第11話

 家の前に着くと、反射的に足を止めてしまった。

 理由はひとつだ。

 「なんで家入らないの?」

 家の前の階段に、茜のように泣き顔を浮かべた優が座り込んでいたからだ。

 茜は俺が目に入るなり、溜め込んでいた涙を一気に溢れさせ喘ぐ。

 「鍵無くしちゃったのッ!?」

 階段からたちあがるなり俺の胸倉を掴み引き寄せ、前後に揺らしてくる。

 その顔には鍵を無くしたことによる損失感より、鍵をなくしたことによる恐怖や焦りが出ており、より涙を溢れさせる。

 「大丈夫だから。大丈夫。俺も鍵はもってるから中に入るよ?」

 宥めるように撫でてやると、呆けたように口をあけて見つめてきている。

 「ほら。泣き止んだのなら手、放して」

 色白な肌に熟れた頬、滴の残る目など、鼻と鼻がくっ付きそうなほど近ければ普段意識しないはずなもんを意識してしまう。

 朝も思ったことだが、優はやはり美少女という分類に沸けることが出来るだろう。

 そんな美貌をほぼボッチの俺が直視できるはずもなく、軽く顔を背けてしまう。

 「……っあ」

 俺の顔が赤に染まっていたのか、茜も自分が今何を空いているか分かったようでゆっくりと胸倉を放してくれる。

 よろめきながら放れると、気まずそうに茜も顔を逸らしてくる。

 「な、なぁ」

 「……なに」

 茜を見てみると、俺同様、それ以上い顔を赤く染めているが、顔を隠そうと手でうせるような事はしていない。それが余計に俺の羞恥心を駆り立て、言葉が詰まってしまう。

 「あの、さ……」

 目を逸らそうとしても、茜の泣き顔など見たことがないため、目がそらせられない。

 何か他の事を考えなきゃッ。

 何か、何かないか!

 「――鍵、お前持って行ってなくね?」

 俺が家を出るまでだったが、茜はご飯を食べたらそのまま玄関に向っていたはずだ。鍵はリビングである階段の横の廊下を行った部屋にしか置いていないはずだから、必然的に嗅ぎを取れるはずはない。

