第10章 存在ノ理由-15

「元さ~ん、何処かにお出掛けだっちゃ?」

 元が宿の扉に手を添えた時、ゴンタが果物を両手いっぱいに抱え嬉しそうに声を掛けてきた。色とりどりのフルーツは、言わずとしれたナレータへのデザートだろう。果物の甘い香りが、一面に広がった。

「あ、あぁ、ハルは入ったきりだし、色々あったんで、考えをまとめてぇなぁと思ってな」

「あんな凄い狩りの後だっちゃ。あまり無理したら駄目っちゃよ。ちゃんと休息をとって、明日に備えるっちゃ」

 向けられる屈託のない笑顔に、元の胸は熱くなってしまう。三人がドラゴンからの攻撃を凌いでくれなかったら……鋭利な爪から切り裂かれた自分を想像するだけで、今でも嫌な汗を掻く。今、この場所に居なかったかもしれないのだ。元は大きく頭を下げた。

「あの節は世話になった、ありがとな。皆が居なかったら、俺死んでたよ。ゴンタもさ、洗礼だっけ? ハルが入りっぱなしですまねぇな。あれからもう二日だし」

 そう申し訳なさそうに頭を下げる元に向かって、ゴン太はブンブンと首を振る。

「元さん、頭下げるとか可笑しいちゃ。ホント全然ちゃ。我々は当然の事をしたまでだし、元さんもフェルディ……さんも、無事で本当に良かったちゃ。ナレータ様はハル様が出てこられるのを待たれると言われているから、洗礼はその時でも十分ちゃ」

 ナレータがハルを待つ……その言葉に一抹の不安を感じてしまうが、あのハルの事だ。事なきを得るのだろう。そこで元はずっと頭に引っ掛かっていた疑問を問いかけた。

「皆、何であの場所に居たんだ? 沼地とは反対側だろ? いや、結果的に助かった訳だけど」

 ゴンタは問われる言葉にまん丸い目を更に丸くして、「はて……」そんな表情を浮かべている。

「言われてみればそうちゃねぇ。どうしてあぁなったっちゃ」



【ナレータ様!!】

 ナレータは獣の気配に気を取られ、崩れ落ちる外壁に気付くのが一瞬遅れた。石畳造りの外壁は、我に返った姿に巨大な影を落とす。

【ヒッ、いやぁぁぁぁぁ!】

 二人の空気を切り裂く叫びが森に響き渡った。

【ぁぁぁ……ってあれ?】

 突如 現れた光のベールに、触れた先から外壁が音もなく消えていく。そんな光景を瞳に映しナレータはピクリと目を見開いた。そうしてゆっくりと森に視線を移した。

【ふむ……力の加減が難しいな】

 ナレータの鋭い視線の先には、ハルが自身の掌を見入る姿があった。何処と無く生気がない姿は、差し込む光に透けてしまいそうだ。

【あ、ハル様ッス! どうしてここに居るッスか?】

【ハル様~聖地から出てこれたちゃね。体の具合はどうなんちゃ? 痛いところはないちゃ? 無理しちゃ駄目っちゃよ】

 ハルの姿を見た途端、二人が嬉しそうに声を上げる。特にゴン太は聖地での洗礼の大きさに、その身を案じていたからなおさらだった。そんな中、ナレータは消えゆく魔法を凝視したまま、眉間に深いシワを刻む。

 ハルは向けられた声をスルーして、建物に視線を移すと厳しい表情を浮かべた。

【……上にとんでもない獣(やつ)がいるな】

 この言葉に驚いたのはオォサワとゴン太だ。互いに向き合い、プーと吹き出した。

【いや~ハルさん。それは無いッスよ。なんて事ないタダの遺跡ッス。自分らも二階まで上がったッスけど、静かなものだったッス】

【そうちゃ~。こんな場所に獣なんて居るはずないちゃ。さっきの吼声も、鳥か何かだったちゃ~】

 そう鼻息を荒くする二人には目もくれず、ハルはナレータを見据えて言葉を繋ぐ。

【巻き込まれたくなかったら、直ぐにここから離れろ。そして東南にある草原に向かって走るんだ。そこまで走ったら、獣といえど追ってはこられない】

 淡々と当然だと言わんばかりの言葉の羅列に、ナレータはこめかみをピクピクと揺らした。

【……貴方に指図される覚えはありませんわ。そもそも何故私が逃げるような真似を? 自慢じゃありませんけど、今まで一度も獣に背中を見せたことなどありませんのよ】

 まるで水と油だ。いきなり勃発した二人の険悪な雰囲気に、ゴンタとオォサワがアワアワと焦りに声を上げた。

【はぁ……何でこんなに、仲悪いのかちゃ?】

【シッ、聞こえるッスよ。……でもナレータ様の性格の強さを上回る、ハル様の傍若無人ぶりがムカつくんじゃないんスか?】

【確かにちゃ。ハル様って、周りの空気読まんちゃ。ある意味、似たもの同士だっちゃ】

【いやいや、ゴン太言い過ぎッスよぉ。でもナレータ様が女王様なら、ハル様は宇宙人ッスよね!】

【ぷ~! オォサワも相当なもんちゃ。でもナイスちゃ!】

 置かれている状況をすっかり忘れて、キャッキャと話し込む二人がハッと押し黙る。絶対零度の冷たい表情のハルと、怒りで振り切れそうなナレータの目線を瞬時に感じたのだ。しかしハルはどうでも良いと言わんばかりに、淡々と言葉を繋げる。

