あの日夢見た魔法の旅を

白地トオル

#0 

 手が動かない。


 思えば僕はどうやってこの手で箸を掴んでいたのだろう。器用に食指を動かして、お米の一粒一粒をどうやって捉えていたのだろう。大学合格を決めたあの試験の日も、僕はどうやって鉛筆を握っていたのだろう。あらゆる体の部位の中で唯一、解答を知っているかのようにに動いていたこの手が。大好きなあの子の手を握る時、僕はどうやって彼女の指の間に自分の指を絡ませていたのだろう。彼女の温かさや柔らかさを感じたくて、全神経を集中させていたあの手が。


 その手がいま動かない。


 動かない、ではなく、動かせない。僕の細白い手は目の前で固まったまま、まるで生気を感じさせず、空中に固定された見えない錠前に鍵を掛けられたようだった。どうやら腕まで同様に縛られているらしい。


 なぜこんなことになっているのか。


 …知るもんか。僕が訊きたい。僕が訊きたい。ただ誰に問えば教えてくれるのだろう。学校の恩師か、旧友か、それとも兄弟か、肉親か。大学の教授か、同じ学科の先輩か、後輩か、それとも同じクラスの人間に訊くか。いや、馬鹿げてる。誰に聞いても分かるわけがない。

 こんな非現実的な状況を、周りの人間に訊いたところで誰も答えられるわけがない。現に、こんな目に会っている僕でさえ分からないんだ。僕が答えられなければ、誰も正解を知る由はない。


 だったら、僕をこんな目に会わせたアイツに訊くしかない。


 いや、きっとこの現状を正確に教えてはくれないか。


 アイツはこの世の人間じゃないんだから。

 だってこの世の人間は『魔法』なんて使えやしないんだから。


 アイツは僕の手を空に縛った。不可視の錠前で僕を拘束した。そして、アイツの前に引きずり出された僕は、こうして身動き一つとれなくなっている。


 滑稽だ。


 不敵に笑うアイツの顔が僕の脳内いっぱいになって、溢れ出した汗にアイツの姿が反転して映る。頬を滴る汗が唇のしわに染み込み、またアイツが体内に戻ってくる。追い詰められた僕の顔を見て楽しむアイツに、また一層の冷や汗がふつふつと額に浮かび上がる。水滴は雫となり、またアイツの姿を映したそれが僕の体内に染み込む。ずっとこうしてアイツが僕の中を行き来することをふと想像すると、僕は一瞬気を失いそうになった。それでも僕の手は固まったまま空中に縛られたままだった。


 こんなに僕を追い込んで満足か。


 『魔法』という絶対的な力で僕をここまで苦しめて満足か。



「モウ、オワリダヨ。サヨウナラ」



 僕の足が動く。言葉を合図に。

 ガクガクと震える足が半歩、一歩、二歩と歩を進める。

 嫌だ。僕の足だろ。なんで言うことを聞かないんだよ。これ以上、アイツに近づきたくない。好きにさせたくない。魔法使いがなんなんだよ。偉いのか。人一人自由に動かして本望なのかよ。やめてくれ、こんなこと―――――。





 Cast a spell on me, spell on me.

 (ねえ、魔法をかけて、魔法をかけて)


 I wanna have the dream of that day again.

 (あの日の夢をもう一度見たいから)


 Cast a spell on me, spell on me.

 (魔法をかけて、魔法をかけて)


 Remind me, magical journey walked together.

 (思い出したいの、あなたと歩んだ魔法の旅を)


 I'll be under your spell.

(ああ、私はまた魔法の虜になるのよ) 





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