第9章 異世界ノ民‐8

 転げ回るロディオンを横目に、元は高くそびえる外壁に目を向けた。そこには襲撃前と遜色無い門扉が当然の様に立ちはだかっている。「たく、も〜」そう苦々しく呟き、一度大きな息を吸った。

「おい! ハル、いるんだろ!? 何、山賊の味方みてぇな事やってんだ。とっとと出てこいよ!」

『何がどうなったのかは知らねぇが、集落も無事みてぇだし、誰も傷ついちゃいねぇ……けどさぁ』

 こんな集落間際で獣と同格の力を有するエンダ同士が、死闘を繰り広げたのだ。町が一つ消滅しても不思議ではない。にも係わらず、蓋を開けてみれば、誰ひとりとして死んでいない。ホッと胸を撫で下ろす一方で、それでも割り切れない思いがあるのもまた事実だ。ここに来るまでの苦労を思えば腹も立つというものだった。

 

 その時、朝の滴を含んだ突風が肌を撫でる。

「山賊の味方か。ふむ、そういう見方もあるのか」

 風に紛れて、ハルの淡々とした声が小さく届いた。

「上か」

 そこには太陽の光で反射する朝靄の中、長い髪を大きくなびかせるハルの姿があった。明るい栗色の髪は、光を受けて更に輝いている。陽のまばゆさに目を細めてみるが、その表情までは読み取ることは出来ない。

『良かった……怪我は無いようだな』

 今しがたまで、文句の一つでもと息巻いていた筈だった。しかし無事なその姿を目にしてしまえば、無意識に安堵の息を付いてしまう。数時間でも離れてしまうと最近は頓に心細くなる……そう自覚する自分自身に元は頭を振った。


 ハルは焦点を合わせると、体を前に傾けて……そのまま空に向かって身を乗り出す。魔法の一種なのだろうか。ゆっくりと舞い降りてくる様子は、重力の抵抗を一切受けていない。元が唇を尖らせながら伸ばす腕に、ハルはふんわりと手を掛けて座った。

『んまっ、妬けちゃう~。でも全然駄目。色気がないワ。えっ!?』

 ロディオンの視界に、漆黒の獣が突然割り込んできたのだ。音も無く横切る巨大な獣に、ロディオンは思わず後ずさった。こうして間近で見てみると、把握していたよりもずっと巨大だ。顔はソッポを向いているが、元にぴったりと寄り添っている。

『この子が、「ギヴソン」ちゃんね。まぁ恐い顔。宝玉は、色味が深い深紅色。色だけで判断すれば、この地ではAクラスってところかしらね。ずっと前の土地で元が従えてこの色? 凄いわぁ、この子も進化してんのねぇ。そうそう、タロちゃんもね』

「ふふふ」

 そう笑みを浮かべ、ハルの肩に目を向けた。そこには頬に身を寄せる、小さき獣の姿がある。

『この世界の生き物は、基本生まれた土地を離れないワ。エンダに足にされているのならまだしも、ハルが強引に連れてくるとは思えないし~。全く変なパーティねぇ』

 こんなパーティもいるのかと、小さく息をついた時、元の恨み節が響いた。

「ギヴソン~痛ぇよ。体、ぶつけてくんじゃねぇっ」

 相変わらず視線は明後日の方向を向いているが、執拗に何度も体を寄せてきている。本来の力が強いせいか、常人であれば吹き飛ばされそうな勢いだ。

『あら、やっぱり獣の扱いは……』

 ロディオンが肩をすぼめた時だ。ハルがギヴソンの立ち位置に体を向けると、毛のない黒々とした肌にそっと手を添えた。ザラリとした感触を伝って、掌に温かな体温が触れる。

「心配かけたな」

 そう小さく落ちる声を受けて、ようやく攻撃がぴたりと止んだ。

「ホントだよ。たく、もっと自覚を持てよな」

 元がブツブツと呟く声には、一切答える気がないのだろう。ハルは無表情のまま、視線を下に向ける。その視線に応える様に、ロディオンは膝の泥を払うと立ち上がった。目線の高さが同じになったところで、元がジロリと睨みを利かせる。

「で? 説明してくれるよな?」

 射るような視線を、ロディオンは何故か嬉しそうに一度体をくねらせ、

「あ?」

 警戒する様子を気にも止めず、元の腕に自身の腕を絡めグイッとたぐり寄せた。

「うふ、そんな怖い顔しないで、ね? 詳細はワタシが入れたハーブティでも飲みながらどう? ほら、ここじゃあまりお話出来ないでしょう」

 そう声を掛けてくる言葉よりも、元は今の状況に混乱していた。何故腕を回されているのか理解に苦しむ。肩を組まれる事はあるが、それとは勝手が違うような気がして仕方がない。

