夢の勇者ナイトブレイカー

財油 雷矢

第1話 発進! ブレイカーマシン(前編)

『この世界に悪の魔の手が伸びようとしている……』


 なにこれ。と、夢の中ながら美咲みさきはツッコミを入れていた。その男の声はアニメのナレーションのように暗闇の中から響いてくる。


『今こそ目覚めよ勇者よ。汝が心の力を剣に変え、闇を斬り裂くのだ……』


 やれやれ……

 そっとため息をつく。ここまでくると呆れを通り越して悲しくなってくる。


(ボク、疲れているんだけどなぁ……)


 夢だ、ということは分かっているのだが、妙に自分の意志がはたらいている。もう少し強く念じたら夢に変化を起こせるかも知れない。


「……あー。あー。あ、声が出る。」


 これを好機と美咲は大きく息を吸い込む。


「ちょっと君ィ? なんなのさ、いきなりボクの夢に出てきてさ。」


 虚空からの声が急に黙り込む……


『いや、そのぉ……』

「なにさ! 言いたいことがあるならちゃんと言ってよね。ボクはね、ハッキリしないのは嫌いなんだから。」


 頼りなげな口調にそんなに気の長くない美咲の怒りが炸裂する。暗闇が動揺したかのようにザワザワと揺れた。


「用がないならボク帰るからね。明日最後のテストで寝ないで……って。

 ああっ! ボク居眠りしてるの。まっず~い、数学の勉強全然進んでないのにぃ~」


 事実その通りであった。テスト期間中で毎晩徹夜スレスレで勉強をしていた美咲(しかし努力は報われてない)はここ数日で睡眠時間が片手をきっていた。そして最後は大の苦手の数学だった。


「どうしよう…… どうやったら目が覚めるんだろう……」


 自分で顔をひっぱたいてみるが、夢の世界から抜ける気配がない。


『あのぉ…… あのですね……』


 その存在を再び美咲に思い出させるように闇からの声が聞こえてくるが……


「うるさいっ! 今忙しいのっ!」


 すぐに一蹴される。


『す、数学でよろしければ…… お教えしますが……』

「ホント?」


 めげずに言葉を続けると美咲はさっきとうってかわった態度で闇を振り返る。その闇の奥から何か近づいてくる気配がする。何か白衣のようなものをまとった人影であることは分かるが、要所要所、特に顔の辺りに闇が固まっていて誰なのか判別がつかない。


「こう言っちゃなんだけどさ、君、なんか怪しいね。」

『すまないですね。私の精神力ではこれが限界でして。これでもマインドアンプを使っているのですが……』

「マインドアンプ?」

『ま、詳しい説明は省きます。とにかく夢幻界むげんかいでそれだけ自分のイメージを確立できる人間は珍しいんですよ。』


 耳慣れぬ単語に戸惑いながらもこの影の男の言葉に自分を見おろす美咲。

 様々な運動で身につけた敏捷性と柔軟性に富み、なおかつ女の子らしい曲線を持つ肢体。ただし本人はいまだに発育不足に小さからず悩みを抱いている。髪は動きの邪魔にならないようにショートカット。顔にもあどけなさ、どころか幼さが残っているため、小柄なのもあいまって普段から年齢を三つも四つも低く見られている。

 身をつつむのはTシャツにショートパンツ。彼女の性格を如実に表すような軽快な服装である。それに半ばトレードマークになったバンダナを巻いている。

 そう、いつもと何も変わりない一七の少女が天井も床もハッキリしない空間で闇と相対していた。


(夢、ってこういうものだと思ってたけどなあ……)


 別段、美咲にとっては不思議でもなんでもなかった。実際、他の人の夢を見ることができない以上、自分の夢と他人の夢の違いなど分かるわけがないのだが。


『ま、ややこしい話は後にしましょう。とにかくあなたは明日の…… いや、時間的に言えば今日なんですが…… 数学のことで頭が一杯なんでしょう。』

「うん……」


 声に言われて急に数学のテストのことを思いだし美咲は悲しくなってきた。今度赤点をとったら三回連続の赤点である。それがどういう結果を生むかは火を見るよりあきらかだ。


『ま、元気を出して下さい。どうせ時間はタップリあります。では始めましょうか。』


 闇の男が講義を始めた。



 ……という夢であった。



 教科書を枕にして勉強机で眠っていたたちばな美咲は四個目の目覚ましの音でやっと目を覚ました。思いだしたかのように五つ目が鳴り始める。


「……朝?」


 どう考えても寝るのにふさわしくない格好で眠りについたため、体のあちこちが何となく強ばっている。

 彼女に記憶が残っているのは確か三時の時報までである。それからは漠然とした記憶しかない。眠ってしまったのは確実だろう。

 よだれの痕がついた教科書はテスト範囲の一割も進んでなかった。ため息をつきながら教科書と新種の抽象画が描かれたノートを閉じる。

 時刻はすでに七時半。切羽詰まっているわけではないが、急がなくてはいけない時間である。勉強を始めたときと同じTシャツとショートパンツ姿で階下に降り、ぬるいシャワーを浴び、髪を乾かす。ショートだからこんなときは楽であろう。

