継ぎ接ぎのバイオアルケミスト

棚尾

第1話

「魔物と人間の違いって何だと思うかしら?」


 赤黒いちぎれた腕の断面をのぞき込む。魔物に特有の青い血液が滴たっている。人よりも明らかに太い筋繊維と、白い神経が確認できる。基本的な構成要素を魔法で解析してみると、筋肉の収縮タンパク質は人間と同じらしい。神経も同様に違いはない。多くの生物は形や構造が違うだけで、その構成要素は近しいものがある。身体を動かすという目的が同じだから、種が違っていても物質的な動態が似通っているのだろう。


「何が言いたいんだよフラン。かたちが違えば、それは別の生き物に決まっているだろう」

「ヴィクター。かたちなんてどうとでもできるわ。大事なのはルーツとふるまいよ」


 魔物が出没する山奥にこもってひと月が経とうとしていた。襲ってくる魔物を倒して、その構造の分析と研究を行っている。今もあたりに散らばっている魔物だったものの破片は彼女の貴重な実験材料だ。

 彼女の名前はフランドール・マーブル。魂の器としての肉体を研究する魔法術士の家系の17代目の当主だ。魔物の体液で汚れないように、黒く艶やかに輝く髪を後頭部の高い位置でくくっている。眼窩と同じよどんだ薄茶色の瞳で、魔物の肉片をのぞき込んでいた。そして一番目を引くのは顔を横断する、一筋の大きな縫い目だ。それを境に皮膚の色が黄色くなっている。

 ヴィクターは彼女の外見は綺麗であるとは思っていない。けれども、目を離せなくなる。浮世離れしていた雰囲気が彼女の魅力だ。


「魔物は外見では他の動物と区別がつかないものもいるわ。身体の構成要素も似ていて、上質な肉も持っている。でも人々は忌避をもってそれを食べはしない」


 中には好んで食べる物好きもいるが、一般的ではない。人間を襲う異形に対する忌避の感情もあるが、理由は別にある。


「毒があるんだろ。魔物を食った人間はもれなく頭をやられて正気を失う。それが、呪いだ穢れだと言われてきたから食べることはしないんだ」


 魔物を食べてはいけないというのは、日々の生活を生き抜くために蓄積された知恵に裏打ちされたものだ。過去の経緯があるもので、謂れのないものではない。


「その通りね。でも魔物を食べたときの症状っていうのがね。とある民族に特異的な病気にそっくりなのよ。これは6代目のマーブルが残した文献なんだけど、辺境に暮らすその人々は何と葬儀の際に遺体を食べる文化があったの」


 マーブルの家系は魂の器となる肉体の研究の名のもと、知見を積み詳細な文献を残している。それを代々引き継いできた。フランはそのほとんどを記憶している。知識の蓄積だけでなく実践してこそと言うのが、マーブルの教えだから、こうして外を歩き回っているのだ。


「6代目はその民族で脳機能障害が多発することを発見した。しかもその原因は食人に起因していて、正常な脳を構成するタンパク質を、外部から摂取した他人の肉に含まれる異常なタンパク質が変質させることを突き止めたのよ」


 感染性タンパクと呼ばれるそれは、細菌や寄生虫など生物による多くの感染症とは異なったメカニズムをしている。感染経路は異常なタンパク質の直接摂取のみと、感染性は低い。だが致死性はとても高く、感染後1年から2年で死に至る。脳という人間の活動の根幹を侵すのだから当然である。

 魂の存在が脳に宿るという話もあるが、フランはそれには懐疑的だ。肉体の一部を移植することで、記憶や動作がドナーからレシピエントに引き継がれた事例があると、いつか話をしていた。魂は定量的なものであり、全身に拡散浸透するかたちで肉体に宿っているというのが彼女の仮説だ。

