#83 Hope
「お兄さんさ、もうこの旅行は終わってるんだよ。色んな意味で。今さら誰も魔法使いなんて信じる訳ないだろ?」
大野貴一は椅子に縛られる際、徹田と揉み合いになり、口の中を切っていた。舌をもぞもぞと動かし、苦い顔をして血の混じる唾を吐きだした。
「もういいから。これ、外せ」
「貴方はまだ私の魔法をマジックと勘違いしている。それは非常に危険な考えですね」
「危険? それをお前が言うのか?」
「危険ですよ。貴方が考えを改めない限り、ここに死体が並ぶだけなのですから」
「はっ、汚いやり口。ここにいる参加者を犠牲にしようってのか。とんだクソ野郎――」
「いいえ」
私はゆっくり杖を掲げる。
「他の参加者を犠牲にしようだなんて思ってませんよ。死ぬのは貴方なんですから」
「そうかそうか、死人に口なしってことか」
大野貴一は天井を見上げ、虚空を見つめた。一秒、二秒、三秒……、沈黙が続いた。彼は今人生の走馬灯を思い浮かべている、誰もがその虚ろな目を見てそう感じていた。ただ一人を除いては――。
「吉沢……!」
向かい側に座っていた大野碧が押し殺したような声で彼の名を呼んだ。しかし、大野貴一はただ上を見上げ、尖った喉仏を垂下させるだけだった。
「アンタ、いま何考えてるんよ……?」
返事はない。
「また一緒に世界を旅するんやないん? 私達だけで書ける記事書こうって意気込んで私を巻き込んだのはアンタなんよ? 正直、この旅行が終わったらアンタの言う北欧四か国で特集組みたいって思ってた。編集長に頭下げてでもやりたいって思ってた。アタシだってやっぱりオーロラ見たいんよ。ソグネフィヨルドの山岳鉄道だって乗りたいし、コペンハーゲンのニューハウンエリアで童話の街を歩いてみたい。トーブハーレヌで食べられるスモーブローの写真見せてくれた時は、この胸のトキメキをどう誌面に表現しようかってワクワクした。私達の拙い文章を読んでくれる皆にどう伝えたらいいんだろうって体が
頬を涙が伝った。
「吉沢……、私まだアンタとやりたいこと、たくさんあるよ……」
むせび泣く声が沈黙の広間に反響する。
大野貴一はゆっくり顔を正面に戻すと、涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔をまじまじと見つめた。
「何……?」
「ソグネフィヨルドの旅客フェリーを忘れるなよ? 記事にもちゃんと書いておけ。あれは絶景だ」
「分かってる。だからアンタと――」
「急造の似非魔法使いさんよお!」
大野貴一の怒号が耳朶を打つ。
「俺はお前を魔法使いとは認めない!」
「吉沢!やめて!」
「殺せるもんなら殺してみろ!お得意の『魔法』とやらでよお!」
「やめて!刺激しないで!」
「そんなもんはこの世に存在しない!俺が証明してやるよ!」
「お願い!白居さん!この人いま気が動転してるだけなの!」
「『魔法』で――殺してみろよ!」
私は杖先に明かりを灯らせると、それを上から下に振り下ろした。
……同時に、魔女が座っていたこの席の、足下の床下に仕込んでおいた配線板のトグルスイッチをつま先で引っ掛ける。大野貴一の席は17番、ということは4区画に分けた内のD区、左上のスイッチだ。これで上手くいっただろう。
〝魔法を掛ける〟という体を取る以上、足下の配線基盤を見下ろしながら杖を振る訳にはいかない。だから目視確認を経ずに、対象人物が座っている正しい席番号のスイッチを掛ける必要があった。随分と練習を要したが、スイッチの配置を工夫するだけで、簡単に『魔法』を掛けることができるようになった。
大野貴一の体がビクッと痙攣した。
スイッチを押すと座面から毒薬の入った注射針が突出する仕掛けになっている。私ではなく彼女が用意したものだが、ストリキニーネという種類の神経毒らしい。微量では神経興奮剤になるらしいが、残念ながら致死量を体内に注入するようにしている。彼も直に先ほどの中年男性のように痙攣死するのだ。
