第5章 生業-8

 元は消え行く獣の骸に視線を落としていた。獣は死ぬと、僅かな時間に跡形なく消えてしまう。ザッツケルオンの身体が全て消滅した時、拳程の宝玉が地面にゴロリと転がった。この宝玉をカラーに持ち込めば契約履行だ。元は暫し手を合わせると、宝玉を手に取った。手を合わせるのは、ハルと決めた儀式であり、犠牲になった人々を弔う意味が込められている。

「無事に終わったな」

 のしかかる重圧から、ようやく解放された気分になる。何度狩りを経験しても、この重圧には慣れない。宝玉は雨の雫を受けて、掌の中で鈍い色彩を放った。

 

 元達が町に入る頃には、雲の切れ間から光が差し込み始めていた。雨が止むと空気が澄んで特有の甘だるい感じになるのは、どこの世界も同じだ。

 しかし今の元に、そんな情緒に浸る心の余裕など無かった。町に配置された幾重もの城壁をこれ程煩わしく思った事はない。漸く町の外れの繋ぎ場にギヴソンを預けると、その足で宿屋に駆け込んだ。背中に担がれているハルは、ぐったりして意識が戻らないのだ。からは生気が失われ驚く程に青白く、出会った頃を彷彿とさせて、心が騒ついて仕方がない。肩の上のタロも心配そうに覗き込んでいる。

『焦んな……大丈夫だ』


 バタン

 建物が軋む程に扉を開けて一目散に受付を目指す。

『早くセンスを焚かねぇと』

 しかしカウンターに店主の姿はなく、代わりに何かを打ち付ける音が宿中に響いている。親父を捜して元がカウンターから覗き込んだ先には、奥で木槌を振りかざす男の姿があった。

「あ? ここ宿屋だよな?」

 男は、一心不乱に手元の錆びた剣を伸ばしていた。作業に集中しているのか、元の存在に全く気づいていない。元は店の奥に向かって声を上げた。

「親父、部屋を一つ用意してくれ。んで、ベッドにこのハーブを焚いてくれ」

 そう言いながら、小さい包みをヒラヒラさせる。しかし店主は一度ぴくりと打つ手を止めただけで、顔を上げようともしない。

「あんちゃん、ちょっと待ってくれよ。今、それどころじゃ無ぇんだ。いくつもの町を潰した獣が、ここに向かっているらしいのさ。その対策で町は大忙しなんだよ。くそっ! エンダは来やしねぇし……何が救いの民だ。俺らじゃ、どうせ勝てっこねぇが、おめおめやられる訳にはいかねぇー。てか、旅の人、死にたくなかったら、町から出た方が身の為だぜ!」

 そう応対しながらも、ガンガンと木槌を振り続けている。確かに親父の言葉通り、町の人々の騒然とする様は、宿の中に居ても分かる位だ。


「ゴホ……」

 意識が無い中、時々苦しく咳き込むハルを横目に、元は苛立ちを必死で押え込んで大きく息を吸った。

「その獣ってザッツケルオンの事だよな!? 奴は俺達が倒したからさ。早く部屋を用意してくれ!」

 乱暴に発せられた言葉で、ようやく店の親父が手を止めてポトリと木槌を落とした。直ぐさま立ち上がると、元目掛けて駆け寄ってくる。焦りから、足元やら壁やらの道具を全てなぎ倒す始末だ。

「マジかよ!? あんたエンダか? いやいや、今までに何人ものエンダがやられた獣って聞いたぜ? ガセだったら……」

 エンダが嘘ついてどうする……元は心底疲れた顔を浮かべ受付に拳を振り落とした。

「お? 何だ!? クレームなら後にし……」

 呆れる親父の言葉が終わらないうちに、深緑の色を湛えた宝玉がゴロリと転がった。その転がる石の動向を、カウンターに顔を近づけ目で追っていた親父はゴクリと息を飲む。こんな姿になっても恐ろしいのか触れようともしない。

「これ……は宝玉? ザッツケルオンの? ……確かに、おふれに出ていたその色のようだが……」

「嘘ついてどうすんの!? ほら、早く部屋、早く用意してくれ。連れが大変なんだ」

「あ……あぁ」

 

 宿の親父は言われるままに、部屋を用意し(ハーブも焚き)、慌てて宿を飛び出して行った。駆け出して行く親父の足音を聞きながら、元は大きく溜息を付く。

「全く、あんなペラペラに伸ばした剣で何が出来るんだい!?」

 親父が必死に打ち付けていた剣を思い返すと、何とも言えない感情が押し寄せてくる。

 獣によって命を落とす犠牲の多くは、この世界の民が居住地を離れない事によるものが大きい。そのためエンダは、獣が町に到着する前に追い付いて倒さなければならなかった。時間との戦いは、エンダに心身ともに負担を強いる。

『逃げりゃーいいのに。てか、逃げてくれよ。……何故戦えない獣相手に』

 同じ地に留まれないエンダには、そんな民の行動など到底理解出来ない。今回も獣の脅威は、町の目と鼻の先まで迫っていたのだ。町の様子に視線を向けて、辛うじて守る事が出来た安堵感に胸を撫で下ろすのだった。

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