第8章 二人の少年‐13
「何なんだ。一体」
元はドサリと座り込んで、これ見よがしに大きく溜息を吐く。その遠慮のない溜息に、ジョッシュはジロリと睨みつけてはみるものの、異論を吐く気にはなれなかった。
「……元はあんなこと、絶対に許さない奴だって思っていたのに、さ」
消え入りそうな声で言葉にして森に視線を向ける。勿論そこにロッテの姿などある訳もなく、あるのは森の奥に広がる深い緑だけだ。時折、動物の鳴く声が掠れる様に聞こえてくる。
「あんな裏切り、……ロッテ立ち直れないよ」
直ぐに追わなければと、弁解を聞いて貰わなければと思うのに、全身を襲う脱力感に体が上手く動かせないのだ。
普段の生意気な態度はすっかりと成りを潜め、気力の全てを失った少年の横顔に、元は空を仰いで言葉を繋いだ。
「人の能力を奪うなんざぁ許されねぇよ。俺達がこの世界に来た全部を否定するようなもんだ。でもさ、あいつが動く時は、全てを受け入れる覚悟があっての事だって分かったんだ。そんな奴が取った行動だからな。俺は何があったって信じる事にした」
元は表情を真剣なものに変えて、呆然と聞き入るジョッシュを一睨みする。「な、なんだよ」そう口を尖らせてはみるものの、元が何を言わんとしているのか良く分かっていた。
「おめぇこそ、なに意味のねぇ事してんの。昔言ってた【互いが欠けていた一部なんだ】って言葉、履き違えてんじゃねぇか?」
琴線に大きく触れる言葉だった。思えばカラーで初めて出逢った時から、元は人の懐に遠慮なく入って来るような男だった。忌憚ない言葉に、ジョッシュはカッと顔を赤らめる。
「だ、だって仕方がないだろ!? ロッテ一人じゃ生きていけないんだから!」
『どうして元に再会した時に、声を掛けようと思ったんだろう。後少しで、全てを終わらせる事が出来たのに。ロッテに軽蔑されて、二人は協会に連行されて。これから僕は……』
幾重もの思考に押し潰されそうになり、そのまま顔を両腕で埋めると、絶望感から深い溜息を吐いた。
「どうしろって言うんだよ。あいつ、使い魔を上手く使えなくて、どんどん関係性は悪くなっていって。そしたらある日を境に、召還獣が途端に弱くなったんだ」
長年、何度も自問自答を繰り返してきたのだろう。苦悩に満ちた表情を浮かべる姿に、元はボリボリと頭を掻く。
『たくロッテ、ロッテって。顔だけ一緒で性格は全然違うんだな。……ピップ・パーカーが言ってた、こいつのせいって言うのも、あながち間違ってねぇ。カラーで出会った頃の依存と全然違う。当時も相当な依存度だと思ったが、これ程状況は悪くなかった筈だ。中々芽が出ないロッテがと言うよりも、過剰に庇い続けてきた結果、こいつの思考が歪んだとしか思えねぇな』
「あ~? 全く理解出来ねぇ。それでどこをど~したら、一緒に死ぬって成っちまうんだ。そもそも何で海を越えようって思ったんだよ。前の土地だったら、まだどうにでもなっただろ?」
海さえ越えていなければ、命の危険は無かった筈だ。ロッテがどんな状況であれ、三人で狩りを成功させればいい。元の訝(いぶか)しむ表情に、ジョッシュは目線を上げた。地面の若草に、太陽の光が反射して、思わず目を細める。煌めく世界に心が締め付けられながら、ボソリと呟いた。
「……ロッテが海を越えたいって言ったから」
ハルは垂れる蔓を上に払った。森は一歩足を進める度に、深く険しくなっていく。ふと歩みを止めると、森の音に耳を傾けた。目線をゆっくりと右から左に向けて、声を上げる。
「ロッテ、金を受け取れ! お前に死なれては困る!」
やけに通る声は、森の中を駆け抜けていく。しかしその問いに答える声はない。もう一度森をぐるりと見渡すと、森の奥に向かって足を踏み入れた。
追ってくる声から逃れるように、ロッテは森の奥へと進んでいく。鬱蒼とした森の中は、陽の光すら届かない。木々から伸びる枝が、ロッテの頬や手や足を切りつけてくるが、そんな傷など気にも留まらなかった。
「はぁ、はぁ……勝手な事を」
がむしゃらに歩き続けていると、次から次へとピップ・パーカーの絞り出されるような声が脳裏に過ぎる。声を振り切る様に、ロッテの歩みは更に速度を上げた。
【…そうですか】
『あんな声……初めて聞いた……』
【マスターは、我々の事をどのようにお考えにゃ? ただの駒にゃ? 我々の気持ちを、考えたことあるかにゃ】
「……煩いって、何だよ、我々の気持ちって」
【我々よりも、あの男の言葉に耳を傾けたにゃ? マスターの全てで生きている召還獣にとって、それがどういう意味を持つか分かるにゃ? 我々にとって、今のマスターは守るに値しにゃい】
「煩いって言ってんだろ!」
ピタリと歩みを止めて、小さく溜息を吐く。落ち葉や苔などで埋め尽くされた地面に視線を落とすと、深く眉を寄せて目を閉じた。
「だって、お前達、僕の能力だろ?? そんな望み……分かれっていう方が」
苦々しく呟くが、ピップ・パーカーの悲壮感漂う声をどうしても振り払う事が出来ない。
ガス!!