 風呂上がりのまま二階にかけ上がり制服に着替え、教科書とノート、筆入れを無造作に放り込み、再び階下に降りる。

 制服姿の上にエプロンをつけ、冷蔵庫からレタスに卵、ベーコン、バターを取り出し、食パンをトースターに放り込む。

 卵は二個を片手で割って塩コショウ。菜箸で良く混ぜ合わせ、熱してバターを落としたフライパンに流し込む。

 固まりかけたところでバターをくるむようにして混ぜることしばし。これでスクランブルエッグのできあがりだ。

 お次はフライパンの炎を少し小さくして静かにベーコンを並べる。ベーコンから油がにじみ出てきたらその油で揚げるように熱を加える。

 そうしている間にパンが焼き上がる。うっすらと焦げ目のついたトーストの上にスクランブルエッグの半分くらいとそれなりに火の通ったベーコンを乗せ、たっぷりのミルクを入れたコーヒーで流し込む。

 その間にカリカリに焼けたベーコンと残りのスクランブルエッグ、そしてレタスを皿の上に盛り、美咲もレタスを数枚バリバリと食べて青臭くなった口の中をコーヒーで洗い流した。

 時計の長針が真上を通り過ぎた。

 今週はずっとテスト期間で午前中に終わるからお弁当を作らずにすむから、まだ時間的な余裕はある。そのことを確認するともう一枚のトーストにバターを塗り、口の中に押し込むようにして食べる。

 速度を重視した朝食が終わると洗顔、歯磨き、服装や髪型のチェックがすむと、バンダナを手に玄関に向かって全力疾走をかける。


「おじいちゃん、いってきま~す!」


 美咲には両親はいない。彼女が十才くらいのとき事故で亡くなったのだ。それ以来、ずっと祖父との二人暮らしを続けている。その祖父もヒョイヒョイよくいなくなるから彼女は一人でいることが自然と多くなる。

 が、元気良く走る美咲からは悲しげな影をうかがうことはできない。根っからの陽気者なのか、それとも人知れず涙をこぼしているのかは親しい友人も知らないことである。

 ま、ともかく一分一秒に追われて走る美咲は今朝見た夢のことなんてすっかり忘れていた。



 ギギギギギギ……

 美咲の目の前で校門が今まさに閉まろうとしている。何人かの生徒が閉まるすき間を抜けて行っているが、彼女の位置からでは完全に外と中を遮断する方が早いだろう。


「いいかぁ。入れなかった奴は遅刻になるからな。」


 門のところで生活指導の体育教師が叫んでいる。その声で更に多くの生徒が殺到した。小柄な美咲ではその生徒達の群れをかき分けて入るのはほぼ不可能であろう。

 よって美咲は彼女くらいしかできない方法を選択することになる。

 距離を計りながら助走を兼ねた全力疾走をかける。


 ターゲット・ロック・オン。


 心の中で呟く美咲。視界の中で鉄製の門が徐々に大きくなる。


 ワン、


 右足が大地を蹴った。体が宙に舞う。


 トゥ、


 左足が門を横に走る鋼材を捉えた。少女の体が更に高く宙に舞う。


 スリー!


 鞄を持ってない方の手を門の上にかけ、そこを支点に運動の方向を変化させる。

 空中で一回転すると内側にひらりと着地した。まさに人間離れした身のこなしである。が、美咲にとってはさほど難しい芸当ではない。最初の数回はともかく、十回も二十回もやってれば慣れてくるものである。とはいうものの彼女の身軽さと卓越した運動神経があってのことである。