【早くしろ。いいか? 東南にある草原だ。迷うなよ】

 感情無く告げられる声に、いよいよナレータは眉間に深い皺を彫り、口調を荒立たせ言葉を返す。

【貴方、私の言葉を理解なさってるのかしら? 貴方の指図なんて受けないと言っているのです!】

 自分を刺す様な視線をものともせず、「何故分からない?」と言わんばかりだ。二人の動向を見守るオォサワとゴンタは、『あまり一緒に居させては危険だ』そんな事を考えていた。

 頑なに拒絶する姿に、ハルは一度溜息を吐くと、冷ややかに三人を見据えた。というよりも、二人を通り過ぎ、ナレータをジッと見入った。

【今の環境で旅を続けたいのならば、私の言う通りにしろ。ここが崩壊する事があれば、如何にお前でも全てを守る事は出来ない。……多少なりとも感じているだろうが、最上階では常軌を逸する現象が起きている。ここに残れば、お前は兎も角、その二人は確実に死ぬぞ】

【死ぬの~!?】

 突然向けられた死の宣告に、二人はゾクリと背筋が凍った。何故かは分からないが、沈着冷静なハルから言われると、本当にそうなりそうな気がしてくるから不思議だ。暫しの沈黙後に、

【……フン! こんな所、言われなくても出て行きますわ。埃っぽい上、陰気なこの場所にはあきあきでしたの】

 ナレータはプイと横を向く。一体 どの言葉が引き金だったのか、簡単に引き下がった姿に二人はポカンと見合わした。しかし次には、思い出したかのようにハルに詰め寄った。

【上には、元さん達が居るッスよ】

【そうちゃ、フェルディ……さんもいるちゃよ。何か起きているなら助けないとちゃ!】

 心配そうに言葉を繋ぐ二人に、表情一つ変えずにハルは建物の最上階に視線を移す。

【二人は私がここから連れ出す】

【まぁぁぁ。ふぅん? ……出来ますの?】

【あぁ】

 無表情のままそう難なく言い放たれた声に、ナレータが舌打ちを落とした。そんな心情など気にも止めていないハルは、三人の前を横切り建物の扉に手を添える。

『……その絶対的な自信も……納得せざる得ない何かも、全てが気に食わない』

 躊躇なく建物内部に足を踏み入れる後ろ姿に向かって、漆黒の旅服(ドレス)に身を包んだナレータは縦にロールした髪を払う。

【大した自信ですこと。何でも一人でお出来になるのね?】

 皮肉を込めて投げ掛けられた言葉に、ハルは軽く振り向くと、初めて強張った表情を崩した。その儚げな表情に、オォサワとゴンタがポッと頬を染める。

【そうでもない】

 そんな一言を返すと、自嘲気味に、そして意味あり気に笑った。



「そんな事があったのか」

 元は階下で繰り広げられていたやり取りを聞いて、思わず驚きの声を上げた。

 全てはハルの計画だったのだ。三人が草原に向かうように仕向け、いざという時は狩りに加担させようと論ろんでいたのだろう。

『……俺を信じて託してくれていたなんて思っていたけど……違った?』

 危機的状況にも係わらず、全てを託してくれた……そう感動したのは何だったのか……ガクリと肩を落としながら、新たに別の疑問が出てくる。

「あの女が、ハルの言う事を聞くなんて、ビックリっていうか」

 意地でもハルが言う別の方向に進んで居てもおかしくない……訝しむ元に向かって、ゴンタは嬉しそうに笑った。

「ああ見えて、ナレータ様はハル様を認めていらっしゃるちゃ」


「誰ぇが誰ぇを認めているですってぇぇぇぇ?」

 反射的にゴンタがピョンと飛び跳ねた。

「あわわわわ。ナレータ様」

 そこには体中から殺気を迸らせ、ナレータが仁王立ちで立っていた。噴き出す怒りに、ゴンタは失神寸前である。

「おい~こんな辺鄙な宿で、何でガウン姿なんだ、よ!」

 白い高級そうなガウンから、美しい長い足が露になっている。一体何処のリゾートだ……の雰囲気に全くそぐわない姿に、元は眉間に皺を寄せた。

「は? 日光浴をしていたからに決まっているではありませんの。その程度の事も分かりませんの?」

 欲していた回答とかけ離れた言葉に、元は深い溜息を吐く。そんな様子など気にも止めず、ゴンタをギラリと睨むと、

「ゴンタ!? 先程の発言は聞き捨てなりませんわ。後でゆっくりと真意を聞いて差し上げます」

 余程 屈辱だったのだろう。突き刺すような声に、ゴンタは体を小さくして辛うじて頷いた。

「それにしても、あの女はまだ森の中ですの? 大した働きもしていないというのに、一体どれ程時間を掛ければ回復なさるのやら。全く、一言でも文句を申し上げないと気が済みませんわ! この私に眠り粉など、ふざけた真似を。それにあんな化け物の居る場所に誘導して……私を利用するなど百万年早くてよ!」

