「あっ! ありました! ありましたよ、ユウリさん!」

『ほんと!?』

「はい。これですよね?」

 それからほどなくして見つかった写真は、三年前、彼女が亡くなった際に唯一無事だったクローゼットの天井に開いた点検口から見つかった。配線にトラブルがあったときなどに業者の人がそこから入って点検、修理する、四角い入り口のことだ。

 シャワー中の不運な事故死ということで、下の部屋のほうが被害が大きかった。二階のこの部屋のことだけで言えば、壁や床を張り替えるだけで済んだという。

 彼女が言うには『ここに入って手を伸ばせば届く範囲に置いておいたの』ということだった。けれど当然三佳の身長では手が届かないので、いったん掃除用具が積まれた社用車に戻り、脚立を取ってきた三佳は、ヘルメットを被ってヘッドライトを付けマスクをし、軍手もはめるなどしっかり対策もしてから、いざ点検口へ頭を突っ込んだのだった。

 ちなみに〝ユウリ〟とは霊の名前だ。相変わらず頭だけで漂う姿にはゾワゾワしたものを感じるけれど、元来の彼女の人柄もあって世間話にもそれなりに花が咲いた。

 そうして手探りで探すこと数十秒。これまで木や溜まった埃でザラザラしていた軍手越しの感覚に違った感触があった三佳は、それを慎重に取り出すとユウリに見せた。

 だいぶ埃を被っているが、ずっと暗い場所に置いてあったおかげか、写真はしっかりしていた。明るいところでよく見ないと、という話になってくるとは思うものの、ヘッドライトで照らす限りは日に焼けて色が褪せてしまっているような部分も見受けられない。

 ……ただ、ネズミでもいるのだろう、四隅が控えめに食いちぎられているけれど。

 まあ、食べたところで美味しいわけでもないので気持ちはわかる。置いてあった場所や経年を考えれば、写真の中の人物が無事なら、それだけで十分ありがたい。

『……そうよ。これよ、これ。これを見つけてほしかったのよ』

 無事に探し出せたことにほっと胸を撫で下ろす三佳の肩口で、ユウリが写真をじっと見つめながら囁くように感嘆の声をもらす。涙こそ流れないけれど、声の調子や頭部の揺れ方でわかる。三年ぶりに実際の写真を見ることができて感無量といった様子だ。

 写真は、ユウリと思われる若い女性と、四十代中頃かという男性とのツーショットだった。レストランというよりは高級クラブといった華やかな背景に、座っているのも、いかにも高そうな革張りのソファー。ユウリが着ているドレスや髪型にメイクもクラブで働く女性を思わせるようなそれなので、ほぼほぼ間違いないだろう。男性のほうも紳士的な佇まいで、でも遊び慣れてもいるのだろう、ユウリの腰に手を回し、引き寄せるような格好で写っている。けれどいやらしさは不思議と感じない。むしろスマートで、そこが〝そういう場所〟での遊び方をよく知っている人なんだと思わせる説得力があった。

 そんな男性に腰から引き寄せられて恥ずかしそうに、けれどとっても嬉しそうな笑顔を向けているユウリは、同性の三佳から見ても本当に綺麗だった。そして、きっとユウリはこの人のことが好きだったんだろうということも、容易に想像できる。

 照明の関係もあるだろうけれど、お酒のせいだけではなく目が潤んでいるのだ。好きな人を前にすると黒目がちょっと大きくなると言うし、何より同性だからこそ、わかる。

 だからこそ、お酒を飲む仕事とはいえ、うっかり足を滑らせたりしなければと悔やまれてならない。死後の彼女が置かれている現状を思えば、ことさらだ。

 こんなに好きなのに……。

 そう思った瞬間、三佳の頬に涙が伝い落ちていくのは言うまでもないことだった。

『ああもう、泣かないでよ。ありがとう、三佳。あなたが来てくれて本当によかったわ』

 たまらずズビッと洟をすすると、ユウリが呆れたように言う。けれど反対に、三佳の胸はチリチリと焼けるように熱い。もう思い残すことはない、というような言い方が、たまらなかったのだ。これ以上何ができるわけでもないが、でも、どうにもやるせない。

