ラギヴァ戦記〜剣と魔法の世界を物理最強がねじ伏せる〜

DarT

第1話 出立


 起床時間を知らせる鐘の音が聞こえて、ダルトンは目を覚ました。


「んぅ……うるさいなぁ……」


 まだ日は完全には出ておらず、灯りもない為部屋の中は暗い。


「はぁ、寝た気がしない……」


 未だに重たい瞼を擦り、身体を捻って滞った血液を循環させる。

 窓の外から聞こえてくる鐘の音が鼓膜にキンキンと痛い。


「もう起きたよ、いつまで鳴らしてるんだ……」


 いつもなら何とも思わない鐘の音が、自分に早く出て行けと急かしてる様に思えてつい苛立つ。

 そんな些細なことに苛立つ程にダルトンの気分は沈み、荒んでいた。


(憂鬱だ……)


 少し温まってきた身体を起こし、乱れている黒い髪を整えてから朝食を簡単に済ませ、すっかり片付けられて殺風景になった自室を振り返る。

 このドアから出れば、書記官となってから暮らしてきたこの部屋は自室ではなくなるのだ。


「2年間暮らしたこの部屋ともお別れか……なんだって俺が国境なんかに……」


ダルトンをそうぼやくかせる原因は三日前に突然言い渡された。

〜三日前〜


「補佐官、ですか……」

「ああ」


 書類整理を終えたダルトンを呼び出したロレム上級書記官が言った内容は、全く予想していないものだった。


「お前にはラギヴァ将軍の下へ行ってもらうことになった」

「ラギヴァ将軍って……あのラギヴァ将軍ですよね?」


 ラギヴァ将軍とは、ここラハイツ王国に六人いる将軍の一人であり、将軍の中で唯一平民の出でありながらもその戦闘力と人望だけで上り詰めた異色の経歴を持つ人物だ。

 誰に対しても対等に接する人柄とされ、国民から絶大な人気を誇っている。

 ちなみにダルトンはラギヴァ将軍に限らず、およそ将軍を見たことがない。


(いやでも、今は隣国との関係悪化でレナルツ帝国との国境へ出ているはずじゃなかったっけ?)


 王国と宗教国家シグファレム(通称教国)は数年前まで国交があり、王国内でも教国で信仰されているクリシエ教の教会を見かけることがあった。


 しかし、教会へ向かったきり帰ってこない者が出始めたことで状況が一変、ある領主が部下たちの反対を押し切って強引に教会を取り壊したことで、両国の関係は修復が困難な程に険悪になってしまった。

 今は互いに国としての謝罪と賠償を求めている状態となっている。


 その結果、両国の国境は厳重に封鎖され、国境付近の砦にはいつ侵攻されても良いように多くの兵が配備されることになったのだが、問題はさらに起こった。


 王国が教国との国境を固め、帝国方面への守りが薄くなると同時に、帝国に動きがあったのだ。

 いつの間にか帝国の国境警備隊の数が増え、推定兵力は二万にまで達した。

 ここに至って王国議会は、ラギヴァ将軍率いる【必滅】の派遣を決定した。


 それが一年前のことである。

 従って、今ラギヴァ将軍は帝国との国境に睨みを利かせている筈であり、そのラギヴァ将軍の補佐官となると・・・なんだか頭が痛くなって来た。

 どう考えても辺境へ飛ばされる様にしか聞こえない……。


「そうだ。将軍の補佐にあたっていた書記官が魔物に襲われて負傷した。 傷はその場で治癒されたが、心が折れて使い物にならん。そこで、そいつの二の舞を避けるためにもある程度戦闘をこなせる書記官が必要だ。となると……」

「私しか居ない……と」

「そう言うことだ」


 ロレムはそう言ったが、今言ったことが全てではない。

 ロレムがダルトンを指名した理由として最も大きかったのは、彼が平民であることだった。


 ラギヴァ将軍と貴族とは関係が微妙である。

 というのも、貴族の中には平民から将軍となったラギヴァを好ましく思わない者も一定数おり、仮にそうした家の者が補佐官となった場合、その補佐官を通して貴族達はラギヴァを失脚させようと謀るだろう。

 今の緊張状態にあって、それは絶対に避けねばならないことだった。


 しかし、その事実を公然と認める訳にはいかないことから、ロレムは敢えてこれを口にしなかった。


 もっとも、ダルトン自身も薄々感づいている。

 そう言った事情でもなければ、いかに下級書記官であれ平民の自分が選ばれるはずがないのだから。


 書記官となるのは殆どが家を継がない貴族の者たちで、ダルトンの様に平民からなる者はごく稀だ。

 一応の建前としては平民でも試験に受かれば準書記官になれるとされているが、そもそも平民で試験レベルの読み書きが出来る者など商人でもない限り殆どいない。

 又、平民だけには試験に実技があり、試験官との試合で合格を貰わなくてはならない。

 よって商人であっても合格は極めて困難となっている。

 これらの事から、ここマクーン領で平民から書記官になった者は、実技試験で教官に勝利したダルトンしかいなかった。


 さらにこれが王都だと、基本的に平民は書記官になれず、仮に平民でありながら王都で働こうとする場合は、各地方の領主か上級書記官からの推薦を受けなければならない。


 とある理由からこの推薦を欲していたダルトンにとって、辺境に飛ばされることは、例えそれが将軍付きの補佐官と言う異例の大出世であっても決して歓迎できることではなかった。

