湧かないんだけど」
「無理して何か口に入れないと元気出ないって。それに横になったら自然と眠れるさ」
「自信ないわぁ……ハァ」
立ち上がると再び帰宅を促す。嫌な雰囲気を吹き飛ばすように。
「1人で帰れる? 送っていこうか?」
「いっそ過去に帰りたい。無邪気だったあの頃に…」
「しっかりしてくれよ。ちゃんと歩けるよね?」
「分かってるわよ。それなりに元気だから大丈夫だって」
「本当かな…」
反発してくるかと思ったが意外にも彼女は指示通りに行動。ただし表情が完全に死んでいた。
「……んじゃあね、バイバイ」
「やっぱり送って行くよ。心配だから」
「はぁ? いらないって言ったじゃん」
「ん~、でも不安なんだよね」
「アンタ……まさかアタシの事、狙ってんじゃないでしょうね?」
「違うってば。変な風に解釈しないでくれよ」
街灯が照らす空間で妙なやり取りを展開する。どちらも得していない心理戦を。
「途中まで付いて行く。それなら良いでしょ?」
「いらないからとっとと帰れ。1人で考え事したいんだから」
「で、でも…」
「おらぁっ!!」
「いてっ!?」
友人が鞄を大きく振り回した。避けようとしたが間に合わず太ももに直撃。
「分かったよ…」
「ふんっ…」
「じゃ、じゃあね」
なぜか自分が見送られる形で別れる事に。何度も後ろに振り返りながら公園を後にした。
「……大丈夫かな」
住宅街とはいえ人通りはほとんどない。不審者に襲われたら誰も駆け付けてはくれないだろう。
不安な気持ちと葛藤しながらも夜道を歩く。不思議と自宅がいつもより遠く感じられた。
「ただいま」
「あ、おかえり。遅かったじゃん」
「少し寄り道したからね」
リビングにやって来るとテレビを見ている家族を見つける。入浴中で不在の華恋以外の3人を。
「珍しいね、まーくんがこんな時間まで。コンビニ?」
「うん。気になる雑誌があったから立ち読みしてきた」
「エッチな雑誌でしょ。本当にスケベなんだから」
「ど、とうしてそうなるのさ!」
香織のボケに声を荒げて反論。本当は違うのに却って疑惑を深めてしまった。
「雅人、晩御飯は?」
「いるよ。お腹空いたから何か作って」
「はいはい。よっこいしょっと」
母親が年寄りくさいセリフを吐きながら立ち上がる。すぐ横をすり抜けキッチンへと入っていった。
「ん? 何?」
「いや…」
無意識に視線が交わる。ソファに寝転がっていた背の低い人物と。
「香織は全然変わらないよね。あの時と」
「急に何? どうしたのさ」
「ちょっと昔を思い出してさ。懐かしくなっちゃったんだよ」
「はぁ?」
彼女もいつか誰かを好きになり告白する日が来るのだろうか。男の方から気持ちを打ち明けられる場合だってある。
それは当たり前の現象なのに何故か受け入れられない。ずっと未来の出来事であってほしいと心の奥底で願っていた。
「事故!?」
「うん。昨夜、怪我しちゃったって…」
「えぇ…」
翌日、休日だというのに珍しく隣の部屋の寝坊助が朝早くに部屋に乗り込んでくる。彼女の口から発せられた言葉にウトウトしていた意識が一瞬で吹き飛んだ。
「誰から連絡きたの? 智沙のおばさんから?」
「うぅん、ちーちゃんから」
「え? 本人?」
朝、起きたらメールが届いていたらしい。詳細を伏せた内容で。
「どうしよう。大丈夫かな…」
「何て言ってるの? 怪我ってどの程度の物なのさ?」
「詳しく聞いてないから分かんないよ。ただ歩けないって言ってた」
「それ結構ヤバくない?」
友人が怪我を負ったとの事。あまり良くないイメージが脳裏に思い浮かんだ。
「病院は行ったの? 手当ては?」
「知らないよ、私に聞かれても。事故に遭ったぐらいなんだから行ったんじゃないの?」
「もしかして入院してるのかな。病室からメールしてきたとか」
「直接本人に聞いてみれば?」
「そうだね…」
