トランジスタグラマー

 伊刈は小笠原商事の本社に立入検査を実施した。本社は横浜市鶴見区の住宅街の中にあった。検査には社長夫人で経理部長の小笠原茜と副社長の南が対応し、小笠原社長は工場の管理があるからと姿を見せなかった。二階建ての本社屋の隣に小さな積替保管場と駐車場があったが検査をするほどの規模ではなかった。積替保管場には若干の建設廃材が積まれているだけで、ほとんど使われていないようだった。施設の点検は早々に切り上げて顧客との商談に使っている狭苦しい応接に陣取った。検査チーム四人と南副社長が対座するのが精一杯で、茜が座る席はなかったので南の後ろに小さなスツールを出して座った。

 茜は小柄ながらプロポーションが嫌でも目立つけばけばしい美人で、地味な小笠原部長とは釣り合わないように思えた。南副社長は商社出身で食品業界に詳しく、食品リサイクル法の事業を拡大するために副社長として招かれ、営業本部長として大活躍していた。六十歳を過ぎているためバリバリの商社マンという印象ではなかったが眼差しはまだ爛々と輝いていた。

 「これを見ていただけますか」南は検査の冒頭いきなり自分から設計図を広げた。

 「これはなんですか?」伊刈が聞いた。

 「京浜エコタウンの計画書ですよ」

 「ああ都知事の肝入りで進めている事業ですね。コンペに応募するのですか」

 「単独では難しいのでJVで行きます」南は当選に自信があるのか背筋をそり返した。「これが私の夢なんですよ。実現すれば名実ともに優良業者の仲間入りができます」まるで自分の会社のような口ぶりだった。

 「京浜エコタウンてそんなにすごいんですか」

 「都の審査にパスすればそれだけでステータスなんです」

 「見込みがあるんですね」

 「そりゃもちろんです。食品リサイクル法はこれからが勝負ですからね。食品系ではもう一社名乗りを上げてる会社がありますが、バイオガスなんで私どもの計画と競合することはないと思いますよ」不法投棄の検査だというのに南副社長は上機嫌で小笠原商事の将来にいささかの疑念も抱いていなかった。

 エコタウンの申請書類を見ると小笠原商事のほか、旺文産業、ジャパンインダスト、相互環境、秋吉総業といった企業が名を連ねていた。どこかで見たことがある企業名ばかりだと思った。

 「もしやこの会社は」

 「お察しのとおり太陽環境の搬入権を買った仲間でございましてね」

 「小笠原商事はいくら太陽環境と契約していたんですか」

 「うちは八千万円ひっかかりましたよ。それでも伊刈さんのおかげで二千万円の上乗せでなんとか焦げ付かせずに済みました。やっぱり安物買いはだめですな」

 「僕は何もしてませんよ」

 「いえいえ社長になられた逢坂さんに聞いておりますよ。伊刈さんにいろいろご配慮をいただいたと」

 逢坂がそんなことを吹聴しているとは意外だった。

 「調所さんや横嶋さんの噂を聞きませんか」

 「横嶋にはすっかり騙されましたわ。今は国に帰ったと聞きましたよ」

 「国というと」

 「ソウルでしょう」

 「調所さんは」

 「そんなお名前は知りませんねえ」

 「検査を始める前にちょっとお聞きしますが、ここに飾ってある商品のサンプルは犬咬の工場で作られている特殊肥料とは違いますね」伊刈が指摘したのは相談コーナーの隅にある猫の額ほどの展示スペースに置かれた商品サンプルだった。ホームセンターなどで売られている家庭菜園・園芸用の五キロ詰めの万能堆肥だが、ビニール袋に表示された製造社名は小笠原商事ではなかった。

