第3話 嘘つきとホラ吹き

「支度出来た~? もう出るよ」


「あと少し~」


 玄関から二階に向かって声をかける。返ってきた答えに若干イライラしながらケータイで時間を確認。


「……初日から遅刻とか勘弁だよ」


 今日から新学期だった。ただの休み明けではなく学年が変わる1年に一度だけの節目。


 次の電車を逃したら学校に到着するのが予鈴ギリギリに。新しく発表されるクラス替えを確認しなくてはならないので早めに出たかった。


「着替えに手間取ってるのかな?」


「多分ね。だから昨夜のうちに用意しときなって言ったのに…」


「私、見てこよっか?」


「悪い。ならお願い」


 華恋が履いていた靴を脱いで家に上がろうとする。スパイ活動を名乗り出たので任せる事にした。


「あ?」


「ぐおおおぉぉぉっ!!」


 そのタイミングで階段から音が聞こえてくる。家中に響き渡る凄まじい轟音が。回転しながら落下してきた義妹が派手なアクションと共に壁に激突した。


「ぐっはあっ!?」


「忘れ物ないね。行くよ」


「ちょ、ちょっと待って。腰が…」


「時間がないんだ。さぁ出発」


 玄関のドアを開けると競走馬の如く外へと飛び出す。眠気覚ましに浴びる朝の日差しが気持ち良い。


「いてててて…」


「大丈夫?」


「もうダメかもしれない。まーくん、おんぶして」


「自分も腰が痛くてそれどころじゃないんだ」


「ドジ」


 ダメージを堪えながら久しぶりに3人で歩いた。閑静な住宅街を。


「……何?」


「いや、別に」


 途中、振り返ると目が合う。キョトンとした華恋と。


 まだ彼女が戻って来た事を誰にも報告していない。毎朝地元から一緒に通学している友人にも教えていなかった。


「ちーちゃぁぁぁぁん!」


「アンタ達、遅いよぉ」


 駅までやって来るとその本人を見つける。ロータリーでケータイを弄っていた。


「……ん?」


 香織が声をかけた直後に彼女がこちらを凝視してくる。様子を窺うように目を細めて。


「あぁあぁぁーーっ!!?」


 続けて大声で絶叫。思わず耳を塞ぎたくなってしまうレベルのボリュームだった。


「うるさいよ…」


「だ、だって」


「いや、驚く気持ちは分かるけどさ。そこまで大きな声出さなくても」


「……本物だよね?」


 狼狽えている友人を見て華恋と2人で笑い合う。予想を遥かに上回る反応がおかしくて。


 久しぶりの再会に積もる話もあるだろうけど遅刻しては意味が無い。ホームへと移動して電車に乗り込んだ。



「しっかしビックリしたわ。いきなり現れるんだもん」


「ごめんね。驚かせようと思って内緒にしてたの」


「まったくぅ……んで、いつこっちに帰って来たわけ?」


「春休みの間に。また一緒に通う事になったからよろしくね」


 混雑した車内の中で女性陣がトークを弾ませる。空白の数ヶ月に起きた出来事や共通の思い出話をネタに。


「ふぅ…」


 この2人は別れ際にちゃんと挨拶をしていない。教室で暴走した颯太を智沙が羽交い締め。それ以来の再会だった。




「見える?」


「……な、なんとか」


 電車を降りた後は4人で海城高校を目指して歩く。香織と別れると3年生の下駄箱へ。クラス替えが発表されている掲示板に注目した。


「あ、あった」


「どこ?」


「あそこ。ああああとアナベベの間」


「どんな名前…」


 智沙が指差した先に視線を移す。そこにあったのは今までの人生で何度も目にしてきた赤井雅人という文字。


「あっ、僕の方か」


「アタシの名前ないなぁ。雅人とは違うクラスかぁ」


「B組か…」


 人で溢れているので思うように動けない。辺りでは運任せの配置に対して一喜一憂している生徒達の姿が見受けられた。


「げっ!」


 ついでにここにはいない友人の名前を探す。だが彼の名前も違う組で発見。


「そんな…」


 颯太とは中1の時からの腐れ縁だった。年数にして5年。その間ずっとクラスメートを続けていたから離れ離れになるのは初めてだった。