「……好きだったんですよね? この男性のこと。ユウリさんにとっては、ただのお客さんじゃなかったんじゃないですか? それを考えると、なんだかもう……」

 次に店に来てくれる約束をしていたかもしれない。もしかしたらプライベートでも親密な付き合いをしていたかもしれない。なのに言葉も何も残せないまま突然亡くなって、未練が残らないわけがないと思う。その切ない思いが死後も彼女をここに縛りつけている原因の大元なら、もはや悲劇としか言いようがないのではないだろうか。

『んもう。やめてよ三佳。そういうのを邪推って言うって知らないの?』

 するとユウリは、三佳の目の前にフワフワ漂うと茶目っ気たっぷりに言う。

『彼はウチのクラブに遊びに来てくださっていたお客様の一人にすぎないわ。結婚もしてるし、子供もいる。若いけれど、有名な会社の社長でもある。そんな人のスキャンダル記事が出てみなさいよ。仕事もプライベートも、ぐっちゃぐちゃの崩壊だわ』

 それから諭すようにそう言い、「でも」と開きかけた三佳の口を閉口させた。

 ということは、プライベートな付き合いは一切なかったということだろう。そしてそれは、そこまで好きな人だったという証拠でもあると言えると思う。

 ユウリは、クラブに来てくれるお客様の一人にすぎないと言った。好きだったんじゃないかと聞けば邪推だとも言う。でも、そうでも言わなければ、そうでもしなければ、いつか間違った行動に走ってしまうかもしれないと自分を必死に律していたのかもしれない。それが彼を慕うユウリの想い方だったとすれば、三佳にはもう、何も言えない。

「……わかりました。じゃあ、この写真はどうしましょう?」

 さっと涙を払うと、三佳は気を取り直して尋ねる。

 ユウリに渡すことはできないし、三佳が持っておくわけにもいかない。かといって彼女が生前慕っていた彼に託すにしても、今さらどうなんだろうという感じだ。何より彼には守らなければいけない家族と会社、その会社に勤める社員の家族まで守る義務がある。何かの拍子に明るみに出れば、それこそユウリが一番望まないことになってしまう。

 ただ、処分――という言葉はできるだけ避けたいけれど、こうして故人の私物が見つかった以上、どうにかしなければならないことは確かだ。ユウリのご家族に連絡を取って引き取ってもらうか、もしくは寺できちんと供養してもらったほうがいいかもしれない。

『んー。じゃあ、三佳が持っててよ。焼かれるのも、もったいないし』

 けれどユウリは、事もなげにそう言う。

「ええっ!?」と驚愕に目を見開けば、

『実は私、親に勘当されたのよね。お葬式は出してもらったけど、特に父親は葬儀場でもお通夜でも終始ぶすっとした顔をしていてね。……まあ、骨になったときはさすがに目頭を押さえてはいたけど、そういう父親だから写真は引き取ってもらえないと思うの。母親も母親で、今も複雑だと思うわ。それに私の私物は、四十九日を過ぎてからきちんと処分された。三佳は親なのにどうしてって思うでしょうけど、そういう家もあるのよ』

