第9章 異世界ノ民‐10

 ハルが連行された牢屋は、天窓が高い位置にあるものの、鉄格子もない部屋だった。牢とは名ばかりでエンダを投獄するには何とも心許ない作りだ。ハルは呆れるように息を吐く。

「逃げて下さいと言わんばかりだな」

 ハルはベットに腰掛け、ウトウトと寝入るタロを優しく撫でながら、外の世界に意識を向けた。月明りが差し込む部屋は、賑やかな民達の暮らしから切り離されたように静かだった。

『ギヴソンの足であれば、既に辿り付いている筈だ。ふん、元を押さえたか』

 広い範囲で意識を広げてみても、未だ元の気配を掴むことは出来ない。ハルが「ふむ」そう呟いた時、部屋に微かに甘い香りが漂った。

「何用だ」

「あら、察しが良いのねぇ。夜分に失礼するわ〜」

 声とともに更に甘い香りが深まった時、人間とおぼしき輪郭が暗闇にぼんやりと浮かび上がる。それからものの数秒で、ロディオンが腰に手を当てたままの姿で微笑んでいた。

 そんな不可思議な姿を目の当たりにしても、ハルに動じる様子はない。月明かりで伸びる影を感情無く見ているだけだ。

『あっら〜大抵は慌てふためくのに』

 もう! そう唇に指を当てて、不満そうに目を向けた。

「悠長だな。もう時間もないと言うのに」

 しかし問う言葉とは裏腹に、全くもって真剣みがない。心あらずの様子に、ロディオンは思わず苦笑を浮かべた。

「説得できないのかしら」

「無理だな。あれの矛先がこちらに向くのは得策ではない。蛇みたいな奴だ。それこそ地の底まで追ってくる。まぁ、アサシンのプライドを触発したんだ。観念するんだな」

 そんな散々な言葉にロディオンは大きな溜息を吐く。その蛇から標的にされたのだ。出来れば回避したいのだが、時間もなければ策もない。

『相手がアサシンだと知っていたら、襲ったりしなかったワ』

 アサシンの執着心も本来の能力の高さも、過小評価は出来ない。もっと闇に紛れて生きているのかと思っていたのだ。己の浅はかさは認めるが、自分の力では抑えきれない……だからこそ、この部屋を訪れようという気にもなった。

 

「貴方がここに来た理由と、見合うだけの情報と交換は?」

 ロディオンは声を抑えながらも、言葉の端先にグッと力を込める。寝入る小動物を優しく撫でる手がピクリと止まった。目線だけ鋭く向けると、ハルは呟くように問い掛ける。

「あれと同じだけの価値があるのか?」

「さぁ、どうかしら。貴方が何を考えて、唐変木のラルなんかに捕まったのか分からないけど? エンダが民と結託する理由って、興味あるデショ」

 まるで試すかの様な物言いと自虐的に笑う姿に、ハルは小さく鼻を鳴らす。

「お前、職業は?」

「え?」

 問われた真意が分からないまま、ロディオンは口元に微笑を浮かべ答えた。

「……吟遊詩人よ。結構珍しいデショ。でも美しいワタシにぴったりだと思わない?」

 ふふふと笑う姿に、ハルは「そうか」とだけ呟いて、月明かりに瞳を細めている。ロディオンは意を決したように、ベッドに駆け寄ると脇に膝をつく。簡易的なベッドがギシリと音を立てた。