「先生! ボク、セーフだよね?」

「橘ぁ…… いい加減、どっかの部活に入らねえか?」

「うちには手のかかるおじいちゃんがいるからダメなの。ゴメンね!」


 チャイムが聞こえてきた。我先に中に入ろうとする生徒を尻目に美咲は玄関をくぐり抜けた。



「さ~て。みんな勉強はしてきたかな? これから数学のテストを始める。」


 忘れていた、わけではない。無意識に考えまい、としていたわけだ。試験監督の先生の言葉で数学の恐怖がよみがえってきた。


「そうだ…… 途中で眠っちゃたんだ……」


 やっば~い、と思っても無情にテスト用紙が配られていく。このとき、最後の悪あがきで教科書でも読んでいたら自分に起きているちょっとした変化に気付いていただろう。

 しかし、美咲はこれから起きる(と思っている)惨劇を今や遅しと待ちかまえ……ているということはない。


「今回は特に難しいらしいからな……」


 そんな教師の言葉もまるで耳に入らない。すでに美咲の頭の中には摩訶不思議な記号にしか見えない数式|(のようなもの)が乱舞していた。

 美咲の前に忌々しい紙切れが送られてきた。一枚取って後ろにまわす。


「はぁ…… 分かるわけないじゃない……」


 大きくため息をついて紙を表に返す。そしてそこには美咲にとって意味不明の……


「あれ?」


 思わず声が出てしまった。一瞬、周囲の視線が集中する。が、すぐに皆が下を向く。こんな状況で他人に構っている暇など無い。

 そういう切迫した事態を再確認して再び問題用紙に目を落とす。


(分かる…… なんで?)


 考えていると、試験監督の先生の「始め」の声がかかった。それを皮切りに筆記用具が紙の上を走る音が響きわたる。

 美咲もおそるおそる自分のシャープを手にして一問目を解きにかかった。


 …………


(できた。)


 二問目、三問目、四問目…… 以下略。


 美咲のシャープが紙の上をスラスラと流れていく。別に誰かに操られているわけでもなく、自然に自分の意志で解答している。


(絶対変だよ。ボクがこんなにできるハズがない。……でも頭いい人ってこんな感じなんだろうなぁ……)


 全て書き終わって、それでもまだ時間がタップリ残っている。


(夜はずうっと居眠りしてただけだったしなぁ、って…… 居眠り?)


 眠っていたということが妙に心に引っかかった。なんか変な夢を見ていたような気がする。しかし、一般的に夢を見ていたことは憶えていても内容までは憶えていないものである。


(世界に魔の手が…… って言われたような気が……)


 考えながらも睡眠不足がたたったか、いつの間にかに美咲はウツラウツラし始めていた。



『この世界に悪の魔の手が伸びようとしている……』

(あれ?)

『今こそ目覚めよ勇者よ。汝が心の力を剣に変え、闇を斬り裂くのだ……』

(これ、前も聞いたな……)


 …………


(あ、そうだ!)


 夢の中で美咲は思いだした。昨晩、夢の中で謎の人物から数学を習っていたことを。


「どうもありがとう。おかげでいい点が取れそうだよ。」


 礼の心を忘れない、という教えは美咲に格闘技を教えた彼女の祖父が与えたものだ。その教えが次の言葉を紡ぎ、そしてそれが彼女に大きな使命を与えるとは誰一人とて予想できなかったであろう。


「でさ、ボクでできることなら何かお礼がしたいんだけど……」

『本当ですかっ!』


 その淡々したナレーション風の声が急に口調を変え、美咲に詰めよってきた(感じがする)。


「ボ、ボクにできることだからね。できるといっても…… ボクに何ができるかな……」


 いきなり服を脱げ、とかエッチなことを言われたらどうしよう。と思いつつ、あまり変なことを言ったら蹴飛ばしてやれ、と腹をくくることにした。


『とりあえず…… 正義心は強いですか?』

「え?」

『というか…… 困っている人がいたら放っておけない方ですか?』

「う~ん……」


 彼女の親しい友人は美咲のことを「お人好しの熱血漢」と評している。困っているお年寄りを見かけたら率先して近づいていく。誰かが不良にでもからまれていたら祖父直伝の格闘技がうなる。悪人|(大なり小なり)にはとことん厳しいが、他の人間にとっては頭に馬鹿がつくほど親切である。