「残念ですね。私の魔法の力を信じてさえいれば、楽しい旅行にも行けたでしょうに。ねえ――」
「ちゅう……、あか……り……、ちゅう……しゃ……」
大野貴一が呟く。濁った瞳で正面をぼんやりと見つめ、そして激しいひきつけと痙攣を起こし始めた。椅子をガタガタと、何かの大群が迫ってくるような音をさせながら、小刻みに、激しく、体を震わせる。言葉にならない喃語を発し、突然止めたかと思うとそれきり動かなくなってしまった。
死んだ。
これで、石波と徹田を含めればこれで四人目。ここまで私は手を使わずに、これほど大勢の観衆の前で彼らを殺してみせた。これを『魔法』と言わずして何と言う?往路のバスの中で『魔法でないと証明できないのなら、それは魔法なんじゃないのかい』と魔女は言った。その言葉通りのことがいま目の前で起きている。
もういいだろう……? 私は『魔法』で彼らを殺したんだよ……。
「……」
大野碧がじっと彼の遺体を見つめている。口元では何かを呟いている。
なんだ?何を呟いているんだ?
もしかすると、彼女は大野貴一の遺言で何かに気付いたかもしれない。『ちゅう』『しゃ』……、聞きようによっては『注射』に聞こえかねない。それがカラクリだと気づかないにしても、あの場でその言葉を発する意味はなかった。人によってはピンと来るだろう。そして最も勘付きやすいのは大野碧に違いない。なぜなら私の予想が正しければ、大野貴一は彼女を本名で呼んでいた可能性がある。『あかり』、きっとそれが彼女の名前なのだろう。
大野碧も、怪しいか。殺す前に探りを入れるか。
「残念ですね。仕事にかこつけて彼と北欧旅行に行ける所でしたのにね」
「……そうなんよね」
私が皮肉交じりに声を掛けると、彼女は気のない風に答えた。
「貴方は『魔法』を信じますか?」
「ふっ……、アンタの聞き方まるで宗教みたいなんよね」
「すいません。今言われて気づきました――訂正します。私の魔法を信じれば貴方は救われますよ」
「どっちにしても同じね」
「そうですか、難しいですね。こうして見ると、世で疎まれる新興宗教の類は全て真実を謳っているのかもしれませんね。心底同情しますよ。教祖のような立場に立って今しみじみとそう思います」
大野碧がふと微笑んだ。
「何を笑ってるんですか?」
この状況で笑っていられるはずなどない。例え『魔法』を信じていないにしても、死の恐怖が迫っていることに怯えるはずだ。やはり彼女はこのカラクリに気付いたのか?
「私達が見てきた魔法使いはね、そんなに非道い顔をしてなかったと思うんよ」
「は?」
「私が大好きなボブミイちゃんはね、もっと人に夢を与えるような魔法を掛けてくれたんよ。こうだったらいいな、ああだったら面白い、こんなことしてみたい、あんなことができたらいいのにって、人々の希望を現実にする魔法が――私にとっての魔法なんよ」
「何が言いたいんですか?」
「貴方が使うような『魔法』とは違う――罪を逃れるための『魔法』とはね!」
彼女も駄目だったか。直接、徹田の死を目の当たりにしている彼女は重要な参考人になると思った。あの場、あの状況で、自ら槍柵に飛び込んだ徹田は『魔法』によって殺されたと、そう証明してくれる一人だと信じていた。信じていたのに。彼女が私を魔法使いと信じてくれなかった。……殺すしかない。
「貴方の気持ちは分かりました。それでは、彼とあの世の記事でも書いてください」
すると、大野碧がまなじりを決して叫び始めた。
「皆さん!この椅子には注射針が仕込まれています!」
こいつ余計なことを……!
私は慌てて杖を振り、つま先をスイッチに引っ掛ける。
「それから天井裏の明かりに――!」
天井裏の明かり……?
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