 ヴィクターはフランの言わんとしていることを今いち掴みかねていた。しかし、ろくでもないことを考えているのだろうと、16年の付き合いから察しつつも自分の考えを返す。


「共食いが起きないようにする種の保存の仕組みか、それともどこかのタイミングでその異常なタンパク質が人に取り込まれて、それが食人によって引き継がれていっただけか」

「6代目が解明したのはここまでで、治療法や最終的なルーツまではわからず仕舞いね。あとのマーブルも特段その研究を引き継がなかったわ」


 フランは残念そうに言いつつも、よどんだ瞳の奥を輝かせていた。この山にこもって何か閃いたのだろう。突拍子もないことを言い出すときの顔だ。


「外見は違っても、それを食したときのふるまいは似通ったものになることもある。これは中々興味深いことだと思わないかしら」

「魔物は人間だったかもしれないって言いだすんじゃないろうなフラン。さすがにそれは無茶苦茶だ」


 フランは魔物と人間の相同性に着目していた。けれど、暴論の域を出ていない気がした。生物のルーツを、現在から推測する方法は研究途上だ。生物はもととなる生物種が何種かあり、それが進化の過程で枝分かれしたという考えもある。スタートは同じかもしれないが、同一視するのは流石に無茶だ。

 指摘してみても、フランはどこ吹く風の様子だった。立ち上がり髪をほどいて、こちらを見下ろす。目尻を下げ、少し物がなし気な表情をしているように思えた。


「かたちの意味って何かしらねって思うのよ。肉体は簡単に変質するわ。それを利用するのがマーブルという家系なのだけどもね。かたちが違ってもルーツが同じでふるまいが一緒なら、それは同じものだと私は思うわ」


 かたちの意味と問われて、ヴィクターは自身の姿を見る。身体はフランの細い腕のひじから先の長さと同じくらいしかない。紫色の皮膚に申し訳程度に生えた手足は歩くというより、地面を這うために最適化されたものだ。頭は他と比べれば大きく、目玉も一つついている。鼻に変わって空いた三つの穴にある器官から匂いも感じ取れる。口もあれば舌もあり味もわかる。

 ヴィクターは人間が持つべき機能のほとんどを有している。けれども、かたちだけが、異なっていた。

 この外見が、普通の人間からどう見られるかヴィクターは知っている。それによってどんな惨めな気持ちになるのか、記憶や感情はこの身体になる前と同じだからこそ、より強く感じるものがある。


「あなたのかたちは普通の人間には忌避されるわ。でも私はあなたが人間だったと知っているし、あなたは今も人間だということを知っている」


 けれども、この幼馴染だけはヴィクターを人間として扱ってくれる。どうしようもなく死ぬだけだった命を救い出して、このかたちを与えたのは彼女だった。

 フランが愛おしむようにヴィクターの身体を抱え抱きしめる。この温もりは心地の良いものだ。お互いふつうの人間ではないことは承知しているからこそ、大切な行為だった。


「大好きよヴィクター。私のお婿さんにしたいくらい」


 ヴィクターは彼女にどこまでも彼女についていくと決めていた。彼女がどんな人間であれ、彼女が与えてくれる慈しみと同じくらい、彼女のことが好きだからだ。

 


 

 フランとヴィクターは研究を切り上げて、とある国の首都にきていた。長い山籠もりで備蓄が無くなったことがその理由だ。お金もあまり持っていない。どこかでまとまった資金を稼ぐ必要があった。


「ヴィクターの身体ってちょっと体積に合わないくらい、消費が激しいのよね。身体の基本的な機能は最小限にしたけど、脳だけは以前と変わらない大きさを維持したから」


 フランは大きな背嚢を背負い、目立たないようにローブのフードをかぶっている。背嚢は研究材料を持ち歩くためのもので、ヴィクターは人目があるときは、その中に潜っている。背中側に空けてある穴から街の様子を見て、フランの話に付き合う。


「脳はその活動に多くの糖分を消費するらしいな。身体は動かさなければ何とかなるけど、脳の活動をしないっていうのは出来ない。ずっと眠っているってことも無理だ」


 ヴィクターの基礎代謝は普通の人間に比べれば低い。魔法を使えば、強制的に休眠状態にできるかもしれないが、フランはそれをしない。話し相手が欲しいのだと、ヴィクターは思っている。彼女は寂しがりやだ。両親を亡くしてマーブルの家を引き継いでから、それに拍車が掛かったような気がする。


「脳の機能ってほんと複雑なの。私に至るまでのマーブルもその機能の全てを解き明かすことは出来ていないわ。切り捨てていい部分なんて基本的にはないの。まあ、機能停止した部分を、他の部分が補うこともあるって14代目のマーブルが残していたけど、それは事象を観測できただけであってメカニズムが分からない以上安易に頼るべきものではないわね」 

