異界化スプレーマン

澄岡京樹

第1話「イカスプレー~Squid Spray」

第一話「イカスプレー~Squid Spray」


ナツミちゃんからのメッセージ:俗に言うチュートリアルね!




 ……二〇一六年『F市永海ながうみ町』。海に近いその地方都市は、潮風とともに来た『何か』を既に町の中へと招き寄せていた。それがどういったものであるのか? そして招き寄せたのは誰の意思なのか? そういった謎が解かれることは今のところなかった。

むしろ現在、町に住まう人々の中に――異界化異変を察知した者は数えるほどしかいなかった……。



 つくしの如く立ち並ぶ電柱たち。それらを視界に入れながら、墨染すみぞめクロトは神妙な顔つきで住宅街を歩いていた。コツコツと――靴がコンクリートを小気味よく鳴らし、それが青空に響く。普段ならそれに爽快感を抱くこともあるクロトだったが、今日は違った。


 クロトの父――墨染シンヤは、「今日の晩メシはタコの唐揚げだ」と言って出て行ったきり戻ってきていない。シンヤは普段から居酒屋やキャバクラによく行っており、場合によっては二日ほど帰ってこないこともある。そのためクロトも慣れていた。――普段ならば。


 ……しかし、今回は既に三日が経過していた。ここまでくると、クロトも色々と心配になってくる。シンヤの安否、家計、高校に支払う学費など、心配の種類は多岐にわたる。そのためクロトはシンヤを探すことにしたのだ。


 警察にも捜索願を出したのだが、現状シンヤの情報は集まっていないという。そのため、一抹の不安を抱えながらクロトは町を歩き回っていた。クロトが神妙な顔つきをしていたのはこういった事情があったためである。


「……どこに行ったんだ、親父」

 クロトは独り呟く。ただ感情を吐き出したかっただけである。ゆえに生産性はあまりなかった。あるとすれば、若干気持ちが軽くなった程度である。ただ、クロトはそこに意味を見出していたので行動としては間違っていなかった。


 ――しばらく歩いていると、コツン、と何かがつま先に当たった。

「……何だ?」

 結果的にとはいえ、何かを蹴ってしまったということに対する罪悪感を抱きながら――クロトは足元へと視線を移した。


 ……そこには、どろどろとした黒い液体が広がっていた。液体は若干ではあるが粘性を持っているようで、液体の一部がねばねばとクロトの靴の先端に付着していた。

 視線を更に先へ向けると、液体の出処が地面に横たわっていた。……それは硬質の、鉄か何かでできた容器――例えるならスプレー缶――のようなものだった。


「……何だ、これ」

 正直なところこれ以上触れたくもないとさえ思うクロトだったが、彼の持つ少々強すぎる責任感がその思考を妨げた。

「……しゃあない。ポイ捨てはよくないし、俺が代わりに捨てておくか」

 結局のところ、クロトはため息を対価に――そのスプレー缶らしきものを手にとった。


 ――その時だった。


「!?」


 突如としてスプレー缶らしき物体が発光し――クロトはおろか周囲を包み込む極光となったかと思えば次の瞬間には天へと昇るかのような光の柱となった。

 ……だが。その光柱は一瞬にして霧散したため気付いた者はほとんどいなかった。いたとしても、気のせいだったと感じてもおかしくないほど一瞬の出来事だった。

 ――その一瞬の光柱を求め続けていた者たちを除いては。



 永海町の中で最も全長が高い構造物〈ツルギモリタワー〉。様々な分野で名を轟かせる大企業〈ツルギモリコーポレーション〉の本社であるそれは、タワーの名が示す通り、巨大な塔であった。その姿は、まるで天を支える柱のようにも見え――人によっては思わず畏敬の念を抱くほどだ。