 そのため、できることならば断りたいがロレムの次の発言ではどうやらそれもできない様だった。


「突然ではあるが、これは決定事項だ。お前には三日後に出立してもらう。今のうちから荷物をまとめておけ」


 事務院のトップから決定事項と言われて断れるほど、ダルトンの地位は高くない。

 従う以外の選択肢は残されていなかった。


「わかりました……」

(はぁ、これで王都行きが遠のいた……勘弁してくれ……)


・・・以上の事があり今に至る。


 未だ沈んだ気持ちを抱えたまま、足取り重く事務院の門へと向かう。


 出立にあたってロレムの計らいから馬車が用意されることになっていたが載せるほどの荷物もないのでこれを断り、代わりにタピタスと言う飛べない代わりに長い距離を速く走れる鳥獣の手配を申請していた。


 ダルトンがタピタスの手配を頼んだのは、タピタスが馬より持久力があり、気性が穏やかなことも理由の一つではあったが、なにより重要だったのは、タピタスの体毛は非常に柔らかく、また、その外見も愛らしいことだった。


 詰まる所、旅には癒しが欲しいのだ。


 マクーン領から目的地であるカイロ領まで、タピタスならば数日で着く上に途中に街もあるが、それでも野営はしなくてはならない。

 そんな時、タピタスならば多少気温が下がろうと暖かく夜を越せることだろう。


 また、道中の護衛に冒険者を雇う話もあったが、今一冒険者を信用し切れないためこれを断った。

 どうにも初対面の者と寝食を共にするのには抵抗がある。


「でも断れるとは思わなかったな、言ってみただけだったけど……」


 というのも、普通であれば書記官には護衛が付く。


 定期的に付近の街から治安維持隊による巡回があるとは言え、盗賊や魔物に襲われる危険がない訳ではなく、その様な場合にあって、文官である書記官では対応できないのだから。


 街道に出る魔物や盗賊には負けないという自負がダルトンにはあったが、それは書記官としては稀なことだった。


「信頼されているのか、急がせたいのか……まあどっちもか」


 などと考えていると事務院の出入り門に着いていた。


 ここで手配してもらったタピタスを渡されることになっている。


 門の外でこちらに背を向けている衛兵の背中を眺めながら時間を潰していると、聞き慣れた声が自分を呼んだ。


「よぉ〜ダン、タピタスを連れて来たぜぇ」

「おう、悪い——!」


 よく話す兵士の一人であるマクトーに礼を言おうとしたところでその隣のタピタスが視界に入り、ダルトンは思わず息を止めた。


「ベッピンだろぉ?」

「薄桃色の個体は初めて見た……」


 通常タピタスの体毛は黒や灰色だ。

 今まで何度かタピタスを見たことがあるが、それらも総じて黒だったのを覚えている。

 しかし、マクトーの連れて来たタピタスはの体毛は薄桃色のそれだったのだ。

 春の暖かな風になびくその様は、撫でればその手を柔らかく包んでくれると見るものに確信させる。

 ダルトンが思わずその柔らかそうな体毛に触ろうと手を伸ばすと、薄桃色のタピタスは自分から頭を出して撫でられに来る。


 こうまで人に慣れているタピタスを、ダルトンは初めて見た。


「あぁ〜柔らかい、癒されるな〜」

「だろぉ?名前でも付けちゃあどうだぁ。これから一緒に旅をする相棒だぜぇ?」

「確かにそうだな。名前か……」


 自分には名前をつけるセンスがないことは自覚している。

 幼い頃、森で初めて捕まえた小さな兎に“滅菜丸”と言う名前をつけたところを父に笑われ、夕食でその兎がサラダと一緒に出てきた時に「おいおい、ダルトン!滅菜丸が野菜を添えられて出てきたぞ!プッハハハハハ!」と母に怒られるまでからかわれたことがある。

 凝った名前にしようとすれば、悲惨な結果となるのは経験上明らかだった。

 ここは簡単でわかり易い方がいいだろう。


(やっぱここは特徴的な毛色から……)


