#26 The Other Way

 私の名前はボブミイ!私立マジカル学園に通う、見習い魔法使い!今日も街でドロンビーたちが悪さをしてるみたい!今日という今日は許してあげないんだから!待ってなさい!これでもくらえ!マジカルビーツ!……どうして?なぜ効かないの?え?ドロンビーたちがみるみる大きくなっていくわ!そんな……、まさかそんなことが……、あの地獄の大魔女ビーナックが蘇ったなんて!でもボブミイ、悪にはぜったい屈しないんだから!これでもくらいなさい!マジカルハーツビースト―――――。

 

 カーテンの隙間から朝陽が差し込む。僕は薄手の毛布を払いのけて、体を起こした。重い瞼をしばたたかせて、しばらくぼんやりとする。


 最近、同じ夢を見る。

 まだ僕が幼気な園児だったころ。帰ってすぐテレビを点けると放送していたアニメ。そのアニメは、ただ幼いころに見ていたという記憶だけで、内容どころか名前すらはっきりと覚えていない、いつからいつまで放映されていたのかも知らない。


 というのに、僕は最近よくこのアニメの夢を見る。近頃どこかでこのアニメを目にしたのだろうか。それか同じようなアニメをどこかで見たのかもしれない。ヒトの記憶はとても曖昧で、ある事象によく似た経験をすると、その経験を過去の事象と結び付けて、「昔同じ経験をした」と思い込んでしまう。いわゆる既視感デジャビュというやつだ。

 夢の内容はもう思い出せないけど、きっとそのアニメはもう放映されていないはずだし、この年になって熱心に見るようなアニメでもない。

 

 夢の話だし、あまり考え過ぎてもしょうがないか。


 今日は卒論の続きを書こう。あまり乗り気はしないが、卒業まで残された時間は少ない。計画的に進めていかなければ、僕はまた同じ一年を過ごすことになる。


 入学初日に貰った、大学の名前が刻印された4GBばかりのUSBメモリを、リュックのポケットに入れてジッパーを閉じる。軽く身支度をして、お気に入りのスリッポンを履くと、僕は家を後にした。


 僕の住んでいるアパートは、不動産屋曰く最寄りの駅から徒歩15分の位置にある。ただ実際には、長く伸びる坂道があって、なかなか開かない踏切があって、登下校中の小学生たちが行く手をはばむスクールゾーンがある。様々見積もっても、歩けば30分はかかる。それなら、と自転車の利用も考えた時期がある(安いママチャリなら一万を下回る値段で買えるし、僕の財布にもそれくらいの余裕はある)が、駅前の駐輪場はすでに定期券客で満車となっており、また一日券も朝方の早い時間にはすでに満車になっている。僕のような、何時に通学しても許される人間には、戦々恐々とした駐輪場戦線に入る余地がないのだ。そんなわけで僕は今日も今日とて足腰動かして駅へと向かっている。


 歩いていると色んなことを考える。実を言えば、ややと文句を言いつつも、僕はこの何でもない時間が好きだった。ただ無心に見慣れた道を歩き、ゆっくりと流れゆく景色に、小気味良くテンポ打つ足音。自然と僕の意識は脳内活動に集中していく。


 美佳さんに誘われた、『マジカル・ジャーニー』という企画旅行。彼女の話を聞いてもその実態は掴めず、「怪しい」というのが正直な気持ちだ。しかし、美佳さんの話を聞いていると、この旅行が何か、次の時代を象徴するものになるかもしれないという期待もあって、早くもきつけられている自分もいる。要は、怖いもの見たさから起きている衝動なのかもしれない。もしくは、学生の間に色々経験しておこうと、心のどこかでそう案じているだけかもしれない。

 ただ、そんな僕の気まぐれに誰を巻き込んでやろうか。美佳さんは若い20代男女のカップル枠が空いていると言っていた。誘うべきは、結衣か。僕は決して女性に縁がないわけではなく、彼女以外にも親しくしている女友達はいくらでもいる。でもこんな僕の思いつきに付き合ってくれるのは、現状、結衣だけだろう。一人で行ってもつまらないし、彼女もこういう実験的な取り組みをお気に召すに違いない。まだ内定獲得の連絡もしていないし、ちょうどいい機会だから電話でもしてみるか。


 僕は横断歩道の前で信号待ちをしながら、スマホの電話帳を開いて、彼女の名前をタップした。つらつらと番号が並んで、呼び出し音が鳴る。


 ……応答せず。


 確か彼女は水曜日を除く平日は、毎日朝一の授業に出ていたはず。この時間ならちょうど学校にいる頃だと思ったけど……、まだ寝てるのか?