 そんなツルギモリタワーの最上階展望室にて。男が二人、クロトを包んだ光柱の出現を観測していた。


 男は、白いロングヘアが印象的な老人と――黒い頭髪をオールバックでまとめた青年の二人だった。

 老人は外界を見下ろしつつ――振り向くことなく青年に語りかける。

「これで何人目だ? デフレ」


「三十人目です、ミスター・ヤミガワラ」

 デフレと呼ばれた青年は即座に老人――ヤミガワラへ返答した。――三十人。クロトと同じ状況の人間は既にそれだけ存在していたのだ。


「――そうか。だが既に食い合っているだろう?」

「はい、ご推察の通りです。の結果、現在は約半数ほどにまで減少しております」

 デフレは淡々と答えた。――共食い。それが意味するものは、比喩というより直喩と言った方が適切とさえ感じさせる文脈であった。


「それで良い。……要は蠱毒なのだよ、デフレ」

 ヤミガワラの発した『蠱毒』という言葉にデフレは引っかかりを感じた。

「しかしミスター。このタイミングでの厳選作業はあまり得策とは思えないのですが」

 そんなデフレの忠言めいた発言に対し、ヤミガワラは顔色一つ変えることなく口を開く。


「だから蠱毒と言ったのだよ。数は他のプランでなんとでもなる……だが質はどうにもならない。本件はそういった多層的な事柄ということだ」

「それは――失礼いたしました」

 ヤミガワラの答えを聞いたデフレは頭を下げ謝罪した。


「良い。お前の忠言はいつも我がなく客観的だ。その俯瞰の意見はプランを練るのに不可欠なものゆえ、遠慮なく口にしろ」

「いえ、我がないなどということはありません。これは紛れもなく私の意思によるものです」

 この発言に、この場で初めてヤミガワラが笑みを浮かべた。


「――フ、その上で我を押し殺しているのがお前であろうに」

「……そのようなことは」

「まあ良い。……兎にも角にも、これで大方の役者は揃った」

「……では、ついに始めるのですね」

「ああ、フェイズを移行する。――奴らは、それにも気づかず食い合いを続けるだろうがな」

 外界を見下すかのような視線を続けながらヤミガワラはそう言った。



「――――う」

 極光に飲まれ、数分間倒れていたクロトはようやく目を覚ました。体は少々重く感じられたようだが、どうにか起き上がることに成功した。


「……一体なにが……起こったってんだ……」

 軽く体を動かして筋肉を解すクロトは、妙な感覚を覚えた。

「――――?」

 それは『力』だった。体――特に右腕が、やけに活力にあふれているという……今まで感じたことのない状態だった。ある意味状態異常と言えたが……これを状態異常バッドステータスと言うべきなのかはわからないでいるクロトだった。

 とにかく、この妙な活力の謎に迫るべく――クロトは視線を右腕へ向けた。


「――――!?」


 クロトは驚愕のあまり言葉を発せなかった。彼の右腕には謎の紋章が浮かび上がっていたのだ。それは三角形を思わせる先端部分らしき刻印が手の甲に浮かび上がっており、そこから全体で見ればロケットのようなフォルムの部分までは手の甲に収まっていた。そしてその先には……何本もの触手めいたラインが続いており、絡み合いながら右腕の肩まで伸びていた。クロトは、それがなんとなく『イカ』のようである――と思った。


「やあ、墨染」

 その時、クロトの背後にその少年は現れた。肩までかかる金髪。右目を覆うほどの金髪。それらが丁寧にセットされた美しき金の髪。


「キミも手に入れたのかい?」

 右腕にはクロトと同じくイカめいた紋章が浮かんでいる。全体的なフォルムは似通っているが細部は異なっているようで、紋章にも個体差があるかのようだ。

 ……そして、少年はその言葉を告げた。


「――『イカ』の力を!」


 ――『イカ』の力。少年はそう言った。それが何を意味するのか、クロトは知らない。……だが少なくとも、クロトは現れた少年が何者であるのかは知っていた。


「……なんだ、トオルか」

 崎下さきしたトオル――それが少年の名前だった。クロトと同じ高校、同じ学年、同じクラスに所属する――要はクラスメイトだった。部活はそれぞれ違うところに所属していたが、プライベートでも共に出かける仲ではあった。

 そういった事情もあり、クロトとしてはこの奇妙な状況を共に歩めるかもしれない友人の登場に安心感を覚えると同時に――場合によっては決裂するかもしれないという不安感も抱いていた。