「ねぇ! 本気で助けてくれないかしら。これでもワタシ、かなりの情報通なの。貴方が望む情報を提供するわ!」

 訴える姿にハルは冷ややかな目線を落としている。そのまま二人の間に重い沈黙が広がった。永遠に続きそうな空気に、

「お願い、助けてちょうだい! ここが襲われたら、沢山の人が死ぬわ。ここには小さな子供もいるのよ。お願い、守って」

 渾身の限り訴える言葉ですら、鉄壁の感情を動かすことは出来ない。更に表情を無くしたハルは、冷徹な言葉を発した。

「私には関係のない話だ」

「ハル!」

 もはやエンダの言葉ではない。言葉に詰まるロディオンに、ハルが少し顔を寄せた。瞬き一つしないその瞳に、何故か痺れた様に体が動かない。

 全体的に幼い印象は、そのパーツによって作られているだけで、獲物を逃さんとする鋭いブラウンの瞳も、全身から醸し出される殺気にも似たオーラも、これ程近づかないと傍目には分からないものだ。反射的にのけ反るロディオンの襟元を掴み、

「おい、勘違いするな。お前に交渉権はない。いいか、窮地を脱したかったら、持っている情報を全て出せ。状況はお前が不利なんだ。私と駆け引きしようなどと、くだらない皮算は止めろ」

 発せられた言葉に、ロディオンはベッドに顔を埋めた。

『この子、ヤダァ』

 ちらりと上を見上げれば、小動物が冷ややかな視線で見下ろしている。さすがにガクリと力が抜けた。

「……」

 

 とはいえ、次の言葉を中々発せない。目の前の少女が何を言わんとしているのか、それは分かっているつもりだ。しかしおいそれと、その要望に応える訳にはいかない。

 ハルが小さく息を吸った。

「ふむ。ここにいるのも飽きたな。そろそろ帰るか。お前、ここを壊滅させたくなかったら、早くこの集落から離れろ。運が良かったら私の連れがどうにかしてくれるかもしれん」

 そう言うとおもむろに立ち上がり、天窓に狙いを定め目線を上げる。タロが待っていたと言わんばかりだ。肩にかけ上がりハルと視線を合わせる。

 しかし思い出したように振り返ると、

「あぁ、でも期待はするな。人は殺せない奴だ」

「え……」

 可憐な姿からは、想像も出来ないような声だった。あたかも自分はそうではないと言わんばかりだ。その瞳は獣のように月光の中で鈍く光る。

『癖がある子だとは思っていたけど、これ程とは……』

 長い髪を翻し、ハルが再度背を向ける姿に、ロディオンは思わず立ち上がると必死に手を伸ばしていた。

「まっ、待って! 待って。もう何よ、ワタシの事なんてどうでもいいでしょ!? もう、マジシャンよっ。ワタシはマジシャン!!」

 そうやけっぱちで叫ばれる声に、ハルは壁に背を付けて腕を組んだ。

「カラーのリストで見たことがある」

 淡々と繋がれる言葉に、ロディオンの眉がピクリと上がる。

「カラーに常設されているリストの中では、そこそこエンダに閲覧されている書類だ。リストに上がると、狂信的な信者が付く程の影響力を持つ。一つの土地に居る何百というエンダの頂点だ。どのパーティでも引っ張りだこだろう。何故こんな場所で山賊なんかをやっている」

 狩りを生業にしているエンダ達は、己の能力に絶対的な誇りと自信を持っている。カラーのリストに名が掲載される事は、一種のステイタスになっていた。その為、一度でもリストに名が乗ると、大手を振って豪語する輩も当然に出てくる。


「あらワタシってそんな有名人だったのね。……ふ、ふふ、ワタシがって言うよりも、仲間がSクラスを難なく倒せたってだけの話よ。前の土地でね」

 声色を微妙に落としたが、次の瞬間には頬を膨らませ、いつもの口調に戻っていた。

「大体、ワタシの事、知っているならどうして敢えて聞くのよ。性格悪いわよ、貴方。マジシャンはね、その職業が知れただけで、能力の半分をはぎ取られた様なものなのよ。分かってて聞くんじゃ無いわヨ!」

 ギャーギャーと煩く暴れるロディオンを前にして、

「どちらが上か、はっきりさせておかないとな」

 ハルはそんな言葉を口にすると、小さく広角を上げた。

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