第10章 存在ノ理由-16

 元は宿の裏に併設されている檻に手を添えた。暖かな日射しの中で、寝入るギヴソンの姿に口元が緩む。こんな穏やかな時間軸では、数日前の死闘が夢のようだ。

 檻の前に胡座をかいて座る元の前に、ギヴソンもまたのっそりと起き出し、正面に腰を下ろした。

「傷の後遺症はないか?」

 ドラゴンの怒濤の炎で、ギヴソンは身体の八割を焼かれ瀕死の状態にまで陥った。ハルの癒しが間に合ったから良かったものの、消滅寸前で危険な状況だった。今でも肌を焦がす嫌な臭いがふとした時に鼻について仕方がない。

「助けてくれてありがとな。……でもさぁ、もうあんな事止めてくれよ。これでお前が死んだりしたら、後悔してもしきれねぇ」

 仲間を失う怖さが身に染みて、思わず俯いた姿に、ギヴソンがその大きな首を垂れてきた。

「へ?」

 未だ嘗て一度も見せた事がない行為に、慌てて周囲を見渡す。しかし今なお頭を垂れる姿に、恐る恐る腕を伸ばし、額に手を添えた。掌に温かな体温が触れるのと同時に、その思考までも掌を通じて伝わってくるようだ。

「……そうだな。俺だって同じように飛び出すわ。俺ら……いつの間にか、いや、もうずっと前から仲間だったんだな」

 森から戻ったタロが元の膝の上に乗って、気持ちが良さそうに体を丸くする。

『俺だけがこいつらを信じちゃいなかった。ギヴソンは宝玉を額に持った獣で、タロはかわいいだけのペットだった。だから俺はタロに嫌われていたんだな』

 思い返してみれば、危機から救ってくれたのは一度や二度ではなかった。今更ながらに、自分の鈍さに嫌気がさしてしまう。

「俺、馬鹿だからこんな大切な事に気づけずに死ぬところだった。

 ……だから爺さんもさぁ、きっと爺さんが気づいていない事がまだまだあんだよ。だから……えっと、その、だから自暴自棄になってあんな事すると勿体ねぇっていうか。もうあんなこと、止めてくれよな」

 不意に投げ掛けられた言葉に、フェルディナンドが木の影から飛び出した。

 あの遺跡で巻物を開いた瞬間、獣に堕ちるであろう事は直感で分かっていた。にも係わらず……読む手を止めることが出来なかった。どうしても先にある世界を掴みたかった。

【何で、何で俺に託すんだ!

 俺だったら、平気だって、爺さんの事、平気で倒す事が出来る奴だって、思っていたのかよ!?】

 殆どの記憶が抜け落ちている中、悲痛に向けられた声だけが脳裏の片隅に残っている。宿のベッドの中で、意識を取り戻した瞬間から、フェルディナンドは自責の念に苛まれていた。

『……獣に成り堕ちても、元殿であれば救い出してくれるのではないか……そんな希望を抱いていたのかもしれない』

 自身の卑しさに、そして罪の重さに、謝罪の言葉が見つけられずにいた。


「元殿! 私の身勝手で、大変なご迷惑をお掛け致しました。お仲間まで危険に晒してしまい……本当に申し訳ございません!」

 地面に額を擦り付けて頭を下げる姿に、元は頭を振った。無事で良かった、それだけが心の救いだ。

「いいんだよ。迷惑だなんて思っていない。俺は爺さんを助けたかった。それだけだ。それよりもさ、教えてくれよ?」

 振り返った元の顔は、様々な感情が入り乱れ、まるで泣いているかのようだ。フェルディナンドはハッと顔を強ばらせた。

「エンダは獣に堕ちる為に、この世界の扉を開けたのか? 俺達の未来は一体どうなっちまうんだ??」

「元殿……」

 その言葉が、何を言わんとしているの分かっているつもりだ。エンダが獣に成り堕ちる現実を知ったからこそ、フェルディナンドもまた絶望に苛まれ誤った選択をしてしまった。どう声をかければいいのか、図りかねるフェルディナンドとの間に重たい沈黙が流れる。


「狩りで命を落とすのが先か、獣に堕ちてエンダに狩られる運命か。これから先、もっと過酷な真実を目の当たりにするかもしれん。扉を開けた判断を後悔する位なら、今まで通りエンダとして生きていくんだな。多少知りすぎた感はあるが、今だったらまだ戻れる」

 突如放たれた声に、元は視線を上げた。タロが膝の上で飛び起き、跳ねるように駆け出していく。

「ハル……」

 そこには青白い表情のまま、木の幹に体を預けるハルの姿があった。自力では立っていられない位に気怠そうで、あまりの顔色の悪さにフェルディナンドが腰を上げた。

「ハル殿、浄化が済んでいないのではありませんか? 今無理をなさると……」

 差し伸べられた手に体を預け、ハルは小さく息を吸う。隔離された聖地から無理矢理出てきた事で、回復した体力を極限まで使ってしまった。気を抜くと倒れそうな意識の中で、独り言のような声を落とす。