「お、おい」

 渾身の力で振り払ってみるが、ちょっとやそっとでは振り払れない。かなり本気で拒否しないと、振り解くことが出来ないだろう。そこまでするべきなのか、迷った挙げ句、結局ロディオンから引っ張られるままに町の中に足を踏み入れた。


 集落はこんな山奥に位置しながら、脈々と流れる川を拠点に、人々が生活を築いている様子が見て取れる。

 しかし建物の中に人の気配はない。いくら早朝とはいえ、かまどに火が入れられても、おかしくない時間だ。訝しむ元の腕を強引に誘導するロディオンは、集落の一番奥にある一際大きな建物の前で足を止めた。

「ん、もう。襲撃に備えて逃げてって言ったのにぃ」

 そんな呟きをこぼしながら扉を開けると、突如、幾つもの視線が一気に向けられた。吹き抜けの広間に、大勢の人がひしめき合っている。早朝間もないというのに、集落全体が集まっているかのような密集度だ。

 ハルはグルリと建物内部を見渡す。

『ふぅん』

 民と一線を引くように、エンダ達が小さく固まりを作っている。共同生活をしているとはいえ、親密とは言い難い空気だ。

 民から向けられた射す様な視線に、元が居心地の悪さを肌で感じた時だった。年端も行かない男の子が制止の声を振り切り、三人の前に駆け寄ってきた。ズボンの布を握り締め、ジッと元を見上げて声を上げる。

「ママは死んじゃうの?」

「あ?」

 元からしてみれば、問われた意味が分からなかっただけだが、粗暴な姿の男がピクリと眉を上げたのだ。恐怖に男の子の身体がビクリと揺れる。沈黙を守る周囲から動揺の声が漏れると、焦った元は思わず一歩前に踏み出した。

「グッ」

 子供が怯えるじゃないか……そうロディオンの鉄拳が、元のわき腹にめり込む。えぐるような一撃に、元が体を仰け反る中、ロディオンは指で男の子の頬を優しく押した。

「ア・ニィ~、何言ってるのかなぁ? ママが死んじゃうって、そんな訳ないじゃない。おっかしいの! ママは絶対に帰ってくるわヨ。そうパパも言ってるデショ?」

 にっこりと白い歯を見せて笑う前で、アニィは瞳に涙を一杯に浮かべている。今にも涙は決壊しそうな勢いだ。フルフルと頭を振って、小さく肩を震わせている。

「だって、だって、ずっと待っているのに、帰ってこないもん。ママに会いたい。ママに会いたいもん……」

 そう訴える声に、どこかしろからすすり泣きが聞こえてくる。何が起きているのか皆目検討も付かない元は、頭を捻るばかりだ。横目でハルを見てみるが、興味がないと言わんばかりに、天井まで伸びる吹き抜けを覗き込んでいる。

「アニィ、ワタシを見て。ね、ワタシが嘘付いたことあったかしら?」

 子供の目線に合わせて座り込んだロディオンが、優しい眼差しを向けた。アニィが小さく俯き、

「ロディは嘘付かないよ」

 そう呟くと、ロディオンは太陽のように大きく笑った。そしてそのまま筋肉質の大きな胸に優しく抱え込むと、

「で、しょう~? ママは帰ってくるワ。それまで泣いちゃ駄目。ママだってアニィに会うために、今も頑張っているの。泣いたら心配させちゃうワ。ママが悲しむの、アニィ嫌じゃない?」

 小さく頷くアニィの背中を愛おしそうに撫でると、飛び出してきた男性にそっと託した。恐らく父親だろう。ロディオンに向かって何度も頭を下げる仕草を繰り返している。

 そんな一連の流れに、元が大きく息を吐いた。何が起きているのかは分からないが、この集落が抱える問題の深さは一目瞭然だ。

「お前……、厄介事に首突っ込んだろう? しかも自ら……!」

 眉間に皺を寄せて苦々しく呟く元に向かって、アジトの造りに意識を向けていたハルが飄々と答えた。

「厄介か。ふむ、そうかもな」

 その声色には一切の陳謝も気遣いもない。あるのは、ただただ己の追求心だけだ。いけしゃぁしゃぁと言葉にするハルに、元の呻きに似た声が落とされる。

「お前なぁ。民に係ると面倒だって……」

 漠然と、何となく分かっていた事だった。分かっているのに、掌で転がされてしまう自分に、元は吹き抜けの先にある天井を仰ぐのだった。

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