 かといって美咲自身がそれを認める気はなかった。彼女にとっては普通のことであり、人に褒められたり感謝されたりすべきことではないと考えていた。

 闇の方からポン、と手を打つ音が聞こえた。


『なるほど。あなたは正義感があって正直者で、なおかつ謙虚なんですな。』

「…………」


 当たっているだけに余計嫌だった。基本的に美咲は褒められるのが苦手だった。その様子が闇の男にいい印象を与えたようだ。


『あなたのような人を探してました。しかもその精神力。あなたさえ良ければ一度研究所に来て下さい。場所は……』



「サキぃ! な~に寝てんのさ。」


 友人の声で現実に戻される美咲。顔を上げるとテストどころか、すでに教室の中は閑散としていた。頬杖をついて寝ていたために周囲には気付かれなかったようである。


「えぇ……と?」


 まだ頭の中に霞がかかっている。


「うんうん、その様子だと今回も頑張ったようだけど…… やっぱ玉砕でしょ?」

「う~ん…… それがなんかねえ、今回調子いいみたいなんだ。」


 言った美咲の声が周囲からのえぇーっ! と叫ぶ声にかき消される。


「なによそれ! 運動神経だけが取り柄のあんたがよ、よりによって一番の苦手の数学の調子がいいわけぇ?」


 友人の一人、法子(のりこ)がことさら大きい声を出した。少なくとも勉強だけは勝てると思っていたのに当の美咲が「調子がいい」なんて言い出したら立つ瀬はないのかもしれない。とはいっても法子の大声は単なるポーズに過ぎない。ただ単に楽しんでいるだけだ。


「で、教えてもらいましょうか?」


 法子が子供をあやすように美咲の頭に手をのせる。


「どんな勉強をしたらそんなに自信がでるのかなぁ? さっさとお姉さんに白状しなさぁい!」

「……睡眠学習、って言ったら信じる?」


 上目遣いでまわりを見る。が、法子は黙って美咲にヘッドロックをかけ、拳をグリグリ頭にめり込ませる。


「面白い! 面白いよ、サキぃ!」

「痛い! 痛いってばぁ!」


 少女の悲鳴とはじけるような笑い声が静かな校舎に響いていた。



 記憶を頼りに美咲は住宅街をさまよっていた。あの後、「テストも終わったしどっかでパーッと騒ごうよ」という友人達の誘いを丁重に断って家に戻った美咲は制服から着替えると食事もせずに外に出ていた。

 昨日の夜と違って夢の途中で起こされたために夢を見ていたことも、その内容も若干ながら憶えていた。

 そして夢の中で出会った闇の男の言っていた「研究所」というものを探していた。特に理由はない。無理に挙げるとするならば闇の男の言葉が気になった、というところだろうか。

あれがジョークならジョークなりに今度は顔が見てみたいと思うだろうし、もしも本当なら…… 自分に何ができるか知らないが一度逢ってみよう、と思ったわけだ。

 が、現実はちょっとばかり厳しかった。美咲はいかにも「研究所」という建物を想像していたが、男が言った住所の辺りは建て売りの一戸建てが並ぶベッドタウンで看板も無ければ屋根の上で怪しく回転するパラボラアンテナも無かった。


「はぁ~、やっぱり夢だったのかなぁ……」


 少し歩き疲れたのと空腹も手伝ってか若干周囲への注意が疎かになっていたらしい。そのことが分かったのは若い男の叫び声のせいだった。


「う、うわぁぁぁ! あ、危ないぃ!」


 彼女のすぐ目の前にスクーターが迫っていた。当然ながらスクーターは自走しない。その座席の上には頼りなげな風貌をした眼鏡をかけた若者が美咲を避けようと急ハンドルを切っていた。

 美咲にとっては幸運なことに、そしてその若者にはとことん不幸なことに、


「うわっ!」


 と驚いた声を上げただけで少女の体は自らの意志で宙を舞っていた。近くの電柱を利用して三角跳びの要領で美咲は大きく跳躍したのだ。


(あれ?)


 空中で下を見た美咲はスクーターの若者に何となく見覚えがあった。そんな妙な既視感に戸惑いながらもきれいな着地を見せ、不幸な若者の行く末を見守ることになった。

 どうやら彼は美咲の十分の一も運動神経が発達してなかったらしい。ぶつかる、と思った相手が急に消失し、完全に混乱してハンドルを右に左に暴れさせていた。


 ドシーン。


(あちゃあ……)


 哀れスクーターは電柱と熱い口づけを交わし、その代償として前輪はひしゃげプラスチックの車体は何箇所も割れていた。幸運にも男の方は寸前で放り出されたらしく、眼鏡を吹き飛ばしただけで大事には至ってないようだった。