ダメ元でメッセージを送ってみる。現状を尋ねる内容の文章を。
「う~ん…」
「心配だよね~。今まで事故とか病気とか一切した事なかったのに」
「だね。しっかり者だもん、智沙は」
もしかしたら注意散漫で道路に飛び出してしまったのかもしれない。やはり自宅まで送っていくべきだと後悔の念が湧いてきた。
「あっ、返事来た」
「早っ! 起きてたんだね」
「へ?」
「どうしたの?」
「……何を考えてるのさ」
すぐさま端末を操作して画面を開く。そこに書かれていたのは『死にそう』という一言だけ。心配して送ったメッセージの返事にしては有り得ない程のシュールな内容だった。
「えぇ……ちーちゃん、大丈夫かな」
「分かんない。けどヤバそうだ」
「今はどこにいるんだろう?」
「待って待って」
激しく指を動かす。誤字脱字を繰り返しながら再びメッセージを送信。
「家にいるっぽい。部屋で寝てるってさ」
「なら大した事ないのかな」
「でも歩けないって言ってたんでしょ? それが本当だとしたらかなり重傷じゃないか」
「心配だなぁ。お見舞いに行こうかな」
メールだと相手の姿が見られないのが難点。電話をかけたが出てくれなかった。
「ちょっと様子見てくる」
「え? なら私も行くよ。支度するから待ってて」
「いや、自転車に乗っていくから1人でいいや。香織は華恋にこの事を話しておいてくれないかな」
「わ、分かった」
バイトのシフトが入っていたので店長に連絡してズラしてもらう事に。紫緒さんにも電話をして代理を依頼。嫌々ながらも彼女は要求に応えてくれた。
「行ってきます」
着替えを済ませると自転車に乗って友人の家を目指す。彼女の家に遊びに行った事はほとんどないが場所だけは把握していた。
「あら、いらっしゃい」
「え~と……こんにちは」
「智沙のお友達? 男の子が来るなんて珍しいわね」
「ども…」
そして団地に到着すると駐輪場に自転車を停める。駆け足で階段を上がって目的の階へ。インターホン越しに要求を伝えると小綺麗な女性が出てきた。
「上がって上がって。狭い所だけど」
「お、お邪魔します」
知り合いだと認識されたので中へと案内される。ヘコヘコと頭を下げながら進入。
「智沙っ!」
そのままおばさんに案内されて廊下の奥へ。1つの部屋の前までやって来た後は勢い良く扉を開けた。
「……な、何」
「あれ?」
しかしそこで意外な光景が視界に飛び込んでくる。パジャマ姿で布団に横たわりながら漫画を観賞中の友人が。
「ど、どうして雅人がうちに来てんの?」
「いや、怪我は?」
「ちょっと、まだ起きてから着替えてないんだから出てってよ!」
「事故、病院……え?」
「なに訳分かんない事呟いてんのよ。いいからさっさと出ていけってば!」
「うわっ!?」
彼女がクッション代わりに使っていた枕を手に装備。威嚇するように思い切り振り回してきた。
「事故に巻き込まれたんじゃないの? どうしてピンピンしてるわけ?」
「会話始めんな。出てけっつったでしょ」
「何ゆえ呑気に漫画読んでるのさ。怪我は?」
「膝を擦りむいただけ」
「は?」
友人が起き上がって布団の上にあぐらをかく。続けて自分も床に正座した。
「ちゃんと説明してくれよ。状況がサッパリだ」
「アタシはあんたがここに来てる方がサッパリよ。何しに来たわけさ」
「智沙が事故に巻き込まれたって言うからすっ飛んで来たんじゃないか。死にそうとか書いてたし」
「あぁ、アレか」
お互い冷静になって歩み寄る。不透明な情報を共有するように。
「あそこの道さ、狭いのに車がガンガン飛ばすでしょ。昨夜もシャコタンが飛ばしまくっててさ」
「そ、それでその車にはねられたの!?」
「うんにゃ、ちゃんと避けたわよ」
「そ、そっか…」
彼女が状況説明を開始。昨夜、公園で別れてからこれまでの経緯を語ってくれた。
「そしたら次にスクーターが凄いスピードで近付いて来たの。アホみたいにエンジンふかしながら」
