#22 Answer
「まったく、美佳さんも人が悪いスよ」
「え、何が?」
私は脚立に足を掛け、片山さんに教わった通り、ドアクローザーの調節ネジをきつく締める。会議室内に仕掛けられた魔法のタネを片付けながら、若宮は私に向かって声を張り上げる。
「リコちゃんのことスよ。まさか彼女が『サクラ』だったなんて……、事前に教えてくれれば良かったじゃないスか」
「なあに言ってんの。どうせあなたに言ったら皆に言いふらすでしょ」
「言わないスよ!」
若宮はムキになって大きな声を出す。斜陽のかかった無人の会議室内に、彼の声が反響する。
「大きな声出さないでよ……、ただでさえ連日の残業で疲れてるんだから」
「あっ、すいませんッス」
私は脚立から飛び降りると、今度はドアの下に貼ってあるピアノ線を剥がす。
「でも、若宮もリコちゃんもよくやってくれたわ。ホントありがとね」
私がそう言うと彼は照れくさそうに、はにかんだ。
「美佳さんのお役に立てて良かったス」
「おかげで企画は承認されたし、予算は多く積まれたし、申し分ない働きね。これからもっと忙しくなるわね……!」
ウンと伸びをすると、欠伸が出た。冗談でなく、このところ毎日徹夜続きだったからさすがに体が応えている。マジックなんて慣れないことするもんじゃないな。観客に仕掛けがバレるかもしれないという緊張感、一つのミスが命取りとなる緊迫した環境、それでも常に平静を保っていなければならない精神力……、プロのマジシャンというのは余程、肝が据わっていると見える。
「それにしても、チーフみんなの前で、あんな啖呵切って良かったんですかね……。栄転の話無くならないといいスけど」
若宮の表情が暗くなる。
「でも俺、チーフのこと少し誤解してたっス。言う時はちゃんと言ってくれる人だったんスね」
私も彼女の性分を見誤っていた。まさかあの場で勝山に物申す度量があったとは恐れ入った。正直、あの助太刀がなければ私は勝山に押切られ、企画は立ち消えとなっていただろう。企画部の頭として決裁をした企画は是が非でも通す、自分の部下が困っていたら手を差し伸べる、上に立つものとしての器の大きさを感じた。きっと本社でもその手腕を発揮されるのだろう、そう切に願う。
「ささ、本番はこれからなんだから。手動かして。今日は早く片付けて早く帰るわよ」
「はいっス!」
私はこれからやがて来る多忙な毎日を想像する。
今回社長が下した決断は、まず『モニターツアー』を行うことだった。マジカルジャーニーは実験的な旅行で、当然、様々なリスクを孕むと考えられる。客を安全に目的地へと運ぶことができるか、
企業が試供者を募集し、無料で新しい化粧品や家電製品を提供するという『サンプリングモニター』はよく知られているところだと思うが、実は旅行会社にもそうした試みがある。本番さながらの旅程を組んで、実際に参加者を率いて案内をする。格安で行ける代わりに、山のような量のアンケートを受けてもらう。また行き先によっては危険な土地もあるため、予め安全責任を負わないという約定書を書かせるモニターツアーもあるとかないとか……、つまり、そうした不確定要素の多い企画案を、旅行商品化する前に試験的に行おうというものである。
しかし、モニターツアーを何度も行えるほど我が社には予算がないので、一度に得られる情報を詰めなければならない。毎回、本番だと思って進めなければ、商品化は難しい。これから一層忙しくなることは目に見えている。ただ、これは私の夢なんだ。その実現の為には多少の苦労は厭わない。
不意にドアが開く。私と若宮は咄嗟にその音のする方に目を遣る。
「少しいいかな」
そこに現れたのは、高浜社長だった。
私と若宮は全身が強張って、ギクシャクと彼の元に駆け寄る。
「社長!お疲れ様です!」
「お疲れッス!」
「そう堅くなるな。終業の鐘はもう鳴ったんだろう」
「それはそうですが……って、あ!社長、そこは…」
「ハハハ、なるほど。あのドアは、こういう作りになっていたのか」
社長は、まだピアノ線が剥がれていないドアの下を屈んで覗く。
「は、はい。社長が杖を振っていただいたのと同時に、これを引っ張っていたんです」
「白居君、君がか?」
「いえ、先ほどは若宮君に」
「ほう、なるほど。彼が一枚噛んでたんだな。ハハハ、気づかなかったよ」
社長が若宮の肩をさする。彼は小恥ずかしそうに笑う。
「他にも……、ボールペンが浮いたり、机が勝手に動いたりしていたな。あれも君と若宮君でやったのか」
「いえ、一部は総務の皆川さんにお願いしました。参加者の中に、『サクラ』として動いてもらっていたんです」
「ふむ、するとあの会議資料の頁を捲っていたのも彼女の仕業かな」
「ご明察の通りです」
「ハハハ、これは一本取られたな」
社長は会議の時の厳格な表情と打って変わって、くだけた柔和な顔立ちをしている。実家の祖父のような柔らかい口調に、私たちはどぎまぎとした。
「社長……、それで、どのような御用で?」
「なに、答え合わせをしたかっただけだ」
社長は目じりに皺を寄せて笑う。
「白居君」
「はい……!」
この時、私が危惧したのは「やっぱりさっきの承認は無しだ。よく考えれば、我が社に実現できることではない。今回は諦めてくれよ」という脳内の社長が下す残酷な決断だ。
「全力でやれ!」
社長はそう言って大げさに私の肩を叩いた。
「我々古い人間の言うことなど構わず、前に突き進みなさい。全てを顧みず、ただ前に進むんだ。きっとその過程で失うものも多い。それでも振り返ってはいけない。君の
高浜は栄光の道程で、その身に余りある代償を払ってきた。それでも前に進もうとしたが、その足は止まってしまった。前に進むことを諦めてしまった。それが今、彼の大きな後悔となっている。自分の臆病な選択によって、前途眩しい若者たちの夢を潰していることを知った。いや、知っていながら、知らないふりをしていた。勝山と同じように『変わらない』ことを無意識のうちに選択していた。
それを今日、思い知らされた。社員たちの目が、こんなにも輝きを放つものだと知って。かつての自分を見ているかのような、白居美佳の真っ直ぐな気持ちに心打たれて―――――。
「必ず成功させると、約束してくれるかな」
私は拳を握りしめ、お腹に力を込める。
「約束します!」
社長は緩んだ顔で『面白いことを期待しているよ』と背中を見せ、その場を去っていった。
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