 その結果、感情を上手く処理しきれず……クロトは若干無愛想な返答をしてしまった。


「なんだ……じゃないよォ墨染ェ! オマエも手に入れたんだろっ? イカの力をさぁ!?」

 感情を何度も昂ぶらせながらトオルは言葉を続ける。

「だからさぁ……手を組まないか?」

 結局のところ、トオルもクロトと同じ心持ちだったのだ。クロトと敵対したくないという一心で、同盟を組むという展開を提示したのだ。


 ……だが、それはそれとしてクロトは存外ドライかつ冷静だった。

「いや、ちょっと待ってくれトオル。……『一つ』、聞きたいことがある。……実にシンプルな問いなんだが――いいか?」

 まずは状況判断を行う――それがクロトの選択だった。

 クロトがそういう人間であることをトオルは知っていたので、別段そこで驚くということはなかった。


「なんだいなんだい? ボクに答えられることならなんでも答えるよ!」

 至極楽しそうにトオルは言った。実際楽しいのだろう。実のところ、トオルとクロトは小学生時代からの付き合いなのだ。そのため頼もしい味方が増える――と期待を寄せていたのだ。

「じゃあ聞くぞ」

「ああ! どんと来いだ!」

 ゆえに答えられることは何でも答えてみせる――と。トオルは嘘偽りなくそう思っていたのだ。


「『イカ』の力って何?」

「知らん」

 即答だった。嘘偽りなく回答するつもりだったが知らないものは知らないのだ。こればかりは仕方がないのである。


「……」

 クロトは一瞬だけ考えたが、


「なら話は終わりだ。初心者二人じゃかえって不利だ。俺は物知りさんを探す」

 すぐに結論を出し一気に主張を述べた。

「お、おい!」

 そのまま踵を返し歩き去ろうとするクロトを呼び止めようと、トオルは慌てて追いかけようとした。

「ちょっと待てって墨ぞ――」


 ――だが。


 刹那。白いかおが見えた。トオルがそう感じた時、


「――――め」

 墨のような黒さの腕に胸部を貫かれていた。


 どさり、と。トオルが崩れ落ちる音がした。クロトは事態の把握自体はできたものの、それを現実であると受け入れるのに数秒の時間を要した。――トオルが始末されたのである。


 これは……一体? クロトは尚も混乱する。自身に起きた変化以上に、友人であるトオルに起きた現象は客観的に見ることが出来る分――より克明に異常を浮かび上がらせていたのである。


「『イカ』の新参者は抹殺する。それが私の一歩なり」

「――――!!」

 胸部と口から血を流し倒れ伏すトオル。その影から男の声が聞こえた。そこに広がるのは血の赤と墨の黒のみであり、人が潜む空間は存在しないはずである。

 ゆえにクロトは本能的に『ヤバイ』と理解した。


「それが私の――」

 声は続く。変わらず、トオルの影から。


「『存在意義レゾンデートル』なり」


 レゾンデートル。存在意義を示す言葉が響くと同時に……ついに白貌の男は姿を表した。

 どろり、と。中折れ帽を被った白黒の男が上半身を浮上させる。――そう、トオルの血液と墨が入り混じった液体の中から。

 先ほどと違う点と言えば、現れたのはトオルの影からではなく前からだったということ。出血が広がり、前方――今回の場合クロトの立っている側――にも赤黒の液体が流れ出していたのだ。


「こんにちは、『初心者』さん」

 クロトが状況に流されるがままになっている中、男はクロトを初心者と呼んだ。……一体いつからトオルに目をつけていたのだろうか。クロトはようやく疑問を抱ける程度にクールダウンすることができた。


「いやいやいやいや」

 ――どうなっている?


「何だアンタは」

 ――血から『浮上』した?


 クロトは冷静に眼前の男と対話を試みるも、その内心は未だ混乱の渦中から抜け出しきれてはいなかった。


「アンタも……その、なんだ。――『イカ』なのか?」

 それでもクロトは、どうにか口を開き言葉を紡いだ。今、下手に口をつぐむのは悪手であると判断したからだ。


「私が『イカ』だと? ……ククク」

 そんなクロトが発した勇気の一言を、男は一笑に付した。クロトはその笑いを奇妙に感じた。

「……何がおかしい? お前は『イカ』じゃないのか?」

 ひょっとするとこの男は『イカ』ではないのかもしれない。考えたくもなかったが、念の為クロトはその旨を問いかけとして男に伝えた。

 だが、予想に反して男は『イカ』だった。

「否、否である。私は『イカ』である。それには相違ない。――だが」


 男は一度、言葉を切り――


「『貴様の敵』ではある」


 戦端を開いた。


「――『墨染式・暗夜の義手ナイトハンド』ッ!」

 男の叫びと同時に繰り出される漆黒の腕。それは彼が浸っている赤黒い液体の中より射出された。厳密には、それは腕というより最早『槍』の様であったが……それでも先端部分は確かに人の持つ腕と同じフォルムをしていたため――現実的ではないにせよそれはやはり腕には違いないのだろう。