「だから、俺は頭だけこんな大きいままなのか」


 ヴィクターの頭は小さな身体に不釣り合いなほど大きい。小さな全身を使って頭を支えているから、良く身体の筋肉が凝り固まってしまう。たまにフランにマッサージをしてもらっていたりする。


「脳は基本的にすべて揃っていないといけないわ。人間らしいふるまいを残すにはなおさらね」

「人間らしいふるまいってなんだ」


 フランはよく、“かたち”と“ふるまい”という言葉を使いたがる。マーブルの家系が魂の器となる肉体の“かたち”と“ふるまい”を操る魔法術士だからこそこだわるのだろう。だから、フランの言う“ふるまい”が何なのか気になった。


「それを見る側が人間だって思えることかしら。私はヴィクターを可能な限り残したかったから、全部揃えた。私が思うヴィクターって人間を可能な限り残したから、私はあなたがヴィクターだって思えるもの」

「…………」


 フランの言葉に思わず沈黙する。ヴィクターは自分が果たして、彼女が言うような人間だったころの自分と同一の存在なのか、確かな自信はない。彼女の技術を信用していない訳ではない。自分は確かに彼女に作り直され、救われたのだろう。


「まばたきをするタイミングとかの細かい動作、思考や会話の心地よさは間違いなくヴィクターだわ。あなたがどう思おうと私は自信をもって断言する」


 人間は他人から観測されて、承認されて、人間になるのか。ヴィクターは答えを持たない。フランの答えが正しいとも言い切れない。結局のところ信じたいもの信じるしかないのだが、ヴィクターはどっちつかずだ。断言できるフランが羨ましく思う。

 

 簡単な買い物を済ませ、街の広場に行くと人垣ができていた。中央に小さな舞台が出来上がっている。その中央には柱が一本掲げられており、大仰な額縁の中に文章が張り出されていた。


「あれは何かしら」


 フランが珍しく研究以外のことに興味を惹かれているようだった。久しぶりに街に降りてきたから、物珍しいのだろう。自然と笑顔になっている。

 フランが悪い顔ではなく純真に笑う様子を見るのは、ヴィクターにとっては嬉しいことだ。ヴィクターも周りに気づかれないように少し背嚢から身を乗り出し様子を見る。


「国からのお触れってやつじゃないか。ほら、偉そうな身なりの奴が脇にいる」


 柱のそばに、高級そうなローブを着込んだ男と、若い甲冑の騎士が立っている。何か起きたときのためか、兵士も後ろに数人控えているようだ。


「いったい何だろうな。王様が先日亡くなって、王子様もあんなことになったばかりだって言うのに」

「あの偉そうな男は誰かしらね。あまり見たことがない顔だけど」

「どうでもいいから新しい王様が決まって欲しいよ。あたしはこのままじゃ不安だよ」

「景気のいい話が欲しいよ。最近暗い話ばっかりだから」


 周りの人々の話を聞いていると、この国では最近国王が亡くなったらしく、後を継ぐ者も決まっていないようだった。そのことに関する発表があるのだろうと当たりをつける。


「私の名前はウィリアム・ヴァルトマン。王妃様にヘンリー王子の治療について全権を委任されておる者だ」


 ローブの男がしゃべりだす。角ばった顔にひげを蓄えた壮年の男だ。金色の十字架を首から下げ、指にも宝石が嵌っている。尊大さを隠しもしないが、聖職者なのだろう。何よりフランとヴィクターには見覚えのある顔だった。


「あれウィリアムじゃない。何やっているのかしら」

「ウィリアムって。フランを蛇蝎のごとく嫌っている蘇生術士だろう。あの守銭奴が、ついに国のお抱えになったのか」


 ウィリアム・ヴァルトマンは魂を肉体に呼び戻す魔法を使いこなす蘇生術士だ。蘇生術士の例に漏れず聖職者で、高度な治癒術も使いこなす。ただ、金にがめつい尊大な性格だけが欠点の人物だ。


「皆も知ってのとおり、国王様がお亡くなりになり、そのお子であるヘンリー王子はいまもなお昏睡状態にある。私は先日より王妃様の依頼で王子の治療にあたっているが、悔しいかな私だけでは回復は困難な状況にある。私は蘇生術士であって治癒術の専門家という訳ではないからだ」


