ともあれ、これで騒動は一件落着だ。

「あの、すみません、所長。お休みになる前に仏壇の位置だけでも一緒に直してもらえませんか? これ、どう考えても私だけの力じゃ無理ですよ」

 くわあぁっ、と大あくびをしている早坂に、三佳は言う。

 さっきまでは勝手に動いていたが、早坂が霊を払った今、仏壇はただの仏壇だ。もう遅いけれど、せめて元の位置に戻ってからいなくなってほしかった。一応、処分される予定ではあるが、台所に仏壇が移動していたなんて、ホラー以外の何ものでもない。

「そうですね。じゃあ、最後にもうひと頑張りしましょうか」

「はい!」

 目尻に浮かんだ涙を指で払いながら言う早坂に、三佳は元気よく頷く。採用の理由に何も思わないわけではないが、余計な手間をかけさせてしまったことは事実であり、深く反省している部分でもあるので、新入社員の不手際と相殺だ。

「ひえぇ、尋常じゃない重さですよこれ! どんだけ立派なんですか!」

「つべこべ言わないで運んでください。僕のほうが男なぶん、確実に野々原さんより重い思いをしているんです、口を動かす暇があるなら仏間を目指してください」

「そんなこと言われても……!」

 とはいえ、このとおり、仏壇を運ぶのは人力だけれど。

 オオカミのもののけのくせに、どうして妖力でパッと元の位置に戻せないの!

「所長ってオオカミのもののけなんですよね? こういうときのために手助けしてくれるあやかしの仲間って、いないんですか? 子分とか舎弟的な感じの」

 ぜーぜーと息を切らしながらも、なんとか仏間に仏壇を戻し終わると、三佳はたまらず聞いた。掃除の前に手を合わせたときは、処分されるなんてもったいないなと思ったけれど、誰が仏壇が勝手に動き出すと思おう。……いや、黒い靄がいた時点で想定しておくべきだったかもしれない。でも、男女二人で動かすには、あまりに重すぎた。

 三佳は、不測の事態のときのために、日頃から〝あやかしネットワーク〟を張っておく必要があるんじゃないかと切実に思う。この際、手伝ってくれる存在がいるなら何でもよかった。たとえ、見ただけで卒倒してしまうような恐ろしい姿をしていても。

 仏間の畳にへたり込み、肩で息をしながら早坂を見る。〝体質〟を活かすなら、早坂にだって同じことが言えるはずだ。物を運ぶのは人力とか、なんかちょっと違う気がする。

「いませんよ、そんなの」

 すると早坂は三佳の発言を鼻で笑った。それから、うっとりとした表情で宙を仰ぐ。

「第一、僕は気高きオオカミのもののけ。子分や舎弟なんていりませんよ。知ってます? 野生のオオカミは、それはそれは孤高の存在なんですよ。威風堂々、ひとりを愛する生き物なんです。なのに、金魚のフンみたいにほかのあやかしたちに纏わりつかれてはたまりません。舎弟などいないほうが、僕らしく生きていけるんです」

「……なんですか、それ。要はただの〝ぼっち〟じゃないですかぁっ!」

 そんな早坂に三佳の本音や不満が爆発したのは言うまでもない。三佳が発した大声は、とっくに日付が変わった真夜中の近所周辺に響き渡り、早坂は片目をつぶって両耳に指を突っ込み防音しながら、やれやれと肩を竦めて帰っていったのだった。


 *


 後日談として――。

「すみません、わざわざ遠いところをご足労いただいて」

「いえいえ、とんでもございません。それで、ハウスクリーニングのほうは……?」

「あなた……早坂さんがお話になるまで待ちましょうよ」

「そんな。鷹爪様のご依頼のとおり、しっかり〝お掃除〟いたしましたよ。工事業者のほうからも先日、無事に取り壊し工事に着工できたとお電話をいただきました。家財道具や残っているものの処分もこちらで手配済みです。心配なさらないでください」

 騒動から数日して、連絡を受けたキヨさんの息子さん夫婦――鷹爪公一こういち氏と妻の清美きよみさんが、わざわざ九州から、はるばる『早坂ハウスクリーニング』の事務所を訪れた。

 公一氏は五十代半ば頃の年齢で、そのわりには髪や肌に艶があり、また、アウトドアスポーツをたしなんでいるのか、ほどよく日にも焼けていて健康的な印象を受けた。

 対する清美さんは、公一氏とは対照的に肌が白く、体つきもほっそりしていて、病弱とまではいかないまでも、どこかしら健康に不安がありそうな印象だった。

 パーテーションで仕切られただけの簡単な応接スペースにつくなり家の状況を尋ねた公一氏と、それを窘めた清美さんに、早坂は穏やかな口調で淀みなく受け応える。

 三佳が給湯室でお茶とお茶菓子の用意をして運んでいくと、

「どうやら一連の事の大元は、あの家に置いておくしかなかった仏壇の中にしまわれていた〝これ〟のようなんですよね。公一さんには見覚えがありますでしょう?」

 早坂がス、とスーツの内ポケットから巾着袋と安産祈願の御守りを取り出しテーブルに置き、目を見開いて固まる公一氏に、にっこりと目を細めた。

 いつも事務所では三佳に見せつけるように丸まって気持ちよさそうに寝ているのに、こういうときの早坂はびしっとスーツで決めているのが、なんだか腑に落ちない。しかも、いかにも高級そうなダークスーツだ。事務所は狭いし雑然としているのに、ミスマッチなことこの上ない。でもまあ、お客様の前だから。と、三佳はぐっと堪えることにした。

 いくら身内の三佳とて、真っ昼間からスヤスヤ寝られると仕事に対するモチベーションに多少なりとも影響が出るし、三佳には隠す必要がないためオオカミの姿で悠々とソファーで昼寝と決め込むのは、もうすっかり見慣れた光景だ。