 だが、腕であろうと槍であろうと関係がない。それはほんの数分前にトオルを刺し貫いた得物。トオルが気づくよりも先に放たれたそれを、現状ただの人間であるクロトが避けきれるはずがなかった。


 ――クロトの思考がスローになる。

 それは眼前に迫った『死』ゆえか。


 『イカ』の力とは何か。それすらまだわからない。……だが、その中でもただ一つわかることがクロトにはあった。


「――まだだ、俺はまだ」

 その時、クロトの右腕に刻まれし『異界刻印』が光を放った。今までも刻印から溢れ出す力を感じていたクロトだったが、この瞬間よりさらなる力の発現を察知した。


 クロトは右腕を目前の敵に向ける。――そして、その腕にクロトの攻撃意思が『スプレー缶』という形で現出した。

「俺はまだ……!」

 瞬間、クロトの肉体を白き極光が包む。敵はそれを見て「クッ、始まったか」と奇襲の失敗を悟った。


「死にたくねえ……ッ!!」

 そして、クロトは凄まじき白き極光を稲妻のごとく纏いながら変貌を遂げた。

 クロトの肉体は、イカを思わせる異形へと姿を変化させていたのだ。

 人の面影を残しながら、イカを想起させるフォルム。その変化は驚異的なもの、そして眼前の敵と同じ力によるもの。だがそのようなことは、クロトにとって今はどうだっていいことだった。


「なんだっていい、そう、なんでもいいんだ」

 言葉を紡いでいるうちにも、手に持ったスプレー缶は徐々にクロトの変化した白き右腕へと同化していく。


「既に武器の使い方を……不味い!」

 襲撃者は功を焦り必殺の一撃を続行しようとする。――だが数秒後、それがミスであったと理解した。


「アンタを倒せるのなら――」

 右腕と同化したスプレー缶は、クロトの右腕を黒く染め上げ『銃の先端』を形作った。

「どんな武器でも――」

 その武器の使い方を、クロトは既に理解していた。それは既に、己が右腕も同義だったのだ。

「かまわない――――――ッ!!!」


 かくして、黒き墨染の弾丸は射出された。

 後出しだったにもかかわらず、それは襲撃者の奇襲よりも速かった。このまま続ければ、先に始末されるのは襲撃者の方であった。


「これは――これは不味い」

 男は自身の敗北を察し、仕切り直しを図った。

 『腕』を戻さねば殺される――攻撃動作にリソースを割いている場合ではない、と。男は戦闘状態の解除を即座に決意したのだ。男は『腕』のコントロールを行っている間、その他の行動が大きく制限されるのだ。


 『腕』のコントロールに神経を集中させていては敗北する――それを脳内で同時に察知できる程度には、この襲撃者は冷静であった。逆に言えば、それが理解できなかった者は……『イカ』の力を得たところで淘汰されるだけなのだ。これまでの『共食い』……その脱落者のほとんどは、マルチタスクの失敗により勝者の糧となったのだった。


 じゃぷり――『腕』が墨の海に戻った瞬間、

「間に合ったッ!」

 襲撃者の男は墨の海へと『潜行』した。


 ……いや、潜行しようとした。


「――――な、に」

 襲撃者は驚愕の声を上げる。……いや、それは最早掠れた、絶望に満ちた呻きに等しい――声になりきれぬものだった。

 彼は被弾したのだ。彼の左肩には、粘着質を持った墨が付着していたのだ。これによって彼は地面に肩を縛り付けられ――結果として潜行が阻害されたのだ。


「悪いな、アンタには色々と聞きたいことがある。逃げられちゃ困るんだよ」

 冷静に、冷酷に、クロトはイカめいたフォルムのまま――やはり同じくイカめいたフォルムの襲撃者に向かって歩み寄る。右腕は既に元の形状に戻っていたが、色は黒く染まっていた。完全に同化したのだ。


「……よもや、これほどの適応力を持つとはな」

 男は観念したのか両腕を上げ降参を示した。

「それでいい。そのままおとなしく質問に答えろ」

 クロトは男に様々なことを問おうとした――その時。


「待てって墨染。僕もその話に混ぜてくれよ」

「――な」

「――貴様」


 何事もなかったかのように、崎下トオルが姿を表した。


                                   つづく

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