第8章 二人の少年‐12

 元の睨む視線にものともしない。ハルは淡々と言葉を綴る。

「注ぐ魔力の加減が難しいんだ。この二人では殺しかねない。その点、お前は頑丈に出来ているからな」

 全く悪びれる様子もない物言いである。即死してもおかしくない破壊力だったのだ。「注ぐ魔力の加減が難しい」そんな言葉を聞くと、洒落にならない現実味を感じて、底しれぬ恐怖に身体が震える。元は深く溜息を吐いて続けざまハッと表情を変えた。

「ちょ、俺で能力を試したな!? ものスッゴク痛かったスけど??」

「ヒーシャの私が呼び出せる程度の召喚獣だ。あの程度の獣など、ごまんといるという事だろう。世界の広さが分かって良かったな」

 木々の間を縫って、気持ち良い風が駆け抜けた。葉の擦り合う音が、皆を通り過ぎていく。元の心中などお構いなしで、ハルは頬をピンク色に染める。

「しかし想像以上の力だ。服従させるまでが大変だった。しかし一旦服従すれば従順で可愛いものだ。なんとも……ふっふふ」

 そう言葉にすると、小さく口角を上げた。滅多に笑わないハルの含み笑いに、背筋に冷たいものが走る。手に入れた能力の感度に、感極まっている様子だ。

「服従って……待ってよ! じゃぁ、僕はどうなるの!?」

 自分の召喚獣達だ。握り締めた掌から、血がジンワリと滲むと、ポタリと地面に落ちた。

「僕はブックマスターだよ!? 獣を召喚出来なかったら、それこそ何も出来ないただの人間だ。いや、町に留まれない体質の分、この世界の誰よりも劣っている! 僕に死ねって言うの?」

 心からの叫びにもピップ・パーカーは仮面の下に表情を隠し、静かに佇んでいる。そんな姿を見ると、ロッテの心に、ままならない怒りが沸々と湧き出てくるのだ。押し黙る使い魔に、誰も言葉を発しようとせず沈黙が広がる。

『いつもは余計なことまで口を挟むくせに……。なんだよ、突然』

 ロッテが小さな体に向けて、手を伸ばし掛けた時、ハルがスッと一歩踏み出した。

「いや、死んでもらっては困るな。しかしただで、とは言わない。お前、私達のパーティに入れ。戦う必要はない。一生面倒を見てやろう。仮に私が死ぬような事があっても、食うに困らないだけの金を残す。三十年は生きていける金だ。エンダの寿命は、平均して二十年だと言われているからな、十分だろう。

 努力も何も必要ない。ただ死なずに生きていけ」

 表情を変えずに自分勝手な言い分を貫き通すものだから、全員が開いた口が塞がらなかった。しかしそんな言葉にも、タロは何故か誇らしげにハルの頬に擦り寄り、ピップ・パーカーは胸に手を当てている。元はブルブルと頭を振ると、片手で空を切った。

「ちょぉ! 金で済む問題か?」

 口調を強め問う言葉にも、ハルは一片の表情すら変える事はしない。

「生きていくのに必要な素質と、同等の安全を交換するんだ。悪い条件ではな……い」

「マスター!!」

 言葉が終わらない内に、ハルはぐらりと体系を崩して片膝を付いた。ピップ・パーカーが慌てて近寄ると、両手を広げ心配そうに覗き込んでいる。元も思わず駆け寄った。

「マスター!! やはりパーサーカーはまだ……」

「……大丈夫だ。それよりも不慣れな私をよくサポートしてくれたな。すばらしい采配だ。獣属性をよく理解している」

「お褒めの言葉、至極光栄でございます」

 主人の言葉に手を胸に沿え深々と頭を下げた。堅苦しい言葉の端先に、使い魔としての誇らしげな感情が見え隠れしていて、ロッテは思わず息を飲む。

『……主従関係は、この上なく良好』

 こんなピップ・パーカーなど今まで見た事がなかった。呼び出せば、終始小馬鹿にした態度で小憎たらしく、ちっとも役に立たない。それが今や別人格を有し、別の人間をマスターだと言葉にする。胸の奥がギシリと嫌な音を立てた。

「な、なんだい? 僕には闇のパーサーカーなんて、召還獣がいることすら教えてくれなかったじゃないか!」

 顔を引き攣らせ問う姿に、ジョッシュは辛そうな表情を浮かべている。これ以上、使い魔と話しをしても、苦しむのはロッテだと胸が痛んだ。

「教えなかった訳ではございません。ロッテ様が召喚出来ない獣をお伝えする事は出来ません」

「じゃぁ、なんだよ!? ヒーシャのこの人の方が、よっぽどブックマスターに相応しいと?」

 訴えかける叫びに、ピップ・パーカーは暫く押し黙っていたが、一度仮面を小さく押し上げた。

「ブックマスターの資質を申し上げているのではありません。マスターは、エンダとしての資質が別格なのです。ヒーシャでありながら、召喚出来たのも類稀な能力故。召還出来る獣も、自ずと高度なものになります」