 だそうで、これまたなんとも複雑な家族関係が露呈しただけだった。

 ……となれば、三佳が代表して持っておくしかないのだろうか。

「な、なんで私に?」

『三佳に持っていてほしいからよ。これも何かの縁でしょう?』

 そもそもの持っていてもらいたい理由を聞いて。

「……ただ普通に持っていればいいんですか?」

『そうよ。引き出しの奥にでも入れててくれたらいいわ』

「あの、すっごい失礼を承知で聞きますけど、呪ったり祟ったりしません?」

『あはは。できないわよ、そんなこと』

 どんなふうに保管したらいいかや、不安要素の確認を取って。

「あとでこっそり、お寺で供養してもらうとかって……」

『バラしてどうするのよ。ていうか、もう写真はそれしか残ってないの。正真正銘、最後の一枚なのよ。だから、もし焼いて供養しようものなら――』

「ぎゃー、ごめんなさいっ。持ってます、私が持ちますからっ!」

『さすが三佳。そうこなくっちゃ』

「……」

 若干祟られそうになりつつ、本当にただ持っておくだけでいいというお墨付きをもらった三佳は、渋々と。本当に渋々と、写真を作業着の胸ポケットに入れるほかなかった。

 というか、昼間にも早坂から似たようなことを言われた気がするのだけれど、気のせいだろうか。違う意味で背中がゾワゾワし、三佳は思わず後ろを振り向く。しかし当然、早坂がいるわけもなく、三佳は気づいてしまったかもしれない事実にそっと蓋をする。

 もしかして私、度胸が据わってるんじゃなくて、ただ押しに弱いだけなんじゃ……?

 そうでありたくない。絶対に、そうであってほしくはない。

『三佳……?』

「あ、いえ。なんでもありません。さ、脚立を片付けなきゃですね。屋根裏はともかくとして、普通に部屋の掃除もしちゃいます。ちょっと埃が溜まってますもんね」

『ええ、お願い。そもそも三佳は、そのために来たんですもんね』

 心配して声をかけてくれたユウリに笑うと、三佳は脚立を担いだ。

 ――けれど。

「え? なんで扉が……?」

 さあ出よう、とそちらを向くと、いつの間にかクローゼットが閉まっていて、三佳はぎゅっと身を固くした。ヘッドライトの明かりだけが頼りだったし、何より扉が閉まる音なんて一つもしなかったので、一体いつから閉まっていたのかもわからない。

「ユウリさんっ」

『……とうとう出やがったわね』

「ユ、ユウリさん、言葉遣いが乱暴に……いや、出たって何がですか?」

 聞くべきはユウリのドスの効いた声や、男勝りな言葉遣いのことじゃない。〝何が〟である。といっても、なんとなく予想がついてしまうのだけれど。きっとユウリとは無関係な、彼女が言うところの〝余計なもの〟が三佳たちを閉じ込めたのだ。

『何がって、三佳ならもうわかるでしょう? 余計なものよ、余計なもの。幽霊になってここに戻ってきたとき、どうしても写真を一目見たくてクローゼットの中を漂っていた私を閉じ込めたやつらでもあるわ。……きっと何か特別な力を使っているのね。すり抜けることもできないし、おそらく三佳も内側から力づくで開けたりもできないと思う』

 すると、ご明察とばかりに、メデューサ的髪の毛を逆立てながらユウリが答える。

「それ、一巻の終わりじゃないですかっ!!」

『そうなのよ。だから、誰かが開けてくれるのを待つしかないわ』

「ち、ちなみにユウリさんはどれくらいかかったんですか?」

『丸二年。最後の住人が出ていってからも、ちょこちょこ入居者はいたって言ったでしょう。その頃にはもう、私はここに閉じ込められちゃってたわ。ちなみについでに言うと、玄関で尻込みしていた三佳を中に入れたのは、この二年の間に溜めた力なの。時間はかかるけど、チャージってできるのねぇ。幽霊にならなきゃ知り得ないことだったわ』

「そんなにかかったら死んじゃうよ!!」

『三佳はね。私はもう死んじゃってるし』

「それを言ったら身も蓋もないじゃないですか……」

 ていうか、意外と便利である。まあ、チャージしたその力でクローゼットから出られたんじゃないかと思わなくもないけれど。でも、それは野暮ってものだろう。ユウリは自分が外に出ることより、誰かがここにやって来てくれる可能性に賭けていたのだ。

 全ては、彼と写った生前最後の写真をもう一度見るために――。

 なんて泣かせる幽霊だろうか。こういうのを、きっと純愛と呼ぶのだろう。

 願わくば、三佳もそんなふうに愛し、愛されたい。幽霊になってでも、というのは考えものだけれど。でも、そこまで想える相手に出会うなんて、きっと奇跡だ。幸せだとも思う。勘当された身のユウリにとって、彼や彼への想いは拠りどころだったに違いない。

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