第7章 麗しき姫君‐11

 城に戻る道中は、終止重苦しい空気に侵食された。それもそうだろう。殺されかけたエンダと殺そうと目論んでいた人間が共に帰還しているのだ。項垂れ体を引きずる様に歩く騎士達の後姿に、得も言われぬ感情が呼び起こされ、エンダ達を別の苦しみが襲う。

『……なんで芯から恨んだり怒ったり出来ねぇんだろうな』

 胸に残る違和感を言葉に出来ないまま、元は先頭を歩くアッサムに目を向けた。他の騎士達とは違い、真っすぐと前を見据える姿に、元は顎を擦ると深い溜息を吐く。


「エンダ様、困ります! 獣を城に入れるなど、認められません!!」

 制止する門兵に向かって、ハルは腕を横に切った。その表情には一片の感情も映していないが、有無を言わさぬ強制力がある。鋭い眼光に門兵がビクリと身体を震わせた。

「お前らに襲われる可能性がある」

 侮蔑を含んだ声だ。門兵が驚きの表情を浮かべ顔色を曇らせた後に、結局は道を開けた。クリーム色の大理石の大廊に足を踏み入れるギヴソンの姿は、誰が見ても異様な光景であった。


「こちらでお待ち下さい」

 広間に人の姿はなく、静寂がやけに耳につく。沢山の人々が行き来していた城の中に人の姿は見えず、脇に固めて居た衛兵も姿を消している。昨日は圧倒されたこの場所も、今ではやけに白々しい。

 元は椅子に座るフェルディナンドとマジッカーに目を向けた。深い傷を負った筈の二人は、ハルの魔法で回復し静かに佇んでいる。

 はて、と元は頭を捻った。

『ハルが現れるずっと前に、マジッカーは倒れたじゃん? 何故生きてんの? 傷の具合からいったら、直ぐに魔法を施す必要があった筈だ。…………あれ? こいつ、一体何時からあの場所にいやがったんだ?』

 元は眉間に深い皺を寄せると、視線をハルに移す。しかし当の本人は気にも止めず、正面を見据えたまま動かない。

「わたくしも、真実を知りたいのです」

 休む様に声を掛ける皆の制止を振り切り、フェルディナンドは謁見を譲らない。難しい表情を浮かべる隣には、寄り添うようにエミリーが付き添っている。


「全てが自作自演だった?」

「あぁ」

「何で!? この世界の人々が、俺達を襲うなんて、聞いた事がない!」

 驚きの声を上げる元と反して、ハルはいつもと変わらない。納得が出来ないと言わんばかりに、元は食い下がった。

「実際、襲われただろう」

 そう無情な物言いに、グッと言葉を飲んだ。ハルにとって、「エンダが民に襲われた」そんな驚愕の事実ですら、獣を狩ると同義だと言わんばかりだ。そんな二人のやり取りを、他のエンダ達は食い入る様に聞き入っている。

「理由は王に聞け」

 その時、声に導かれる様に緞帳が開かれた。

「王!!」

 そこには昨日と同一人物なのか窺わしい程、玉座で小さくなる王の姿があった。元が一歩前に踏み出した時、甲高い女性の声が広間に響く。

「姫様、お戻り下さい! この様な場所に出てきてはなりません!!」

 声は緞帳の奥から響いて来る。その方向に目を向けると、今度は澄んだ美しい声が耳に飛び込んできた。

「離して! 私の為にこのような恐ろしい事を……知らなかったでは済みません!!」

 侍女の制止を振り切り、王女は王座の脇から飛び出してきた。恐らく泣いているのだろう。ここからでも、王女の小さい肩が上下に揺れているのが見て取れる。その姿は消えてしまいそうな程儚げで、罵倒などしようものなら壊れてしまうのではないか……そんな気にさえ、させられてしまう。

