#32 Shadow

 駆けつけた友人たちに囲まれて僕は覚えている限りのことを話した。みんな不思議そうな顔で病床の僕を見下ろし、心底同情するような、哀れんだ眼で僕を見ていた。就活に忙殺されているのだと口々に言った。証拠はこれだと息巻いて、突き出した右腕は元の色白い肌に戻っていた。焼けただれた跡はなかった。

 結局、あのローブ姿の人間が誰だったのか分からない。彼?彼女?が私に何を伝えようとしていたのかさえ、分からずじまいだ。あの日、なぜ夜風に吹かれようと外に出たのか。その意味さえ曖昧になって、あの日の出来事が幻覚にすり替わっていく。


 

「あ、杏子さん……」


 僕は彼女の背中に声を掛けた。


「え?」


 杏子さんが振り返る。ローブの裾回りがはらりと広がる。


「あの、大したことじゃないんですけど」

「うん?」

「杏子さんのその恰好、もしかして『ボブミイちゃん』意識してます?」

「ああ、これ? そういうつもりはなかったんだけど、魔法使いって言ったらこういう恰好にならない? たまたまあのキャラクターもそうだって言うだけで」

「そう、ですね」


 自分と同じ背丈の彼女。その目をまっすぐに捉えて、僕は問い掛けた。


「その恰好で以前僕に会ったことはありませんか?」


 杏子さんは自分の衣装を見下ろして、小首を傾げた。


「ないと思うけど」


 バカげた質問だと思う。あのローブ姿の魔法使いは、自分よりうんと身長が低くて彼女のような凛とした出で立ちではなかった。歩き方もややぼったく、ともすればウオーキングモデルと見間違う杏子さんとは似ても似つかない。それに彼女は魔法使いではなくマジシャンと謳っているのだから、疑う余地はないはずだ。一介のマジシャンに人の腕を自然燃焼させる芸当はできまい。


「変なこと聞いてすいませんでした」


 杏子さんは再び身を翻し、首だけをぐるりと反転させた。


「お代は私が払っとくから、気にしないで。こんな時間まで付き合わせて悪かったわね」


 彼女の残した言葉に流されるまま、僕は玄関口の把手に手を掛ける。体の勢いそのままにドアを開くと、冷たい外気が流れ込んでくる。前髪を乱しながら、一歩を前方に踏み出し、右左と歩行者を確認する。もともと夜のお店が少ない地域ということもあり、明々とネオンを照らしているのはこの”Pendle Hill”だけだった。

 人通りの少ない路地を歩いて気づく。こんな時間に電車は走っていない。杏子さんに言っておくのを忘れていた。終電はとうに車庫で寝ている時間だし、始発の出る時間にはまだ時間の余裕がありすぎる。タクシーで帰ってもいいが、ここから自宅まで数十分はかかる。今月の食費を犠牲にするには、あまりに痛すぎる出費だ。

 仕方がない。駅前のカラオケで朝まで時間を潰すしかないだろう。深夜料金三時間プラス電車代、悪くない。タダ酒飲んで、素晴らしいマジックショーを見せてもらったのだから安すぎるくらいだ。


 街灯照らす暗い夜道を一人歩いて、僕はまたあの時のことを思い出していた。


 ローブ姿の魔法使い。すれ違いざま僕の右腕を燃焼させた、魔法使いのことを。あれこそが、夢の正体だったのだ。僕は少年時代に見たアニメの再放送を見たわけではなく、アニメの中の小悪党ドロンビーの行動を追体験していたのだ。ボブミイちゃんに焼き尽くされるドロンビーの立場で、それを現実に体験していたのだ。だから、あんな夢を見たんだ。


 あの魔法使いは誰だったんだ?