 「きびしいご指摘ですね。これは確かに他社のものです。まあそのこれと似たようなものを製造しているという意味でして」

 「他社のものを展示しておくなんてあまり好ましくないですね」

 「わかりました。撤収させていただきます」

 「私の検査はちょっと変わっていて決算書から拝見するのですが、ご用意いただけますか」

 「それでしたら私が担当です」茜が南の後ろから発言した。

 「元帳もありますか?」

 「ええございます」茜は自信があるのか決算書をあっさりと提示した。

 伊刈は決算書を喜多に渡した。

 「わお、産廃処理収入は二十億円です。前回(三輪クリーン)の四倍だ」喜多が開口一番小さな奇声を上げた。

 「施設の規模に比べると意外な年商だね」伊刈も損益計算書を覗き込んだ。

 「当社は食品リサイクル法施行前から廃棄食品や厨房くずのリサイクルを始めてるんです。昨日今日リサイクルを始めたベンチャーとは違うわ」茜が美形台無しの仏頂面で言った。

 「古いからいいというわけじゃないでしょう」伊刈が皮肉っぽく応じた。

 「入荷と出荷のわかる帳簿を見せてもらえますか」喜多が事務的に言った。

 「どうしてでしょうか」茜が血相を変えた。

 「取引先を確認したいんです」

 「それは企業秘密じゃありませんか」

 「企業秘密を確認するのが検査ですから。それにどっちみちマニフェスト(産業廃棄物管理票)を見ればわかるでしょう。検査を早く済ますためですよ」

 「産廃ならマニフェストがありますが、一廃で受けてるものもありますから。食品リサイクル法には許可の特例もございますし」

 「なるほどそうか、容リ(容器包装リサイクル法)や食リ(食品リサイクル法)にはいろいろ特例があるんだった」

 「副社長、どうしますか」

 「困りましたね。仕入先と販売先は社員にも秘密にしてるんです」南が答えた。

 「営業職はいらっしゃらないんですか」

 「それはまた別問題でして」

 「社長にも秘密ですか。社長は取引先のことは何も知らないと言っていましたよ」

 「いえそんなことはないです。社長には報告してますよ。やはり社長ですから。ただあまり営業には関心がないのでしょうな」南が苦々しい顔で言った。

 「どうして社員には秘密なんですか」

 「何と言いますか食品というのは風評に敏感な業界ですからね。どこから原料を受注しているかとか受注した産廃をどこに出しているかなんていうのは社員にも詳しくは明らかにしておりません。どんなところから漏れるかわからないでしょう」

 「全部秘密ってことはないでしょう。最近大手のコンビニチェーンと売れ残りのお弁当のリサイクルで提携したと発表したでしょう」

 「ああそのコンビニならかまわないですよ。うちのパンフレットにも書いてあることです。ジャストライフ24と特約してるっていうのはうちのセールスですからね。だけど後の会社はダメです。大手の食品メーカーばかりなんですよ。とくにホテルやレストランは絶対に公表はだめと言われているんです。うちとしても厨房くずがないと安価で高品質の飼料ができないんです。客先の社名が漏れたらたいへんだ」

 「リサイクルをむしろ宣伝しているスーパーや居酒屋チェーンもありましたね」

 「スーパーはそれでいいですよ。どうせ安物を売ってるんですから。ホテルの場合、ごみで作ってる肉や野菜を使ってるなんてのはマイナスイメージですよ」

 「有機栽培はゴミでやるんでしょう」

 「ほんとはそうなんですけど消費者は知識がないから。廃棄物はリサイクルすべきだけどゴミから作った物は使ってほしくないってことでしてね。じゃあどこに行ってるのってことになるでしょう」

 「不法投棄ですか」

 「それじゃだめだからいい工場を作らないと」

 「入荷先が秘密なのはわかりましたが出荷先はかまわないでしょう」

 「社長はもともと豚屋ですから、うちのリキッドは豚の飼料用に調合しています。それがまあ創業精神というか企業のノウハウというものでね。畜産というのは飼料で肉の味が変わるし値段も変わります。だからどこの養豚場も飼料の配合は秘密なんですよ。リキッドをどこに出荷してるかももちろん秘密ですよ」