 肉体を回復させる治癒術を極めていけば蘇生術に行き着くのかというとそうではない。蘇生術は、肉体ではなくそこに宿る魂という概念を捕まえる魔法だからだ。蘇生術士の多くが治癒術も使いこなすといっても、肉体と魂は別もので魔法の大系も異なるから、それを専門とする術士には及ばないこともある。


「そこで、ここにお触れを出す。我こそは王子を治すという治癒術士を広く募集する。報酬は100万ゴルドだ。なお、その治癒術士を紹介したものにも20万ゴルドの報酬を与えるものとする」


 報酬の金額を聞いて群衆がざわめき出した。報酬が庶民には莫大な金額だからだ。


「100万ゴルドと言ったら向こう10年は遊んで暮らせる金額だぞ」

「20万ゴルドだって十分な量さ、これは知り合いや行商人にあたってみるしかないね」

「でも、あの王妃様の期待に答えられなければ下手すら首が飛ぶぞ。彼女の苛烈さは有名だ。王様を亡くしてから情緒がさらに不安定になったというじゃないか」

「報酬を考えれば命をかける価値はあるさ」


 群衆はお触れの内容を歓迎しているようだった。うまく行けば人を紹介するだけで大金が手に入る。降って沸いた儲け話だ。

 都合よく物事が運べば良いのだろうが、そんな美味い話だとヴィクターには思えなかった。成功すればよいが、周りの話を聞いていると失敗したら命は無いらしい。依頼人である王妃の人柄も怪しい。


「あの強欲なウィリアムが人に頼るってよっぽどだな。これは首を突っ込んだらダメなやつなんじゃないか」


 よく知らないこと、しかも国という大きなものに関わるのは危険に思えた。ウィリアム・ヴァルトマンの実力の高さをフランたちは知っている。その強欲さもだ。それが他人に仕事を投げるということはよっぽどの厄介ごとに違いない。


「腕のたつ蘇生術士でも歯が立たないまったく普通じゃない患者ってことよね。むしろワクワクしてこないかしら」


 ヴィクターの心配をよそに、フランは楽し気だった。よどんだ瞳が輝き、肌も心なしか上気している。ヴィクターの経験上、嫌な予感しかしなかった。


「ここで名乗り出るものはおらぬだろう。広く国の内外に知らしめることだ。我こそは国の救世主と足らんとする者よ。おおいに奮い立つが良い」


 ウィリアムが最後に煽り立てる。群衆が口々に治癒術士を探す算段や、報酬を手にしたときの皮算用をしている。この話は、国の内外に広く伝わるだろう。

 直に様々な人間が集まって相手にしてもらえなくなるかもしれない。だから、名乗りを上げるのは、ウィリアムという知り合いが目の前にいるこのタイミングしかないのだろう。


「私が治してみせるわ!」


 ざわざわとしていた群衆が静まり返った。一斉に声を発したフランに視線が集まる。

 ヴィクターは慌てて背嚢の中に引っ込んだ。マーブルの血に火が付いたのだ。この状態のフランに何を言っても利かない。


「そこの者、前へ出よ!」


 甲冑の若い騎士が促す。目の前の人垣が自然に分かれた。フランが悠然と歩を進めて舞台にあがる。フランの小柄な身体は若い騎士の半分ほどしかない。騎士の目が見分するように無遠慮な視線を投げる。その後ろから、ウィリアムが顎鬚をなでながら見下ろしている。

 ヴィクターはこの視線が、次の瞬間にどういうものに変わるか予想が付いていた。


「フードを取れ。冷やかしであればその首この場で切り落とす」


 フランはフードを取った。その闇を詰め込んだような黒髪と顔を横断する継ぎ目が衆目に晒される。

 群衆から小さな悲鳴があがった。好奇の視線と忌避の感情がぶつけられる。フランの見た目は、普通の人間には受け入れ難いものだ。だから、それを見る人々から過剰な反応が引き出される。


「この化け物が!」


 若い騎士が腰に差した剣の柄に手をかける。フランは残念そうにため息をひとつつく。周りに注目されているを理解しているのか、少し動作が大きい。挑発するように胸を張り、若い騎士の目を、そのよどんだ瞳で分析するように見つめ返す。