「よし、決めた。今日からお前はモモだ!よろしくな!」

「随分と捻りのない名前じゃねぇか?」


 マクトーは髪と同じ金色の短い髭をいじりながらクックと笑う。


 マクトーに笑われてダルトンがムキになって言い返す。

 それがいつもの流れであり、鬱陶しくも心地の良いやり取りだった。


「良いんだよ! こう言うのは短く分かりやすくだろ?——よっ!」

「そう言うもんかねぇ、まぁお前の相棒だぁ、好きに名付けりゃあ良いさぁ。もう行くのかぁ?」

「ああ」


 モモに跨ったダルトンに尋ねて、マクトーは外の衛兵に合図をして門を開いた。


 この年の離れた友人との会話もこれが最後なのかもしれないと考えたダルトンは、ふと出会った頃を思い出す。


 平民であることから、他の同期と馴染めていなかったダルトンに、初めて声をかけて来たのが衛兵のマクトーだった。

〜二年前〜


「よぉう、今日も一人で食ってんのかぁ? 書記官様用の食堂は使わねぇのかよぉ?」

「……何だよおっさん、書記官がここで食っちゃ悪いのかよ」


 書記官となって間もない頃、平民であることと試験官に勝利したこととで目立ち過ぎたらしく、ダルトンは周りとの距離や敵意を持った視線を感じていた。

 食事をするときも、「何で平民が……」などの声が聞こえ、心休まる時がなかった。

 そんな食堂から逃げる様に自然と足が向かったのが、衛兵や事務員などの平民職向けの、この大衆食堂だったのだ。

 いつも掃除が行き届いていた書記官食堂と違い、ここは掃除がいい加減らしく、所々にホコリが塊となって転がっている。

 また、ここの利用者は食事中のマナーなど知らぬとばかりに大きな声で話し、騒いでいた。

 だが、この騒がしさが日頃の静かな緊張感と対照的で、寧ろ心は落ち着けた。


 そんな時だからだろう、話しかけられた時につい攻撃的になってしまったのは……。


「いやぁ悪かねぇよぉ。ただぁ書記官様が小汚ぇ大衆食堂なんぞによく来るんでぇ気になったぁだけだわ。俺ぁマクトーってぇんだぁ。見知り置いてくれぃ」


 そのマクトーと名乗った衛兵は如何にもテキトーな雰囲気を纏っていた。

 短い金髪に、髪と同じ色の整えられていない髭、あまり手入れをしていないであろう革鎧も相まって、見るものにだらしない印象を与えている。


「……平民書記官のダルトンだ」


 大方、貴族である書記官に擦り寄るために話しかけて来たのだろうと思ったダルトンは、敢えて平民であることを明かした。

 そうすれば興味を無くして何処かへ行くに違いない。

 平民の自分に衛兵が話しかけるメリットなどほとんどないのだから……。


 そう考えていたからだ、次の言葉に驚いたのは。


「あぁ、お前さんがぁ教官ぶちのめしたってぇ新入りかぁ!俺たちの方でも噂になってるぜぇ?」

「……普通だな」

「あぁ?」

「あんたは平民の俺に普通に接するんだな。何でだ?」


 特に他意など無くただ純粋に気になったのだ。

 どうして平民と知っても話を続けるのだろうか。

 寧ろこちらを見る眼には、少年の様な好奇心すら見える。


「そりゃあ俺っつぅか、衛兵はぁ大抵ぇ平民だぞぉ? 笑うかよぉ、大したもんじゃねぇかぁその年でよぉ」

「お……おう、そうか」


 ここに来てようやくわかった。

 このマクトーと名乗る人物は最初から貴族が目当てで話しかけたのではなかったのだ。


 それに気づいたダルトンは、自分が勘違いした態度を取っていた事と褒められ慣れていないことと、二つの理由で顔を赤くした。


「なぁに照れてんだよぉ、クハハハ!」

「いや、別に照れちゃねーよ!」

「お〜い、お前ぇら!書記官様が照れてんぞぉ!」

「おい!」


 そんなことがあってからダルトンはマクトーと度々話すようになり、マクトー経由で衛兵達にも受け入れられ、気づけばダルトンは書記官としての暮らしが苦ではなくなり、彼らとの時間が大切なものとなっていた。


(今思えば、あれはマクトーの気遣いだったのかもな……)


 そう振り返りながら、開かれた門を通って事務院の外へ出る。


「じゃあなぁ、頑張れよぉ。 お前さんならぁきっと上手くやれらぁ。あいつらもぉ見送れねぇってぇ悔しがってたぜぇ?」

「ああ、だろうな。また会おうって伝えといてくれ……またな!」

「気ぃ付けてなぁ〜!」


 マクトーに見送られながらダルトンは15歳から2年間働いた屋敷を後にした。

 街から出るのにそう面倒な手続きの必要はなく、書記官の身分証を提示すれば直ぐに出れた。


「うおっ!やっぱタピタスは速いな」


 街を出て早速モモを走らせるが、想像を超える速さについテンションが上がる。

 昔何度か見たタピタスも、ここまで速かっただろうか。

 もしかすると、マクトーはとんでもないものを連れ出したのかもしれない。


「これは思ったよりも早く将軍のとこに着くな。……ラギヴァ将軍か……」


 噂は聞くものの、実物を見たことはない。

 その聞こえてくる噂も「馬より速く走れる」や「矢や槍では傷付かない鋼の肉体を持つ」などで、挙げ句の果てには「地龍を素手で粉砕して村を救った」と言う嘘の様な内容で、どの部分が尾ひれでどの部分が真実なのかが判断出来ず、具体的イメージが全く湧かない


「取り敢えずマッチョなのは確かなのか? 噂的に。なあ、モモ」


 モモの柔らかさを楽しみつつダルトンは未だ見ぬラギヴァ将軍の姿に思いを馳せて旅の1日目を過ごした

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