「まぁ、毎回同じになるとは限らないわよね」


「うん……人生はなかなか上手くいかないや」


「落ち込むなって。そのうち良い事あるわよ」


「いって!?」


 昇降口から脱出した後は階段を上がる。ガックリと肩を落としながら。


「じゃあ、アタシはここだから。バイバ~イ」


 そして三階へとやって来た所で解散。手を振って教室に入っていく智沙の姿を無言で見守った。


「……はぁ」


「ま~た溜め息ついてる」


 落ち込んでいると隣にいた双子の妹に注意を受ける。叱責の意味合いを込めて。


「だって皆バラバラだよ? テンションも下がるって」


「文句言ったってしょうがないじゃん。決まっちゃったもんは」


「分かってるけどさぁ…」


「それにそこまで悲観しなくても良いんじゃない? 私と同じクラスになれたんだし」


「……だね」


「あ~、楽しみだなぁ。新しい教室」


 颯太や智沙とは離れ離れになってしまったが華恋とは同じクラスに。なぜ家族で同じ振り分けなのかは謎だったが名字が違うと考えたら納得出来た。


「私と一緒のクラスになれて嬉しい?」


「まぁ…」


「ハッキリしない返事ねぇ。どっちなのよ」


「嬉しいような嬉しくないような…」


「どっちよっ!!」


「ひいいっ!?」


 彼女が間近で怒鳴り散らしてくる。眉を吊り上げながら。


「う、嬉しいです」


「本当に?」


「はい。可愛い妹と同じにクラスになれて幸せだなぁと思いました」


「やだぁ、可愛いだなんてそんな」


「いてっ!?」


 言い訳を繰り出した瞬間に背中に衝撃が発生。平手で思い切り叩かれてしまった。


「ここか…」


 教室へやって来ると見知らぬ同級生をたくさん見つける。楽しそうにお喋りするグループや、1人で大人しく座っている者を。


 チラホラ知っている顔を見かけたがほとんどが喋った事もないような人達。気軽に声をかけられそうな友人はいなかった。


「んじゃ、また後でね」


「ん」


 華恋とも席が離れているので別れる。入口近くの机に鞄を置くと静かに座った。


「うおりゃあっ!! 俺がお前らの新しい担任だ、うおりゃあっ!!」


 しばらくすると意味不明な掛け声と共に教師も登場する。指示に従い体育祭へと移動。始業式が執り行われた。


 教室に戻って来てからは先生の簡単な自己紹介や今年1年の予定の発表。初日なので授業は無しの半ドンだった。




「雅人、帰ろ」


「うん」


 ホームルームが終わると鞄を持った華恋が話しかけてくる。満面の笑みで。


「今日はバイトあるんだっけ?」


「そだよ。だから悪いけど一緒には帰れないや」


「ちぇっ……残念だなぁ」


 新学期が始まってしまったのでまたあまり出勤出来ない。なので授業が午前中しかない日に少しでも顔を出しておこうと考えたのだ。


「ねぇ、お店行っても良い?」


「ダ、ダメだよ! 恥ずかしいから」


「えぇ……でも雅人のエプロン姿見てみたいし」


「そんなの見ても一文の得にもならないってば」


「なるよ。写真撮りまくってやるんだから」


「……マジ勘弁してください」


 恥でしかない。知り合いが来るのも失態を目撃される状況も。


「どうしてもダメ?」


「ダメ」


「ブ~、ブ~」


「もし大人しく帰ってくれたら良い物あげるよ」


「え!?」


 あまりにもしつこいで方向性を切り替える。餌で釣る作戦を実行した。


「何々、良い物って?」


「さぁ? それは帰ってからのお楽しみ」


「むぅ……良いじゃん、教えてよぉ」


「だから帰ってから教えてあげるって。今はまだ内緒」


「本当になんかくれるの?」


「ま、まぁ…」


「……マジで?」


「うん」


 適当に頭でも撫でておけば良いだろう。今の華恋なら誉められた犬みたいに喜びそうだった。


「頭撫でてお終いとか、そんなオチは無いわよね?」


「い、いやぁ。どうかな」


