ゾンビと猫と人間と

落花生

第1話猫の兄弟

愛と言うのは、恐らくは執着だ。

 そして、だからこそ愛というのは往々として歪んでいる。

 それが、三十年近く生きてラシルが出した答えであった。

 年下の兄妹を見ていると、そのことを実感する。

 そして、己の過去を見直しても実感してしまう。



 腐った肉の臭いがした。

 森の奥にいても、その臭いは分かる。

 人の営みから遠く離れているからこそ、その気配を感じる。

 人より鼻が効く、ラシルはその臭いが嫌いだった。腐ったものは、魚でも動物でも吐き気を催してたまらなくなる。実際には吐いたことなどはないが、近づきたくはないものである。だが、ラシルの弟であるシリルは「今は嗅ぎ分けなくては」とは木に登って必死に腐った臭いを追っていた。

 高い木に登れば、それだけで文明の衰退が見て取れるであろう。かつて人が多く住んでいた都市部には、おそらくは今は誰もいない。かつては山のように人がいて、都市部は夜でも昼のように明るかったと話を聞いたことがある。

 だが、今では灰色の街に灯りはない。

 ラシルの子供のときから、ずっと灯りはない。ラシルたちの親の世代に、人間の文明は崩壊したのである。街というのは、今ではぽっかりと穴が開いたようにただ寂しい。あそこは元々人が多く住んでいたから、今でも死体が多い。それらが、嫌な腐臭を発するのだ。

 腐臭を撒き散らす奴ら。

 人間たちは、彼らを蘇った死体という意味をこめてゾンビと呼んでいる。なんでも大昔の映画に彼らにそっくりなキャラクターが出てきて、それがゾンビという名前だったらしい。

 ラシルは、どうして生きている人間よりも、自分たち獣人よりも、ゾンビの数が多くなってしまったのかを知らない。

 ラシルとシリルの祖先は、人間に改造されたソルジャーだ。動物と人間の遺伝子を組み合わせて作られた、人殺しの道具である。

 だが、ラシルたちの祖先を生み出した人間達は獣人だけでは満足できなかった。もっと他人を殺せる兵器をと求めて、とうとう生き返る死人までもを作り出した。

 ――らしい。

 実のところ、ゾンビがどういうふうに生み出されたのか。はたまた自然発生したものなのかは、誰にも分からない。 

 だが、ラシルは自分達を生み出したように、ゾンビも人間達が生み出したソルジャーの成れの果てではないかと考えている。もっとも、確信は何一つなかった。


 死人が、どうして動くのか。


 死人は、どうして獣人も人間も区別なく襲うのか。


 どうして人間だけが、ゾンビとなるのか。


 それらの疑問には、誰も答えることができない。

 相変わらず、腐臭は遠くから漂っている。

 たぶん、この腐臭は東に向うのだろう。いいや、違うとラシルは自分の頭を振る。その拍子に、ラシルの毛に覆われた耳がわずかに震えた。自分は「腐臭が東に向って欲しい」と願っている。ここまで漂ってくる腐臭ならば、彼らは多くの群れをなしているだろう。それはきっとセンターを襲って、シリルが忍びこむさいの陽動になる。

「本当にやるのか、シリル」

 木の上にいる、シリルに声をかける。

 あまりに距離が離れすぎていたから聞こえないかもしれないと思ったが、シリルがちゃんと返事を返した。

「反対されても行く。そもそも、兄貴に俺を止める権利はないだろうが」

 シリルは、ひょいと木から飛び降りる。

 並みの人間ならば足の骨ぐらいは折っていそうな高さから飛び降りたというのに、身軽なシリルは怪我一つない。また、シリルの見た目はどう見ても普通の人間ではなかった。

 まず、獣のような耳が生えている。まだ文明が潰える前によく書かれていたイラストのような可愛らしいものではない。あれらは頭の上にアクセサリーのように耳が設置されていたが、シリルの耳は人間の耳の位置にちゃんと生えている。

尾てい骨のあたりから伸びるのは、耳と同色の長い尻尾。獣と人がうっかりと混ざり合い、生まれてきてしまったような姿であった。そして、その認識は非常に正しい。

 ラシルとシリルは、獣人である。

 その昔、人が戦争に使うソルジャーとして産み落とした末裔だ。

 かつてのイラストというものに描かれていた獣耳の人間は、多くは少女だった。ラシルは、それはきっと人の美意識からそれ以外を許さなかったのであろうと思っている。

 ラシルの歳相応に厳しい男性的な顔に、獣の耳も獣の尻尾も似合わない。いつもまるで後から取ってつけたようだ、と言われてしまう。

 一方で、弟のシリルには耳も尻尾も非常に馴染んでいた。猫らしいしなやかな肉体は同世代の男性と比べれば貧弱ではあったが、女性的とまでは言えないぎりぎりのラインで踏みとどまっている。髪の色も尻尾や耳と同色の茶色で面白みはないが、ぞっとするような深遠の緑の瞳はいつでもギラギラと輝いていた。

 非常に野生的な姿だ。

 だが、その一方で野生的な姿だからこそある気高い美しさがあった。

 ラシルは、その美しさがときより可愛そうに思えてくる。

 シリルは、両性だ。

 雄と雌の中間時点で、獣人では稀に生まれてくる存在である。そもそも繁殖力が低い獣人だが、両性はさらに繁殖率が低い。雄と雌の両方の機能を彼らは兼ねそろえているが、両性の男性性器はまともに成長しない。子宮も未熟で妊娠したとしても子供が無事に育つことはほとんどなく、育ったとしても未熟な子宮では出産には耐え切れないので帝王切開をしなければ親も子も共倒れになってしまう。

 彼らが子を残すには、文明に頼るしかない。しかし、文明はとうの昔に滅び去った。今の時代は、昔のよすがにしがみついているだけだ。

 そんな時代に、シリルは子を生んだ。

 ただし、その子供はシリルの手をすり抜けた。

 ラシルは思う、今更そんなものを取り戻してどうなるのだろうかと。もう十年もの月日が流れていて、目で見ても互いが親子だなんて分かりはしないだろう。それでも、シリルは行くと決めてしまった。愚かな馬鹿である。

「兄貴……なんか変なことを考えただろ」

「ぜんぜん。それより、実行するならばそろそろ行動に出たほうがいいんじゃないのか?」

 シリルは、これから人生で最も愚かなことをする。

 はるか遠くに見えるセンターと呼ばれる建物。研究機関であるその建物で飼われているはずの自分の子供をシリルは奪還するつもりなのだ。

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