第7章 麗しき姫君‐3

 元は城に赴く際、ギヴソンの檻に立ち寄ることを決めた。

『ちょっと相手をしねぇ位で、不機嫌になられたら堪らないからな。たく、走りは荒くなるし、口輪は付けさせねぇし』

 オプト達との狩りで一ヶ月構わなかった時など、本当に大変だったと、ブツブツ文句を吐き出す。あれから既に半年が経つにも係らず、時々根に持つ走りをするのは、元の勘違いではないだろう。

 

【元、今度パーティを離れる時は、ギヴソンに一言断って行け】

 跳ねて安定しない走りに、ハルは額から手を離し呟く。元がオプト達の話を始めた時だった。途端にギヴソンの走りがぞんざいになって、上下左右に体が揺れる。

【何で??】

 怪訝そうな表情を浮かべる元に、ハルは暫し瞳を細め、諦め気味に小さい溜息を吐く。

【てかさぁ、俺じゃねぇよ。ハルもさぁ、俺が不在している時はギヴソンの面倒見てくれよ。檻に預けると食事は与えてくれっけどさ、草食獣用だしさ。こいつ、それに拗ねてんだよ】

 その言葉が琴線に触れたのか、ギヴソンは更に乱暴な走りで、わざわざ通らなくてもいい沼地を駆け抜けた。

【わ、わ、ギヴソン~泥が飛ぶっつ~の!!】

【毎日通って、これだがな】

 そう呟かれた言葉に、元は目をパチクリさせるのだった。

 

 そんな事もあって、ギヴソンから離れる時は、声を掛けるように心掛けている。半信半疑ではあったが、やらないよりは、マシだと判断したのだ。

「俺、ちょっくらあの城に入り浸りになるからよ~。飯はハルに頼んでいるからな」

 片膝を付きながら話し掛ける元に、チラリと目線を投げたきり、それからは視線を上げようともしない。

『見様によっちゃぁ、構って貰えなくて拗ねている様に見えなくもないが……うん、ないな』

 そう頭を捻りながら「よいしょ」と腰を上げた。毛の無い黒々とした体。元の数倍もあろうかという獣で、その額には人を襲った証である宝玉が爛々と輝いている。百%、人に慣れる獣ではない。

『こいつが、俺に構って貰えなくて拗ねる~? 有り得ん』


 その時だった。

「いやぁ~、ちょっと、止まりなさい!! 馬鹿ンナス! そっちじゃないですわよ! ぎぃゃ~!」

「あ~ナレータ様~! 馬鹿ンナス、止まるっすよ! ご、ゴンタ!! 止めるッス!」

「ワッ、ワッ! オォサワ、こっちに誘導するなっちゃ!?」

 町の入口近くで、ガツガツ駆ける音と、金切り声が飛び込んできた。ハッと振り返った瞳に映ったものは、自分目掛けて突っ込んでくる巨大な獣の姿だった。

「!」

 思わず剣に手を掛けたその時、

 ガルン!!

 低くギヴソンが吠えた。その威厳のある咆哮に、獣がビクンと硬直し、そのままガクンと両膝をつくと、ブルブルと震えだした。

「何だ、何だ?」

 目の前の獣は、牛と豚をミックスさせた様な、実に安定感のある風貌をしている。足は速くなさそうだが、長期移動に向いていそうなタイプだ。

 

「あ~れ~!!」

 ドスン!

 背が丸まった事で、バランスを崩したのだろう。女が叫び声と共に腰から落下してきた。何故だかソーサーやらカップやらが一緒に降って来て一面に散乱し割れた。

「「ナレータ様!!」」

「痛いですわぁ」

 この女性をナレータと呼んだ男二人が、飛ぶように慌てて駆け寄ってきた。腰を強く打ったようで、中々立ち上がれずにいるようだ。痛みからか、バトルドレスに身を包んでいる。

「ちょっと、貴方? 手を差し伸べる位出来ませんの??」

「え、俺?」

 男二人に支えられながら、何とか起き上がった女性が、元に向かって吠えた。身体を連れの男達から支えられながら、その女性は元を下から一瞥し、「クス……」何故かそう笑う。

『……エンダか。ち、失礼な奴』

 風貌など気にもしないが、失笑されるなど不快極まりない。

 見た目は二十代後半の女性で、ゴージャス系の風貌だ。凹凸のあるスタイルの良さ、黒の刺繍を貴重とした全身を包むドレス、足に巻き付いた鞭。

『珍しいタイプのバトルドレスだな。ホント、バトルドレスって、その人となりを体現しているっていうか……』

 ちなみにゴン太と呼ばれた人間は、小さくズングリした風貌だ。またオォサワと呼ばれた人間は、ひょろりとした男で、対照的な二人だった。

「ゴンタ! 馬鹿ナンスを檻にいれておきなさい! オォサワ! 早く宿に連れて行ってちょうだい!」

「Saー!」

 命令された二人は、ビシィと直立不動で答えている。元はその三人の掛け合いを見て、驚きの表情を浮かべた。

『エンダ同士で主従関係なんて聞いた事無い。……ニュータイプ?』

 エンダは基本どの組織にも属さない。旅の関係上パーティを形成する必要性は出てくるが、それでも己の役割を果たすだけだ。元は興味が出て来て、つい足を止めてしまった。ゴン太と呼ばれた男が、獣の手綱を引いて、檻に誘導しようと悪戦苦闘をしている。