「大丈夫? ご、ごめんなさい。ボクがボーッとしてたから……」

「あ、ああ…… 何とか…… え?」


 男は美咲の声を聞くと慌てたように眼鏡を探し始める。彼女が眼鏡を拾って手渡すとそれを慌てて着け、彼の事故の原因の顔をマジマジと見つめる。

 急に男は興奮したように美咲の両肩をガッシと掴もうとして……


 ヒョイ、コテン。


「なにするのさ、いきなり。もしかして新手の痴漢?」


 美咲に投げ飛ばされて地面に転がる羽目になる。しばらく投げられたことすら気付かずにキョトンとしていた男は冷静な表情に戻ってゆっくりと身を起こした。

 投げ飛ばした時点で美咲も立ち去れば良かったのだろうが、とりあえず自分のせいで事故を起こしたという後ろめたさが男の次の言葉を待たせた。


「ああ、すみません。つい嬉しくなったものでして…… 申し遅れました。私、こういう者です。」


 差し出された名刺には「心理学博士 小鳥遊一樹」と書かれてあった。


「えぇ……と、ことりあそび……?」

「それで『たかなし かずき』と読みます。唐突ですが、夢の中で数学を習った憶えがありませんか?」

「え?」


 唐突に言われたセリフに思わず間抜けた声を上げる美咲。その中には若干の驚愕と少しばかりの不安、そして微塵ながらも期待が混じっていた。


「それではこういう声に聞き憶えがありませんか…… 『この世界に悪の魔の手が伸びようとしている……』」

「…………」


 半ば予想していたため、今度は声を出さずにすんだ。それでも心臓の鼓動が一瞬、高く跳ね上がった。

 本当だった! その思いで美咲は嬉しくなっていた。今の今まで全てが夢の中の単なる自分の空想の産物だったのではないかという危惧が頭の片隅にこびりついていたのだが、小鳥遊の、あのアニメのナレーションのような口調が現実であることを教えてくれた。

 美咲は自分が愉快な思想の持ち主でないことに一安心すると大きく息を吸い込み呼吸を整え、そして少しためらった後におそるおそる口を開いた。


「ボク…… 知ってる。夢の中で聞いた。」

「……つまり、それは……」

「そう…… ボクは君と逢ったんだけど…… 教えて。『あれ』はどういうことなの?」


 少女の見せた真剣な眼差しに若き科学者は戸惑ったが、小さく笑みを浮かべると倒れたスクーターを起こして帰り仕度を始めた。


「ま、立ち話も何ですから私の研究所で話の続きをいたしましょう。」



「ちょっとぉ! なにこれぇ!」


 小鳥遊のいうところの「研究所」は普通の一戸建ての中にあるのだが、その前に美咲にこのセリフを言わせたのは彼の家の乱雑さであった。

 散乱する読みかけの本。栄養士が悲鳴を上げそうな素晴らしい食事の跡。何日どころか年単位で掃除をしたこと無いような室内にきれい好きの美咲は声が出たときには既に片付けを始めていた。


「あ、あのですね……」

「なにぃ?」


 振り向きもせずに黙々とゴミを片づけている美咲に声をかけようとして、小鳥遊は急に言葉に詰まる。


「……すみません。名前を聞いてませんでした。」

「あ、ゴメン。ボク、橘美咲。美咲でいいからね。」

「あの、美咲さん? いきなり何を……?」


 訊ねる小鳥遊に無言で本の山を渡す美咲。彼女がそんなに力を入れてないように見えたので意外と軽いと思ったら、見かけ以上の重さがあってよろけてしまう。


「お、重いじゃないですか!」

「だらしないなあ。それにボクね、こーゆー散らかった部屋見るの堪えられないんだ。片付けてやろう! って思わない?」

「そういうものですかねえ……」


 とりあえず言われた通りに部屋の隅に本を積み重ねながら呟く小鳥遊。それでも美咲の気迫に押されて延々と掃除をすることになる。

 こうして小一時間もすると美咲には不満が残るが、小鳥遊には見違えんばかりの様相になっていた。

 昼を抜いていた美咲はもとより、なれない肉体労働で小鳥遊もすっかりお腹をすかせていた。で、余り物で美咲が簡単に作った(小鳥遊にとっては久しぶりのまともな)料理を味わった後、食後のお茶をすすりながらやっと「話の続き」になった。



「私は心理学者として人間の『夢』というものを研究しました。夢の中での既視感。夢枕などなど…… 夢とは一人の人間の想像だけで創られるものでは無いらしい。これが私の考えでした。

 ある有名な心理学者の論にこんなものがありました。無意識層という人間全てが共有する精神的空間があり、普段はそこに入り込むことはないが、夢を通じて無意識層に触れることができるというものです。」


