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 優斗の首には、細いワイヤーのような輪が掛かっている。もう当たり前になってしまっていて、普段は何の感覚もない。だが、時折きゅっと苦しくなることがある。入社二年目あたりが一番その頻度が高かったように思う。

 冷たくはない。痛くはない。ただ少し苦しいだけ。

 優しくて、温かなワイヤー。

 思い返せば、おそらく小学生の頃に現れたのだろう。

 当時はテレビゲームや漫画が、子どもたちの遊びの中心になっていた。セガサターンやプレイステーションで次から次へと発売される魅力的なソフトたちは、子どもだけでなく大人たちの心をも掌握していたし『ワンピース』などの冒険ファンタジーは沸騰するほどの感動を与えた。青少年向けの小説作品も次々とアニメ化され、声優や主題歌にまで興味が及んだ。音楽業界でも、モーニング娘。や宇多田ヒカルと言った、新時代のアーティストたちが世間を賑わせた。優斗も例外ではなく、その悉くに深く飲み込まれていた。

 そんな中であの映画に出会ったのは、まさに運命としか言いようがない偶然だった。まるで、数多の他の「娯楽」が渦巻く激流の中を、優斗のために一直線に突っ切ってきたかのように。確実に出会うために、優斗の奔放な興味の隙を耽々と狙っていたかのように。

 あの日、全てのタイミングが絶妙に合ったのである。

 その夜は、両親が不在だった。病気だった祖父の容態が思わしくないとの連絡を受け、病院に行っていたのである。優斗は自分も行くと言ったが、両親はそれを良しとしなかった。緊急性が低いと見ていたためだ。結果的に祖父の病状は、少しは悪化していたものの、一時的なものという診断であり、やはり「すぐにどうこう」という事態ではなかった。いつもの伯母の大騒ぎだ、という予想が完全に当たった形となる。だが、優斗に対しては「何時に帰れるかわからないし、遅くなったら明日の学校に差し障る」という理由が伝えられた。

 母親は優斗のために食事を用意し、風呂も沸かして病院へ向かった。優斗は温かいうちに夕食を済ませ、すぐに風呂に入った。とにかく早く用事を済ませ、両親がいないというシチュエーション、言うなれば「フィーバータイム」をできるだけ長く楽しみたかったのだ。祖父が病気の中不謹慎だが、まさにそのために、優斗はあっさりと病院への同行を諦めた。

 その時点で、時刻はまだ午後七時である。宿題は手を付けていなかったが、量は多くない。優斗はそこそこ勉強ができるほうだったので、両親が帰ってから、もしくは寝る前でも充分間に合うと踏んだ。さっそくプレイステーションの電源を入れる。さらに、ゲームボーイカラーも起動する。二刀流で楽しもうという、画期的な作戦であった。

 しかし、一人きりの静かなリビングでのゲームは、思ったよりも楽しめなかった。やってはいけない、と言われるとやりたくなり、いくらでもやって良い状態だと、途端にあまりやりたくなくなる。ゲームに限らず、そういう経験はあった。実に不思議である。

 ここぞとばかりに準備したゲームも漫画も、次々と手を出してはすぐにやる気を無くし、九時前には全て消化してしまったのである。ゲームに関しては何れもレベル上げの途中など、盛り上がる場面でなかったこと、漫画は全て読んだことのある作品であったことも、そうなった原因ではある。

 ただ、それは必然とも言える偶然なのであった。

 数々の偶然が重なり、優斗はテレビのリモコンを手に取り、外部入力から通常のテレビ放映に切り替えた。ついにゲームを諦めたのだ。

 午後九時からの映画が、ちょうど始まるところだった。

 もし、優斗があの時病院に行っていたら、食事も風呂も後回しにしていたら、ゲームの進行度が違っていたら、新しい漫画を手に入れていたら、その映画には出会わなかった。

 ファンタジーの世界。不思議な生物。危険な冒険。悲しい別れ。なんとも言えない顔の白い竜。形のない強大な脅威。そして、世界の崩壊と再生。夢と希望……。

 はてしない物語。

『ネバーエンディングストーリー』である。

 その物語に、優斗は引き込まれた。のどが渇いても関係なかった。トイレはコマーシャルまで我慢した。この映画が終わるまで、両親に帰ってきて欲しくなかった。誰にも邪魔されたくなかった。

 この映画を観て、当時の子どもたちはどのような想いを抱いただろう。冒険に憧れる者もいるだろう。不思議な生物に惹かれた者もいるだろう。役者になりたいと思ったり、歌手になりたいと思った者もいたはずだ。そして、優斗と同じ想いを抱いた者も、きっとどこかにいたのではないだろうか。


 僕は(私は)こういうものを「作る人」になりたい!


 だが、優斗はその後、特別なことは何もしなかった。せいぜい、映画をこれまでよりも多く観るようになったくらいだ。ゲームも漫画も大切だったし、子どもとは言え、漠然とした将来よりも、目の前の現実に対して、必死にならなければならなかった。

 学年が、年齢が上がるにつれ、徐々に映画を観る本数は減っていった。

 物語を作りたい。観た人に感動を与えたいとか、有名になりたいとかの理由は。全て後から付け足されたものだ。只々、最初は「作りたい」というシンプルなものだったはず。それなのに、余計な装飾を勝手に付け足して、自らハードルを上げ続け、そして自分自身を否定することで、やらない理由とする。そこに到る可能性がある数々の道を、自ら制限し、一つ一つ潰していく。徹底的に。

 そこまでの準備をした上で、他者からの否定を受ける。

 そして「やらない理由」は完成する。

 優斗の場合は高校生の時、両親からそれを受けた。ショックで、黒い感情が胸を満たしたのは事実だが、その実、自分自身さえも気づかないうちに、受け入れる準備は既に整っていたのだ。

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