第14章 Snow World-1

 粉雪が白い渦を巻き上げる極寒の世界で、強固な城壁を越える三つの影が過る。一つの影は四肢で雪の大地を踏み締める巨大な獣であり、寄り添う人間を吹雪から守っていた。

 幾つもの城門を越えて、最後の門は一層強固に造られた巨大なものだ。男が門の傍らにある紐を引くと、小窓から警衛が顔を出した。

「名を……」

「エンダだ。ギルドには所属していない。俺の名は元。それと……」


 カラーの扉が乱暴に開かれて、二人のエンダが姿を現す。吹雪を抜けてきたのは一目瞭然で、露出の少ないコートには未だ溶け切れていない雪がこびり付いたままだ。一人がバサリとコートを脱ぐと、至る場所に雪の塊が床に転がった。

「元! 雪は外でちゃんと払ってこいって何度言えば……」

 カウンター越しに放たれる店主の小言を遮って、元はドサリと布袋を投げ置く。袋から飛び出した拳二つ分もあろうかという宝玉が転がると、店主は「ヒュー」と口笛を鳴らした。

「……次の依頼は?」

 足早に言葉にして、獣の情報が記載された依頼リストに手を伸ばす。帰って来て早々、次の狩りへと向かうつもりか、と店主は半ば呆れるように声を上げた。

「少し休んだらどうだ。見たところボロボロじゃねぇか。しかし何だな。たった二人でB’クラスを狩れるエンダはそう多くない。お前さんも強くなったもんだなぁ。ここに来た二年前なんざぁ、Dクラスだって危うかったっていうのにな」

 しみじみと言葉を綴る親父の言葉に、周囲から失笑混じりの笑いが漏れる。海を渡る毎に獣は強くなり、前の土地では難なく狩れていたクラスでも途端に手に負えなくなってしまう。だからこそ、万を期してエンダは海を渡るのだ。にも関わらず、Dクラスさえも狩れないなど、己の力量を測れずに意気込んで海を渡ってしまった……そんなレッテルを貼られてしまうのも仕方がないと言えた。

 ましてや、この土地はエンダの最終到達地点、ザルモマナフ海(五つ目の海)を越えた土地なのである。フォルトハウラ海(四つ目の海)を越えた土地でSクラスを容易に倒す能力者であっても、一太刀すら与えられずに破れてしまうエンダが後を立たない。


 元はかなりの頻度で繰り返される、この話題に心底霹靂していた。

「……うっせーな、今は倒せているんだから、問題ねぇだろ。寧ろ、そんな新参者から数はおろか、報償額でも抜かれる奴らの方がどうかと思うけど」

 不機嫌に言い放たれた言葉に、カラーの空気がザワリと揺れた。殺気だった視線が否応がなしに、元に向けられる。

 この土地ともなると、単独での狩りは自殺行為だ。通常、狩り毎に五名以上のパーティが編成されて出撃する。そんな暗黙のルールを顧みず、漸く戦力として使えるようになった途端、二人での狩りに拘(こだわ)る元に眉をしかめるエンダも少なくない。

「……誰のお陰でそのクラスを狩れるようになったか言ってみろ。人の助けを必要としなくなった途端、随分と意気がりやがって。皆から助けてもらった事実は無くならねぇぞ」

 ヴィトが椅子から立ち上がって、首をゴキリと鳴らす。ここのエンダの中では一番の古株であり、この土地で長く生き残っているだけあって、素手で獣を締め上げる程の怪力の持ち主だ。その体格は元の二倍ほどある巨漢だが、均整なまでに鍛えられた筋肉は、エンダとしての高い資質を物語っていた。


 ギルド内でガーディアンと呼ばれる十人衆の一人である。


「まぁた始まったよ ……」

 元の挑戦的な態度が琴線に触れたのはヴィトだけではない。今まで楽しげに宴を繰り返していたエンダ達も、いち早く反応して厳しい視線を向けた。

「……態度を変えたつもりはねぇけど?」

 売り言葉に買い言葉。ピクリと眉を上げるヴィトを正面から見据え、元が両腕を組んだ。

「しつけが必要か?」

「やってみろよ」

 店主が「やれやれ」そう小さく溜息をつく。ガーディアンと呼ばれる十人衆の中でも、上位の七人は狩りで遠征中だ。これ以上、もめ事が大きくなると収集が付かなくなる。さて、どうするか、そう店主が考えあぐねた時だった。