「ん~、そこまで言うなら大人しく帰ろっかな。遅刻させても悪いし」


「そんなに期待しない方がいいよ…」


「じゃあ智沙でも誘って帰るとしますかね」


「あ、うん。気をつけてね」


 どうにか追っ払う事に成功する。ストーカーの撃退に。


「どうしよう…」


 その代償として爆弾を抱えてしまった。不発でも着火させても恐ろしい兵器を。家に帰るまでに上手い言い訳を考えておかないといけない。口は災いの元を痛感した瞬間だった。


「そういえば颯太はどうしてるだろ…」


 結局、彼とは一度も遭遇していない。華恋が帰って来ている事をまだ知らないハズ。別々のクラスになってしまったので言い出すキッカケを逃してしまった。




「おはようございま~す」


 学校を出て5分ほど歩くと職場へと辿り着く。ランチタイム中の喫茶店に。


「あっ、赤井くん来てくれたんだ」


「どうも」


「ちょうど良かった。これあそこのテーブルに持っていって」


「はいはい」


 エプロンを身に付けるとフロアへ。挨拶をした瞬間に同僚の女性からグラスとおしぼりが乗ったトレイを渡されてしまった。


「今日って忙しいですか?」


「戦争戦争。もうてんてこまいよ」


「うわぁ……ならもう少しズラして来れば良かったな」


「お~い、そういうこと言うとお姉さん怒るよ?」


「す、すみません…」


「ふふふ」


 僅かに生まれた空き時間に冗談で盛り上がる。ゴムで髪を縛る瑞穂さんと。


 厨房をパートさん、カウンターを店長、フロアを彼女の3人で回していたらしい。挨拶もそこそこに仕事を任せてきたぐらいなのだから、よっぽど忙しかったのだろう。


「ひいぃ…」


 それから2時間近くピークが継続。入れ替わりお客さんが入って来て途切れたのはランチが終わった後。2時間の間に注文ミスを三度もやらかしてしまった。


「……疲れたぁ」


 エプロンを外して空いているソファに腰掛ける。やや遅めの昼食をとる為に。パートさん、瑞穂さん、店長と休憩してようやく自分の番が回ってきた。


「赤井くんは今日が始業式なんだっけ?」


「ですよ。ほとんどの学校がそうじゃないですかね」


「3年生だから受験生か。もうどこの大学を受けるかは決めてある?」


「え~と、まだ」


「ならうちに来なよ。可愛がってあげるからさ」


「ま、前向きに検討しておきます」


「はい、決まり。絶対だからね!?」


「えぇ…」


 通路を歩く瑞穂さんが立ち止まって話しかけてくる。上から覗き込む形で。


 鬼頭さんの時と違ってやや緊張感が存在。それでも年齢が近いので他のパートさん達よりかは話しやすかった。



「お疲れ様でした」


 日が沈むと上がらせてもらう。一番最後に出勤したので一番最後に。


「あ、そうだ」


 店を出たばかりのコンビニで足の動きを停止。ポケットからケータイを取り出した。


「……っしと」


 今から帰る旨を華恋に伝える。おおよその到着時刻を知らせておけばいつもその時間に合わせて晩御飯を用意してくれていた。


「初日から部活動とか…」


 駅までやって来ると同じ海城高校の制服を着た学生数名を発見。ついでに真っ赤な色が特徴的な槍山女学園の生徒達も。


「雅人。こっちこっち」


「あれ? 何でいるの?」


「可愛い妹が迎えに来てあげたよ。良かったね」


「え? そんな子、どこにもいないけど」


 1人で電車に乗り地元へと帰還。そのままロータリーに出た所で私服姿の華恋に呼び止められてしまった。


「それ僕の自転車?」


「そだよ。急いでたから借りちゃった」


「よく乗れたね。サドル高くなかった?」


「全然。それより後ろ乗る?」


「お? 良いの?」


「うん。疲れてるんでしょ? だからこうしてわざわざ来てあげたんだから」


「なるほど」


 どうやら送迎の為に参上してくれたらしい。彼女の隣には愛用の自転車があった。


「乗った?」


「乗ったよ」


「どさくさに紛れて胸を触ってきたりとかはやめてよね?」