「馬鹿ンナス~! 動けっちゃ!」

 バカナンスは、ゴン太の誘導に必死の抵抗を続け、腰を落として動こうとしない。渾身の力で引きずられ様とも、頑としてその腰を上げようとしなかった。

『そりゃあそーだ。いくら檻があるとはいえ、こいつの隣は嫌だろう』

 元はギヴソンに目を向けると、当の本人は興味がないと言わんばかりに、寝そべって目を閉じている。ナレータが、深い溜息を吐きながら、バカナンスに目を向けた。

「馬鹿ナンス? あんたの変わりなど、掃いて棄てる程いますのよ? 手を煩わせないでちょうだい!」

 そう言い捨てる様子に、元は怪訝そうな表情を浮かべた。

『居るんだよな~獣を物みたいに扱う奴らが』

 ナレータはバカナンスを一喝すると、檻の中で寝そべるギヴソンを一瞥した。

「ふぅ、エンダ同様、世界の頂点に位置する獣の末路がこれですの? 情けない限りですわね」

 蔑むような物言いに、

「あ?」

 そう元は、思わず声を発した。

【厄介事には、首を突っ込むなよ】

 咄嗟にハルの言葉を思い出すと、何とか次の言葉を飲み込む。そして、グルリと踵を返した。

『無理無理。このまま、ここに居たら、俺 絶対! 喧嘩するわ』

「じゃぁな、ギヴソン、ちゃっちゃと終わらせて、帰って来るから」

 元がそう声を掛けると、ギヴソンは目を閉じたまま、ピクリと耳を動かした。元はチラリと馬鹿ナンスに目を移す。よっぽど嫌なのか、今だに抵抗を続けているのが見えた。ゴン太が丸い身体をさらに丸くして奮闘している。


「全く……畜生風情が……」

 ゾクリとする低い声が響いたのと同時に、女の手から黒い何かが飛び出した。並々ならぬ殺気を受けて元が振り返ると、

「!」

 ブヒヒヒィン

 バカナンスの悲痛な叫びが響き渡る。あっという間の出来事だった。ナレータの体に巻きついていた鞭が、バカナンスを縛り上げている。ギリギリと体に鞭が食い込む苦痛で、身体からは、うっすら血が滲み始めた。

「アワアワアワ、ナレータ様、もうそこまでで大丈夫っちゃ。馬鹿ナンスも分かってくれたっちゃ」

「そ、そうッスよ~。ほら、馬鹿ナンス、大人しく檻に入るッス」

 しかし冷ややかな視線を落としたっきり、ナレータはその力を緩めようとしない。鞭が嫌な軋み音を立て始めた。

「「ナレータ様、お止め下さい!!」」

 バカナンスが、小さい呻き声を上げたその時、鞭がその動きを止めた。

 

「……何の真似かしら?」

 元がナレータとバカナンスの間に立ち、右手で鞭を握り締めている。両方が一歩も引かず、鞭が一ミリも動かない。二人からほとばしる殺気に、オォサワとゴン太が縮み上った。

 冷淡なナレータの言葉に、元が眉間に深い皺を寄せる。その眼力は凄まじく、ナレータを突き刺す程だ。

「何の真似か、じゃねぇよ、殺す気か? てめぇの足となって、日夜問わず走ってくれている獣だろう? もっと気遣ったらどうなんだ」

 その言葉は、女性の琴線に触れるには十分な一言だったらしい。スッと腕を上げ鞭を大きくしならせた瞬間、生き物の様に鞭がナレータの元に戻る。鞭がしなる直前、元は咄嗟に鞭から手を離した。

『ち……、あのまま握り締めていたら、指が無くなっていたな、……こいつ!』

 鞭が生き物の様に、太ももまで巻き付いた時、ナレータは仁王立ちで元を見据えた。

「貴方……赤の他人に失礼ですわ。ワタクシ達の事情に、勝手に入ってきて、さも当然の様に口を出されて黙っている程、頭悪く在りませんわよ」

 元は心の中で『ハル、ごめん』そう謝罪の言葉を投げた。

「別に頭悪いでショ? なんて言ってねぇし。ただエンダが世界の頂点に位置付けるなんて、品位のない発言、同じエンダとして恥ずかしいんだよ。それに俺、弱いもの苛めする底辺、マジで嫌いなんだよね」

「ワタクシに、品位が、無い、ですって? 見た目に粗暴な、貴方に言われたくありませんわ」

「人の本質が、見た目にあるって?」

 売り言葉に買い言葉で、元が答える。偶々居合わせた人間が、突然ナレータと言い争いを始めたものだから、連れの二人はあたふたと慌て始めた。二人で目を合わしたり、逸らしたりしている。

