第9章 異世界ノ民‐9

「ロディオン、無事か!?」

 声に緊迫感を纏い、一人の男が二階の踊り場から駆け寄ってきた。見た目は元とほぼ同じ体格だが纏う空気がそもそも違う。エンダとは違う存在感は、この世界の住民の証だ。

『民にしちゃ~なかなかの体つきだな』

 そんな事をぼんやり考えていた元の隣で、ロディオンが一歩前に足を踏み出し声を弾ませる。

「ん、もう! 頭(かしら)ったら、ここに居たの? 万が一に備えて、皆と一緒に隠し扉から逃げてって言ったのに~」

 もう、もう! と、唇を尖らせてみるが、表情は喜びに綻(ほころ)んでいる。皆に慕われているのだろう。エンダも民も頭(かしら)に羨望の眼差しを向けた。

「お前にだけ危険な場所に置いていけない。無事で良かった」

 そう白い歯を見せて不器用に笑う頭(かしら)の姿に、ロディオンは元を押しのけポォと見入った。何なんだ? ……ポアンと夢心地になっている表情に元は頭を捻らせる。

「ここでは込み入った話が出来ない。俺の部屋に行こう」

 頭(かしら)が体を翻した時だ。唇が薄い神経質そうな男が頭(かしら)の前に立ち塞がった。

「ザッツ~頭(かしら)の前に出てくるなんて、失礼よ!」

「頭(かしら)! エンダと手を組むんですか!? 俺は反対だ! こんな事がばれたら……」

 ザッツは蒼白した顔色を浮かべると、ロディオンをギッと睨みつける。その表情には、憤りや戸惑い、そして相当な苦悩が浮かんでいる。

「お前が......お前がヘマをやるから。あのエンダが協会に駆け込んだらお仕舞いだぞ!? 俺の子供も! どうしてくれるんだ……」

 エンダとして一括りにされているのだろうか。元やハルにも同じ表情が向けられた。一気に緊張と動揺が広間に広がる中、ロディオンが顎に長い指を添えて、「う~ん」そう呟く。


「あのエンダが協会に行く可能性は低い」

 ざわつく空気をぬって、突如ハルの声が飛んだ。見た目は可憐な少女に視線が集まる。

「そんな保証はどこに!?」

 必死の形相で訴える声に、ハルは表情一つ変えない。まるで全てが大した事ではないと言わんばかりだ。

「あれは異端児だ。その正体が知れると協会から粛正される立ち位置にいる。勿論、山賊を討伐しなければ、などと考える奴でもない」

「異端児かどうかも……」

 なおも食いついてくるザッツに、ハルは更に言葉を繋ぐ。

「エンダは民を守るよう魂に刻み込まれてる。にも関わらず、全てを壊しても厭わないと、一人のエンダに執着したんだ。それが何よりの証拠だ」

 ロディオンは数時間前のハルを思い返していた。身を守るためだとはいえ、多くの人々の前で自らを異端児だと知らしめたばかりだ。

『山賊相手だったとはいえ、堂々と民(かしら)を襲うなんて……。しかもそんな情報を与えたら、自分にとって不利でしょうに。何を考えて生きてんのかしら』

 頬に手を添えて小さく息を吐くロディオンの隣で、元は自らを異端児だと名乗る、ナレータの言葉を思い返していた。


【そうそう私、民を手に掛ける事が出来ますのよ】


 民を救う為に扉を開けたエンダとして、その言葉の重さは計り知れない。加えて存在を忌み嫌われてしまうのだ。その為、異端児は自ら存在を隠す。アサシンの存在そのものが、都市伝説だと言われる由縁である。


 それでも納得ができないのか、ザッツは頭(かしら)の腕を取った。

「頭(かしら)、エンダと共存なんて無理なんですよ。こいつらのせいで、俺達の生活全部が……!」

 吐き出すように紡がれた声に、頭(かしら)は捕まれた右手を左手で掴み返す。そして静かに見据えた。

「落ち着け。まだ策はある」

 そう言うと、まるで集落全員を戒めるように周りを見渡した。

「皆! 辛いのは俺達だけじゃない。置かれた状況はエンダも同じだ。いいか、俺達の敵は共に戦って来た仲間じゃない。俺達の敵はただ一人だ。今日の正午、またここに集まってくれ。今後の対策を伝える」