「……しないってば」


「どうしても我慢出来なかったら実行しても良いけど」


「やらないってば」


「やれよ」


「どっち?」


 カゴに鞄を入れて荷物置きの上に座る。少々不安ではあったが妹の肩を掴んだ。


「ふぎぎぎぎっ!」


「ふぅ…」


「んぐぐぐぐっ!」


「何をしている」


「こん……っのぉ!」


 発進を待っていると場に妙な声が響き渡る。鉄火場にいる中年男性を彷彿とさせる奇声が。


「はぁ、はぁっ……全く進まん」


「大丈夫? もう少し踏ん張らないと」


「ちゃんと漕いでるわよ! なのに全然動かないんだってば」


「殴る力は強いクセに肝心な時に役に立たないよね」


「……あ?」


「ぐふっ!?」


 溜め息を吐きながら悪態をついた。その瞬間に強力な肘鉄が脇腹に命中。


「一言多い」


「ほ、本当の事を言っただけなのに…」


「交代」


「えぇーーっ!? なんでさ」


 ただでさえ疲れているのに息苦しい。悶絶していると彼女がサドルから下りてしまった。


「だって私じゃ漕げないんだもん。アンタ変わってよ」


「嫌だよ。足がくたびれてて動かせない」


「情けないわね、男のクセに弱音吐いちゃって。たまには根性見せなさいよ」


「……君は一体何しにこの場所へと来たんですかねぇ」


 疲れて帰って来た家族を労う為に迎えに来てくれたハズなのに。これならまだ1人で帰っていた方がマシだった。


「じゃあ押して歩こう。それなら良いでしょ?」


「ん~、まぁ…」


「自転車押すのと、ただ歩くだけなのどっちが良い?」


「あっ、なら任せた」


「……へいへい」


 結局また自分が大変な思いするだけ。親しくなっても主従関係は変わらない。


「バイト大変だった?」


「今日も忙しかったよ。華恋が来てたとしても座れなかったレベル」


「ふ~ん、繁盛してんだねぇ」


「忙しくても給料は上がらないんだよなぁ…」


 仕事に対する愚痴をこぼす。1日中立っていたせいか歩く事さえ辛かった。


「どうしよう…」


 手元には利便性の高い乗り物が存在している。使用すれば体への負担や体力の減退を抑止出来た。


「私もさぁ、バイトしてる時に変な客に絡まれたりしてさぁ」


「へ、へぇ」


「酒飲んで酔っ払った奴とか特にタチが悪かったなぁ。店内で喚き散らしたり、フラフラと千鳥足で歩き回ったり」


「大変だったんだね」


「ムカついたから頭掴んで網に押し付けてやろうかと思っちゃった」


「……はは」


「抱きついてきた奴の手をトングで思い切りつねった事もあるよ。もし周りに他のお客さんがいなかったら窓から突き落としてやったのに」


「ひ、ひえぇぇっ!」


 先に帰らせてもらおうとしたが無理と察知。短気な性格を考えたら許可してくれるハズがない。きっと怒って自転車を奪い取りにくるだろう。


 実行するならこっそりやるべきだ。本人に気付かれないよう巧みに。


「あとナンパしてくる奴もうざかったわ。こっちは真面目に働いてんのに声かけてきてさ」


「あ、あのさ」


「ん?」


 いつの間にか自分以上に相方がバイトの愚痴をぶちまけている。その話を遮るように声をかけた。


「お願いがあるんだけど……良いかな」


「何?」


「喉乾いたからジュース買ってきてくれない? お金は後で払うから」


 少し離れた場所を指差す。自宅に進む道とはズレた路地にある自販機を。


「いいわよ。炭酸以外なら何でも良いの?」


「うん、お茶でも水でもOK」


「了解。ちょっと待っててね」


 元気に返事をした彼女が駆け足で移動。そんな姿を確認しながらサドルにまたがった。


「……ごめん」


 本人に聞こえないボリュームで謝罪する。地面を蹴るのと同時に。


「あーーっ!?」


 作戦を実行して僅か数秒後。背後から凄まじい声が響き渡った。


「ゴラアァァァ、どこ行くつもりじゃあっ!!」


「ひいいぃぃっ!!」


 ペダルを漕ぐ足に力を込める。全身全霊を傾けて。