 「ドングリだけ食べさせているってイベリコ豚とかありましたね」喜多が伊刈の隣で言った。

 「ああそういう豚もないことはない。だけどほんとにドングリだけかどうか大いに疑問でしょう。ハムスターじゃないんだから何万頭も豚を飼ったらドングリが足らないんじゃないですか。そういう意味でも食品というのは情報管理が厳しい業界なんですよ」

 「ご事情はわかりましたが検査は検査ですから」

 「うちなんかに来るよりもっと悪い会社がいっぱいあるんじゃないですか。八貝町の会社に行かれたらどうなんですか」

 「農地にし尿の原水を撒いた会社のことですか」

 「そうですよ。ああいう会社があるとうちの評判まで悪くなります。取引先からあんたのとこは大丈夫かと随分問い合わせを受けましたよ」

 「あそこは県庁の担当ですが許可はもうなくなるでしょう。だけどまた新しい会社を作るみたいです」

 「ふうんなるほど。まさか今度はリキッドをやるなんて言ってないでしょうね」

 「県庁の管轄ですからわかりません」

 「できたら聞いてみてもらえないですかねえ。ああいうアウトローに安い値段で始められるとうちみたいなまじめな会社はひとたまりもないですからねえ」まんざら冗談でもないように南は言った。

 「変ですね。リサイクルをしている施設だというのに製造した特殊肥料の売上高の計上がありませんね」会計書類を点検していた喜多が鋭い指摘をした。

 「どういうこと」伊刈が喜多を見た。

 「製造した肥料の売却代金が1円もないということです」

 「それがどうしたの」茜は何が問題なのか飲み込めない様子で聞き返した。

 「肥料を売っているんですよね」喜多が茜を見た。

 「そうですね。売らないとリサイクルになりませんから」

 「それでしたら肥料の売却代金があるんじゃないですか」

 「それはあるでしょうね」

 「でも決算書にも元帳にも載っていません。処理収入とリキッドフィーディングの売却収入だけですよ」

 「どれかと合算してしまっているんじゃないかしら」

 「それなら売上高の内訳をもっと詳しく教えてもらえませんか」喜多が要求した。

 「わかりました」

 「売掛帳も見せてください。取引先を見せたくないなら、〆の部分だけでもいいですから」伊刈がすかさず言い添えた。

 茜は席を立ったまましばらく帰ってこなかった。喜多に言われた数字を見つけることができなかったのだ。

 「ごめんなさい、どうしてもわからなくて」三十分ほどして茜が困惑した顔でようやく応接コーナーに戻ってきた。

 「売上高の内訳がわからないということはないでしょう。取引先ごとに積み上げればいいだけじゃないですか」伊刈が言った。

 「ごめんなさい、どうしてだかわからないけど計上されていないの。リサイクルの売上高を漏らしてしまったとも思えないしねえ。計上漏れがあればキャッシュが合わなくなるはずなんですけど」嘘をついているとも思えない口ぶりだった。

 「税理士さんには問い合わせましたか」

 「いえそこまでは必要ないと思うの。今担当に探させてるからもうちょっと待ってもらっていいかしら」

 「いいですよ」

 さらに二時間後やっとのことで経理担当が見つけたのは犬咬工場で社長が管理している小口現金勘定だった。その中に地元の農家に売った代金が計上されていた。

 「伊刈さん二万円ありました」経理担当から報告を受けた茜が微妙な表情で説明した。

 「それだけですか? 処理収入が二十億円に対して肥料のリサイクルは二万円ですか?」

 「リキッドはちゃんと売ってるんだけど肥料の代金はそれ以上どうしても見つかりません」

 「リサイクル百パーセントの会社ですよね」

 「そうです」

 「外注費は見た?」伊刈は脇の喜多を見た。

 「見ましたけど残渣の外注はないみたいです」

 「当社は100%リサイクルですから外注による処分はしておりません。それがお客様に対する当社のご説明ですから」茜が自信ありげに言った。

 「そうすると堆肥が蒸発してしまいましたね」

 「どういう意味ですか」

 「肥料をリサイクル製品として売却もしていないし残渣として処分もしていないということです。いったい製造した特殊肥料はどこへ消えたんですか」

 「さあ書類からはわかりません。どうなったのかは社長に聞いてみないと」茜は苦渋の表情で言った。本当にわからない様子だった。

 「社長がどこかに適当に始末したってことですか。それにしたって二十億円ですよ。リキッドはそのうち五億円もないでしょう。どこに始末しようとお金が動けば帳簿に載るでしょう」