ロッテは何もかもを掻き消したい一心で、目の前の大木を殴り付けていた。びくともしない大木は、不変の様に目前に立ち塞がっている。
「何だよ……」
拳にジンワリと血が滲み、鈍い痛みが広がっていく。しかし心に蔓延する痛みに比べれば、取るに足らない痛みだ。そのまま大木に身体を委ねて、ズルズルと座り込み頭を抱えた。
「……何時までも一緒だって言ったくせに」
何処までも広がる鬱蒼とした森の中に、その呟きは儚く消える。
「わわぁぁぁっぁぁ!! 誰か助け……」
木霊の様に、森の中に人間の叫び声が響き渡った。ロッテは反射的に身体を翻し、声の方向に身体を向けた。叫び声の後、大きな体を引きずるような地響きが響く。
「ここから近い!」
鳥が一斉に羽を広げ飛び立ち、森に生息する動物達が一目散に散る気配がする。思考よりも先に走り出していた。
何十もの重なり合う蔓の根を掻き揚げると、予想通り人を襲うタイプの獣の姿が目に飛び込んできた。ここからでは、未だ後ろ姿しか見る事は出来ない。巨体が揺れる度に大きく波打つ身体は、全身が脂肪で占められているかのようである。斑な皮膚の表面は、土がぬかるんだ様な色彩を称えていた。
岸壁を壊そうと一心不乱に体を打ち付けていて、未だロッテの存在に気付いていない。逸る気持ちを押えながら、獣から目線を下げると、岸壁の隙間にうずくまる民の姿が見えた。打ち付けられる衝撃で、強固な岸壁に亀裂が大きく入り、その恐怖も相まって民はピクリとも動かない。
獣が次の攻撃を仕掛けようと、身体の真横に折れ曲がる様に付いた足に力を込めた時、
「させるか!」
ロッテは、ほぼ無意識に小石を投げつけていた。石は獣の背中に当たり、大きく円を描いて跳ねる。一時の時間を置いて獣がゆっくりと振り返った。
巨大な両目をギロリとさせる姿は、ガマガエルそのものだ。動く物体の分、興味がロッテに向いたのか、ゆらりと巨体を反転させた。縦に入った瞳孔は、眼前の獲物を探る様に忙しなく動いている。
「は……はは。Bクラス位かな?」
恐怖で足が震えた。こんな場面にエンダとしての能力も持たず、乗り込んできた自分がおかしくて仕方が無い。
「はは。召喚獣を携えていたとしても、勝てる相手じゃないか」
心よりも身体が先に動いてしまう。危険に直面する民を見過ごせないエンダの宿命だった。
『餓死で命を落とすより、よっぽどエンダらしいよ』
ロッテはそんな自分の思考に、小さく引き攣り笑いを浮かべる。餓死する寸前で元達に助けられ、狩りに出て召喚獣を失った。
『は、はは。僕の何がエンダだ』
洗礼を受けてエンダに成った過去が遠い昔に感じる。走馬灯の様に記憶が過っていく中で、ふと少女の姿が脳裏に浮かんだ。爆炎を背にしたその瞳から流れ落ちた涙に、
「あれ……何で泣かせちゃったんだっけ……」
そう呟くロッテの意識は、深い記憶の中に呑まれていった。
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