わたし、あなたの飼い猫。あなたと文通しているの。

酒田青

第1話 ユリちゃんからの手紙

「わたし、あなたの飼い猫。あなたと文通しているの」

 そう締め括られた手紙を読み終わり、おれは微笑んだ。かっわいいなあ、ユリちゃんって冗談も言うんだな、と。

 ユリちゃんはアメリカに引っ越したおれの幼馴染みで、初恋の相手だ。中学時代にニューヨークに行ったまま帰ってこない。ある日突然手紙が来て、それから文通を始めた。ユリちゃんはおれの中で美しい女子中学生のまま輝いている。

 ユリちゃんの手紙は躍動感で溢れている。今日は友達のクラウディアと喧嘩してお互い顔に引っ掻き傷を作ったの、とか、ボクシングしたの、とか。高いところって大好き! と自由の女神に登ったりして、ユリちゃんは相変わらずお転婆なようだ。

 おれはにひにひ笑いながら六畳間の自室の床に転がっていた。窓からリリーが入ってくる。茶色くてよく太ったうちの猫だ。不細工な潰れた顔で、長いかぎ尻尾を揺らしておれに近づいてくる。雌なのにこんなに不細工でいいのかな、こいつ、と苦笑していると、リリーは床に寝転ぶおれをじっと見てため息をついた、という気がした。

「お前、手紙読んだか」

 リリーが喋った。それも野太い声で。潰れたような顔が深刻な困った顔になっている。

「う、うん」

 おれは間抜けにも普通に頷いた。リリーはいつものように足を投げ出して座る。人間みたいに前足を横に、もう片方の前足を前にやってオヤジのように尻を床につけるのだ。

「じゃあわかったよな。今までお前と文通してたのはおれだって」

 おれは目を白黒させて起き上がる。そしてリリーと向き合う。猫って、喋ったっけ? いやいやユリちゃんの手紙の冗談を何でこいつが知ってるんだ? そもそもリリー、お前は何で自分のことを「おれ」と呼ぶ?

 リリーはおれを見て何か察した顔になり、投げ出した足をちょっと広げた。

「おれは喋るよ。最近猫又になったんでな。で、おれは雄。子供のころ、お前に拾われる前にタマキンを怪我したからついてないんだよ。そして、ユリちゃんの正体はおれ。猫又になった記念にお前に手紙を出したら幼馴染みのユリちゃんがどうのと騒ぐからなりきってただけ。もう疲れたよ。お前の過去の亡霊になりきるのは」

 おれはまだわからないのでわからない顔をしてみた。リリーは馬鹿には呆れたと言わんばかりに目をしぱしぱさせる。

「猫又っていうのは妖怪。年月を経た猫は魔法使いの猫になれるんだよ。おれはもう生まれて十二年だからな。去年から猫又だ」

「うん」

「おれは雄。タマキンがないだけ。リリーって名前も不適切だ」

「うん」

「手紙の差出人がリリーという名前で、お前が幼馴染みのユリちゃんだと思い込むのにはたまげた。前々からバカだとは思ってはいたがここまでだとは……。とにかくユリちゃんはおれ。本物のユリちゃんはお前のことなんて覚えてないよ」

 大儀そうに前足を「しっしっ」みたいに振るリリー。おれは震えた。心から震えた。

「嘘だろ? ユリちゃんが友達のクラウディアと喧嘩をしたのも、ボクシングをしたのも、自由の女神に登ったのも嘘だっていうのか?」

 おれの呼吸は荒かった。だっておれはユリちゃんの存在をまざまざと感じていたから。ちょっと獣っぽい子だなとは思っていたけどまさかこのおれの親父よりオヤジ臭い猫が演じていただなんて、誰が信じるだろう。このリリーは安煙草とビールと競馬新聞が何より似合いそうな猫だった。

 リリーは前足でおれを鎮める動作をする。

「まあまあ、落ち着け。クラウディアっていうのはお隣のクロのことだよ。よく喧嘩してるだろ? ボクシングは猫パンチ。おれの得意技だ。自由の女神はな、ほら、窓から見えるあのソメイヨシノだ。おれはあの木が気に入っててな」

 緑色の葉で覆われ、すっかり夏仕様になった巨木を眺めながら、おれは絶望した。ユリちゃんはユリちゃんではなかったのだ。全てはおれの思い込みだったのだ。

 リリーが前足をひらひらさせる。

「からかって悪かったよ。まさかこんなに長く騙せるとは思わなかったもんでな。でもな、エアメールじゃない上に自分のと同じ封筒と便箋、おまけに消印が町内って時点で気づけよな。バカにも程があるぞ。よく大学入れたよな」

 く、悔しい……。でも何も言い返せない。

「お前も女の顔を選ぶ顔じゃないんだし、かわいい子がいいとか言うのもよせよな。不細工でも気立てのいい女はいるぞ」

 飼い猫に説教されるおれの図を思い浮かべて再度絶望した。

「正体ばらしたし、もう文通は終わりな。さ、猫じゃらしで遊ぼうぜ」

 リリーはうきうきした様子で腰を上げて部屋の隅に転がっていた使い込んだピンクの猫じゃらしをくわえて来た。猫、だな。受け取って毛の部分を揺らすと、いかにも猫らしく前足で叩いたり左に右に移動して楽しんでいる。と、そこに階下からの母の声が割り込んできた。

「リリー、太郎に説明終わった?」

 何だと……。

「終わったよ」

 当たり前のように答えるリリー。

「じゃあご飯だから太郎と一緒に降りてきて」

「ああ」

 リリーはおれの顔を見て、顎を振った。ね、猫に顎で指示された……。屈辱的だが不思議とおれたちの関係に合っている気がする。おれはリリーに従ってドアを開き、リリーの後を歩いた。階段を一段一段降りながらリリーは訊いた。

「大学ではちゃんと勉強してるか?」

「う……」

 言葉に詰まるおれ。

「留年すんなよ」

「わかってるよ」

「友達はオタクばっかりか? まさかうちに来る連中だけが友達なんじゃないだろうな」

「いや、うちに来るオタクのみがおれの友達……」

「イケメンの友達も作らないと彼女はできんぞ」

 余計なお世話だ。リリーは一段一段降りるごとにおれに説教をする。

「お前、何でこんなにおれに構うんだよ。馬鹿にしやがって」

 おれがふと怒りを漏らすと、リリーはきょとんとした顔で立ち止まって振り返り、潰れたみたいな顔を真顔にして答えた。

「お前のことが好きだからに決まってるだろ」

 おれは黙った。リリー、お前って奴は……。何か感動的な台詞を言おうと頭を捻るおれを置いて一階に着いたリリーは、一目散に駆けて自分の餌の前に行く。そして、叫んだ。

「でもお前より飯のほうが好きだけどな!」

 そのまま餌にかぶりつく。子猫のリリーを拾った小学生のころを思い出していたおれはずっこけて、そうですか、とつぶやいたのだった。

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