「そ、そのスクーターに引ったくりにでも遭ったの!?」
「うんにゃ、おばちゃんスクーターだったから何事もなく通り過ぎていったわよ」
「そ、そっか…」
動揺が止まらない。精神はかつてない程に狼狽全開。
「でね、空を見上げたら星が綺麗だった訳よ。アタシ、思わず見とれちゃってさ」
「は、はぁ…」
「流れ星流れないかなぁ~って上向いて歩いてたの。そしたら側溝の蓋に足挟んでバターンて転んじゃった」
「えぇ…」
だがその不安は全て杞憂に。エピソードは全く予想もしていなかった箇所に辿り着いてしまった。
「アレは痛かったわ。手を地面に突く前に倒れちゃったから」
「あ、あの……事故っていうのは」
「あん? 今、喋ったじゃないのよ。溝に足をとられて転んだってば」
「そんな…」
開いた口が塞がらない。比喩表現ではなく事実として。
「ビックリしたじゃないか。いきなり事故に巻き込まれたとか言うから」
「あはは、ゴメンゴメン。少し大袈裟過ぎたかな」
「……ったく、心配して損したよ」
「悪い悪い。失恋者の自虐ネタだと思ってスルーしといて」
一晩寝てスッキリしたのかもしれない。瞼は赤く腫れ上がっていたが表情は晴れ晴れとしていた。
「そういや雅人ってアタシの部屋に上がるの初めてじゃない?」
「ん? そういえばそうだね。玄関までなら来た事あるけど」
「かーーっ、よりにもよって初めて部屋に招いた男子が雅人かよ。やってらんないな、これは」
「それはこっちの台詞だよ。こんな事ならご飯も食べずに家を飛び出して来るんじゃなかった」
「あ、アタシも朝食まだだわ。お腹空いてきた」
「……人の話聞いてる?」
嫌味を込めた皮肉さえ空振り。彼女なりの冗談なのか、それとも照れくささを隠そうとする行為なのかは不明だが。
しばらくすると華恋と香織も到着。徒歩でここまで来た2人は先程までの自分と同じように焦燥感タップリの様相だった。
元気な智沙の様子を見て目を点に。彼女達にも事情を説明し、そこでようやく平和な談笑が出来るようになった。
「も~、ビックリしたじゃん。何事かと思ったよ」
「ゴメンってば。まさかアタシのメール1通でここまで心配させちゃうとはね」
「事故に巻き込まれたって聞いたら誰だって不安になるよ。ねぇ、華恋さん?」
「え? あ、あぁそうね。やっぱり驚いたかな」
「ほんっとゴメン! これも全て雅人のせいだから」
「どうしてさ!」
人数が増えた事で賑やかになる。人口密度も圧迫感も倍に。
「じゃあ無事も確認出来た事だし。そろそろ退散しますかな」
「あれ、もう帰っちゃうの?」
「本当はバイトあったのに紫緒さんに代わってもらってるんだよ」
「……そっか。わざわざ悪かったわね」
「もう今朝みたいなイタズラはやめてくれよ。心臓がドキッとさせられる」
「あはは……ゴメンゴメン」
全員で部屋を出て廊下へ。リビングのソファに座っていたおばさんに挨拶をしなから玄関へと移った。
「また来るね。バイバ~イ」
「バイバイ、またいつでも遊びに来てね」
「怪我してる所はちゃんと消毒しないとダメだよ。バイ菌入っちゃうから」
「はいはい、了解」
1人ずつ順番にスニーカーへ足を通す。狭い空間を占拠して。
「雅人」
「ん?」
そして女性陣を先に出した後は自分も外に移動。その直前に友人が声をかけてきた。
「サンキューね、黙っててくれて」
「……別に気にしなくても。んじゃまた」
「うん、またね」
互いに小さく手を振る。周りに聞かれない声量での会話と共に。
「ん…」
もしかしたら今朝のメールはただの悪戯ではなかったのかもしれない。不器用な彼女なりのSOS信号だったのだろうか。そう思わずにはいられないほど別れ際の表情は儚さを纏っていた。
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