 元は行き場のない感情に苛まれ、握り締めた拳を震わせ問うた。

「説明して下さい! 何故我々を襲ったのか? 何故、我々の同志は殺されなければならなかったのか!」

 悲痛な元の問いに、王は何も答えられず苦しい表情を浮かべたままだ。広間に流れる沈黙が、余計に皆の心をざわつかせてしまう。その沈黙を最初に破ったのはフェルディナンドだった。

「王国が関与している事ならば、何かしらの理由がおありでしょう。お聞かせ願えない限り、対処しようがありません」

 冷静に放たれた「対処」という言葉に、王家の二人がビクリと体を揺らす。更なる沈黙が続くかと思われた時、玉座に一番近い扉が重厚な音を上げた。 

「私が説明を致します」

 その声とともに、一人の男が颯爽と広間に足を踏み入れた。

「アッサム」

 王女から名を呼ばれた男は、エンダ達の前で静止した。長い金髪の髪を後ろできっちりと束ね、スッと伸びた姿勢、強い決意を湛えたブルーの瞳……その立ち振舞いを見ただけで、この青年の人となりが分かる気がする位だ。しかし凛とした綺麗な顔は、身に抱えた苦悩で暗い影を落としている。アッサムは真っすぐと通る声で、しかし決して耳障りではない言葉を紡ぐ。

「この件は、全て私の一存で行った事です。王は、何も御存じではありません。私は架空の獣を捏造し、カラーでエンダ様を募りました。そして、あの岩道におびき寄せ……襲いました」

 「襲った」アッサムの言葉は、エンダ達の脳裏にほんの数時間前の出来事として、フラッシュバックさせた。それは得も言われぬ深い絶望を纏いエンダを襲う。

「な、な……ぜ?」

 拳士とマジッカーは、言葉に成らない思いを投げかけた。襲われた時から、何度「何故?」を繰り返したのだろうか。ハルを除くエンダ全員が、蒼白な顔面に汗を浮かべている。

 更にエミリーが、声を荒立たせた。

「何故、私達が貴方達に殺されなきゃいけないの!? 私達は、この世界の為に、貴方達の為に戦ってきたのに。何故……!!」

 陽に焼けた頬に、とめどもなく涙が伝う。若さゆえのストレートな物言いは、場に居合わせた者達の心に直接訴えかけていく。

「……そ、それは……」

 エンダから投げ掛けられた悲痛な叫びに、アッサムは言葉を失いその青い瞳を伏せた。

 

『全く、この程度の罵倒すら、想定していなかったのか。……つくづくメデタイ奴らだ。そもそも、こんな愚直な作戦を続けられると思っている時点で終わっているな。騙される方も騙される方で、一体なんだったのか』

 ハルは王国の杜撰な作戦に、心底呆れ失笑の溜息を吐いた。加えて解決に向かわない場の雰囲気に辟易し、チラリと元に目を向ける。元はその視線に気付かない程アッサムを食い入る様に見ていた。深く眉間に皺を寄せながらも、心から罵倒する事もままならない。民を傷つける事が出来ない……その制約に苛まれているようだ。

『全く厄介な感情だ。さて、もうこの王国に留まる理由はない。エンダを全滅させる程の獣も居なかったし、元の望みも叶いそうにない。早く片を付けて、次の狩りに向かわなければな』

「自分の見解だが……」

 ハルは腕を組み、仁王立ちの姿勢で言葉を切り出した。突如放たれた声に、場に居合わせた全員が目を向ける。抑揚感の無い声は、広間に一種の緊張感をもたらし、どこからともなく、ゴクリと息を飲む音が聞こえた様な気がした。

「隣国とこの国の繋がりは大変古い。古き時代に同盟を結ぶ事で、互いに発展してきた」

「隣国……?」

 突然出てきた隣国の存在に、元が怪訝そうに呟く。その言葉を遮る様に、ハルは言葉を繋ぎ続ける。

「隣国は、この国と違って武力国家の国だ。利害が一致している内は良いが、一度刃を抜くと厄介極まりない。それでなくても隣国の王は、その傍若無人な振る舞いで有名な男だ」