「よう、何でハルの言う事を聞いたんだよ。反対側に逃げても良かったろ?」

 向けられた言葉に「品の無い男ですわね」そう眉間に皺を寄せながらも、フンと鼻を鳴らした。

「私が、あの女の言う事をですって? 冗談じゃありませんわ。あの女が困っていると思ったから、助けて差し上げたまでです」

 事何気に言い切るナレータに、元は愛想笑いを浮かべた。しかしどんな状況であったとしても助けてくれた事には違いがない。

「あんたもさ、助けてくれてありがとな。マジで助かったよ。後さ、宝なんて無かったんだ。えっと……」

 ボリボリと頭を掻いて頭を下げる元に、斜め四十五度の角度から見下すナレータは、一つ溜息を吐いた。

「全くそれが礼を言う人の態度かしら。まぁ良いですわ。宝など結構! あんな場所にある宝など、こちらから願い下げです。全く大変な目に合いましたわ。この私があんな遺跡(ばしょ)で埃まみれになるなど、許されない事ですのに。貴方も、あんな泥臭い旅を続けていたら、エンダとしての品格を失いますわよ。……そもそも無いようですけど」

 遺跡には一歩も足を踏み入れていなかったような……そう元は頭を捻るものの言葉にすることを止めた。


 一瞬の沈黙が流れ、先程までの饒舌とは打って変わり、ナレータはボソリと言葉を繋ぐ。

「あの女に関わっていたら、命が幾つあっても足りませんわよ。貴方、別のパーティを捜すべきですわ。

 ……あの女は……ふん、まぁ良いですわ」

 途中で止められた言葉の真意を読み取って、元は言葉を噤む。

『同じ獣を倒し、同じ時間を過ごしてきた筈だった。それなのに、あいつはいつの間にか違う次元に足を踏み入れてやがる。いや、そもそも初めから違ったのか……』

 険しい表情を浮かべたまま、視線を落とす元を見据え、ナレータの言葉はなおも続く。

「貴方も! 何故あの獣に襲われたのか存じませんが、身の丈に合う行動をなさい。いつも助けてもらえるとは、限りませんわよ」

 ナレータの叱責は、ストレートに元の胸に響きを落とした。人間性は相容れない部分が多いが、経験豊富なエンダの言葉として、今は心に留めておこうと思う。

「あんたの言う通りだ。結局、手に負えなくて……偽善だと言われても仕方がねぇな。でも駄目なんだ、身体が先に動いちまって」

「……貴方も、あの女と変わりありませんわね。エンダとしての価値を全く理解していない。こんな場所で命を落とすなど、あってはならない事ですのよ。仲間だの民の為だの、本当に愚の骨頂ですわ。何の為に全てを投げ捨てて、扉を開けたのかお忘れなきように……ですわ」

  ナータは心底呆れるように大げさに溜息を吐く。無情に放たれた言葉に、元はゴンタを垣間見たが、全く気にする様子も無く、ニコニコと微笑んでいる。

 鼻をならしナレータはガウンを翻した。

「俺、この世界の民(みんな)を救いたくて扉を開けた。獣を狩るためだけに存在しているって言われる俺らだけど、こんな世界でも誇らしく生きたいんだ。のた打ち回って死んでもいい。ただ、扉を開けた自分に恥じるような生き方だけはしたくない。見て見ぬ振りしたり、誰かを裏切ったり、騙したり……そんなの、思い浮かべながら死にたくねぇ」

「でしたら、その思想を掲げられる位、強くおなりなさい。理想論だけでは、何も残せませんわ。後悔に苛まれて醜く死ぬだけです」

 声は相変わらず冷たいが、少しだけそれだけではないように感じるのは気のせいだろうか……ナレータはそれだけ言うと、廊下の角を曲がり、姿が見えなくなった。ボリボリと頭を掻いて、元は向けられた言葉を噛みしめる。

『俺は皆に教えてもらってばかりだ』

「ナレータ様、待ってっちゃ! まだ日光浴されるちゃ? ゴン太特製フルーティカクテルをお持ちするっちゃ~」

 ゴン太は慌てて振り向きもしない後ろ姿を追った。しかし「ふむ」と振り向き、

「良いと思うっちゃ。実に元さんらしいっちゃ。これから先、何があっても、扉を開けた自分を忘れなかったら大丈夫ちゃ。

 後、ナレータ様、あんな事をおっしゃっているけど、あれほどの獣を倒した元さん達の事、一目置かれて居るっちゃ。だからゴン太とオォサワにとって、二人はナレータ様同様、特別な人なんちゃ」

 そんな言葉を残し、ゴン太も廊下の角に姿を消した。一人残された元は、苦笑いを浮かべ、

「俺が倒したわけじゃねぇけどな。……変な奴らだっただけど、ま、今回は、うん、まぁ良かったかな」

 そうボリボリと頭を掻くと、宿の扉を押し開けた。

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