 声にも秘めた力があるかように、思わず聞き入ってしまう声だった。頭(かしら)は、そこまで言葉にすると、握りしめていたザッツの手を離した。


 元とハル、そしてロディオンは、頭(かしら)の部屋に通された。頭(かしら)の計らいで人払いがされており、部屋には四人の姿だけが残された。

 元は二人掛けのソファに深く座り、腑に落ちない表情を浮かべている。隣にはハル、目の前には頭(かしら)が腕組みをして瞳を閉じていた。

「何故、エンダを襲うような真似を!」

 元が掴みかかるような勢いで身を乗り出した時だ。ロディオンがテーブルにお茶を運んできた。やたらと品がいい陶器に、いそいそとカップに注ぎ始める。部屋の中にベリー系のいい香りが漂う。

「これはワタシの特製ハーブティよ。香りもさることながら、滋養強壮に良く利くの」

 そう言いながら、ポッと頬を赤らめている。その姿を無意識の中で直視しないように目線をずらし、

「で? 何がどうなってんの? 何でおめぇが山賊なんぞに、手を貸してんだよ」

 そう元が切り出した。じろりと睨らむ姿に全く動じる様子もなく、ハルは飄々と言葉を返す。

「別に手を貸した訳ではない。情報交換の一つだ」

 それだけ言うと応えた気になったのか、カップに口を付けた。ハーブティを口に含むと、凝縮された香りが一気に口内に広がる。

「情報交換~?」

 益々もって混乱する元をサポートするように、ロディオンはカチリとカップを置いた。

「うん、もう。ハルってば短絡過ぎよぉ。結果だけ伝えてどうするの。それじゃ、元が困惑するのも無理はないわぁ。仕方ないわね。ワタシが説明してあげる」

 まるで長年の付き合いかのように、ロディオンが口を挟んできた。短絡だと言われた言葉が理解出来ないのか、ハルは怪訝そうな表情を浮かべている。

「あははは。自覚無いの?」

『ハル? 元? ワタシ?』

 声を上げて笑うロディオンの姿を、元は思わず凝視した。どこを見ても男だ。ぶっとい喉仏や、体にフィットしたシャツの上からでも分かる筋肉質な体。しかしよく観察すると、大きくカールした睫(まつげ)や、薄く入ったアイシャドー、不自然な唇のグロス、ネイルが施された爪は、男という部類に区別すると実に不自然なものだった。しかしそれが何を指すものかは、今の元にとってはとても理解出来るものではない。何度も過ぎる「?」に、元はただただロディオンに見入るだけだった。

「いやん、そんなに見つめないでぇ。ただでさえ、能力を使い果たして、もうへとへとなんだもの。恥ずかしいわ」

「見つめる!? あ、そうだ、あれ何だよ。何で、お前無事なの!!?」

「やっだ~。お前って言い方やめて。ワタシはロディオン。ロディって呼んでくれる?」

 何を言われたのか瞬時に理解できない元は、目を大きくぱちくりさせた。「あ、あぁロディね……」馬鹿正直にそんな言葉を呟いている。

「うふふ、ありがと。ワタシが無事なのは、あれが全部幻影だったから。マジシャンとしてのワタシの能力。

 でももうヘトヘトよ。あんな規模の大きいのは初めてだったし。いつ綻(ほころ)ぶか、気が気じゃなかったワ~」

「あれの全部が幻覚? マジか」

 異質な能力を目の当たりにして、元はゴクリと息を飲んだ。幻覚といえど、匂いも感触も現実の様に生々しかった。あの緊迫した世界が全て偽物だったといわれても、ピンとこない。

「でもハルのいう通り、徹底的にやって良かったわぁ。あの女、あそこまで無茶苦茶な奴だとはね」

 紅茶をコクリと飲むハルに、ちらりと元は視線を向ける。恐らく何から何まで、綿密な計画の上だったのだろう。

「俺ら、まんまと掌で踊らされていたって訳ね。お前、いつから携わってたの? まさか埒られる前から?」

 ねちねちと嫌みが込められた言葉に、全く表情を変えずハルは小さく息を吐いた。

「正直ここまで係わるつもりはなかったがな。予想に反して、何もかも大した内容では無かった」

 ハルがボソボソと呟く言葉に、目を閉じて腕を組んでいた頭(かしら)がピクリと瞳を開けた。何も言葉にしなかったが、射るようにハルを睨みつけている。ハルはハルで視線を返すように感情なく目線を上げた。勃発した空気など一切関知できず、元は理解できない頭を捻る。

「じゃ~何で?」

「あはは。また平行線じゃない~。あんた達、それでよく今まで旅をしてこれたわね。いいわ、ここからはワタシが話してあげる。全てはこの子がアジトに来てからの事だったわね」

 ロディオンはそう言葉にすると、息をつくようにハーブティを口に含んだ。

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