 ハルの口から隣国の話が出た瞬間、王と姫に動揺が走る。目を見開くアッサムにも構わずに、言葉は更に紡がれた。

「それでもこの国と隣国との関係は、良好に長く保たれていた。しかし、王女の成人セレモニーが行われた時に、その関係はいとも簡単に崩れ去った」

 ハルが繋ぐ言葉に、王女はビクリと体を震わせた。侍女が支えて居なければ倒れてしまいそうな位、青白い表情を浮かべている。何とか気力だけで、立ち踏ん張っているように見えた。

「姫の美しさを見るや否や、隣国の王は王女を我がものにしたいと考えた。しかし自分は既に婚姻済みの身だ。そこで側室という立場を要求し、姫を差し出さなければ国を潰すとまで脅してきた。そうは言っても、姫はこの国の第一王位継承者。勿論渡す訳にはいかない。しかし武力では敵わない。城下町の民も守らねばならん。……何より愛すべき姫をあの国に、いや、あの王に渡したくない」

 ここでハルはボソリと、「どんな扱いを受けるか、分かったものじゃないからな」そう呟く。そんな王の側室に……元は、暴君への恐れからか、震える王女に目を向けた。

「そこで城を上げて、獣をでっち上げたというのが私の見解だ」

 ハルの言葉に、城内の至る場所からざわつきが波の様に聞こえてきた。城の人々は、扉の向こうにひしめき合い、存在を消し声を押し殺していたのだ。

「何故、隣国の事を……」

 そんな声が聞こえてくる。

「お前、どこから、その情報を。……大体、いつそれに気づいたんだよ?」

 納得がいかないとばかりに、ブツブツ文句を呟く声に、

「別に不思議な事ではあるまい。多くのエンダが命を落とす程の獣が、あの岩場だけに留まっている筈がない。岩と同化しているとしても、想定出来る範疇だ。であれば、王家が首謀となって、エンダを陥れているとしか考えられない。後は確認までに隣国まで、出向いたまでだ」

「出向いた……」

 王が信じられないと言わんばかりに、言葉を無くす。そしてハルは、元にだけ届く声で「俺一人でも何てことはない依頼なんだろ?」そう問うてみせる。その呟きに、元はギリリと歯を鳴らした。


 ハルから語られた内容に、アッサムが動揺を隠せず声を張り上げた。

「いいえ! いいえ、エンダ様! 全ては私の一存でございます。私は、姫様を誰にも渡したくなかったのです。私は……」

 アッサムは、拳を握りしめ一歩前に踏み出した。そして自分の義務だと決意したように、最後の一言を搾り出す。

「私は、ずっと姫様をお慕い申し上げておりました。婚礼の申し出は、エンダ様の言われた通りです。婚礼話を聞いた私は、古の契約を利用し黒の獣の存在を捏造致しました」

 アッサムは一気にここまで言葉にすると、呼吸を整えんとスッと息を飲んだ。そして、

「エンダでも倒せない獣の存在を捏造する事で、姫様がこの国を出る事は不可能だと……そう、両国に思わせたかったのです。その欲求を達せんが為に、部下達には有無を言わせず強いらせました。ですから事実を知る者は、風の騎士団のみ! 全ては私の一存で行った事なのです!」

 鬼気迫るアッサムの言葉は、場に一瞬の沈黙を促す。元はこの男の必死さに、意図せず胸が締め付けられた。一歩前に踏み出せない、非情に話を推し進める事が出来ないもどかしさに眉を歪める。そんな元の様子を一瞥しながら、ハルは無意識に耳の魔石に手を添えた。


 クレア姫は、真っすぐと伸びた後姿に、溢れる涙を抑える事が出来ない。涙を抑える白く細い手に、涙の雫が落ちる。

『……ずっと慕っていた』

 その言葉は、意に反して姫を過去に誘う。

『アッサム……』

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