 「え? あれ? そーいえば……」

 と、先程まで真っ赤にしていたはずの顔は熱が冷めたのかいつも通りになり、顎に手をやり唸る。

 「……はぁ。まあそんなもんか」

 息を吐くように呟くのは、気持ちだ。

 先程の優は、ただ目を惹かれるだけで、別に街中で歩いている人に目を奪われるのと同じ事だ。

 ようするに、別にどうでもいいということだ。

 深く息を吸い込み肺にためると、またゆっくりとそれを吐き出す。

 それで染まる頬肌色に戻すと、鍵を手にしドアを開ける。

 ガチャリと奥で何かが転がるような音を立てて開くと、ドアを開ける。

 「ほら。開いたぞ」

 茜に声を掛けると、子犬の様に駆け寄り、扉を押さえる手と俺の体との間をわざわざ通り中に入っていく。

 これじゃあ本当に子犬だな。

 靴を脱ぐために腰を突き出してかがむ優から目を逸らすと、忘れていた違和感を思い出した。

 「優、なんか今日調子いいけど何かいいことでもあったの?」

 いつもならば今日の朝のようにとがった口調の物言いな優だが、稀に口調を今までのように戻すときがある。

 それは必ず毎回が何か良い事や嬉しいことがあったときだけだ。

 今日は家に帰ったら何をしてやろうかと考えていたのだが、それが意味のないものになってしまった。

 「うーん。なかったことはない、かな?」

 「おうそうか。ならよかった」

 帰ってきて早々罵倒されずにすんで。

 優の後に続くように靴を脱ぐと、同じように踵を揃え端に置く。

 「それじゃあ私、部屋に行くから」

 「おう」

 軽く目を合わせると、俺は洗面所に向った。

 洗面所に備え付けられてある鏡を見てみると、顔は顔はいつも通り、口もいつも通り。だが目だけが違った。

 「……」

 いつもの垂れ下がったような目ではなく、釣りあがった覇気に飲まれるような目。

 祖の目を見た瞬間、理解した。

 「身の丈にも合わずに怒りを抱いているのか」

 何年ぶりかに味わった怒りという感情。

 きっと茜の弱った一面を見たからだろ。

 いつもならば俺はそんな感情を抱かず、抱けずに時間が過ぎるのを待つだけだったが、夏休みが終わっての慣れが消えたい一日目だったからなのだろう。

 隠すように鏡に手をおくと、いつもと変わらぬ表情だ。

 だがこみ上げてくるものがある。

 息が荒くなり、視界が揺らぎ、心臓が締め付けられる。

 ふつふつと煮えたぎってくる感情を抑える事が出来ず、口の端から声が漏れる。

 眉間が、頬が、口許が。普段は外には現れないはずの変化が現れてくる。

 感情を抑えようとすればするほどそれは現れ、俺を混乱させる。

 「……はぁ」

 鏡を見ないようにと、肘を折り曲げ鏡と額の間にいれ、倒れ掛かる。

 今自分の顔がどうなっているかなんて分かりはしないが、いくら力を入れようと頬が戻らないことから分かるが、きっと未だに顔は治っていないんだろう。

 怒りが消えないのならば、割り切ればいい。

 怒りとは存在して、共存し、自我を持つものと。

 人間怒りがなければ生きる活力を失い、怒りが共存していなければ競争や、技術の発達や、競争などがなくなり、高める事もなくなる。

 きっとそういうものなのだ。

 俺の中で怒りとは。

 そう考えれば、自分の中で何かが治まった。

 「……ふぅ」

 いや、きっと割り切れたのだろう。

 顔をあげ、鏡を見ていれば、いつも見るような緩んだ口許に、張ることなくだらしなく垂れる頬に、眠気の孕むようなまったく空かない瞼。

 そんな腑抜けた顔があった。

 「そういえばこれ、返すの忘れてたな」

 ふと我に返り思い出した、鞄の中に入っているブレスレッドを取り出した。

 それには日々もなければ、汚れ一つなく、曇ったところがないおとから見て、きっと暇な時間を見つけては綺麗にしてくれていたのだろう。

 「俺なんかのプレゼント、大事にしてくれるのはきっと茜くらいなんだろうな」

 少しブレスレッドを眺めると、そっと撫でる。

 そして嫉妬した。

 「お前は良いよな。ずっと茜の近くに入れるんだから」

 これだけ大事にされ、これのために泣き顔までして、これのために・・・…。

 「なに無機物なんかに嫉妬してんだ俺。なんか調子狂うな」

 そっと鞄にしまうと、洗面所のドアを開ける。

 「っあ」

 「……おう。もう空いたから使って良いぞ」

 気難しそうな顔をした優が立っていた。

 焦っているのか、目の焦点は合わず、上下左右様々な方向に泳がせて合わせた両の指先を絡め合わせれば、離したりなど、落ち着きがない。

 「どうした?」

 聞かなくとも分かるが、はぐらかすために聞いてみる。

 きっと先程のを聞かれていたのだろう。

 俺自身、怒ったりすることはあるが、それは殆どが注意のようなもので、怒りを覚える事は殆ど、というか優の前ではそうなったことが一度もない。

 そんな俺を始めて知って驚く、ないし畏怖でもしているんだろう。

 優が言い難そうに視線を送ってくるが、無視をして無理やりに優を退けて廊下に出る。

 「じゃあ俺、部屋に戻るから」

 会話を無理やりだが切ると、階段を上り部屋にいった。

 「あれ? 母さん買い物に行ったのかな?」

 普段は家にいる母さんは、ある決まった周期に買い物行くのだが、それは二日か三日周期で、今日はその買い物に行ってから一日しかたっていない。

 母さんがいないことは殆どありえない。

 「まぁなんか調味料でも買いに行ったんだろうな」

 特に気にすることもなく、部屋に入った。

 すると。

 「……母さんもかよ」

 部屋の中を漁る母さんがいた。

 「なにやってんだよ」

 床に寝そべり、ベットの下に手を入れる母さんに、冷たい目を送る。

 母さんのやっていること掃除なんてものではなく、完全にガサ入れのように、何かを調べるためか徹底的にものを動かした様子が見える。

 机やフィギアを入れる透明のケース棚などは埃の被っていないところと被っているところがはっきりと分かり、注意以前に分かる。

 他にもよく見てみれば、本棚のラノベが巻並べだったものが、殆ど適当に並び替えられたりなど、いろんなところが弄られている。

 「で、なにやってるの? 不審者さん」

 「母さんを不審者呼ばわりなんて……母さん悲しいわ!」

 「アンタがそういいながら手を執拗に動かしてるのがいけないんでしょうが!」

 「テヘッ、ばれた?」

 今も必死にベットの奥で右手を動かしながら、左手をこぶにして頭を軽く突いてみせる。

 母さんは既に4……アラサーを超え、アラフォーな年齢で年甲斐もなくといいたいのだが、流石は優の母親だ。嫌でも似合い、様になってしまう。

 既に二子の親な筈なのに、その肉体は30歳ちょっと前から衰えていないらしく、美人の言葉が似合う年齢だ。

 妙齢かつ、美人という妖艶さが加わり、なんとも無碍にし難いところだ。

 「はぁ、まあいいや。それで? 母さんは何を探しているのかな?」

 「うーんとね、エロ本!」

 「ッヤメい!」

 反射的に突っ込んでしまったが、まったく。この人はなんてものを息子の部屋から発掘しようとしているんだろうか。

 「じゃあもう良いよね? はい、出てった出てった」

 シッシッシとと手を払う仕草をすると、母さんは名残惜しそうに唇を尖らしてこちらを見ながらゆっくりと部屋から出て行く。

 「もう駄目?」

 「はい。色仕掛けもなんもかからないから。出てった」

 背中を押すと、急いでドアを閉める。

 「まったく。本当に今日に限ってなんなんだか」

 部屋を見渡し何もないことをかくにんすると、ようやく一息つけたような感じがし、脱力感が体を襲い、ベットに倒れこんだ。

 「後はもう明日の俺に任せて寝るか……」

 体を捻らせベットに大の字になると、瞼を下ろし眠りに着いた。

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