「ハァッ、ハァッ…」


 まるで鬼ごっこのようなやり取りを展開。背後から迫ってくる者は文字通り鬼だった。


「あれ?」


 そしてしばらくすると足音が聞こえてこない事に気付く。どうやら振り切ったらしい。ペースを緩めると気持ちいい夜風に当たりながら帰宅した。



「ただいまぁ」


「おかえり、お疲れ様」


「あ、父さん達も帰ってたんだ」


 リビングにやって来ると先に帰宅していた両親を見つける。ついでにソファに寝転がっていた義妹も。


「あれ? 華恋さんは?」


「さ、さぁ? 分からない」


「おかしいなぁ。まーくんを迎えに行くって出て行ったのに。すれ違っちゃったのかな?」


「多分ね」


 まさか途中で置いてきてしまったなんて口が裂けても言えやしない。彼女が帰って来てからの展開を心配しながらも部屋に戻って制服を脱いだ。


「ふぅ…」


「雅人、聞いてくれ。今日な、母さんに課金を頼んだら断られてしまったんだよ」


「なんの話?」


「あぁあぁ……100位以内に入れたら限定カード貰えたのにぃ」


「よく分からないよ」


 リビングに引き返した後はテーブルに腰掛ける。父親の斜め向かいの席へと。



「お、おかえり」


「……ただいま」


 しばらくすると華恋も登場。リビングに飛び込んできた彼女は真っ先にこちらを睨み付けてきた。


「でさ、クラス替えでリエちゃんと別々になっちゃった」


「あら、そうなの」


「あ~あ、残念だなぁ」


 食事中はお互いに無言。主に喋るのは香織で、母親が相槌を打つ程度。父親はずっとケータイに夢中だった。


 食事後は風呂に入った両親が就寝。汗をかいていたので自分もすぐにシャワーを浴びる事に。そしてバスルームからリビングに戻ってくると女子2人が仲良くテレビを鑑賞していた。


「何見てるの?」


「お手軽クッキングノーカット生放送」


「スポンサーついたのかな、これ…」


 職人らしき人が燻製を作る過程を24時間リアルタイムで流し続けている。ディレクターの構成力を疑う狂気の番組を。


「お風呂空いたけど入る?」


「入る入る。着替えとってこよーっと」


 入浴を促すと立ち上がった香織が廊下へと駆けていった。軽やかな足取りで。


「へへへ…」


 リビングに華恋と取り残される。気まずいがとりあえず濡れた髪をドライヤーで乾かす事に。


「じゃあ行ってくるね。完成したら教えて」


「あ、うん」


 その間に衣類を持った義妹が帰還。ハイテンションを維持した彼女はバスルームの方へと姿を消してしまった。


「……さ~て、明日の準備でもしてこようかな」


 自分もこの場から退散する事を決意する。ワザとらしく独り言を呟いて。そして徐にドアを開けた瞬間に背後から人が近付いてくる気配を感じた。


「げっ…」


 慌てて廊下をダッシュする。2つ聞こえてくるドタドタという激しい足音を耳に入れながら。勢いよく階段を上がると扉を開けて中に飛び込んだ。


「雅人ぐるあぁぁぁっ!!」


「ひいぃっ、すいませんっ!」


 すぐさまシールドを張ろうと試みるも失敗に終わる。部屋に入ったのとほぼ同時に追跡者も中へと進入してきてしまった。


「こんのっ…」


「いてっ!?」


「私を置き去りにして帰るとか何考えて…」


「タ、タンマ。後ろ」


「あぁ!?」


 胸倉を掴まれたので息苦しい。少しでも意識を逸らそうと開きっぱなしのドアを指差した。


「……ちっ」


 事情を察知した彼女が後ろに手を伸ばす。力任せにドアを閉めると即座に猛抗議を再開した。


「どういう事だこらぁっ!!」


「ご、ごめんなさい!」


「私の納得のいくように説明しろおおぉぉっ!!」


「ギャアアァァァっ!?」


 窒息するんじゃないかと思えるレベルで首を絞められる。華奢な指に。


 怒られながらも懐かしい感覚に浸った。一方的に奴隷のようにこき使われていた日々を思い出して。そして土下座し続けて何とか普通に会話してもらえるレベルにまで落ち着いてもらった。