 


「…………」



 僕は駅前に向かってゆっくりと歩を進めながら、少しずつその足音を掻き消していった。

 

 目の前を歩いてゆく二人組の男女。思いがけないその組み合わせに僕は目を疑った。彼らの腕はしっかりと組まれている。僕の頭はしばらく電源が落ちてしまったみたいに停止してしまった。


「結衣……」


 視線の先。横断歩道を颯爽と横切っていく結衣と、見知らぬ男性。二人は仲睦まじく腕を組んでいる。いや結衣が一方的にその腕を取っている。


『それが一人じゃなくて、別の男と一緒だったんだけど』


 コージの言葉が頭をよぎる。

 

「あいつ……! 本当に……」


 僕は奥歯を噛み締めて、そっと二人の影を追った。我ながら格好の悪い行動だと思う。結衣には散々自分の気持ちを隠しながら、その決断を引き延ばすだけ引き延ばしてきた。今更、自分の手元を離れるからと言って、その背中に手を掛けるなんて……、男のやることじゃない。ホントダサいな、僕。


 連れの男は、四十……、いや五十代か。髪はしっかりしているものの、やや薄ら白んでいて、相当に老けて見える。コージの言っていた三十代の男には見えないが、これはどういう訳だろう。


 それにしても仲良さげだ。あの結衣が自分よりうんとお歳召した男性に、おべっかを使うなんて考えられない。普段は大人しいが何か気に入らないことがあると、大学の先生にだって牙向いて噛みつくような性格だ。僕はいま目の前の出来事が現実だと認識できない。


「――――――!」

「――――――!」


 本当に楽しそうだ。僕といる時よりも、ずっと。 

 

 夜が更け込む。若い女と財力のある中年男性。正直良からぬことを想像してしまうのは致し方ないだろう。いや、僕はもう既にその可能性を案じている。確か彼女は裕福な家庭の生まれで、金銭面で苦労することはないはずだ。だからこうして夜の街でせこせこ小銭を稼ごうなどという発想には至らないはず。それなのに、彼女はなぜあの男と仲睦まじくいるのだ。


 それから二人はしばらく高架下に沿って歩いていった。

 その方向にはこれといって目ぼしい娯楽施設はなく、僕の想像するような宿泊施設もない。あるのは旧時代に隆盛を極めた古い職人街があるだけだ。日中にはその古い街並みや、職人体験に訪れる観光客が賑わいを見せる程度で、お盛んな男女が赴く場所ではない。


「――――――!!」


 二人の後ろを尾行していて、男の方は酷く酔っ払っているということが分かった。結衣が掴む腕に引っ張られて、のらりくらりと移動している。



「――――――てぇ!」「―――――ら!」


 男性がひときわ大きな声を上げるが、呂律の回っていない舌のせいで、赤ちゃんの喃語のように聞こえる。結衣が男を引っ張る形で、二人はある建物の中に消えていった。


 錆びたアルミ立て看板に、『ハマタニ製材』の文字。

 

「製材屋? 何でこんな所に」


 僕は恐る恐る二人の消えた暗闇の方に顔を覗かせると、そこは大きなあばら屋根の倉庫に繋がっていた。複数のコイルと柄の長いノコギリが合体したような重機が奥で静かに構え、その脇を平積みになった背の高い木板が囲む。つんと酸っぱい木材の匂いが鼻腔をくすぐった。

 まったく人の気配がしないことに首を傾げながら、僕はさらに一歩奥へと足を前に動かす。僕の足音が木材の中に吸い込まれていく。妙な静けさが辺りを包んでいる。小学生のときに買ってもらった新品の勉強机を思い出す。あの勉強机も木材独特のつんとした匂いがした。


「それは『プルースト効果』と言います。思い出と匂いの記憶が密接に関係することによって、特定の匂いを嗅ぐとリンクしている思い出が頭の中にふと蘇る仕組みになっているんです」


 結衣が昔そんなことを言っていた。木の匂いを嗅ぐと小学生の頃を思い出すと言うと、彼女は唐突にそう答えた。それはいつもの雑学知識のひけらかしだったろうと思うけれど、いま彼女の影を追いながら、僕はまたあのどうでもいい話を聞きたくなっていた。

 

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