 それより。

 てっきり靄たちと一緒に消えてしまったとばかり思っていたが、どうやら早坂は三佳にも内緒でずっと手元に持っていたらしいことに、思わず口元が緩む。清美さんにとってはなくなったほうがいい、と三佳自身はあの場で諦めていたけれど、憑いていた霊が消えれば、仏壇のときと同様、これもまたただの御守り、ということになるのだろう。

 早坂の話では、御守りに長年込められ続けてきた〝キヨさんの思い〟が自らの意思を持ってしまったために、掃除に来る清美さんにいろいろと悪さをするようになったということだったけれど――ただの御守りに戻った今なら、キヨさんの最後の形見として二人に引き取ってもらっても、きっともう大丈夫だろうと思う。

「ど、どうしてこれが……? いや……」

 しかし公一氏は、明らかに戸惑いの色を浮かべて御守りと早坂を交互に見た。その横の清美さんは、わけがわからない、といった様子で公一氏と早坂の間に不安げに視線をさまよわせる。清美さんの様子から、もしかしたら御守りがあること自体、知らなかったのかもしれないと三佳は思った。彼女の反応は、演技にはとても見えない。

「公一さんは前に一度、この御守りを捨てたことはございませんか?」

 すると早坂が、ゆったりとした口調で尋ねた。聞かれた公一氏は言葉も出ない様子で口を半開きにしている――否定できないということはつまり、肯定の意味だ。

「これは僕の推測ですが」

 そう前置きすると、早坂は話を続けた。

「あなたがたご夫婦になかなかお子さんが授からないことを知ったキヨさんは、自分もそうだったから、と御守りに願をかけるようになったのではないでしょうか。公一さんは、そんな神頼みをする母親の姿が、端的に言うと嫌だったのではありませんか? キヨさんはとても信仰心の厚いかたでしたから、小さい頃からその姿を見てきた公一さんにとっては、あまりいい姿には見えなかったのかもしれませんね。そのうち清美さんを変な宗教に引っ張り込むのではないかと懸念を抱くのも、当然。折に触れてまた手に取るようになった、この御守りさえなければ――そう考えるのは、なにも間違ったことではありません」

「……」

「ですが、キヨさんはただ、清美さんの不妊に対するストレスを和らげてあげたい一心だったんです。第一、キヨさんが信仰していたのは、宗教ではなく〝自然界の神〟――例えば、大切にされてきたものに付く付喪神や、子宝の神、安産の神といったものです。孫の顔を見られないまま旅立ってしまったのは、確かに心残りではあったしょう。でもそれ以上に、昔の自分と同じ悩みを抱えている清美さんの心と体を案じていたことは間違いないでしょう。いつも目にしていても、触れる機会なんてまったくと言っていいほどないところ……つまり仏壇の裏に隠したのは、よく考えられていると思います。自分にとってはあまりいい印象のないものでも、母が大事にしているものは捨てるに忍びない。だったら隠してしまおう。そこは公一さんの愛すべきお人柄といったところでしょう」

「……ま、待って。じゃあ、私が家の掃除に行くたびに変なことが起こっていたのは、この御守りのせいだったってこと……ですか? そんなおかしな話が……」

 そこで清美さんが身を乗り出した。半信半疑な様子で早坂と、そしてお盆を抱いた三佳見る。すっかり引っ込むタイミングを失ってしまい、戻るに戻れなくなっていたのだ。

 正確に言えば、半分以上は好奇心と真相を知りたい気持ちが勝っている。早坂の斜め後方に控えながら、三佳もスーツで決めた彼の謎解きに内心で興奮が抑えきれない。

「いいえ、現に清美さんは〝わけがわからないから怖い思い〟を何度もされています。御守りのせい……というか、ほぼほぼ公一さんのせいではありますけど、ご自身の身に起こった不可思議なことから、どうか目を逸らさないでいただけませんか。御守りは、清美さんに〝ここにある〟ということに気づいてほしかっただけなんです」

「……え?」

「まあ、キヨさんが亡くなって久しいですから、御守りに宿った意思も本来の目的から外れてしまい、さらにほかから集まってくる霊のせいもあって、ここ数年は清美さんに怖い思いをさせてしまうようになっていたようなんですが。……でも、すべては、御守りを隠した負い目から足が遠のくようになってしまった公一さんでは埒が明かないから、せめて掃除に来てくれるあなたに自分の存在を知らせたいという御守りの思いです。自分はどうなってもいいから、キヨさんの思いだけはほかの霊に汚させまいと御守りは頑張っていたようですね。どうぞお手に取って裏を見てみてください。そのほつれが、証拠です」

 どうぞ、と促された清美さんが、おずおずと御守りを手に取り、裏返す。

「これ……」

「糸がむじゃけていますでしょう? キヨさんが生前、とても大事にしていたものですから、犯人はまずキヨさんではありません。公一さんの可能性も考えられますが、先ほども言ったとおり、母親の大事なものに公一さんが手を下せるとは考えられない。捨てようとしても捨てられず、隠すような人です。公一さんにも、御守りを痛めつけることは無理です。清美さんもまた、白です。御守りがあったことなんて、今さっきまで知らなかったんですから。公一さん。あなたが最後に御守りを手に取ったとき、何か違和感は?」

「……いえ」

 尋ねられた公一氏は、すっかり憔悴しきった様子で弱々しく首を振る。

 それに満足したように、ふふ、と妖艶な笑みを見せた早坂は、

「それから十数年。今になるまで仏壇に隠されたまま、誰にも見つけられなかったとなると……一体この糸のほつれは、どう説明がつくのでしょうか」

 交互に二人の顔を見つめて、こてんと小首をかしげてみせたのだった。

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