「化け物とは失礼な。若い騎士さん。あなたはどうやら“かたち”にとらわれた人間のようね」

「貴様、私を愚弄する気か」

「やめろ。そいつは――」


 ウィリアムの静止も間に合わず、若い騎士の剣が鞘から走った。ヴィクターは反射的に背嚢の穴から腕を伸ばす。そして身体を変化させる。ヴィクターの身体の多くは未分化な細胞の塊だ。ヴィクターの意思で分化させ、かたちを変えることができる。

 首筋に突き付けられた剣をヴィクターの紫色の肥大した腕が受け止めていた。フランは口の両端を釣り上げたまま、そのよどんだ瞳を騎士から逸らさない。


「私の名前はフランドール・マーブル。生を求めるものの最後の希望、“継ぎ接ぎのマーブル”。その17代目当主よ」


 そのまま、フランは名乗りを上げた。その名を知る者にとっては嫌悪を抱く異名である。だが、死に追い詰められ、そこから救われた者には福音として聞こえた名だ。

 騎士は気圧されていた。剣が尋常でないヴィクターの力で抑えつけられているのだ。何より、フランのよどんだ瞳が騎士の瞳を見つめて離さない。


「マーブル。魂の冒涜者め。貴様の顔はいま、最も見たくなかったぞ」


 ウィリアムが苦虫を噛み潰したような顔をして吐き捨てる。けれども、その表情は拒否の感情だけではなく、何やら別の算段を付けているようにも思えた。


「お久しぶりねウィリアム。元気にしていたかしら」


 フランは皮肉ではない笑顔で親愛を示してみせる。けれどヴィクターは、それがろくでもない期待に胸を躍らせている顔だと知っていた。



 その場をウィリアムが取りなして、集まりは解散となった。今は兵士たちに誘導されるかたちで、城の中に案内されている。フランに剣を突き付けた若い騎士もいる。おそらく監視も兼ねているのだろう。何かあれば、その剣が再びフランに向けられる。


「ウィリアムがてこずるなんて、患者はいったいどんな状態かしら。まあ予測はある程度つくのだけれど」

「見ればわかる。フランドール・マーブル。平時であれば貴様の力なぞ借りはしないが、今回は話が別だ。私も命がかかっているからな」


 苛烈な性格の王妃様とは、そんなに危ない人物なのだろうか、ウィリアムは少し落ち着かない様子だった。患者の命よりも自分の命の心配をしている様子がこの男らしい。


「ここだ」


 案内されたのは王子の居室だった。部屋は王族にふさわしく華美な装飾に満ちていた。天蓋付きのベッドに横たわる身体が見える。だが、ベッドの周りからは余計な調度品が取り払われているように見えた。花など芳香をまき散らすものもない。どうやらウィリアムの指導で、清潔な空間が作られているようだった。

 フランとウィリアムがベッドに近づき、王子の容態を見る。黄金のように輝く金の髪と、高い鼻と白い肌。精悍ではないが文句のつけようがない美丈夫だ。

 腕を取り脈拍を測る。特に異常はないようだ。体温も平常のようで、瞳を開けさせ、目の前で指を動かしてみるとかろうじて追っているように見えた。


「自発的な呼吸はできている。最低限の生命維持が可能な状態だ。だが他の活動はまったくできない。意思の疎通は不可能で、意識があるかは判定できない」

「やっぱり脳機能の障害ね。念のため全身を診てみるわ」


 ウィリアムが王子の状態を説明する。フランがそれを受けて手をかざす。魔法を使うのだ。治癒術の基本のひとつが、肉体の状態を正確に判定する魔法だ。マーブルの魔法はさらに詳細な分析を行う。身体の内側の様子や血液の流れ神経発火、細胞単位の分子動態まで、あらゆる情報をひとつのヴィジョンに統合し、認識するのだ。

 しばらく、フランは目を閉じていた。額に汗が浮かんでいる。魔法での補助があるとは言え、情報を処理するのは生身の脳だから、相応の負荷がかかっているのだろう。


「外傷はなくて、脳幹や小脳を除く脳機能の停止。これってあれよね」 


 他に外傷はなく、脳の機能のうち、生命の維持に最低限必要な部分だけが機能している。フランは目を開けて手を引っ込めた。ウィリアムのほうをちらり見やる。この状態を指す言葉はひとつしかない。そして、現在の技術では確立している回復手段はない。


「そうだ。いわゆる植物状態だ」

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