打開策

 翌日、宝塚興業の黒田が環境事務所に伊刈を訪ねてきた。処分場の斡旋屋としてはこの地区の草分け的な不動産ブローカーで、これまでもたびたび伊刈の指導現場に介入してきた黒田は、自分では直接ゴミに触らないことで穴屋が絶滅した後もしたたかに生き残ってきたのだ。

 「小笠原の奥さんに相談されたんだけどさ、汚泥を移動しないとダメなんだってねえ。実は廃業した牛舎が近くにあるんだよ。そこを堆肥の仮ヤードとして認めてもらえないかね」

 「また牛舎ですか。もしかして猿楽町の牛舎も黒田さんの斡旋じゃないでしょうね」

 「いきなりそれはないだろう。俺が紹介するんだからあんなことにはさせないよ」

 「それじゃ現場はご存知なんですね」

 「止めた牛屋が多いからな。昔は牛がギューっと儲かったんだけどな、今はトンでもねえって感じでな、ここらはもう豚屋か鶏屋ばっかだし」

 「冗談がうまいですね」

 「鶏はケッコー儲かるとか、卵もタマに儲かるとかな」

 「牛舎が余ってるんなら豚小屋に転用すればいいんじゃないですか」

 「口蹄疫とかインフルとか、厄介な病気がいろいろあっただろう。衛生が第一だから古い牛舎なんか誰も買わないんだよ。ここだけの話、畜舎の周りにはいろいろ埋まってるしな」

 「一応その牛舎を拝見してみますよ」

 「そうかい、わるいねえ」黒田は意気揚々と引き上げた。さすがはゴミの臭いのするところならどこにでも顔を出す大物カラスだと伊刈は思った。

 黒田が小笠原商事の仮ヤードとして借り上げたいという牛舎は工場から車で五分ほどの距離にあり、ピストン輸送で堆肥を片付けるには理想の立地だった。牛舎といっても牧場にあるような牛小屋のイメージとはかけ離れていて、だだっぴろいだけのがらんどうの建屋は廃工場と違わなかった。窓が締め切られて建屋内は昼間なのに真っ暗で、ところどころ錆の穴が空いたトタン屋根からプラネタリウムのように光が漏れていた。

 「どうかねえ伊刈さん。熟成ヤードとして最適だと思わないかい」

 「真っ暗なんですね」

 「最近の畜舎は鳥や虫が入れないように真っ暗にしてるんだよ」

 「廃棄物の保管には許可が必要なのは知ってますよね」

 「まあそりゃあね、だけどそこんとこはなんとかなるんだろう」

 「保管は許可が要りますが発酵施設なら設置許可は要らないですよ。十五条施設じゃないですからね」

 「ほうなるほど。じゃ事前協議も要らないのか」

 「要らないですね。ただし業として使う場合は使用前検査を受けてから業許可の変更申請をしてもらいますね」

 「なんだやっぱり許可か。そうだろうよなあ」

 「自社物扱いなら業許可は不要ですけど」

 「もったいぶらないでうまく頼むよ」

 「どれくらいで終わりますか」

 「ん、どういうことだい」

 「小笠原商事の熟成ヤードの汚泥を全部ここに移動するのにどれくらいかかりますか」

 「そうだな、小笠原のダンプ五台でピストンすれば一か月かな」

 「それから一か月熟成するとして二か月ですね。その後出荷に一か月」

 「まあそんなとこか」

 「それじゃ三か月だけ製品を養生するヤードとして認めます。それなら保管許可、施設設置許可、業許可、どれも要らないですから」

 「ほんとか」

 「あくまで特例ですよ。ここで熟成したらちゃんと出荷してもらって、ここでずっと続けるのはダメですよ」

 「わかった。約束するよ。これで工場はきれいになるね」

 「そのあとは不法投棄したものを回収してもらいます。これは何年もかかりそうですよ。約束を破ったら許可はないと思ってください」

 「なんでそんなよくしてくれるんだい。あれかい、やっぱり小笠原の奥さんが気に入ったかい」

 「関係ないですよ。許可を取消すのは簡単ですが廃棄物がそのままになって悪臭の苦情が続くのは困ります。税金で片すより小笠原商事にやってもらった方がいいです」

 「なるほどそういう考えならわかったよ。ここは一肌脱がしてもらいますよ」

 伊刈が認めた特例措置で小笠原商事の熟成ヤードに溢れていた汚泥の移動が始まった。そのさなか今度は右翼の大藪が介入してきた。黒田と同様大藪もゴミの臭いにたかるカラスだった。

 「おう伊刈さん、お久しぶりだね」環境事務所にやってきた大藪は相変わらずのタメ口の挨拶をした。

 「今度はなんですか」

 「小笠原商事の顧問になったからよ、よろしく頼むわ」大藪はわざわざ会社のロゴマークまで入れた名刺をこれ見よがしに差し出した。

 「顧問ですか。誰に頼まれたんですか」

 「まあ俺もさ、いろいろあるんだよ。いまほら小笠原はエコタウンの申請をしてるだろう」

 「そっちから頼まれたんですね」

 「小笠原がここでこけてみろよ。いまさらJVから小笠原だけ外すってわけにはいかないんだよ」

 「つまり他の会社のエコタウン進出まで連座してだめになるってことですか」

 「そういうことよ。なんとかあれは実現させてやらないとなあ。施設が足らないからいろいろ問題が起こるんだろう。いい施設が必要なんだよ」

 「それは正論ですね」

 「だから小笠原を頼むよ」

 「今、改善指導中ですよ」

 「いろいろ面倒見てもらってることはわかってるよ。小笠原の奥さんもよ、ああいう気性だけど今は伊刈さんのこと頼りにしてんだ」

 「どういう方なんですか」

 「俺も詳しいことは知らないけどね」大藪は声を潜めた。「ここだけの話にしてくれよ。バブルのころは六本木のディスコクィーンだったってよ。あの体だから目立っただろうよなあ。あの社長も昔は大きな豚屋のボンボンの遊び人だったらしいけどな。大病して前の女房に逃げられたけど、今の仕事が当たってなおさら順風満帆だったろう。そんなときに奥さんと知り合ったんじゃねえの。だけど今はあっちもさっぱりらしくてな。会社の実権も女房も副社長の南に取られちまったんじゃねえのかな。あの二人できてんじゃねえかってもっぱらの、いやこれは余計なことか」

 「関心ないですよ」

 「あくまで噂だよ」

 「南さんは商社マンとしての実績は知りませんが産廃は素人みたいですね」

 「そうかもしれないけどやり手だよ。丸岡通商の食品部にいたときにはそうとうできたらしいからね。副社長がいなければ小笠原は今の半分の仕事もねえだろうよ。あの社長じゃとうてい営業はできないからねえ」

 「顧問になってどうされるんですか」

 「何どうということもねえけどよ、何かのときは頼むわな」大藪はろくな用件も言わずに引き上げて言った。

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