 そこまで言うと小鳥遊はスックと立ち上がった。


「これからは実物を見た方がいいですね。こちらへどうぞ。」


 美咲がついていくと、廊下の突き当たりに階段が隠されていて、そこから地下に降りることができるようだ。どう考えても建築基準を無視してこの地下は存在するようだった。


(いいのかなぁ……)


 しかし、彼女の頭からそんな呟きは風前の灯火のように消えてしまった。地下に降りて美咲が見たものは……

 そこには大型のコンピューターのような機械が乱立し、様々な意味不明の機械が整然と並ぶ空間であった。


「うわぁ……」

「で、これが私の長年の研究の末、作り上げたマインドプロジェクター。ま、私はドリームリアライザーと呼んでます。」

「どりーむ・りあらいざー?」

「ええ、簡単に言うと夢を実現する装置。難しく言えば精神を限定的に実体化するものと思って下さい。

 で、話の続きですが、この無意識層、あえて私は『夢幻界むげんかい』と称していますが、この世界は全ての人間の精神につながっています。 ところで美咲さんは『夢魔むま』というのを聞いたことがありますか?」


 機械類の無言の圧力と耳慣れぬ固有名詞が続いたのでボンヤリしていた美咲は不意に名前を呼ばれて我に返った。

 しばらく考えて黙って首を振る。


「聞いたことはあるような気が……」

「ま、普通はそうでしょうね。

 有名なところで淫猥いんわいな夢を見せるインキュバス、サキュバス。夢を喰らうバク。そして悪夢を見せるナイトメアがいると言われています。」

「それで……?」


 これからが本題です。と前置きをしてから小鳥遊は手近な端末を操作した。巨大なディスプレイに様々なCGが写し出された。

 全くの不定形のものからいくつかの動物を組み合わせたようなもの、さらには機械的なフォルムを持つ、「怪物」と表現すべきものの映像である。

 人間の本能的な恐怖を促すようなデザイン。「恐怖」というものを実体化したらこんなふうになるだろうというものであった。


「これ……は……?」


 どちらかというと怖いもの知らずで通っている美咲も声にわずかばかりの震えが混じった。


「これが『夢魔』。いや、『最近の夢魔』というべきでしょうか。」

「最近の……?」

「そうです。」


 小鳥遊が眼鏡を光らせた。


「私の言う『夢魔』とは結局は夢幻界にさまよう精神的エネルギーが他の、つまり人間の夢や精神に干渉をかけるものです。

 が、最近はそのエネルギーレベルが上昇、及び何かに統率させるような動きを見せています。

 まだ今のレベルでは少し精神力の強い人間が無意識でも何とかできるくらいですが、このままのペースで強化されていくと……」

「…………」

「……精神を侵されたり、破壊される者が出てくるでしょう。安らかな眠りは存在しなくなり、人はいずれ……滅びへの道を歩むことになるのです。」


 淡々と語る口調が逆に現実味を持たせていた。聞いている美咲が拳を強く握りしめる。


「ボクに…… ボクに何ができるの……?」


 絞りだすような声が聞こえたのか聞こえないのか、口調を変えずに小鳥遊が説明を続ける。


「この夢魔達を倒すには実際に夢幻界に行って直接叩くしかありません。この事実を知って私は開発中のドリームリアライザーを完成させ、そしてブレイカーマシンを開発しました。」

「ブレイカーマシン?」

「ええ、そうです。夢幻界で夢魔を倒すため

に造られたマシンです。が、実体化させるためには強力な精神力が必要でした。普通の人間では精神力強化しても無理です。」


 ここで小鳥遊は美咲を正面から見つめる。


「しかし…… 私の呼びかけを聞くことができたあなたなら…… 可能です。」


 息詰まる沈黙が流れる。小鳥遊は強制はしていない。嫌なら嫌と言ってくれ、とその目は語っていた。彼自身、自分でできれば他人に頼まずにいたのだろう。自分に無力に対する苛立ちもその表情から読み取れた。


「ボク…… やるよ。」


 何が結果的にそう言わせたのかは分からないが美咲はしばしの逡巡ののち、そう答えたのであった。




次回予告


美咲「へぇ~、これが夢幻界? 広いけど、何にもないね。ねぇ博士、あれは何? え? あれが夢魔…… ダメだよ、博士。ボクは逃げるわけにはいかない。みんなの夢を守るために戦うよ!


 夢の勇者ナイトブレイカー、第二話。

『発進! ブレイカーマシン(後編)』


 ね、みんな、いい夢みてる?」 

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