「僕以外の人間をマスターなんて呼ぶな!!」

 肩で息をするロッテの前にピップ・パーカーは何も応えなかった。元は取り巻く雰囲気の悪さに居た堪れず、

「本気じゃねぇよな」

 ハルに向かって小さく耳打ちをする。ハルはこんな状況にも拘らず、召喚本を食い入る様に眺めていた。しかし一度視線を上げると、問われた声に「本気だ」とだけ、短く答える。元は眉間に皺を寄せて、低く声を上げた。

「……それはあんまりじゃないか?」

「何故だ。お前も分かっていただろう? こいつらはエンダとしての使命を全う出来ないとな。実際のところ生きていけないのは、ブックマスターだけだ。マジッカーは魔力を抑え狩りに挑んでいた。だとすれば、こいつがこの地で生きていく術は唯一つ、本を私に譲り、安全な場所で生きていくしかない。その対価が金だ」

「でも、でもそれって非情……」

 尚も食い下がる元に向かって、ハルは正面から見据えて瞳を細めた。

「何度も言わせるな。お前のはただの情だ。それ自体は否定しないが何の解決にもならない。

 召喚獣との関係が最悪なのがそもそも問題なんだ。魔力が分散し、正しく注がれていない。使い魔が的外れなサポートをし、召喚獣が存分に力を発揮出来ないのは、互いに抱いた不信によるものだ。私が口を出さなくても、いずれは呼び出す事も出来なくなっていた」

「ぐぅ……」

 ハルの言葉に、元はどうするべきなのか分からなくなってしまった。確かにハルの行為は、到底許される事ではない。しかしその言葉は現実味を帯びていて、これが一番最善策の様な気がしてしまう。元はボリボリと乱暴に頭を掻いた。


 立ち込める沈黙に、ロッテの深い溜息が落ちる。

「ジョッシュ……この人の言うことが本当なら……って本当かぁ。あんな魔法見たことなかったもんね。誰よりも劣る僕を哀れんでいた訳だ。ははは、もう何もかも最悪だねぇ」

 何もかも、投げ出してしまったような声だった。渇いた笑いに、ジョッシュは悲痛な声を上げる。

「違うよ!! いつもは使えないんだ。さ、さっきは元が危険だと思ったから、出来ただけで……ロッテ! 信じてよ」

 その言い訳も今では苦しい。放った本人ですら、言った先から後悔が押し寄せて来る。それでも最後まで言葉にした時、ジョッシュの脳裏にピップ・パーカーの言葉が過った。

【お前の半端な優しさのせいで、マスターはこんなにも弱くなったにゃ】

 良かれと思っていた行為だった。今の今まで、ロッテのレベルに合わせる事が一番良いのだと、ずっと信じて疑っていなかったのだ。ロッテの苦悩が少しでも安らぐのなら、と。

『僕のせいで』

 ジョッシュは、身体から力が抜けて、ペタリと座り込んだ。

 そんな項垂れる仲間の姿から目線を反らすと、ロッテは苦々しく言葉を繋ぐ。言葉の端先に、投げやり感が感じられて、場の空気は一層重く立ち込めていく。

「僕だって分かっていたさ。使い魔や召還獣から信頼されていないって事位。でもどうすればいいか分からないじゃないか。ある日を境に、突然態度が変わってさ。全部僕が悪いって言うの? 分かんないよ。どうすれば良かったの? 何が悪かったんだよ」

 そこまで言葉にすると、精気の抜けた目をハルに向ける。

「いいよ、やるよ。僕には過ぎたるものだったみたいだからね。金だって要らない。この世界に必要とされないくらいなら、死んだほうがマシだ」

 そう言い捨てると、森に向かって駆け出した。誰も呼び止める事が出来ない中、

「ロッテ様!!」

 名を呼ぶ声を背にして、ロッテの姿は森に消えた。ハルは、身体を震わせるピップ・パーカーを優しく抱え上げると肩に乗せ、森に向かって足を踏み出した。

 ジョッシュが動けずに居る隣で、元もどうするべきが頭を悩ませている。拳を握り締め、下を向いたままのジョッシュを置いてはいけない。ハル達が深い緑の中に消えた。


 一切の迷いなど無く、歩みを進めるハルに、ピップ・パーカーは小さな体を更に小さくして問う。

「ハル様、宜しいのですか? 元様は納得されていないのでは……」

 こんな状況になっても、自分を気に掛ける使い魔の姿に、ハルは思わず笑みを浮かべた。

「構わない」

「我々の為に申し訳ございません」

「お前の為ではない。私の為だ」

 そう短く会話を繋ぎながら、召還本を優しく撫でる仕草に、使い魔は小さく苦笑いを浮かべた。

「無礼を承知で申し上げますと、マスターは少々お言葉が少ないように感じます」

 そして「出過ぎた真似を」と、ピップ・パーカーは深々と頭を下げる。

「……お節介な奴だ」

「マスターの使い魔ですので」

 ピップ・パーカーは、胸に手を添えて口元に笑みを浮かべている。ハルはハルで暫しの沈黙後、「……ふん」そんな呟きを一つ返すと、視線を森の奥に移した。

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