 それから僕は電車に乗る前と、大学に着く前にも念のため、彼女に電話を入れた。


 しかし、彼女が電話に出ることはなかった。彼女は真面目な学生だ。寝坊なんて柄じゃない。家まで行ってみるか?いや、僕は彼女の家を知らない。付き合っていた時は、お互い相手の家に行くのがやけに気恥ずかしくて、何となく避けていた。あんな狭い部屋に閉じ込められても何をすればいいか分からず困ってしまうからだ(再三に渡って申し添えているが、僕たちは純然たるプラトニックな関係であった)。ウインドウショッピングでも、動物園でも、水族館でもどこかに行かないと落ち着かない。何か会話のきっかけになるモノが欲しかったのだ。


 僕は情報棟のパソコン室に足を運ぶと、室内を見渡して、空いている席を探した。この時期は、僕と同じような卒論に追われる学生でごった返しているので、なかなかすぐに見つけることができない。



―――おい、ジップジップ。


 デスク間の通路をウロウロと歩いていると、僕は前を歩く視線の先で、小さく手を振る友人に気が付いた。


「コージじゃん。こんな時間に会うなんて思わなかったよ」

「いや俺、このあと高橋先生の授業があんのよ」

「ああ、なるほどね」

「そういうジップは?卒論?」

「そうそう。学校でゆっくり書こうと思って」


 資料を探すなら学内図書館が便利だし、分からないことがあれば教授に聞ける、ここで書くのは何かと都合がいいのだ。


「そんならこの席使えよ」

「いいの?」

「ああ、どうせあと三十分くらいだ」

「サンキュー。恩に着るよ」

「みやび堂のロールケーキ、一個な」

「俺が奢るの?」

「当たり前だろ。席譲ってやったんだから」

「勘弁してくれよ。今月ピンチなんだってば」


 みやび堂のロールケーキと言えば、最近、学内のコンビニで期間限定発売している老舗洋菓子店の人気商品だ。小ぶりな形で八百円もするから、金欠の僕にはかなりの出費だ。


「じゃあ、『こくまろカフェオレ』な」

「ああ……、あれならいいけど」


 図書館前のカフェで彼が決まって注文する、『こくまろカフェオレ』。芳醇な香りとコクのあるジャマイカブレンドと産地直送の濃厚な生乳を混ぜ合わせた、学生の間で評判のメニューだ。店内でもテイクアウトでも、ひとカップ五百円。学生の財布に優しいのも魅力の一つだ。


「おしっ、ほんじゃ使っていいぞ」


 コージはそう言って席を立った。


「現金なやつだなあ」

「卒論を書くにも、有意義な時間を過ごすためにはお金がいるっちゅうことだな」

「俺が、経済的利益を得たって言いたい訳?」

「そ。その対価が五百円だった。俺と……、お前の……、需給曲線が合致した」


 コージは左腕と右腕を互いに交差させていく。


「均衡点が五百円の『こくまろカフェオレ』だった、と」

「そういうこと」

「コージ、勉強し過ぎだよ。いつからそんな難しい話できるようになったんだよ」

「っておい、こんなの一年で習うミクロの基本だろ」

「いや、高校で習う内容だよ」

「マジで……?全く記憶にないな」


 コージは肩をすくめて、にへらと笑う。


「それより本当に使っていいの、この席。授業までまだ三十分あるんだろ」

「いいよいいよ。こないだも言ったけど、俺こっちも持ってるし」


 コージはリュックからおもむろにノートパソコンを取り出し、デスクの上に並べた。


「ちょっと狭くなるけど、勘弁してくれ」

「お、おう。それはいいんだけどさ……、コージ、ホント熱心だよな」

「え?なに?」

「卒論……っていうか、いや、なんて言ったらいいんだろう」


 単位だけを欲しがってたあの頃のコージと何かが違う。明確な目標を持って、その目標に向かってひた走っている、そんな姿に見える。


「夏前くらいからかな、コージのこと図書館とかパソコン室ここでしか見たことないからさ、なんかホント熱心だなと思って」


 コージはフッと笑みを浮かべた。


「今更なに言ってんだよ。俺は。だから、一生懸命やらなきゃいけないんだよ」

「そ……か」


 。なるほど、そうか、そうか。


 就職内定を決めて安定の道を歩く自分と、院に入るため黙々と研究に励むコージ。就活中は気づかなかったけど、僕はまた……、選択しなかったもう片方の道に戻りたがっているのかもしれない。そんな気がする。ほんの、少し。僕はなんてワガママな生き物なんだろう。ああ、なんだ、この釈然としない気持ちは。





 


 

 

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