「元殿」

 直ぐ後ろに控えていた初老の男性がそっと腕に手を添える。

「……爺さん」

「ヴィト殿。申し訳ございません。狩りから戻られた直後で少し気が立たれておいでです。どうぞこの辺でお収めください」

 元を諌め、次には深々と頭を下げる姿に、ヴィトは深く息を吐く。

「おいおい、あんたが頭を下げるこっちゃねぇだろ。たく、いつまでもフェルディナンドさんに迷惑かけてんじゃねぇぞ。……もういい、白けちまった。飲み直そうぜ」


 未だに厳しい眼差しを納めきれない元に対して、店主が少し声色を落とした。

「今は二人でも何とかやれているみたいだが、それじゃ勝てない時が絶対に来る。そんな態度ばかり取っていると、いざっていう時に誰からも助けてもらえなくなるぞ」

 筋肉が発達した元の身体がピクリと揺れた。

「……ずっと二人じゃ……」

「あ? まぁ、最悪、お前さんが生き急ぐのは良いとしても、フェルディナンドさんを巻き込むなよ。魔法はちゃんと休まないと回復しないんだからな」

「……分かってる。いいから次の獣を斡旋してくれ。直ぐに出発する」

 全く聞く耳を持たない。心を閉ざしているのがありありと見て取れて、店主が大きく肩を落とした。

「まぁ、いい。これはBクラスだが、少し癖が……」

 幾つかの留意点を上げる声が終わる前に、差し出された契約カードを手中にすると「分かってるっーの」そう用がないと言わんばかりにカラーから出て行ってしまった。

 元が戻るといつも一悶着起きてしまう。何時まで経っても拒絶を続ける元に、どうしたものかと店主は溜息をつく。そんな状況を危惧しているのは、店主だけではない。エンダ達も同じだ。

「今のペースはガーディアンばりの戦いっぷりだ。それ自体は悪いことじゃないが、死んだら元も子もないんだから。自殺行為にフェルディナンドさんが付き合う事はないからな」

 店主が大きなお腹を揺らしてカウンター越しに身を乗り出す。皆の気遣いも元の葛藤も、全て見てきたフェルディナンドは、口元を寂しげに上げて小さく微笑んだ。

「……いえ、強くならなければと焦っているのは私も同じですので。しかし確かに命あっての鍛錬ですね。お心遣い、ありがとうございます」


 固く閉ざされた扉を見据えるヴィトに、フランチがネビールを差し出した。ガーディアンの一人で、盗賊と斧使いの能力を持つエンダだ。金髪の長い髪を一つに束ね、職業からは想像も出来ないほどの優男であるが、その実、意外なまでに何も考えていない。そのギャップの濃さが顕著に出るのは、狩りが終わった後だ。誰からも口を聞いてはもらえない程の戦いぷりなのである。

「相も変わらず、だ。背負い過ぎなんだよな」

「確かに強くなったけどねぇ」

 正面から御髪を整えて、ギルドのお母さん的存在であるアンフェンが湯飲みに茶を注ぐ。偏食をすると強くなれないよと口を挟んでは、そのテーブルに足らない食物を継ぎ足していく。ヴィトの次に古株で、元の頑なな態度に、一番心を痛めているエンダであった。

「ここで生きていくには強さだけじゃ駄目なんだ。多種多様な戦い方を強いる獣に、どれだけ対応出来るかっていうのに」

 ヴィトは大きく頭を振って、ネビールが注がれたジョッキを飲み干した。

 一旦門を潜って城外に出れば、そこは獣が蠢く死の世界だ。どんなに能力に長けたエンダであっても、今日が今生の別れに成りかねない。何に焦って狩りに赴くのかは誰も知る由もないが、想いだけでは生き延びれないのがこの世の常だ。

「……たく、強情な奴め」

 そんな呟きが元に届くのはいつなのか……微かに届く吹雪の音に耳を傾けて、閉ざされた世界を憂うように深い溜息をついた。

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