「一人で考え過ぎていないかと……」

「え?」


 元も駆け寄って手を差し伸べたかった。しかし突き放された物言いに、今は体が動かない。一度地面に視線を落とし、土をギシリと握りしめた。

「……な……んで、平気なんだよ。狩って命を奪っていた獣が、お……同じ人間だったかもしれねぇんだ。お、俺……人間を殺……」

 この数日、その事ばかりが頭を過り、悶々とした日々に元の精神は極限まで磨り減っていた。

 言葉にすると、余計に受け入れ難くて、胃から苦い物がこみ上げる。誰か否定して欲しい、なに馬鹿な事を言っているのだと、笑い飛ばして欲しかった。

「平気か、そう問われれば、そうでもない。しかしもとは人……いや、エンダだったとしても、堕ちれば民を襲う獣だ。割りきれなければ、この先もう誰も救えない」

 淡々と向けられた声は、それ自体が癒しの効果があるように、元の体に染み込む。そう思うことすら罪のように感じて、視線を落としてボソリと声を落とした。

「……よく言う。民を救うのが戦う理由じゃねぇくせに」

 それでも元は立ち上がり、脚の土を払うと、ハルに向かって踵を返した。

「体調、完璧じゃねぇんだろ。あんま無理すんな」

 小さく声をかけて、今にも気を失いそうな儚げな存在を自身の腕に抱え上げる。

「ハル殿、私がご迷惑をおかけしたばかりに」

 項垂れる姿を見下ろし、ハルは瞳を細めると小さく口を開いた。

「フェルディナンド。我々エンダにとって、この世界の理は受け入れ難いものばかりだ。しかしどんな理由であれ、我々は自身の手で扉を開けたのだ。行く末を受け止め全うして初めて、あの世界を捨てた責務を果たしたと言えるのではないだろうか。

 目を背け嘆き悲しむのは、辿り着いた終着点でやればいい。我々の道は、未だ途中だ」

 そう揺るぎない真っ直ぐな視線を向ける。フェルディナンドを諫めるというよりも、ハルが自身に言い聞かせるような声色だった。

「ハル」

「ハル殿」

 風に木々の葉が大きく揺れる。ハルは切々に差す光に目を細め、肌に触れる風を感じた。

『今もこの瞬間に、多くのエンダが命をかけて獣と対峙しているのだろう。先導者め……随分と惨たる業を負わしてくれる。

 いや、もとより棘の道は承知の上だ。どれ程の未来が待ち構えていようとも構わない。行き着く先にあるものを必ず見届けてやる……必ずな』



「爺や、ただいま~!」

 その時、張りつめた空気を割って、豪快な声が森に響き渡る。垂れる枝を掻き分け現れたのは、体の至るところに獣傷を負った女戦士であった。

「エミリーさ……ま?」

「おいおい~。ボロボロじゃん。大丈夫か……」

 ドサリと荷物を置く姿を一目見て、思わず元が唸る。言葉が終わらない内に、フェルディナンドが悲痛な声を上げた。

「エミリー様! そのお傷は……!?」

 この世の終わりかと言わんばかりの絶叫だった。驚く元を通り過ぎ、もつれる足でエミリーに駆け寄ると、左目に震える手を伸ばす。そこには、別れた時には無かった獣傷が大きく縦に入っていた。

「あぁ、これ? 少し手強い獣(やつ)だったの。油断してたら、ザックリね。パーティ組んでた仲間も全部殺られちゃった」

 笑う声とは裏腹に、傷は深く生々しい。ハルは傷に視線を向けて、ヒーシャの限界に溜息を小さく落とした。

『他の傷はともかく、この傷は……眼球が持っていかれているな。いくら魔法といえど、欠損した部分は復元出来ない。……まだ代償が眼球で良かったというべきか。腕や脚であれば、エンダとして道が絶たれる』

 獣を狩る事でしかAnother woldに存在価値がないエンダにとって、狩りに臨めなくなったその末路は悲惨なものだ。エンダである以上、常に付きまとう現実である。

 元は元で傷だらけの体に視線を向けて『……ふぅん、でも体はできつつあるな。これからだ、強くなるのは』そんな事を考えていた。


 フェルディナンドは、立っているのもやっとな程、体を震わせ大きな涙粒をハラハラと落とす。

「……エミリー様にこの様な……。私が是が非でもご一緒していれば、この様な……。私の責任です。ご主人様に何とお詫び申し上げれば……』

 深い皺に涙を貯める姿に、エミリーは一度困ったように微笑むと優しく手を取った。

「爺や聞いて。この傷は……私にはとても意味のあるものよ。爺やに負担を掛けずに、私が狩りを成し遂げた証しなの。私は未だ未熟な戦士だけど、いつか爺やを守れる位に強くなる。その目標に近づく一歩だったの。ね、私だって出来ることがあったのよ。ふふふ、ビックリでしょっ」

 そう太陽の様に笑った。

「エミリー様……」 

 どれほど屈強な戦士となっても、フェルディナンドにとってエミリーは小さな子供だった。お護りするのは自分だと、いつもそれだけを考えて生きてきたのだ。

『いつの間にか……随分とご成長されていたのですね』

 流れる涙をハンカチで押さえ、フェルディナンドは小さく息を吸った。体をハルに向けて、真っ直ぐな視線を投げ掛ける。

「ハル殿、ここを発たれる日程をお聞きしても宜しいでしょうか?」

 問い掛けられた声に、元の肩に体を埋めたまま薄目を開けると、「五日後に」そう短く言葉を返す。

「五日後ですね」

 フェルディナンドは一度力強く頷くと、視線をエミリーに戻し、眩しそうに瞳を細めたのだった。

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