 ナレータはうんざりと言わんばかりに、「フン」と鼻を鳴らした。

「高尚な事を言っているつもりでしょうけど、貴方も獣を足代わりにしている事には、代わりありませんわ。今のワタクシと何が違うのでしょう。

 力がある者が、それ以下の者を従える、それはこの世の中の常。我々エンダは、そのような位置付けで狩りを行っているのです。力があるから、獣が狩れる。そうでございましょう? 半端な道徳心は見苦しいだけですわ」

 ナレータの言葉は、エンダが陥りやすい最も危険な思想だと、元はピクリと眉を上げる。

『力さえあれば、栄光も金も思いのままだ。でもそれだけだ。エンダの本質を忘れてやがる』

「確かに強くなきゃ、いつ死んでもおかしくねぇ世界だ。でも上だからとか、下だから狩られても当然とか、そんな理由で狩りをしてんじゃねぇよ。この世界の民を救う、それがエンダの使命だからだ。それにギヴソンが俺達と旅をしているのは、屈しているからじゃねぇ、こいつの意思だ」

 元はそう言いながら、ギヴソンに顔を向けた。人間達の揉め事など、一片の興味も無い様な仕草を見せながらも、ギヴソンは鼻を小さく鳴らす。その発言に、蔑む表情を浮かべ、ナレータはクルリと背を向けた。

「愚かな……ですわね。貴方はエンダの価値を、何もお分かりではない。ワタクシ達は、この世界の最高位におりますのよ」

「エンダの価値だぁ?」

 元が怪訝そうな表情を浮かべた。

「エンダとあろう者が、単に人助けの為だけにこの世界に来たのであれば、随分と幼稚で安直……だと言わざるをえませんわ。何もかも投げ捨てて、人助けですって? 特撮ヒーロー物の見過ぎではございません? レベルが低い人間と話したくありませんの。失礼」

 そう言い放つと、ナレータは二度と振り返る事無く町に入って行った。

「……」

 無言で、その後ろ姿を睨み続けている元の横をゴンタが通り過ぎた。バカナンスも抵抗を諦めたのか、大人しくゴン太に従っている。傷が癒えているのは、二人の内、どちらかがヒーシャなのだろう。

「人それぞれっちゃよ。ナレータ様にはナレータ様の、あんたにはあんたの価値観があって当たり前だっちゃ。でも助かったっちゃ。ありがとだっちゃ」

「……分かってるよ」

 太陽の陽が高く登りきり、周囲を眩しく照らす。元はギヴソンを振り返り、

「苛めんなよ?」

 そう声を掛けた。ギヴソンは、隣の獣には目もくれず、元をジッと見ている。二人の間に一切の言葉はなく、暫しの間視線を合わせていた。

 

「全く……質の悪い人間でしたわね。あんな礼儀知らずな人間が、エンダだとは……エンダの選考基準も結構いい加減という事かしら」

 ナレータは静まらない怒りに、ブツブツ文句を呟いている。体を支えているオォサワは、やれやれと溜息を吐いた。

『随分とお怒りのようッスね。全く、あの男も面倒な事をしてくれたッス』

 オォサワは、ナレータに気づかれない角度で、元に恨み節を唱える。ナレータの機嫌が悪くなると、甚大な被害を被るのはオォサワとゴンタの二人なのだ。

「……でもあの男が連れていた獣、かなり強そうでしたわ。あの獣が私のパーティに入ったら……更にハクがつきますわね」

 ナレータの呟きに、オォサワはゴクリと息を飲んだ。

『いや、止めて……。か、勘弁ッス』

 そうあくまでも心の中だけで、叫ぶ。

「いや、ナレータ様、あの、差し出がましいようですが、あの獣は我々の手には負えないッス、ので……は?」

 オォサワがたどたどしく、異議を唱える。あの赤い目を思い出すだけでも、身の毛がよだつのだ。自分達にどうと出来ると思えない。

「オォサワ? ワタクシが、あの男よりも劣るとでも言いたいのかしら?」

 ナレータの冷やかな物言いに、オォサワが、ブンブンと頭を振った。

「あの男が従えて、この私に出来ないことはないでしょう? 確かに気は荒そうでしたけど、あのレベルでしたら、今まで何体も倒してきましたわ。あの獣、足も速そうですし、きっと旅も快適になりますわよ」

『いやいやいや、倒すのと従えるのは、別の問題ッスよー』

「でも、ッスよ、ナレータ様。あの獣はあの男が所有物の様な……」

 ナレータが、フンと鼻を鳴らす。

「この世界の獣は、誰の物でもございませんわ。先程も言いましたけど、この世界では強さこそが正義。全てその基準で世界は回っているのです。いいこと? 当分この町に滞在しますけど、出る時には、あの獣はワタクシの物ですわよ。よろしくてね?」

 反論を許さない美しい横顔に、オォサワは大きく肩を落とす。

「SAー……」

『楽しみにしていた王国の滞在だと言うのに、何でこんな事になったッスか。……はぁ、ゴン太と対策を練らなければッス』

 実直そうな元の顔を思い浮かべると、数日後の結果を容易に想像出来る。ナレータに隠れるように、深い溜息を吐くのだった。

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