 「そうですよねえ」茜は首をかしげた。

 「さっき副社長は横嶋さんをご存知とおっしゃってましたね」

 「太陽環境の権利を売りにきたのは横嶋ですからね」南が答えた。

 「山梨の牧場への出荷も横嶋さんが仲介したと聞いていますよ」

 「そうですか。そこまでは私は存じません」

 「横嶋さんに肥料を売ったのなら売上高の計上があるはずですね」

 「売ったのならそうですね」

 「しかし本社の帳簿にはないし工場の帳簿も二万円だけ。横嶋さんは山梨にダンプで百台以上運んでるんです。それから群馬の赤城産業という会社にも外注しているでしょう」

 「その会社も存じませんねえ」

 「簿外処理しているとは思えないから架空費目で計上されているんじゃないですか」

 「それじゃ脱税になるじゃないですか。わが社に限ってそんなことは断じて」南が血相を変えた。

 「架空費目の外注なら脱税になりますし、外注先が無許可なら委託基準違反つまり不法投棄ですよ」

 「経理部長どうなの」事態の深刻さをようやく悟った南が怒ったような顔で茜を振り返った。

 「脱税も不法投棄も絶対にありえません」茜は頑として否認したが、どうみても裏金処理している節があった。

 「全部教えていただかないと検査が終わりませんよ。もっと詳しく入荷量と出荷量の点検をさせてもらえませんか。さっきは秘密だと言われましたが、取引先の社名は外部には秘密にしますし、たとえ架空費目があっても税務署に通報しないと約束しますよ。ただし不法投棄だけは勘弁できませんよ」

 「伊刈さん、当社が不法投棄するなんてほんとにありえませんから」南が答えた。どうやら工場の現状がどうなっているのか全く把握していないようだった。米沢工場長に案内してもらった廃牛舎の不法投棄のことなど想像もできないだろう。

 検査開始から三時間以上もたってようやく伝票を含むすべての経理書類が出てきた。伊刈のチーム四人はいつもの要領で入荷量と出荷量のバランスを詳細に点検した。その結果入荷量が処理能力の数倍あることが判明した。脱水分を考慮しても明らかなオーバーフロー受注だった。本社は工場の能力にかかわらず受注できるだけ受注し、後は工場の管理を任されている社長の裁量でなんとかするというシステムになっているのだろう。

 「入荷が多すぎますね。工場の能力をかなり上回ってますよ。それで未処理の食品残渣が流出しているんじゃないですか」

 「工場には全部入っているはずです」茜が答えた。

 「入ったそばから出してしまえば流出と同じですよ。工場長によると汚泥のコンポスト化には四週間かかるそうですよ。熟成期間を短くすれば同じ広さの熟成ヤードでも入荷量を増やせます。熟成期間がゼロなら入荷は無限大ですよ」

 「それは言い過ぎじゃありませんか。何を証拠にそんなに一方的に決め付けるんですか」

 「最近工場をご覧になりましたか。まともに稼動していません。堆肥化施設に入った全量がオーバーフローだといってもいいくらいですよ。早めに工場をご覧になったほうがいいですね」

 「わかりました。明日にも行ってみます」

 「オーバーフローを解消するため、当面の入荷量を半分に減らしてください。他に工場はないんですから受注量を半分にするということです。工場の未処理在庫が適正水準になるまで毎月の受注量と出荷量を報告してください。改善しないようでしたら許可の取消しを含めた処分の検討をさせてもらいます」

 「わかりました。ご指導のとおりにいたします」茜は表面的には従うそぶりを見せた。茜の隣に座った南は無言で頭を下げた。頭のいい南のことだかから現場は見ていなくても会社の置かれた状況を悟ったろうと思われた。

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