がさ入れ

 小笠原商事の廃棄物受け入れが再開されるはずの日の早朝、県警の捜査官らが、横浜市青葉区の小笠原社長宅(社長は不在で、実質的には茜の自宅)、犬咬市海岸通りの社長のマンション(実質的な社長宅)、横浜市鶴見区の本社、東京都江東区豊洲の南副社長宅に、逮捕状と捜査令状を持って同時に立ち入った。

 「警察です」

 「は?」部屋着のままで玄関口に出た茜は私服の警察官が五人も立っているのを見て絶句した。

 「小笠原茜さんだね。逮捕状が出てる。捜査令状も併せて執行する。その前にちょっと話を聞かせてもらうぞ」玄関先に立った生活経済課の弥勒補佐(警部)が命令口調で言った。弥勒がこのヤマの総指揮官だった。

 犬咬のマンションにいた小笠原社長、豊洲のマンションにいた南副社長も、数時間の事情聴取の後に逮捕状が執行されて所轄に連行された。

 「班長、今朝予定どおりに小笠原商事の三人を確保したそおっす」伊刈が出勤するなり長嶋が言った。

 「三人て社長と社長夫人と副社長だね」

 「ええ」

 「とにかく工場に行ってみようか。今日から搬入再開のはずだからな。それどころじゃないとは思うけど一応工場の様子を確認しとかないと」伊刈は机にはつかずにスーツのまま駐車場に歩き出した。チームの三人もすぐに立ち上がった。

 工場に着いてみると工場長の米沢が何食わぬ顔で場内を清掃していた。

 「社長、逮捕されちゃったよ」伊刈が声をかけた。

 「そうらしいっすねえ」米沢は涼しい顔だった。

 「なんだか嬉しそうだね」

 「かえってよかったんじゃないすか。自分たちばっかり儲けて贅沢してさ、俺たちの待遇ったらひどいもんだったからね。伊刈さんのお見立てのとおりこの工場は百パーセント不法投棄だったんですよ。つぶれて当然ですよ」

 「仕事がなくなってもいいの?」

 「かまわないっすよ。仕事なんて探せばありますよ。ここよりひどいとこはそうないでしょ」

 「工場長にも聴取があるかもしれないね」

 「ぜんぶしゃべりますよ。社長もまあ悪いとは思うんだけどさ、ほんとに悪いのはあの奥さんですよ。副社長を引っ張り込んで社長を追い出したんだからね、たいした玉ですよね」

 「副社長はどうなの」

 「どうなんすかねえ。意外となんにも知らないんじゃないの。商社のエリートにゴミの現場のことなんかわかるわけないよ」

 「今日の搬入はどうなったの」

 「ああ断りましたよ。何台か着いたんだけどね、許可なくなるよって言ったら慌てて帰りましたよ」米沢は心底溜飲を下げた様子だった。

 事務所に戻るなり右翼の大藪が血相を変えて飛んできた。小笠原商事の顧問になったばかりの強制捜査はさすがに寝耳に水だったらしい。

 「どういうことなんだよ。連絡もらってびっくりしたよ」

 「ご存知の小野川町の関連の捜査なんですよ」伊刈が答えた。

 「ああ、ああ、あの町の泥仕合がどうしたんだよ」

 「詳しくは言えませんがとにかく大藪さんの責任じゃないから」

 「そうかい。そっちの関連てことかい」飲み込みの早い大藪は自分の責任じゃないと知るといくらか落ち着いた顔をした。

 「で、この会社はもうダメなのかい」

 「有罪になれば許可は取消しになるでしょうね」

 「新しいプラントを発注して手付けも打ってるんだ。京浜エコタウンのJVもあるし、どうするんだい」

 「ここからが大藪さんの仕事でしょう。トラブルがなければ顧問の出番もないでしょう」

 「そりゃあまあ何があってもいいんだけどよ、どうしたもんかなあ」大藪は腕組みしたまま動かなくなった。

 強制捜査着手の一週間後、仮ヤードにした牛舎前の農地造成地に小笠原商事から流出した廃棄物が不法投棄されているかどうか現場検証が行われることになった。環境事務所に立ち会いの要請があり伊刈と大室がチームを率いて出動した。現場に行って見るとちゃっかり検証のための重機を回送してきたのは黒田だった。

 「どうしたんですか」伊刈が声をかけた。

 「こいつはご苦労様です。小笠原の工場がね、だあれもいなくなっちゃったからね、しょうがないから自分が検証に立ち会うことにしたんですよ。まあちょっとは点数稼ぎになるかと思ってね」

 「ボランティアじゃないんでしょう」

 「そらまあそうですね。市から警察の捜査協力のためってことで随意契約を受けたんですよ。これも世話になった小笠原のためですからね」

 「ここの現場のこと知ってたんですか」

 「小笠原が埋めたのは知ってましたよ。だって昼間から堂々と運んでたんだからわかるでしょう」

 検証が始まり黒田が警察から指示された場所を掘ると、一メートルほどの覆土の下から真っ黒な未熟性堆肥が出てきた。二年以上前に埋めたというのにほとんど熟成は進んでおらず昨日埋めたような状態だった。

 「大室さん、あの汚泥の中のピンクの石ころみたいなのはなんでしょうか」伊刈が尋ねた。

 「さあねえ」さすがの大室も首をかしげた。「見たことがないなあ」

 「ちょっと待ってください」遠鐘が穴に飛び降りてピンポン玉くらいの大きさに固まったピンク色の泥の玉を拾ってきた。

 「班長、これは卵だと思いますよ」

 「卵?」

 「マヨネーズ工場かなんかが捨てた卵の黄身が土の中で発色してピンク色になったんですよ」

 「どうしてピンクに」

 「たんぱく質と糖が反応して発色してるんでしょう」今度は大室が言った。「アミノカルボニル反応って言います。赤味噌と原理はいっしょですね」

 「卵ってすぐに腐ってしまうのかと思ったらそうでもないんだ」

 「環境によりますよね。そうでなかったら一億円前の恐竜の卵が残ってないですよ。この卵だってこのまま何万年も埋めておいたら化石になりましたね」遠鐘はうれしそうだった。

 「なんだかすごいもの見たなあ」伊刈は感動したように言った。

 県警は畑の四隅と中央の五か所を黒田に掘削させて小笠原商事から排出された汚泥の埋まっている層の深さと厚さを測定して検証を終えた。もはや不法投棄罪は動かない状況だった。地主の鈴本町議が承知していたとすれば共犯であり失職は必至と思われた。

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