「すいませんでした。私が悪ぅございました」


「……っとに、なんて事してくれんのよアンタは」


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「私はね、バイト終わりで疲れてるって思ったからわざわざ迎えに行ったのよ? なのに置いてけぼりにするってどういう訳?」


「つい魔が差してしまいまして…」


 迎えに来たクセに人に自転車を漕がせようとしていた愚行は不問にしておくとしよう。そんな台詞を口走ったら拳の一発や二発が飛んでくるかもしれないから。


「本当に反省してる?」


「してます」


「悪かったと思ってる?」


「思ってます」


「もう二度とこんな事しない?」


「はい、しません」


 まさか先に帰ってしまっただけでここまで怒られる羽目になるなんて。予想を遥かに上回る事態だった。


「まぁ……もうしないって言うなら許してあげない事もないけど」


「あ、ありがとうございます」


「んで、教室で言ってたご褒美って?」


「え?」


「何してくれんの? プレゼントとか?」


「……あ」


 謝罪を済ませた所で新たな失態に気付く。その場凌ぎで口にした虚言の存在に。


「ずっと楽しみにしてたんだけど。聞いても教えてくれなかったし」


「え~と…」


「私が喜びそうな物?」


「物というか、物でないというか…」


 バイトが忙しくて上手い言い訳を考えていない。ここで再び嘘がバレたら激昂される事は確実だった。


「あっ、もしかして何かしてくれるとか」


「ど、どうでしょうかね」


「う~ん…」


 必死で辺りを見回す。都合のいい動機を模索して。その途中である物を発見。綺麗な桜が印象的なカレンダーが視界に飛び込んできた。


「りょ、旅行」


「ん?」


「2人で旅行に行こう! お金貯めて」


 咄嗟に立ち上がる。痺れかけていた足を伸ばすように。


「ほ、ほら。6月に誕生日迎えるじゃん? だから記念にどこか行っても良いかなぁと思って」


「旅行…」


「18歳なら保護者無しで泊まれるホテルとかもあるでしょ? いろいろな制約が外れるから良い機会だと思わない?」


「それは……確かに」


 提案に対して華恋の表情が変化。普段はあまり見せない神妙な面持ちを浮かべ出した。


「……良い」


「へ?」


「凄く良いっ、それ!」


 怯えていると両手を掴んでくる。満面の笑みを浮かべながら。


「良いじゃん良いじゃん、2人きりの旅行とか」


「そ、そうですか…」


「そういえば私、家族旅行とか行った事ないのよね~。ホテルとか修学旅行以来だわ」


「……はは」


 どうやらお気に召したらしい。先程までの威圧感はどこかへと消え失せてしまっていた。


「いやぁ、まさか雅人の口からそんな発言が飛び出すとはねぇ」


「ビ、ビックリした?」


「うんっ! めちゃくちゃビックリした」


「そうですか…」


 当然の反応だろう。言い出した張本人が驚いてるぐらいなのだから。


「嬉しいなぁ、嬉しいなぁ」


「こっちもそこまで喜んでくれるとは思ってなかったよ」


「で、どこに行くか決めてあるの? 京都? 大阪?」


「いや、まだ何にも。行き先も日付も未定」


「まぁ時間はタップリあるし、のんびり考えれば良いわよね」


「だ、だね」


 ここにきて自身の蛇足発言に気付く。ホテルというキーワードを出すべきではなかったと。これでは日帰りが不可能に。


「あぁ、雅人と2人っきりで寝るベッドとか楽しみだわぁ」


「えへへ…」


 すぐそこにはご満悦な顔の妹が存在。そんな彼女を目の前に旅行をブチ壊しにする計画を考えていた。

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